……もう、戻れない過去の話。
ボロボロマントの女の様子を見る限り、恐らくもう一度…あと半年を巻き戻す事は、不可能だろう。
戻す事は出来ても、精神的に―――耐えられない、そう言って断るに違いない。

だから、俺の前に一つの壁が立ちはだかる。
その壁が作られることそのものを防ぐ事の出来ない、巨大な壁が。


それは、たった一つの弁当箱から始まった、悲劇。



「あの日、私がそれを忘れなかったら……ッ」



フィノンは、姉の忘れ物を持って学園を訪れ、そして、旧校舎に立ち入ってしまった。
何故? どうやって入り込んでしまったのか?
答えはわからない。
俺が入ろうとしたときはデンリュウ校長の妨害に遭ったのに、フィノンが入ったときはそれが無かったと言うのか。その理由もわからない。

そして、旧校舎の中で、リシャーダは一体何を見たのか。
それが語られるより先に、リシャーダは―――これ以上、言うのを止めた。


「ごめん。……忘れて」
「お、オイ―――」


リシャーダの目には、半分、諦めに似たモノが見えた。
俺如きには、その話の先を聞かせるに値しない、そんな風な落胆すら見えた。

でも、わざわざ呼び出した。
リシャーダは直前まで、俺に何かを伝えたくて、でも、俺が力不足だったから、その先を聞くことが出来なかったのだ。

走り去るリシャーダの後姿を見送って、俺は―――無力さを噛み締めるより先に、『ある場所』へと歩き出していた。








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迷宮学園録

第十六話
『はふはふ』

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3年校舎3階、1年校舎で喩えれば校長室が在るべき場所に、それはあった。
歴代最高と言われる生徒会長が、日々の激務を平然とこなしている部屋、生徒会室。
俺は、その厳格な扉をノックもせず、豪快に開け放つ。
ここまで来る過程で数名の3年に絡まれたが、全部黙らせながらここまで来たのだ。今更、荒事を避けようなどとは思わない。
そんな甘ったれた考えでは、この学園を取り巻く『異常』と、その真相を守る『虚実』を打ち破る事が出来ない事を、つい先ほど、俺はリシャーダとの会話の中で思い知ったのだから。


「2年生四天王ゼンカ……貴様、此処が何処だか解っているのか?」


突っかかってきたのは、生徒会と手を組んで3年の治安を守る風紀委員長、ディアルガ。
彼の言う『此処が何処だか〜』とは、生徒会室とは一般生徒が易々と入れるような場所ではない、もっと重要な意味を持つ場所なのだと言う主張が含まれる。
だが、それすらも無視。俺はディアルガを完全にシカトして、生徒会長専用の豪華な装飾が施された机の前に仁王立ちした。

ハルクは、椅子に座ったまま、俺が何か一言発するのを待っているかのように、俺の目をジッと睨みつけていた。


「ハルクと話がしたい」


俺が強い口調でそう言うと、ハルクは目線だけで、他の生徒会役員たちに部屋を出るように仕向ける。
扉が閉められると、俺の望む通りの空間がそこに広がった。これでいい。
3年の中で確実に信用出来るのは、このハルクと言う男を於いて他に居ない。


「ハルク、俺の事は話す。出来る限り全部だ。だから、いくつか教えて欲しい。これは、この学園の未来を賭けた問題だ」
「未来、か。いいだろう。体裁の関係で言えない事もあるが、こちらも出来る限り答えよう」
「恩に着る。先ず―――」


思考を巡らせる。
何処から切り出せばいいだろうか。
とりあえず、確認すべき事は確認しておこう。


「3年は、Xを追っている。それは間違いないな?」
「あぁ。追わねばならぬ理由がある」
「その理由は聞かないが、……3年が焦るほど、重大な理由なんだな?」
「そうだ」


だから、かつて俺を襲撃した3年たちの、必死であった理由は、つまりそう言う事。
一刻も早くXを倒したくて、闇雲に駆けずり回っていた結果、疑わしき俺やデンリュウ校長が狙われたというのが、事の真相に違いない。
やはり、3年は敵ではないのだ。


「頼みがある。3年の中に、強行に出る者が現れる。そいつらを食い止めて欲しい」
「それは誰だ」
「解らない。だが、誰かが必ず強行に出る」


無理難題をぶつけているのは承知の上で、俺は言い放った。
必ず、デンリュウ校長を狙って動き出す連中が、3年の中から現れる。
それを阻止できなければ、俺は再び『盾』を失い、勝ち目をも失う事になる。

