デンリュウ校長には悪いが、俺は再び旧校舎前に来ていた。
また電撃の妨害が来るかと思ったが、何故かそれは無かったので、恐らくまだ気分が悪くてそれどころじゃ無いのだろう。
いや、考えるな。今は、Xについて全ての可能性を調べなければならない。
今度は栞は失くさぬように、決して無理はしないように。
昇降口は厳重に封印されていたので、他の入り口を探そうと俺は旧校舎の周囲をぐるぐると回り始めた。教室の窓もガムテープで封印されていたが、割ってしまえば入るのは簡単そうだ。
しかし、割って入るのは最後の手段にしよう、何処か普通に入れそうな場所は無いものか……。


「ん?」


通りかかったのは、1階トイレ(だと思う)の外側。
通気用の小さな窓が、開けっ放しになっていた。
頑張れば、あの隙間に身体を捻じ込む事が出来そうだ。
蜘蛛の巣とかありそうで気持ち悪いが、此処は我慢するしかない。
俺は両手を小さな窓に引っ掛け、よじ登り、頭からその窓の中に―――入、あ、ちょ、ヤバイヤバイ、これは拙い! 引っ掛かった! えぇい力ずくで!

―――ミシミシミシ……バキバキィッ! ドスン!


「ぐへぅ!」


『力ずく』で身体を捻じ込み、俺は男子トイレの中に転落した。チクショウ、汚い床の上に転んでしまった。幸いだったのは、ずっと使われて無いからスッカリ床が乾いていた事か。ひんやりとした感触以外、特に汚れたという感覚は無かった。
一方で、俺が強行突破した窓は、俺一人が通れるくらいまで窓枠が拉げて広がっていた。
我ながらやっちまったぜ、しかしもう後には退けないので気にしない。

旧校舎の中は。
まるで、そこだけ世界から切り離されているかのような、得体の知れない空気が満ちていた。



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迷宮学園録

第十五話
『私は何もしていない』

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旧校舎の中は、薄暗くて黴臭くて、1秒でも長くは居たくないと言う状態だった。
そんな中を、木造の床をギシギシと踏み鳴らしながら俺は突き進んでく。
何処に何があるのか解らないから、単なる闇雲な行軍ではあるが、偶然にも俺が向かった先には、図書室があった。
床と同じく木造のドアは長い間使われていない所為なのかやたらと重く、俺は力任せにその引き戸をこじ開けて図書室の中に侵入する。
中は机と椅子が雑多に並び、埃と黴の楽園になっていた。……病気になりそう。
奥に本棚はいくつかあったが、全て空な所を見る当たり、新校舎建立の際に全部移動したのだろう。
だが、何かあるかも知れないので、一応最後まで探索しておく事にする。
窓の外から鬱陶しいくらいの日差しが入ってこなかったら、絶対探索したくないな。

奥には、書架があった。
図書室には大量の本が並べられているが、大抵、並びきれない本を保管しておくスペースと言うものが存在する。誰も読まないようなマイナーな本とかもな。
俺は、書架と書かれたプレートが下げられているドアノブを回して、押し開ける。
図書室の中が既に黴臭塗れだったので、今更奥の匂いはあまり気にならなかった。

眼前に広がったのは、大量の本が並ぶ空間だった。
書架の本は、移動されなかったのか。しかし何故―――そう思って、本を手に取り、その理由を知る。
ここには、悪魔の封印に関する本や、魔物の研究に関する本が、所狭しと並べられているのだ。何故、そんなモノが此処に、なんて野暮な事を今更問う必要も無いだろう。『立ち入り禁止の旧校舎』の書架に安置された大量の本が、それを物語る。


「やっぱ、『居る』んだな、魔物は……」


この学園に棲む、と言う表現から、この学園の敷地の何処かに『居る』のは間違いない。ただ、此処に並べられた本を見る限り、俺が受けた印象で言えば、魔物はこの学園に


「封印されている、と考えた方がベストだろうな」
「―――ッ!?」


思考を読まれる。
突如、背後から俺を突き刺した声の主は、見慣れない男だった。
いや、見慣れなくはない。動転したお陰で一瞬わからなかったが、俺はその男を見知っている。
その黒髪に金のラインが入った特徴的な頭の、生徒会長だけが着る事を許されたコートを靡かせたその男は、2年と3年の合同行事の度に顔を合わせている!
そいつは、この学園で実質最強と言ってもいい立場を誇る―――生徒会長ハルク!

