「サンダーたち、遅いなぁ……。」
「まさかとは思うが、サンダーのヤツ、霧絵に手を……!?」
「あ、有り得るから困る……!」

 ……などと言うざわめきが教室全体に広まり始めたのは、買出し班のサンダーとフルフルが教室を出てから、2時間が経過しようとしていた頃であった。学校から駅前のスーパーまでは10分程度掛かるが、荷物の多い帰りに時間を喰うとして往復で30分掛かると考えても、1時間半もの間、何の連絡も遣さないのは明らかに不審である。
 因みに駅前のスーパーは3階建てで、1階は一般的なスーパーマーケットだが2階には100円ショップなどの雑貨店があり、何かと便利なところだ。3階は、俺は行った事は無いのだが、サイクリングショップや理髪店が並んでいるらしい。

「ねぇねぇ、何か連絡来てないの?」

 俺の肩を突っついてそう問うのは、栗山姉妹の姉の方、シィ(あだ名)だ。
 言われるがまま俺もケータイを出してみるが、特に新着メールは無く、着信の記録も無かった。

「……参ったわね。」

 リシャーダが人差し指の付け根辺りを唇に当てながら呟く。文字通り、俺たちは参っていた。何せ、買出し班が画用紙やら何やらを揃えなければ飾り付けも進行しないし、資材は最悪の場合他のクラスから借りれば何とかなるにしても、二人が戻らないと言う事は、即ち二人に預けている学校から受け取った“軍資金”も戻ってこないと言う事なのだ。
 ……いや、それさえも、些事だ。
 軍資金なんて、クラスの連中から金を借りて、後で立て替えれば済むだけの事じゃないか。
 ……もしも、二人に何かあったのならば、それが一番、取り返しのつかない事なのだ……。

「……? ゼンカ?」

 ……ふざけんじゃねぇ。そんなの、あって堪るかよ……。

「悪い。ちょっと二人を探しに行って来る。」

 席を立ち、俺は教室を後にする。
 校舎から出ると、一際強い風が全身を包んだ。秋の訪れを感じさせる、乾いた風だった。日もすっかり傾いていて―――“夜”が、始まろうとしていた。







*********

迷宮学園録のその後
Cパート

*********











シーン7/駅前攻防戦





 時間を少し遡る。
 サンダーこと三田と、フルフルこと古谷が、文化祭の準備のための買出しに出て、本当ならもう駅前のスーパーで品定めをしている頃のことだ。
 しかし彼らの姿はスーパーとは遠く離れた、人気の無い路地にあった。

「くそっ、囲まれたか……!」
「……っ…。」

 サンダーはそれなりに腕の立つ男だったが、その拳を喧嘩に使うのを嫌い、無駄な争いは避けるように心掛けていた。彼がリシャーダにどんな暴行を受けても屈しないのは、つまり彼がその実力を全て防御に回しているからこそ成し得る業なのである。
 ……だから、サンダーは逃げた。最初、駅前の広場へと向かう人気の少ない路地に現れた覆面の者たちを前にした時、彼はその場で戦うことも出来ただろう、しかし敢えてそうしなかったのには、そんな理由があった。
 勿論、同行しているフルフルを危険に曝すわけにもいかない、と言うのもあったかも知れない。だが結果的にその判断は誤りで、サンダーはどんな結果になろうとも、最初に正面に現れた者達を、問答無用で捻じ伏せてしまうべきだった。そうさえしていれば、こんな事にはならなかったのだから。
 いくらサンダーでも、漫画やドラマによくあるアクションシーンを演じる程の実力は無いのだから。

「フフフ、大人しくしてもらおうか。」

 覆面越しの声はくぐもっていてその正体を悟らせず、男である事くらいしか解らない。ただ、何処と無く近い年齢の者である事は窺えた。

「てめぇら……どこのモンだ……!」
「それに答える義務は無い。大人しくしていれば、危害は加えないと約束しよう。」

 覆面の男達の、恐らくリーダー格であろう者が右手を上げると、二人を囲んでいた覆面軍団が一斉に間合いを詰める。そのうちの何人かの手には、手錠が握られていた。アレで捕まえられれば、人間の力では到底脱出する事は出来ないだろう。そうなってしまえば、いくら口先で危害を加えないと言っていても、無事に助かる保障なんてどこにも無かった。
 サンダーが、覚悟を決めて拳を握り締める…………その時、だった。