俺の悲壮感に似た感情を感じ取ったのだろうか、ハルクは暫く考えたが、俺の解答にある程度の理解を示す答えを返した。

「……我々とて、生徒の心が読めるわけではない。お前が何処からそんな情報を得たのかは敢えて訊かないが、誰かがそんな企てをしていたとしても、それを即座に発見して阻止するのは不可能だ」
「何とかならないのか?」
「………難しいな。そういうのは、言い出したお前が予め考えておくべきだ」


………ハルクの言う通りだった。
頼んでおいて方法は任せるなんて無責任だった。強行に出るものを止めるいい手段は、これから考えるとしよう。あまり時間は無いが、しかしデンリュウ校長を襲う『あの日』にさえ間に合えば、そこから先を切り開く事が出来るかも知れない。4月18日の深夜、それは起こる。今日は10日だから、来週だ。それまでに、3年の強行を食い止める手段を考えなくては。

それから、俺はこの学園に潜む魔物とXの関連性についての見解についてハルクと情報交換をした。
どれも憶測ばかりで、信憑性については疑わしいものばかりであったが、しかしお互いに対する疑念を解きほぐすには、十分な時間を過ごせたと俺は実感する。


「率直に聞くが、お前は誰を睨んでいる?」


ハルクが、不意に問いかける。
誰を睨んでいる、つまり、Xが誰だと思っているのか、と言う事だろう。
答えは、『わからない』。
今の俺の立場は、非情に危ういバランスの上に成り立っているのだ。
何時、誰が何処で、突然裏切って俺の寝首を掻きに来るのか解らない。

絶対に信用できる仲間が、俺には必要なのだ。
ハルクは、その一人。フェルエルとリシャーダもそうだ。


「解らないが、そうだな。『最近この学園に来た者』には、一応目を付けている」


だから、俺の解答は、かつて俺を襲った3年たちの言い分を借りた物。
確かに俺が3年の立場であれば、『最近現れたX』=『最近学園に入った者』と言う線で調べを進めてみる事だろう。
都合よく、その線上に俺が居たから、前の挑戦の時は、狙われた。
この理屈が通るなら、今回俺は3年から狙われる事は無いだろう。その点だけ、奇妙な安心感があった。


「いい線だ。部外者、それもかなりの力を持った者。これが、俺の見解だ」


ハルクは俺の解答に、『かなりの実力者』と言う条件を付加した。
確かにそうだ。Xは、恐らく何かしらの手段で3年を挑発し、追われる立場に立ったのだろう。
それだけの事をやってのけるとなると、相応に高い実力が必要になってくる。

だが、同時に高すぎる力があれば、この学園に最初から居た者でも疑われる危険性がそこにあった。
それが、つまりデンリュウ殺しの真相。
生徒に手を出せないデンリュウ校長が、強行策に出た3年の手で……そして、それだけでは解決しない事に気付いた3年は、その次に怪しい者を手に掛ける。そこでも終わらないなら、その次、また次……3年がXに辿り着くまで、この学園の中で大量殺人が発生するカラクリだ。

Xは、明らかにこの状況を想定している。
そして、恐らく―――愉しんでいる。愉快犯だ。或いは、この学園に強い恨みを持つ者が、復讐の意味を込めてこの惨劇を演出している事になる。
どちらにしても、Xは容赦なくこの学園を血に染めようとしている。それだけは、間違いなかった。


「愉快犯か、怨恨か。俺が旧校舎を調べようと思ったのは、この学園に封印された『魔物』と何か関係がある―――そう思ったからだ」


ハルクは、ついでにと言った様子で、旧校舎に居た理由を告げた。
つまり、俺と同じ理由でハルクは旧校舎に居たらしい。そして旧校舎で偶然俺を見付けた時のハルクの心境を思うと、よく俺を見逃してくれたな、と全力で感謝したくなった。


「俺だけでも冷静で居ないといけないからな。生徒会長と言うのも……楽じゃない」


疲れた様子を見せるハルク。
見れば、彼の定位置である生徒会長用の机の上には、大量の資料が山積みになっていた。
3年生には教員は干渉しないから、普段教員や事務員が行うべき雑務は、全て生徒会役員に押し付けられる。
まだ始業式から数日足らずだと言うのに、俺の目に入ったプリントには、夏の体育祭に向けた企画書云々と書かれていた。こんな時期から、夏のイベントに向けた準備をしていたのか、と俺は心の中で小さく驚いた。
俺がプリントに目をやったのに気付いたハルクが、小さな声で言う。


「無事に、体育祭を迎えられればいいがな……」


俺にはまだ、知る由も無い因縁が、3年とXの間にはあるようだった。
ハルクの表情から、俺は3年に残された時間が僅かである事を悟る。

断片的な話を組み合わせる限りでは、Xは、最初に3年を狙った。
1・2年ではなく、3年を。それは、何故? 考えても解らない。
学園で最強の生徒集団である3年を狙う事で、己の強さをアピールしたかった?
それとも、3年には教員の干渉が無いから、狙いやすかった?