ハルクは、開いていた本を閉じて書架の棚に戻すと、キッと俺を睨みつけて言う。


「此処で何をしている。2学年四天王、黒木全火。それとも、此処で何をしていた、と問うべきか?」
「そいつはどっちでもOKだが、同じ質問をそっくり返したいところだな……」


緊迫した雰囲気が場を支配する。
だが、ハルクは直ぐに俺に対する敵意を捨て、普段そうしているような冷静さで語り始めた。
この場で俺と争う心算は毛頭無い、と言う事らしい。まともにやりあえば、お互い無事では済まないと言う事を悟ったのだろう。


「単刀直入に言えば、Xについて調べている、と言ったところだ」
「Xだと……? 3年もXを追っているのか……?」
「『も』? 2年生がそういう動きを見せたという報告は受けていないが……」
「あ、いや」


しまった。失言だった。
疑われるような真似は極力しないように心がけているんだが、つい口を滑らせるのは俺の悪い癖だ。

「俺が個人的に追ってるんだよ、この学園に居るXってヤツを倒すのが俺の使命だからな」
「使命……か。お前とXには只ならぬ関係がある、と言う事か?」
「そういうわけでも無いんだが……」

状況説明に困り、口ごもる。
ボロボロマントの女について話すワケにもいかないし、かと言ってこの場をやり過ごす上手い嘘を即座に考えられるほど俺の頭は狡猾には出来ていないし。まして相手は学年最強の男だ、口から出任せで騙せるような男ではない。此処は話題を逸らした方が得策だな。
3年がXを追っている―――あぁ、1年も経ったから忘れていたが、そういえば俺を狙った3年たちもXを追っていたんだよな。
何で忘れてたかって、3年(調べていた当時は2年だったが)がXを追っている素振りなんて、去年1年間、一度も見なかったからだ。
端的に言えば、X?何それ美味しいの?って感じだった。思えば、あの頃はXなんて『居なかった』のでは無いかと思う。そう思えてしまうほどに去年1年間は、Xの影が一切つかめなかったのだ。

重なる。
ボロボロマントの女が俺の前に再び姿を現した直後と、3年がXを追い始めた時期が、綺麗に合致する。
Xは、元々この学園に居たのではなく、ほんの数日前にこの学園にやってきた者なのか?
去年は何処か違う場所に居て、それが今年、唐突に現れたのか?

「ハルク、聞かせてくれ。何故、3年はXを追っているんだ?」
「それを教えれば、お前がXを追う事情を話すのか?」
「……話そう。話す。きっと話す。だから、教えてくれ」

ハルクは、一番事情を知っている男だ。リセットの準備なら既に出来ている。
情報が要る。3年が俺を襲った理由を知るための情報が。

「断る」
「なっ!」

ハルクは踵を返し、書架から出て行こうとした。
まさか断られると思わなかった俺は、慌ててその後を追うが、ハルクは立ち止まらない。
もう、この旧校舎そのものに興味が無いような雰囲気を背中で語っていた。

「待てハルク! お前は何を隠してるんだッ!!」
「隠しているのはお前のほうだろう。今回はお互い『敵ではない』と言う事だけ判れば十分だ」
「………!」

少しでも俺に怪しいところがあれば、その場で消しに掛かっても良かった―――ハルクは最後にそんな目を俺に向け、そしてそのまま図書館から出て行った。
『敵ではない』。『味方かどうかも判らない』。
俺はこの1年で上級生とそこそこの関係は築いて来た心算だった。
しかし、本当に繋がりがあったのは、既に卒業したFLB先輩たちのほうだ。
ボクシング部に部員が居ない現在の3年生との繋がりなど、俺が四天王である立場上のささやかなものだけだったのだ。
思い知った。
3年は、まだ俺の味方にはなりえない。

俺自身が3年に疑われているから、俺は3年の味方になる事が出来ない。


「くそったれ、どうしろってんだよ……!」


誰か、俺の潔白を、証明してくれ……!

しかし、その願いは。
誰がどう足掻いたところで、叶わぬ夢なのだった。




………………



翌週火曜日。
月曜日は代休だったので、実質まともに授業が始まるのは今日からだったが、また『あの日』が近づいてくるのが解ってしまったような気がして、まるで授業に気持ちが入らなかった。
休み時間、そんな俺にクラスメートのミズゴロウが突っかかってくる。


「どうしたマイケル! 元気無いな! そんな時は俺のスーパー癒しソングを聴けぇええっ!!」
「教室内でギターを響かすな!」
「ぐはぁっ! け、蹴ったね!? オヤジにも蹴られた事無いのに!」


バンド部でチームYOSと言うバンドを結成しているミズゴロウは、同じYOSのメンバーであるヒトカゲの飛び蹴りを喰らって軽々吹き飛び、泣きながら退散していった。まぁいつもの見慣れた光景である。


