「起きろユハビィ。出発するぞ」
「んー…」

まだ眠い目をこすり、欠伸を一つして起き上がる。
アーティは既に出発の支度を済ませ、どこから拾ってきたのか木の実を齧っていた。
その脇にはワタシの分も含め、二人分の荷物が纏められている。

「…結局1日眠ってたみたいだけど…FLBは来なかったみたいだな」
「そう――みたいだね…」

辺りを見回すが、そこは先日最後に見た景色が広がるだけだった。
見慣れぬ土地に放り出され、突然始まってしまった逃亡生活。
思えば、この世界に来てからのワタシはよくやっていると思う。
突然ポケモンになって、救助隊を始めて……
当初の自分に比べたら、今の自分は遥かに逞しい。
それもこれも、全部自分の隣を歩いているワニノコのおかげだ。

もしもワタシがこの世界で目覚めたとき、最初に出会ったのがアーティで無かったら――

…今頃ワタシは、どこかでのたれ死んでいたかも知れない。
だからこそこれ以上無い位に感謝しているし、

――申し訳ないのだ。

巻き込んでしまった事を。
ただ、それを口に出せばまたアーティが怒る事も解っているから、そっと心に秘めておく。
この際、アーティだけでも無事に帰せればそれでいい。

でも、出来ることならふたりで―――

淡い願いも心の内に濁らせ、ワタシはアーティと共に【氷雪の霊峰】へと歩を進める。



もうすぐ、もうすぐで、全てが分かる。









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迷宮救助録 #12
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【氷雪の霊峰】は、今まで挑戦してきた中で最高の難易度を誇るとアーティは言っていた。
故にワタシはどんな敵が現れてもいいようにコンディションを整えていたし、アーティもまた事前の作戦会議で念に念を入れていた。

だが、実際は、これまでのどのダンジョンよりも簡単だった。

何も無いのだ。
ただ、所々に砕けた水晶の破片が落ちていたり、少し前まで野生のポケモンが生活していた痕跡があったりするだけで。
結局のところ、賢者の住まう聖域に辿り着くまでには、一度も野生のポケモンの襲撃を受ける事が無かった。

――廃れている。

これ以上相応しい表現などない。

「アーティ…これは…」
「酷いな…いったいここで何があったんだ…」

絶句。
ここまで来て何も無かった事に対する落胆ではなく、聖域と呼ばれるこの空間が、その面影を感じさせない惨状にただ言葉を失った。
その時だった。



――ユハビィ――





「…!」
「どうしたユハビィ?」
「…呼んでいる…ワタシを…」

【何か】ではない。
穏やかで、どこか懐かしい声が、ワタシを呼んでいる。





――来てしまったんだね、ユハビィ――




「…貴方が…夢の中でワタシを呼んでいたの?」




――…そう。ただ、『あいつ』を抑えながらだと、遠くにいる君を呼ぶことは難しかった――




推測ではあるが、それが間違っているとは何故か思えなかった。
『あいつ』とは、ワタシの中の【何か】の事だ。



――真実を知りに来たのだろう。此処まで来たということは、君はもう覚悟が出来ているんだね?――


「…教えてくれるの?」


――その覚悟が無くても、いつか伝えなくてはならない事だった。もう君が、この世界を救う希望だから――



ワタシにだけ聞こえるその声と会話するワタシを、アーティは怪訝な顔で見ていた。
ただ、自分に聞こえない声がワタシに聞こえている事だけは理解していたようで、邪魔をしないように黙っていてくれた。


――そこから見える一番大きい水晶の正面に隠し階段がある。そこに、僕は居る――


「行けばいいんだね?」


――あぁ。そこで君に全てを……いや、その前に彼らを倒さなければいけない、か――



「彼らって――」




――ドオオオオオォォォォォーーーーーーーンッ!!!!




言いかけたその時だった。
巨大な炎の塊がワタシの背後から襲い掛かり、それを阻止したアーティが巨大な水晶に叩きつけられた。
リザードンの【ブラストバーン】だ。
慌ててアーティに駆け寄るが、彼はピクリとも動かない。
死んではいないが、気を失っていた。

「…やっぱ、最後の最後まで都合よくはいかないか。ようこそチーム【FLB】…」

「残るはおまえだけかユハビィ、せいぜい楽しませてくれよ」
「待てリザードン。ここはワシが引き受ける」
「…フーディン?」

「ワタシなんかひとりで十分ってワケ?ナメてくれる…」

チーム【FLB】…
ゴールドランクにして、今この世界で最も強いといわれる救助隊。
最後まで、ワタシたちに楽はさせてくれないらしい。
アーティが倒れた今、ワタシは逃げる事も出来ない。
彼を残して逃げるなんてできるわけが無い。

