――過去編7【転機】――




セキュリティはズタズタだった。
一般人から見れば、Dによってズタズタにされたのだと言うだろう。
だが、Dからしてみれば、この程度のセキュリティなら、
テレビと電気をつけっぱなしにしている方がまだ抑止効果があるのだと言える。

深夜の厳重なセキュリティは、要するに深夜に人気が殆ど無いことと同義なのだから。
そして0と1だけで稼動する無機物の防衛システムなど、
プロフェッショナルであるDに破れないはずが無くて、
だから数少ない警備員を全員眠らせてしまうと、
もうDを止められるものは何処にも居ないのだ。

Dは誰に見つかることも無く研究室に入ると、手当たり次第に資料をかばんに詰めていく。
そして一際目立つところに、恐らくこれから実験をするためだったのだろう、
ビンの中で緑色の液体に漬けられた奇妙な物体が無作為に置かれていた。

「遺伝子…?馬鹿な。…こいつは――」

頭の中で、それを形容する言葉を捜す。
しかし適当なものが見つからなかったので代わりに舌打ちをすると、
Dはそれをかばんに詰めると足早に施設から抜け出した。

それが遺伝子と言うには、失礼極まるモノだったからだ。
【どこ】なのかは分からないが、それは紛れも無く【何か】の身体の【一部】だった。

付け加えるならそれが【ミュウ】であるかどうかは定かでは無いが、
少なくとも今まで見てきた中でこれほど異様な負荷を感じさせる物体は無かった。
自分自身の身体が本能的に、この物体に危険を感じている――Dはそれを悟っていた。







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迷宮救助録 #53
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「こっちです!」
「慌てんな。追っ手は無い、全員オネンネしてる」
「…催眠ガスなんか用意してたんですか」
「前の作戦の余りだがな。こんなちっこい施設全体に回すにゃあ十分だったぜ」

空になったガス缶をサーナイトに投げ渡す。
サーナイトは受け取るものの、すぐにこんなの貰っても使いませんと言って投げ返してきた。

「ホテルに帰るぞ」
「はい、マスター」
「ん、なんだコレ」

Dがバイクに跨ると後ろにサーナイトが腰掛け、
そして肩の上から手を回してDに何かを見せる。
それは世にも珍しい…とされている4つ葉のクローバーだった。
尤もそんなものに価値を見出すのは年頃の女だけであってDにはどうでも良いことだったのだが、
サーナイトが受け取って欲しそうにしていたので渋々受け取る。
受け取ってしまったものは仕方ないので、
とりあえず上着のポケットに入れて直ぐに我に返った。


「つーか、何してんだお前…」
「暇だったので、つい」
「アホか!」
「イタ! 何するんですかーっ」


デコピンの刑。
サーナイトがアホをやるたび、だいたい何時もこんな感じで懲罰を与えるのだった。





………





それから3日は何事も無く仕事も無く、ただダラダラとソファの上で眠る毎日だった。
Dにとっての休暇とは大抵こんなもので、
サーナイトもそんな彼に対して文句を言うことなく、
ただ決められた時間にふと立ち上がっては、掃除をしたり食事を用意したり。

…尤も用意される食事と言えば、インスタントのカレーやラーメンくらいなのだが。


「…お前は一人暮らしの苦学生か」
「はい?何か言いましたかマスター?」
「いや、別に」

言わないように心がけているが、たまに口が滑ってしまう時もある。
それは大抵サーナイトの耳には届かないので面倒な事にはならないが、
いっそ届けた方がいいのではないかとすらDは考えていた。
食べ終わると同時に何とも嬉しそうな顔で食器を片付けて台所へ引っ込むサーナイトは、
念のため言っておくが別にDのメイドだとかそういうわけではない。
Dは彼女に対して、家事全般を任せるような命令は出していない。
全部サーナイトが勝手にやっているのだ。

救いがあるとすれば、料理は底辺だが掃除洗濯などは天才的なセンスを持っていた事だろう。
おかげでDが組織から与えられた一軒屋は、いつも清潔である。
所々サーナイトの趣味丸出しなかわいらしいインテリアが置いてあるが、
配置もなかなか絵になっていているのでDは決して文句を言わない。

台所へ引っ込んだサーナイトを見送ると、
せいぜい食器の割れる音が聞こえないように内心祈りつつ、
Dは自分の部屋へと向かう。
一軒家は物置程度の地下室が付いた1階建てで、
Dの部屋は台所に居るサーナイトの鼻歌が聞こえる程度のところにある。

「………」

部屋の電気を点け、本棚の一番上の棚から一冊の本を手に取った。

――『オーキドのポケモン大全』

大全と言う割には、カントー地方のポケモン以外は載っていない古い図鑑だ。
もう何年も前に、とある少年がカントーを冒険して完成させたポケモン図鑑を元に博士が作った本らしく、
中身は暗に当時の地方どうしの交流の少なさを伺わせる――今となってはお粗末な品だ。
今はカントーでもジョウトやホウエンのポケモンがたまに見かけられる辺り、
少しばかりポケモンの生態系に疑問を抱かざるを得ない――などと思考を巡らせつつ、Dはページをめくる。