「悪かったなゼンカ。空気読めないアホで」
「いや、アイツが何時も通りのアホだと、何か落ち着くぜ」

「学園最強のアホにアホって言われるゴロって、一体どれくらいアホなのかしら」


俺とヒトカゲのやり取りに割り込んできたのは、同じくYOSのメンバーである銀髪の女、エアームドだった。

「そうは言うけど、あいつかなりモテるんだぞ?」
「知ってる。こないだゴロのロッカーから大量のラブレターが溢れてたわ」
「くそう! 神様は不公平だ!」

俺はこんなに美形なのにモテないなんて、神様のツンデレっぷりには全面降伏だぜ。

「自分で美形とか言わないほうがいいわよ」
「美形だろ?」

エアームドに、これ以上無いハンサムスマイルを向ける俺。
しかしエアームドは暫し返答に困ってから、ボソリと呟くように言った。

「ユニーク」
「何処の読書家な宇宙人製アンドロイドだ! あと何気に傷付けられたぞ!」

この傷に対する慰謝料を請求する!
その珍しい銀髪を心行くまでモシャモシャさせてくれ!

「斜め後から刺すわよ」
「サーセン」

エアームドは心も銀色だった。ギラリと光る方の。
こんなんに斜め後から刺された日には、通常の1.5倍近い補正でダメージを受けた上に、拳タイプの俺は反撃できないじゃないか。
などとシミュレーションゲームよろしくな事を考えているうちに、昇降口前の自販機までジュースを買いに行っていたフェルエルが戻ってきた。
フェルエルは、何故かカップラーメンを啜っていた。
もう俺にとっては全然『何故か』では無いのだけれど、一般常識的な観点を失わないためにも、俺はそのフェルエルの常軌を逸する行動を理解しては『いけない』のだ。

「一応ツッコむが、フェルエル。ジュースはどうした」
「ジュースを飲もうと思ったんだがな。ついつい小腹が空いてしまったのだ。安心しろ、お前の分もあるぞ」
「俺はジュースが飲みたかったっ!!」

机の上に置かれたカップラーメンをフェルエルに突き返して喚く俺。
間違ってないよな、俺の行動は間違ってなんかいないよな。
しかしその解答は神のみぞ知るのだった。結局俺の鞄には、放課後までカップラーメンが居候する事となったことについては、もう触れないでくれ。

しかし、この時俺はまだ、フェルエルの行動の意図に、本当の意味では気付いていなかったのだった。



……………



放課後、俺は図書館に来ていた。
今期の授業が始まったばかりのこの時期は、図書館そのものには暇人が集まっていたが、廊下を出てすぐのところにある個人学習室(要するに自習部屋。他にグループ学習室と言うのもあり、中で私語が出来るか出来ないか程度の差がある)には、誰一人として生徒の姿は無かった。勿論、教員なんかも居ないので、俺はその部屋で―――リシャーダと二人っきりであった。

「何故呼び出されたのか判る?」

リシャーダは問うた。
俺が此処に居るのは、フェルエルが俺の鞄に無理矢理詰め込んだカップラーメンに紛れて、俺を此処に呼び出す手紙が仕込まれていたからだ。
フェルエルに聞いたところ、内密に俺を呼び出して欲しい、と言うリシャーダの頼み事だったそうだ。
リシャーダとは同じ四天王として交流はあるから、別に前みたく一方的に敵視されてたりはしない。
それどころか、ちょくちょくフェルエルを交えて一緒に遊びに行くくらいは親しい。
そのリシャーダが何故唐突に俺を呼び出すのか―――想像できる答えは一つ、フィノン絡みの事だろう。

実は、このように浅からぬ関係であるから、フィノンのことについて俺はある程度リシャーダから相談を受けていた。
ただし、相談は受けていたが、正確に何が起きたのかは知らない。
リシャーダが自分から話してくれない以上、俺が執拗にそれを問うのは返ってリシャーダの心を閉ざしてしまう危険性があったから、俺はこの日までずっと待っていたのだ。

「フィノンに、何が起こってるんだ?」
「こういう時だけやたら察しが良くて助かるわ。そうね、とりあえず……」

リシャーダはそこで言葉を切って、自習室の外に顔を向けた。
数名の生徒が、楽しく話しながら廊下を歩いているのがドア越しに判った。
あまり聞かれたくない話だ、誰も居ないと踏んで此処に来たものの、あまり意味は無かったと言える。