1・2年校舎は別個にカウントされているが、建物としてはとても近距離で、デンリュウ校長と言う巨大な抑止力が校舎全域に及んでいる。Xがデンリュウ校長の力を恐れたと言うのなら、それは最初に3年を狙った理由としては十分通用する、気がする。
しかし、それではXは3年を全滅させるだけで、学園全体に被害を出す事は……あ。

気付く。
Xの視点から、『何故その行動に至ったのか』を逆説的に考えて、Xの計画の、致命的なウィークポイントに気付く。

Xがデンリュウ校長には勝てないから、3年を囃し立て、デンリュウ校長を狙わせ、1・2年も巻き込んで、あぁ……なんだ、そんな事だったんだ!
つまり俺のゲームは、初めからデンリュウ校長が『盾』であり『矛』だったのだ!
デンリュウ校長の抑止力が3年生まで及べば、Xはもう手出しが出来なくなる!
あとは、焦れて姿を現したところを―――叩く!

光明が見えた気がした。
今まで、あるかどうかも解らない暗闇の中の出口を探して、闇雲に手探りで歩き回っていただけだった俺の指先に、ドアノブと、その下の鍵穴が触れた。そんな、得も知れぬ期待と勝利への意識が俺の中に溢れてくる。
今まで解らなかった『勝ち方』が解ったのだ。
喩えるなら、ゲームでどうしても倒せないモンスター相手に、やっと通用する魔法やアイテムを発見した―――そんな気分!
或いは、悪の大魔王の城内のギミックによって閉ざされた道を、切り開く手段を漸く探り当てたような達成感!


「ハルク、お前は体裁を気にしているんだよな?」
「3年としての、伝統を……軽々と穢したくはないからな」


3年は、教員には頼らず己の力で道を切り開いていく者たち。
その積み上げられた伝統を易々とは壊せない―――真面目なハルクが考えそうな事だ。
俺は、その壁を先ず壊す。3年を孤立させない事、これこそがXの居る魔王城天守閣への道を開く鍵!


「『俺が勝手に』デンリュウ校長に頼んでみるよ。3年も守るように」
「……お前の勝手な行動に口出し出来るほど、生徒会は暇じゃないな」
「オーケー、決まりだ。その代わり、お前の権限で何とか3年に伝えてくれないか? デンリュウ校長は絶対にXでは無いって」
「………本当に、そう言い切れるのか?」


ハルクは、渋る。
その目に疑念の火を浮かべて、俺を選別するように睨みつけてくる。
俺は、それに対して『問題無い、俺を信じろ!』と言う視線で応えた。

やがて、ハルクが根負けしたように言った。


「善処しよう」
「よし、今日は此処までだ。邪魔したな、ハルク」
「あぁ、じゃあな」


手をちょっとだけ振って、俺は生徒会室を後にした。
俺が扉を開けた瞬間、急に扉が開いて驚いたのか、聞き耳を立てていたディアルガが俺の前で引っ繰り返っていたが、俺はそれすらも見事に無視。
ツッコんで欲しかったか? くくく、甘ったれるなよ小僧。
ディアルガの形容し難い視線も軽くスルーして、俺は廊下の途中で曲がり、昇降口前に通じている階段をテケテケと降りていくのであった。



ディアルガは納得いかないと言った表情を顔に貼り付けたまま、他の生徒会役員と共に生徒会室の中に戻っていった。
そして、戻るや否や、机越しにハルクの前に立って、バンと机を叩いて―――何か言おうとしたのだが、ハルクが先に口を開いたので、机は叩き損になってしまった。


「3年の中で強攻策に出て、1・2年や教員を襲う者が出るかも知れない。ディアルガ、風紀委員を総動員して、3年全体を常に見張っていて欲しいんだが、構わないか?」
「……出来ない事もありませんが、その様な者が現れるとは考えにくい気が……」
「Xと言う未知を相手にしている以上、打てる手は打っておきたい。この学園で不要な血を流すのは―――それこそ、Xの思う壺だと思うんだ」
「………解りました。今日中には連絡をつけておきましょう」