ナンバー151、幻にして全てのポケモンの始祖とされる『ミュウ』の姿が、そこにあった。
古代の石版に描かれたミュウの姿から想像されたイラストだけだったが、Dは一つの確信を得る。

「……あれはやはり…ミュウの尾なのか…?」

断片的に蘇る、先日の仕事の光景。
ビンの中で、緑色の液体につけられた奇妙な物体…
特徴的な形のそれは、紛れも無く――


「マスター、お茶が入りましたよー」

「!…あぁ、今行く」


Dは本を棚に戻すことなく机の上に投げ、部屋を後にした。
机の上にはDの気紛れで本棚から出された本が無造作に積まれている。
週末にも、サーナイトによって本棚に戻されることだろう。これも何時もの事だ。





………




事態は4日目に発生した。
本部からの連絡を受け、また仕事かと嘆息しつつDはバイクに跨る。
サーナイトは留守番だが、これもいつもの事なので気にしない。


『至急来て欲しい、おまえに見せたいものがある』


電話の内容である。
見せたいものがある、そう言われた場合は得てしてロクなモノでも無いが、
だからと言って上司の呼び出しを無視するほどDは不真面目でも無いので、
手早く本部へと向かうのだ。

今度はゲームセンターの地下ではなく、トキワシティの地下である。
入り口はトキワジムの奥にあり、普通に考えれば見つかってしまいそうであるが、心配ない。
何故なら、トキワジムのリーダーこそ、我らがロケット団のボスだからだ。

…っと、それはもう過去の話だな。
赤い帽子の少年に敗れて以来ボスは行方知れずになったらしいが、
一体今はどこで何をしているのやら。


(VK…4I9DTB…)


現トキワジムのリーダーであるオーキドの孫息子は武者修行の旅に出ていて不在、
また彼はジムトレーナーの取り巻きを嫌うので、ジムは見事に蛻の殻だった。
まぁ4年に一度のリーグに合わせた期間しかジム戦は行わないため、
この時期不在だとしても何ら疑問も文句も無いが。

Dはジムの隠し通路に入り、奥の扉の前でパスワードを入力する。
扉が開くと、そこには地下実験施設へ続く階段が現れた。
階段を下り始めてすぐに施設のドアがあり、
それはDが来たのが分かったかのように自動で開いた。




………



「研究と言えば秘密の地下室、か。表彰したいくらいベタだな」
「潜入と言えば夜、と豪語する君には負けますよ」
「こっちは理論に基づいた事実を言ってるだけだ、参加賞すら貰いたくないね」
「ふ……相変わらずです。お変わりないようで安心しましたよ」
「んな数ヶ月でコロコロ変わる年じゃねーよ」

出迎えてくれたのは、白衣を纏った金髪の男だった。
物腰は穏かで、何故こんな組織に居るのか分からないくらいのエリート風な男だが、
一応昔からの同僚であって他人ではないので、
この地下空間である程度の安心を与えてくれる。
…いくら自分が所属する組織でも、地下室に呼び出しなどされたくはないものだ。

「仕方無かったんですよ。こう見えてロケット団も、恐慌状態でしてね」
「そいつは元からだろ…正確に言えば、サカキが消えてからだ」

地下研究施設の廊下を歩きながらの会話だ。
コツコツと反響する靴の音が心地よい。
その辺の配慮もしてこの地下室は作られたのだろうか?
だとしたら設計者はかなりアタマ良いな。

「調子はどうですか?」
「サーナイトは元気さ」
「それは良かった」

会うたびにサーナイトと俺の関係について聞き出そうとするコイツの姿勢は気に喰わない。
生憎だがこれでも俺はノーマルであって、出来ればちゃんと人間と結婚したい。
と言うかポケモンと付き合えと言うのかコイツは。
寧ろ俺にポケモンになってしまえと?
…こいつの頭脳があれば出来てしまうかもしれないな…滅多なことは言わないに限る。
俺は一応、人間として生きて人間として死にたいんだっての。

――と、Dが脳内で思考を整理するうちに目的の場所に到達したらしく、男は立ち止まった。


「ここですよ」

扉が開く。
まるでロボットの秘密基地か何かを思わせるような巨大な施設には、
彼以外にも多くの白衣の研究員がいそいそと駆け回っていた。
普通ならこんなところは走るもんじゃないだろうが、
慣れているらしく誰も転んだりしていない。

「こっちです」

周囲をよく観察しようとしたDの手を引き、金髪の男はズカズカと奥へ進んでいく。

「オイ、手を掴むな、何が楽しくて男同士で手を綱がにゃあならん」

Dが不平を言って手を解こうとするが、男はそれを認めずにふふと笑い、

「パッと見分からないかもしれませんが、ここには『レール』があるんです。
 ちゃんと僕について来てくれないと、他の研究員とぶつかってしまいますよ?」

と言った。
レールか、なるほど。どうりで誰もぶつからないわけだ。
ここでの研究員同士の行動は全て暗黙のルールに則っているという事らしい。
部外者が下手な行動はするべきではない――だからこうして手を引かれているのだろう。
Dはそう考えることで無理矢理自分を納得させ、
そうするうちに一際大きな水槽の前に辿り着いた。