一歩前に出たフーディンが、ワタシと対峙する。
凄いオーラだ。
今度こそ、ワタシは【何か】に縋るしか無いのかと、覚悟した。
グッと拳を握り締め、いつ来るとも知れないフーディンの攻撃に備え身構える。

どうしても勝たなくちゃいけない。

ここまで来て、こんなところで終われない。

真実はもう目の前にあるのだから。


――大丈夫だよ――


「――!?」


【声】がワタシに再び語りかけたのは、ワタシが覚悟を決めた直後だった。
大丈夫という言葉が、心の奥深くに突き刺さる。
懐かしくて暖かい、…これだ。
ワタシが好きだった【大丈夫】という言葉は、彼の言葉だったんだ。


――ここなら、僕の制御が効く。君は思う存分、秘められた力を使うといい――


「…大丈夫、なんだね?」


――何度でも言うよユハビィ。大丈夫だ。あの力はもともと僕のもの。ここで『あいつ』に邪魔はさせない――


実際、その声、言葉が何を意図しているのかはわからなかった。
力はわかるが、さっきから言っている【あいつ】が誰か解らない。
そもそも、声の主がわからない。

――ただ、ワタシは彼の【大丈夫】だけは絶対に信じられる。

今はこの声の主を信じ、力を解放してフーディンを退けてみせる。


「――必ず真実に辿り着く…」


――…来るよ――


ワタシがどこにいるとも知れない声の主に頷いて応えると、既に臨戦態勢だったフーディンが動き出した。
彼が手に持つスプーンを振りかざす、同時に周囲に散在する水晶の破片がワタシ目掛けて勢い良く射出された。
――【サイコキネシス】だ。
ワタシはそれを跳躍する事で回避し、同時にツルの鞭での反撃を試みる。

そこでワタシはフーディンの本当の強さを目の当たりにした。


「――見えているぞユハビィ」

「っ!?」


まるでそうなる事を知っていたように、フーディンがツルを捕まえて言った。
【ツルの鞭】が放たれる前に、伸ばしたツルはワタシの背後で彼に捕まっている。
見えなかったと言えば嘘になるが、予想外の速度に反応が遅れたことは事実だ。


「本気で来いッ!我々は【覚悟】してここまで来たッ!!」

「――っ!!」


フーディンの手が炎に包まれる。
【炎のパンチ】だ。


「喰らえ!我が灼熱の拳をッ!」

「ひゅう♪フーディンのヤツ本気じゃねーか。【未来予知】まで使ってやがるぜ」
「……勝負ありか。あっけない幕切れだな」


ツルを思いっきり引っ張られ、燃え上がるフーディンの炎の拳に吸い寄せられながら、ワタシはリザードンの言葉を聞いた。

――【未来予知】。

戦いにおいて、ほんの数秒でも先を知る事は紛れも無い最強の能力である――少なくとも、ワタシはそう思う。
何故ならどのように動こうが、予知されれば必ずカウンターを受ける事になるからだ。
フェイントも奇襲もまるで意味を成さない、つまりワタシがフーディンを相手に勝つための一つの手段を確実に封じられたのと同義である。

ならばそんなもの、もう必要ない。


「未来予知が通用するのは、相手が同格以下の時だけ…そうでしょフーディン?」
「…何ッ!?」


【炎のパンチ】が決まるか決まらないかの刹那、ワタシは既にそこには居なかった。

「……手は出さないって決めてたのに…フーディン…チーム【FLB】、自業自得だからね」

少し離れたところの水晶の上で、【蒼い光】を纏ったワタシが呟く。
その姿はチコリータのままだが、目が、身体が蒼く輝いていた。

「な、何だありゃあ…」
「…話に聞いていたのとは、違うようだが…」

「それが、お前の力か、ユハビィ!」

「……」

お前の力か――そう言われると素直にハイとは言えないが、とりあえず凄いと言う事だけは分かった。
妖しいほどに研ぎ澄まされた【蒼い光】により、ワタシの戦闘能力、知覚能力が飛躍的に上昇している。
つけ加えるなら、以前の【紅い何か】のような暴力的な感じは一切無い。

――勝てる。

負けない。
ワタシはそう直感した。
そしてフーディンもまた、それを悟っているようだった。


「リザードン、バンギラス…手を貸してくれ。もうこやつは、ワシ一人では抑え切れん」
「ひゅーぅ…俺ら三人揃って戦うなんて久しぶりだな。いっちょ暴れるか!」
「…ん」
「油断するなよ…ヤツはケタが違う」