ディアルガは矢張り納得いかないようであったが、ハルクはそれ以上何も言わなかった。
ゼンカがハルクを信頼して、ハルクだけに話をしたように。
ハルクもまた、不用意に不確定な情報をばら撒く事の危険性を恐れたからだ。
ゼンカの行動を見て、ハルクは思う。
自分の本当に信用できる仲間とは、一体誰なのだろうか、と。
生徒会長として、3年生全員の推薦を受ける身ではある。
女生徒からの人気は非情に高いが、普段から男子生徒とばかりツルんでいるため、妙な謂れを受けることも殆ど無い(最近は生徒会の激務で、一般生徒と会話する事は皆無だが)。

生徒会長と言う役職について、一人で居る時間が増えて、ふと思ってしまった。
自分は、それなりに人と付き合ってきて、それなりに交友を深めて、それなりに此処までやってきた。
スキルの修練に関しては『それなり』ではなく、誰にも負けまいとする強い意思を貫いてきた心算であったが、しかし人間関係はすべて、『それなり』の域を出なかったように思える。

同じような思考の下でXを追っていたゼンカが周囲を警戒していたのを見ると、これまでの自分は、何て無用心だったのだろうと思ってしまった。
3年で、生徒会長で、誰よりも冷静で聡明であるべき自分が、理由こそ語らないが同じくXを追っているゼンカの行動の慎重さに、遥かに劣っているのに、気付いてしまった。

この生徒会室の中で。
本当に信頼できる仲間は、誰も居なかった。
ディアルガさえも、心のどこかで―――疑ってしまっている自分が居た。

疑心暗鬼。
3年の最高責任者と言ってもいい自分が、何時Xに襲われるのか、解らない。解ったものではない。
不安と、疑念と、焦燥が、理性の糸を焼き切っていく。


ハルクは。

気を紛らわせるように、山積みになった資料の片付けを再開するのだった。




…………





俺がハルクとの対談を終えて、最初に向かったのは部室棟であった。
時刻は既に午後7時を回っていたが、もしかしたらまだフェルエルが居るかも知れないので、一応見に行くだけの心算で―――軽い気持ちで、俺は部室棟の昇降口を潜った。

ところで今更の説明になるが、この通り我が学園は沢山の校舎が乱立しているため、昇降口と言っても形だけで、下駄箱の類は一応あるが、来客用のスリッパが置いてあったりするだけだ。
基本的に校内は土足OKなので、別の校舎に入る時にスリッパを持ち歩く必要は無い。

土足がダメなのは銭湯周辺だ。
1年校舎と2年校舎を繋ぐ通路だけは、スリッパに履き替えなければ入れない。

まぁ、そんな事は如何でもいいんだ。
もっと凄い光景が、ボクシング部部室改め『らぁめんふぇるえる』にて広がっていたのだから。


「フェルエルさーん、こっちの醤油まだー?」
「えぇい急かすな! 静かに待てんのか!?」

「濃厚な醤油自重www」
「おっおっ、こんな美味いラーメン初めて食べたおっ」
「このラーメンは美味いだろ、常識的に考えて」
「殺伐とした部活上がりに救世主登場!」


古今東西(でもない)ありとあらゆる人種(と言うほどでもない)が、フェルエルお手製のラーメンに群がっていた。
一杯350円と割と良心的なのにあの最高峰の味だ、部活で疲れた連中が群がるのも十分理解出来るが、しかしまさかこれほどとは。
フェルエルの(自分がラーメン食べたいがために作った)ラーメン屋は、予想外の大繁盛をしていた。

と、俺が遠目に見ているのに気付いたフェルエルが、俺を名指しする。


「あ、ゼンカ! いいところに来た! ちょっと手伝え!」
「全力で遠慮します」
「あっ、コラ待て逃げるなッ! お客さん! ゼンカを捕まえたらラーメン一杯サービスするよ!」


ガタガタガタンッ!!
一斉に椅子から立ち上がるお客さんたち。
その目は、何かこう……狩人の目だった。


「な、なんだってーーーっ!? キバヤシ、それはry」
「これは捕まえざるを得ない!!」
「アメフト部で鍛えた我々の包囲網を見せてやるぞ!」
「サッカー部ナメるなおっ! はふはふ!」
「オメーもうラーメン食ってるじゃねーか!!」

「ぎゃーーーっ! なんかいっぱい来たーーーーッッ!!」


結局、俺が逃げ切れたのか如何かについては伏せておくけど、強いて言うならラーメンの水切りがちょっと上手くなったぜ、とだけ言っておく。
フェルエル、頼むから俺を巻き込まないでくれ……。







続く 
  
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