「ボクシング部の部室でいいか? どうせ部員はフェルエルしか居ないし、フェルエルだったら聞かれても問題ないだろ?」
「……そうさせてもらうわ。ところで、ちゃんと掃除してるんでしょうね? 汗臭いところは嫌よ」
「安心しろ。ファブってる」
「ファブる必要がある程度に臭いのね。不安だわ」

潔癖症。
リシャーダと親しくなってから知った、彼女の癖の一つである。
他にも色々と癖があって、それゆえ彼女も四天王なのだが細かいところは割愛。
まぁ、潔癖症のお陰でリシャーダは良い匂いだ。匂いフェチで無くても惚れ惚れするくらいにな。
あまり近づくと、『親しき仲でも礼儀無し』のリシャーダは遠慮なく蹴り上げてくるから(股間的な意味で)注意が必要だぜ。
女は近づいても蹴られないんだよな、この時ばかりは男に生まれたことを激しく後悔したりしたのも良い思い出……では無いな。寧ろ汚点。

リシャーダは部活に所属していないので、そもそも部室棟(部室が大量に並んでいる校舎のような建物)の位置だってロクに知らないだろう。俺はエスコートするように、彼女をボクシング部の部室へと案内するのだった。

この時点で俺は、ある一つの予知をしていた。


「ラーメン臭いかも知れないけど、我慢しろよ」
「醤油なら許すわ」


フェルエル、今頃部室でラーメン啜ってる気がする。
小体育館で啜ってる時もあるが、大抵は部室で啜ってる事のほうが多い。

何故なら、給水保温ポッドの中にアツアツのラーメンを保管している彼女にとって、ラーメンを食べる事にTPOは関係無いのだから。
しっかし本当に感心してしまうのは、あんな長時間保存されて伸びきったラーメンを、よくもあそこまで美味そうに食えるよなぁ、と言う事だった。




…………




―――部室がラーメン屋になっていた。

俺は一旦リシャーダを小脇に抱えて全速力でその場を後にし、「すまん、間違えた」と頭を下げた。
その際、俺の行動がリシャーダにある程度の共感を得られるものだったのだろう、蹴られなかったのは幸いだった。リシャーダに蹴られると、向こう3日程悶絶することになるのだから。


「いい加減降ろしなさい」
「あ、あぁ……すまん。どうやら春休みが長くて道を間違えたらしいんだ、ははは……はは……」


抱えていたリシャーダを降ろし、蹴られないように2メートル以上の距離を置く。
軽くて抱えやすかったが、多分二度とないボディタッチの機会だったに違いない。
唐突に訪れた希少な体験に、俺は神に感謝しつつ、生徒手帳を開いた。

学内地図を見ながらだったら間違えないだろう、俺は生徒手帳を見ながら、元来た道を辿り始めるのだった。


「いらっしゃい。よく来たなゼンカ。まさか最初の客がお前だとは思わなかったよ」
「俺も部室がラーメン屋になってるとは思わなかったよ」


フェルエルが、巨大な鍋でラーメンに使うのであろう秘伝のスープを煮込んでいた。
オイ、何処から持ってきたんだその専門的な機材は、あとこの部室に漂う濃厚でありながらアッサリとした、食欲をそそる秘伝のスープの隠し味は何だっ!?


「秘密だ。まぁ初回サービスと言う事で特別にタダで食わせてやろう」
「学内で勝手に商売するな!」
「ちゃんと校長の許可は取ったぞ」
「おのれ校長先生のお気に入りめ」


ふと壁にかけられたメニューに目をやると、そこに『カレーライス』と言う文字列があったので、俺はその瞬間に全てを理解したのだった。


「因みにカレーライスは本場の味が楽しめる『インド・スグソーコ』の協力でお品書きに並んでいる」


見ると、確かにフェルエルの立つ厨房にはカレーを作るための材料は一切無かった。
多分、これは予想だがゴハンも無いに違いない。つまりアレだ。この店でカレーを頼んだら、フェルエルはそこにある電話でインド・スグソーコに出前の注文をするに違いない。
ここで喰う意味あるのかよ!?


「特に無いな」
「無いのかよ!」
「無い。さぁお待たせ、冷めない内に食えよ。リシャーダも喰うか?」
「……え、遠慮するわ」


俺には無条件でラーメンを出すくせに、リシャーダには一応聞くんだな。
まぁ別に如何でもいいけど。
だってこのラーメン、美味いんだもん! 無駄に!
ちょっとフェルエル、お前ラーメン屋を開業しろ!
全国に名を知られる有名ラーメン店を押し退けて、きっと行列を独占する最強のラーメン屋になれる!