「……やるしか、ないか…」


ため息をつき、水晶の上から飛び降りる。着地を見計らって攻撃してきたリザードンの判断は間違いではないが、それはかわすまでも無かった。
アーティを吹き飛ばした時よりさらに強力な【ブラストバーン】。
ワタシは空中から【それ】に右手を翳すと、蒼く輝く壁を作り出す。
ブラストバーンは【壁】にぶつかり、大爆発を起こしたがワタシに届かない。
動じることなくそんなことをやってのけるワタシを、FLBの面々が驚愕の表情で睨んでくる。


「…冗談きついぜ…結構本気だったんだけどよ」

「それこそ冗談でしょ?それが本気なら、なおさら退いてくれないと――……」


その先は言わなかった。
いくらこの力が制御されているとは言え、強大すぎる力を振り回して戦うのは容易ではない。
マシンガンで小動物を殺さずに倒せと言うようなものである。
当たれば無事ではすまない。
どれだけ手加減すればいいのか皆目見当も付かない。

「それでもワシらは、退くわけにはいかん」
「そう――…残念だよ…」

今はただ振り上げた拳が、直接当たらないように戦うだけだ。






………

…………




ズドオオオオオオォォォーーーーーーーーンッ!!!!


リザードンの【炎の渦】で閉ざされた空間の中で、とても生身の者どうしの戦いとは思えない爆音が響く。
ユハビィの蒼く光る拳が地面を抉り土砂を散弾銃のように弾き飛ばすと、それをフーディンが【サイコキネシス】でガードする。
その間にユハビィは既に倒れたバンギラスを持ち上げ、空中にいるリザードンに向かって投げつけていた。
まるで二人居るんじゃないかと、錯覚が起こりそうな早業である。
空中から【ブラストバーン】を放とうとしていたリザードンは、不意の出来事に対応しきれずバンギラスと激突し、体勢を崩して落下するとそのままバンギラスの下敷きになった。

「がッ――」

リザードンが呻き声を上げて地に伏したが、フーディンは振り返らない。
正確には、振り返る事が出来ない。
未来予知の可能なフーディンの目に映っているのは、3秒後に自分が吹き飛ばされているという現実。
それを回避するためには、見えている未来からユハビィの動きを捉え、先読みしてカウンターを喰らわせることだけなのだが――

「うおおおおおおおおおおおッ!!」

カウンターを入れようにも、ユハビィはフーディンの攻撃が届く所より遥かに遠くに居た。
逃げ切れない、どう動いても次の一撃は回避不能――
本能的に両腕を振り上げガードの体勢を取った次の瞬間、フーディンは未来予知した通りに吹き飛ばされ、クレーターを作るほどの勢いで水晶に叩きつけられた。
未来予知でもどうにもならない。
ユハビィの攻撃は、たとえ予知しても反応できない次元に達していた。


「はぁっ、はぁっ………お、終わっ…た?」


――あぁ、見事だった。本当に強くなったね、ユハビィ――


「…強いのはこの力だよ…自分でも怖かったんだから…」


遠くで倒れているFLBと、自分の手を見比べて言う。
戦いの中で加減がわかってきていたので、殺さない程度の一撃で決めたつもりだ。
――ただ、彼らが全く動く気配が無いので少し心配になった。

「ユハビィ…イテテ…まさか、おまえFLBを…」

FLBの代わりに動き出したのは、一番最初にワタシを庇って倒れたアーティだった。
思えば、あの時アーティが【ブラストバーン】に気付き庇ってくれなかったら、やられていただろう。


「大丈夫、誰も死んでないよ。あの【紅い力】もここではちゃんと制御されてるみたいなんだ」
「…そうか。それでユハビィ、誰と話してたんだ?」


アーティの問いかけにワタシは簡単な説明をした。
彼はなるほどと頷くと、早速目的の階段が存在する地点の瓦礫をどかし始める。
瓦礫の山が片付けられ、そこから階段が口を開けた。
今の激しい戦いの所為で【聖域】は本当に影も形もなくなってしまったが、地下へと続く階段が無事だった事に安堵した。

階段を降りるアーティは感無量な様子だった。
これでいよいよ真実がわかる。
ワタシを信じているアーティは、ワタシの無実がここで証明されると確信している。

「…扉…この向こうに」
「一緒に開けようぜユハビィ」
「うん」

アーティが扉に手をかけると、それに寄り添うようにワタシもツルを伸ばした。

「せーのッ!」

…ゴゴゴ……

重々しい音と共に、扉は開かれる。
そしてそこに居たのは――




『ようこそ、ユハビィ』







「…キュウコン………」
「まさか…オイラ、夢でも見てるのか…?」








ネイティオと同じ賢者の名を冠する


――伝説の大妖狐、【キュウコン】だった。











つづく


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