「おま…こいつは…」


Dは言葉を失った。
そこに在ったのは、生物研究施設には必ずあると言っても過言ではない円柱状の水槽、
そしてその中には緑色のライトに照らされた液体が詰まっている。

―――その中には、見覚えのあるポケモンが沢山のコードに繋がれて浮いていた。
眠っているのか、生きてすらいないのかは分からないが。



「どうです、見事でしょう」
「見事って…馬鹿かお前!何でまたこんな…」
「そう騒がないでください、今回は大丈夫ですよ」

Dが喚き立てるのを宥め、男は水槽に手をついて満足そうに言った。

「この【M2プロジェクト】は、僕が参加しているのですからね」
「M2…ミュウツーを作るって計画か」
「いいえ、本来ならば【ミュウ】を作るための計画、
 【Mプロジェクト】の第二弾という意味です」

Dの方に振り返り水槽に背を向け、金髪を揺らす男は肩を竦めてみせた。
失敗してしまいました、と言うニュアンスが感じられたのは、言うまでも無い。
男は再びDの隣にすれ違う形で立ち、語り出した。

「僕は【ミュウ】を作りたかったんですが、何度やってもダメでした」
「ダメ…失敗したって事か」
「えぇ。ミュウの遺伝子情報の解析は終わり、足りないパーツをES細胞を使って」
「解かり難い。簡単に言え」
「………」

再び男は肩を竦めてみせる。
半ば溜息のようなモノが聞こえたが、無視することにして続きを促した。
男は人差し指を顎の辺りに当てながら少しばかり思索し、再び口を開く。

「サイコロってありますよね、6面体の」
「あぁ」
「それを投げて、1と6が同時に視界に入るようにして下さい――という感じです」
「………」
「つまり、無理なんですよ」

1を出そうとすれば6はテーブルと隣接し、見えなくなる。
6を出せば、1が見えなくなる。
ミュウを作るためには1を出しつつ6をその隣の面に持ってこなければならないが――

「……?」
「分かっていただけましたか?」
「半分くらいな。だったら6を動かせばいいじゃねぇか」
「そうですね、そして6を動かした結果がコレなんですよ」
「…!」

男が紹介するように手を差し出したその先に、水槽に浮かぶミュウツーの姿がある。
Dの頭の中で、全てのピースが繋がった。
コイツにしては少し解り易い喩えだったな、という感心と共に。

「難解なパズルでした」
「でした……って、解けてねぇじゃねぇか」
「はい、お手上げです」

今度はDが溜息をつく。
相変わらずだが、やる気があるのか無いのかわからないヤツだ、と。

「さっきの例を借りるが、もし1だけ…6だけ見えた状態で作ったらどうなる」
「………」

男はなかなか応えない。
と、応えるのを躊躇うように、不意にDの方に顔を向けて呟いた。

「見たいですか?」
「……」
「多分、後悔します。僕としても、あまりお見せしたくはありません」

それだけで十分だった。
どんな結果に終わったのか、
男のムカつくくらいに整った顔に浮かぶ暗い表情が全て語ってくれた。




………




「どうだ、我らの技術の粋を集めたプロジェクトは」
「……あまり良い予感はしないッスね」

金髪の友人と別れ、別の案内人に連れられてきた先に、客室らしい部屋があった。
大きなガラス窓があり、そこから研究室の様子が一望できる。
そこに待っていたDを呼び出した張本人は、
腕を組んで眼下に広がる研究施設を眺めていた。
ニヤけた口元から察するに、たいそうお気に入りのプロジェクトらしい。

Dは少し考えてから、『良い予感はしない』と本音を洩らした。
目の前に居るのは上司だが、
媚びるのはDのキャラではないし、上司もそれを知っている。

「参ったな。おまえのカンは良く当たる…」
「誰だって客観的に見たらそう思いますよ」

上司はソファに座ると、テーブルに置いてあった紅茶を啜る。
どこからかペルシアンがやってきて、彼の隣に寝転んだ。
すっかりロケット団のボス代行がサマになっているなと、Dは心の中で苦笑した。


「まさか俺を呼び出したのは、俺のカンで今後を占おうなんて事じゃないッスよね?」
「そうだと言ったら?」
「喜びのあまりポルカ・オ・ドルカを踊ります」
「それは是非見てみたかったな、残念だ」

上司はゴホンと咳払いをして、真剣な顔付きに戻る。

「驚かずに聞いてくれ、これは超重要な任務だと言うことを忘れるな」
「ただの呼び出しかと思えば任務ッスか。あんまり派手なのは勘弁して下さいよ」
「ふ、安心しろ。今回は強盗じゃない」
「何スか」


少し間を空け、上司は顔の前で手を組んで言った。


それは予想外にも程がある内容で、
Dに上司の手前の口調を忘れさせるには十分だった。






「あのミュウツーの教育を、おまえに任せたいと思う」





「ふざけんな」













つづく



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