「寄らないで……!」
「!」

 サンダーを押し退け、フルフルが前に出ていた。その手には、何処から持ってきたのか、ペーパーナイフが握られている。覆面軍団に一瞬動揺が走ったが、リーダー格の男はフルフルの手が震えているのを見逃さなかった。

「……その勇気には敬意を表するけど、無理はしない方がいい。ここでの力の差が歴然な事くらい、どんな馬鹿にも解るはずだ。」
「それでも……!」

 フルフルは、一番近い覆面男にペーパーナイフを振り翳す。その者が思わず一歩後退すると、今度は別の、一番近い覆面に切先を突きつける。

「ほ、本気ですよ……。怪我で済まなくても、責任取れませんよ……!」
「………。」

 リーダー格の男が、肩を竦めて溜息をつく。そして右手を払うような仕草をして、一旦周囲の覆面たちを下がらせる。しかし囲まれている状況は以前続いており、サンダーは脱出の隙を探るしかなかった。
 だが、リーダー格の男は、サンダーの想定を超えていく。
 周囲の覆面を下がらせたかと思いきや、今度は自分自身が、フルフルに向かって悠然と歩き始めたのだ。
 彼が一歩ずつ確かにアスファルトを踏み締めて接近するに従い、フルフルはナイフを正面に構えるものの、思わず気圧されて少しずつ後退していく。

「こ、来ないで……! 怪我したいの……!?」
「怪我はしたくないし、……しないよ。」

 あと一歩詰めれば、きっとフルフルは恐怖に駆られてそのナイフで目の前の覆面男を刺殺するだろう。そうなる前に、自分がフルフルを抑えなければ―――と、サンダーは考えていた。ただ、考えるばかりで何時までも動けなかったのは、眼前に接近してくる男に、あまりにも隙が無かったからだった。
 サンダーは動かなかったのではなく、動けなかったのだ。自分が動けば、その瞬間にただ歩いているだけのはずの覆面男が、突然どんな行動に出るのか全く予想できなかったから。
 リーダー格の男は、ピタリと立ち止まる。
 フルフルが、飛び出すか、出さないか、絶妙な距離を置いて、立ち止まる。
 そして、何秒だろう、体感では10秒近くあった気もするが、少しの間を置いて―――

「長生きする秘訣は、力有る者に逆らわない事だ。」
「―――きゃっ!」

 突然、覆面男の右足が、消えた。
 違う。消えたのではない。それは彼の左肩の辺りまで真っ直ぐ伸びていた。間髪入れず、フルフルが自分の手を押さえて蹲る。……その、暫く後に、カラン…と言う乾いた金属音が聞こえた。フルフルが持っていたペーパーナイフが、アスファルトの地面に叩き付けられた音だった。
 今のは……蹴り? だとしたら、なんて早い……!
 すっかり日も落ち、僅かばかりの街灯が照らすだけのこの路地で、覆面男のズボンが黒系統の色合いだったから、と言うのもあったかも知れない。しかしその要素を加味しても、覆面男の繰り出したそれはあまりに長いリーチを持ちながら、精密機械のようなコントロールの凄まじい蹴りであった。

「ほら、大人しくしなよ。」
「うあっ、いっや……ぁあ!」

 振り上げた右足を正面に戻し、目の前で蹲るフルフルの右肩に乗せた覆面男は、そのままフルフルを踏みつける形で後方に押し倒す。フルフルは簡単に引っ繰り返り、短い悲鳴を上げた。
 ……その瞬間、サンダーは理性が頭の後ろの方に、すぅっと消えていくのを感じた。
 サンダーこそ、日常的にクラスの女子に色々と手を出そうとしているが、それは彼なりのコミュニケーションの一環であり、ついでに言うとリシャーダやフェルエルがツッコミを入れるのが解っているからこそ出来る、一種のお家芸なのだ。
 だが、目の前の男のそれは、明らかに度を越した―――暴力であった。細身のフルフルを踏みつけ、それが零す嗚咽を聞いているこの男はその覆面の下で―――笑っていた。