「馬鹿を言うな。これは私が食べたいから、自分のために用意したのだ」
「究極の贅沢だな……ご馳走様」


あっという間にスープまで飲み干して、完食。
こんな場所で真面目な話なんか出来ないと悟った俺は、足早にラーメン屋を後にするのだった。

この時は、まだ知らなかったんだ。あんなことになるなんて。





…………








部室棟の屋上は、洗濯済みのタオルやらユニフォームが干されて風に靡いていた。
そんな病院の屋上を思わせる場所の、人目に付きそうも無い死角に、俺とリシャーダは居た。


「随分と邪魔が入る一日ね、今日は」
「……すまん」
「何で謝るの?」
「罪の意識を感じたからだよ」
「道化よね」


短い一言に、苦笑いを返す。
リシャーダの、こういう見透かしたような物言いが苦手だった。
どんな馬鹿をやって自分を隠しても、リシャーダは―――全部見抜いてくる。
実際、見抜かれた事は一度も無いのだけれど、時々こうやって対面していると、見抜かれているような気がしてならない。リシャーダの目には、そんな鋭さが何時も宿っていた。


「まぁいいわ。そんなこと、私が気にする事じゃ無さそうだし」


しかし、リシャーダ自身、その事は如何でもいいようで、直ぐに話題を変えてくる。
無駄話を嫌うリシャーダにしては、確かに今日は脱線が多かったな。


「私に無駄話をさせるなんてゼンカだけよ」
「そりゃどーも。全然褒められてる気がしないな」
「……本題だけど、先にこれだけは信じて欲しい事を言うわ」
「何だよ?」


リシャーダにしては、珍しく―――面倒臭い言い方だった。
もっと単刀直入にズバズバ言って来るのが普段の彼女なのに、今日の彼女は―――焦っているように見えた。
普通の人間とは逆のタイプなんだ、焦りは人間に普段と違う行動を取らせてしまうと言うから、普段ストレートなリシャーダは、焦っていると言い方が遠回しになる。


「私は何もしていない。変な噂が立っているけど、私は誰も傷付けたりなんかしてない……」


噂については、今更聞くまでも無い。
フィノンに近寄った男がリシャーダによって消されている、と言う、1年前まで俺も大真面目に信じていた根も葉もない噂話だ。
この1年、リシャーダと一緒に居た俺は、そんな噂が単なるデマである事を知っている。
リシャーダが普段強気なのが、本当は弱い自分を隠すための物だと言う事を知っている。

最近、リシャーダの孤立が目立ち始めていた。
元々こんな性格だし、四天王だし、近寄りがたい印象を周囲に与えていたのは事実だ。
それは、同情すべきことでもあるがリシャーダの自己責任だと言った方が正しい。

しかし、最近流れ始めた噂は、あまりに―――酷い。惨過ぎる。
リシャーダと親しく出来る人間は、四天王を除いて―――リシャーダと同じような属性を持つYOSのエアームドくらいしか、俺は知らない。
あの噂が、リシャーダの数少ない一般生徒との交流のか細い糸を、叩き切りやがったのだ。
それがリシャーダの普段の行動に起因するのだとしても。この仕打ちは、あまりにも―――辛いものだった。


「心配すんな。俺とフェルエルとサンダーが居る限り、お前は一人にはならねぇよ」
「…………な、何の話よ。私の『本題』は……そ、そんな事じゃない……」


リシャーダは俺に完全に背を向けて、俺に何のリアクションをする時間も与えずに『本題』とやらに入った。
照れてやんの。でも良かった、俺もちょうど恥ずかしさのあまり死にたくなってたところだ。自分で言っておきながら耳まで真っ赤な醜態を見られたくない。


「フィノンに近寄ってはいけない。それは、私が何かするのが理由では無くて、……私は、犠牲者を出さないために……フィノンを隔離している……」
「隔離?」
「ダメなのよ、近づいちゃ。だって、あのコに近づいたら―――」


―――ザアアッと、一際強い風が一陣、屋上に吹き荒れた。
洗濯物がバタバタと暴れる。それは、かつて俺がアブソルから例の話を聞いた時にも見た光景。


直感する。

あぁ、この話を聞いたら、『始まる』んだ。

吹き荒れる風は、俺に覚悟を問うているのか、問答無用でその話を聞くなと喚き散らしているのか。
そのどちらにしても、俺は此処から逃げ出すわけにはいかなかった。



「……されるから」



一度は聞いたセリフだった。
風でよく聞き取れなくても、俺は前回、同じセリフを本人から聞いていた。


そうか。
リシャーダじゃなかったんだ。


フィノンが、近寄る人間を―――




「八つ裂きにして、『消』してしまうから」




俺の歩いていく道の。


床の色が、突然変わった―――そんな錯覚に、俺は襲われたのだった。









続く 
  
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