「てめぇえええええええええッ!!!!」
「! おっと……!」

 サンダーの拳が空を切る。覆面男は軽々とその場を離れ、両手を上げてわざとらしく困惑してみせた。

「何をするんだい。僕はナイフを振り回すその危険人物を制圧しただけじゃないか。」

 ……なんて、身勝手な弁明があったものだろう。
 サンダーは更なる激昂に身を焦がす。

「元はと言えばてめぇらが俺らにちょっかい出してきたからだろうが……。」
「大人しくしてれば危害は加えないって、最初に言っただろうに。」
「ふざけるのも大概にしろよ……? ……久々だぜ、こんなにムカついたのは……!」
「……やれやれ。君も困ったやつだな。いいよ、仕方ない。結局は力ずくじゃないと、お互い納得できないってことだね?」
「―――ブッ飛ばすッ!!」
「……ブッ飛ばされるのは君だよ。」

 喧嘩はしないが、喧嘩慣れしたサンダーの動きは、覆面男を着実に追い詰めていく。これも、普段フェルエルやリシャーダの攻撃を受け続けたからこそ得られた動きだろう。
 乱暴な右ストレートが、覆面の頬を掠める。そんな単調な攻撃では次に繋げられないはずだが、サンダーはそこから強引に右腕を内側に巻き込み、覆面男の頭を抱えて、柔道なら確実に反則を取られるような暴力的な投げ技へと繋げて見せた。
 抱えた頭を脇の下に引き込み、相手の身体全体を捻り上げて叩き付ける―――腕力だけで繰り出されたその技は美しさの欠片も無いものであったが、受身を全く取らせない故に威力は絶大であった。……もし、ちゃんと決まっていれば、の話だが。

「―――やるね。でも、僕は足癖が悪いんだ。」

 頭を抱えられて身体を捻られて身動きが取れないはずなのに、覆面男は足を強引に振り上げてサンダーの首につま先を引っ掛ける。地面に踏ん張りを利かせられないこの状態でそんな動きをされるのは、完全にサンダーにとって想定外の事態だった。先ほどの、フルフルの手元を正確に射抜いたあの蹴りを見た時点で、彼は覆面男の柔軟性をもっとよく把握しておくべきだったのかも知れない。
 首につま先が引っ掛かれば、形成は逆転したも同然だった。サンダーの投げが不発に終わったばかりか、今度は覆面男が空中で捻られた自身の体勢を元に戻すために、サンダーの首を支点にして大きく旋回してのけたのだ。
 そんな事をされたサンダーは無様に地面に叩きつけられ、対する覆面男は体操選手がやっているみたいに鮮やかな着地を決めてポーズを取った。

「……弱いな。話にならない。」
「て、めぇ……! げほごほっ…!」
「もう動かないでよ。うっかり大怪我でもさせたら後々面倒なんだから……。」

 背中を激しく打って咳き込むサンダーの目線に合わせるように、覆面のリーダー格の男は膝を折ってしゃがみ込む。そして、サンダーの後ろを指差した。

「んんううッ……! んむぅぅぅうっ!!」
「ふっ……フルフルッ!!」

 サンダーが格闘している間に、フルフルは手錠を掛けられ、口をガムテープで塞がれ、完全に取り押さえられていた。必死に暴れて抵抗しているが、どう見ても力が足りていない事が見て取れる。

「やめろッ! そいつに手を出すなッ!!」
「だから抵抗しなければ危害は加えないって。何度も言わせるな馬鹿。」
「てめぇ……!!」
「ほら、君が抵抗すると、あの子が酷い目に遭っちゃうよ?」
「く……!」
「んんうううっ!! ……ぐすっ、んんぅぅう……っ…」

 目に涙を浮かべて、何かを訴えるフルフル。恐らく、自分には構うな、とでも言いたいのだろう。サンダーもそのくらいの事は、直接言葉を交わすまでもなく理解出来ていた。
 ……しかし、サンダーはその願いを聞き届けられなかった。結局彼には出来やしないのだ。フルフルを―――クラスの仲間を人質に取られてしまった時点で、相手の命令に背く事など……。







…………







シーン8/電話





「ん、もしもし……?」

 再び、時刻は現在。ゼンカが出て行ってから少し後の教室。そこから少し離れた薄暗い廊下で、電話応対をするフェルエルの姿があった。
 何故、こんな風に人目を避けているのだろうか。その理由は、彼女の不安げな表情が物語っていた。

『約束通り、周囲に誰も居ないようだな。』
「……。」
『下手な行動はしない方がいい。お前の動きは全て監視している。』
「……お、お前は、何者だ……。」

 フェルエルは周囲を窺いながら、電話の向こうの男に問う。もし、その男の言う通りこちらの動きが監視されているのだとしたら、フェルエルの行動は道に迷った小動物のように、さながら滑稽に見えたことだろう。

『ふふ。そう怯えるな。我々はただ、文化祭が終わるまでの間、君たちに大人しくして欲しいだけだ。』
「な……!」

 “文化祭”……“君たち”……。
 フェルエルは、電話の向こうの人物が漏らすヒントを、壁に背中を預けながら記憶する。何処から監視されているとしても、この姿勢ならば正面以外は死角となる。それを利用して、壁に押し当てているノートの切れ端に、右手で文字を刻んでいく。

「大人しく……だと?」
『……これから我々の指定する場所に、一人で来るんだ。』
「だ、誰がそんな命令に……!」

 “指定する場所”……“一人で”……。
 この時、フェルエルは既に悟っていた。自分はきっとこの命令に背けないだろう、と。今の相手の立場になって考えてみれば、それはすぐに解る事だった。
 普通、こんな聞き入れることなど出来るはずも無い命令を出すために、自分の正体を曝すかも知れない危険を冒してまで電話を掛けてくるだろうか? 掛けるはずがない。誘拐犯が、子供を誘拐する前に身代金を要求してくるようなものだ。これでは順序が出鱈目なのである。
 つまり、現にこうして電話を掛けてきたのならば、その理由はたった一つ。
 電話の向こうの人物は既に、こちらに条件を強要できる“人質”を手に入れたと言う事……。

『……もう気付いているんだろう?』
「……何がだ。」
『強情だな。いいだろう、“二人”の声を聞かせてやる。』
「ッ……!」

 そして、期待を裏切らず、電話の主は言い放つ。
 コツコツと言う足音と、布が擦れるような雑音、電波が悪いのだろうか、ノイズも度々聞こえてきた。そして暫くして、何人かの声が聞こえてくる。だが、雑音とマイクから遠い所為だろう、声が小さくて聞き取る事が出来なかった。
 ……だが、その声を聞き取ろうと耳を済ませていたフェルエルは、代わりに何処かで聞いた事のある少女の声を聞く。

『……めて、も……ないで……っ…。』
「フッ……――――フルフル!!」
『なが……るぅ……っ、たすけ……ひぐッ!! ぁぁああああああッ!! 痛い、痛いぃぃぃい!!』
「フルフルッ!? オイ、やめろッ!! フルフルに手を出すなぁぁぁああッ!!」

 耳を劈くような悲鳴が響く。一体フルフルの身に何が起きているのか、そんな事は想像したくもなかった。やがて、その悲鳴が小さくなり、代わりにまた先ほどの男が出てくる。

『どうだ。言う事を聞く気になったか?』
「貴様ぁ……!」
『ふ、そう怒るな。少し“イイコト”してるだけじゃないか、くっくっく!』

 ベキン、とフェルエルの背後で音がする。怒りの余り、その手に隠し持っていたシャーペンを、握り潰した音だった。破片が手に刺さって血が流れても、フェルエルは全く動じない。怒りと言うただ一つの感情が、フェルエルを完全に支配していた。

「殺してやる……。」
『貴様の通学路上の、潰れた工具店の裏の空き地で待っている。』

 男の高笑いと共に、通話は終了した。
 フェルエルは折れたシャーペンで“指定された場所”を書き足し、紙をその場に残して駆け足で学校を後にする。きっとその紙を見つけた誰かが、気を利かせてくれる事に期待しながら……。

「流石は笛木流。抜け目無いじゃないか。」

 フェルエルが去った後、覆面を片手にした生徒が一人、先ほどまでフェルエルと何者かの電話でのやり取りがあった場所を訪れる。そして、彼女の残した紙を拾い、クシャッと潰してポケットに捻じ込んだ。

「さて、あとは矢射田か。……まぁ、笛木の後だな。」










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