アブソルから、嫌な事を聞いてしまった、と思った。
俺がほんの悪ふざけをして腰さえ砕けていなければ、こんな話は聞かずに済んだのに。

いや、何もそこまで深刻に考える必要は無い、か。
アブソルがデンリュウ校長を好きすぎて疑っている。それだけじゃないか、何も無い、別に何てことはない。

俺がやるべき事はこの学園の魔物を探すことじゃなくて、不遇なフィノンの誤解を解き、クラスみんなで仲良くする―――ただ、それだけの事なんだよ。


「……くそっ、冷静じゃないぞ、俺……落ち着け。いつものように、いつものように―――」


焦っているのは解っていたが、それを認めたくなかった。
俺は、保健室から俺のクラスの教室までのほんの数十メートルをトボトボと歩きながら、明日こそリシャーダと話をつけよう、などと、考えていた。

教室に戻ると、AAコンビの姿が無かった。
ユハビィとフェルエルだけが、トランプで『スピード』に興じていた。


「あれ? AAコンビは何処行ったんだ?」

「あぁ、さっきフィノンが忘れ物を取りに来てな」


スピードに熱中しているらしい。
フェルエルの口調は、「後30秒待て」と暗に告げていた。

フィノン? フィノンが学校に来たのか?
じゃあAAコンビはその帰りを送りに行ったって事なのか?


「ワタシは止めとけって言ったんだけど―――ああっ!」
「ふ。私に速さで勝とうなどとは100年早いぞ」
「うぅー……ま、負けた……」


スピード勝負もフェルエルの圧勝。
2年生の四天王だからって、こうも万能に最強に出来ていていいのだろうか。
神様は何時だって不公平だ、俺にも何か特別な才能が欲しいぜまったく。


「あ、アーティから電話だ。はいはーい――――アレ、電波悪いのかな……?」


ユハビィの着メロが『君が代』だったのはさて置き。
電波が悪いらしい。ユハビィは暫く携帯電話と格闘していたが、結局会話らしい会話はせずに終わってしまっていた。


「んー……校内で電話するのってそういえば初めてだったなぁ。電波悪いのかな」
「そんな事は無いと思うぞ? 現に私の携帯はバリサン―――む?」


フェルエルが携帯電話を開く。待ち受け画面に「^ω^」の絵文字が巨大フォントで映っていたのはさて置き。
何なんだコイツら、女ってみんなそうなのか? みんなこんな風にアホなのか? もっと可愛い猫の待ち受けとか使えよ!
あと、フェルエルの口からバリサンとか言う単語が出てきたのには流石に動揺を隠せない俺なのであった。


「……おかしいな。学内は何処も電波が通っていたはずなのだが……」


フェルエルの携帯電話は圏外になっていた。
俺は携帯電話は元の世界に落としてきたし、こっちの世界ではまだ買っていないから確認のしようも無いのだが。(元の世界の携帯はどっち道使えなさそうだが)
明日、学校終わったら携帯ショップでも行こうかな。


「どっかの違法電波とかの影響受けてるんじゃ無いのか?」
「……そうかも知れないな」


ユハビィのそれも『圏外』になっていた。
やれやれと思って溜息をつこうとした瞬間、ずっと画面と睨めっこしていたユハビィが、アンテナが立ったと言って折り返しアーティに電話を掛ける。

確認したところ、フェルエルのもアンテナはバリサンになっていた。
やっぱり何処かの違法電波でも拾ったのだろう。


「あ、もしもしアーティ? ごめんごめん、さっきこっち電波悪くてさ。……うん、解った。あ、ちょっと待って」


ユハビィが電話を放し、俺たちの方に訊ねる。


「何か食べたいものある? アーティに帰りにコンビニに寄ってもらおうと思うんだけど」


……ちゃっかりしたヤツだなぁ。コイツ。

『俺たちの希望』と言う事にすれば、堂々とアーティをコンビニに寄らせる事が出来ると考えたらしい。
やれやれ、末恐ろしい女だと思った。

アーティの無事も確認できたし、今日の俺の不安は全部、杞憂だったんだろう。
そう割り切って、結局この日は夜遅くまで騒いでいたのだった。






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迷宮学園録

第八話
『手詰まり』

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「ほらほら、一体どうしたんですかー?」


誰かが呼ぶ声がした。
……あぁ、俺、寝てたのか……。
顔を上げると、そこにはサナの姿があった。
もう俺の顔を見ても気絶する事は無いようだ。

周囲を見渡すと、ユハビィやアーティ、アディスも同じように眠そうな感じで瞼を擦っていた。


「おはよ、ゼンカ」
「おう、おそよう。今は授業か? HRか?」
「HRだよ」
「そりゃ良かった。ぐー」


―――パコーーーーン!!

懲りずに机に突っ伏した俺の頭に、クラス名簿のファイルが直撃する。
サナが俺を起こすために、とうとう暴力行為に出たようだ。
うおおお……い、痛ぇぇ……し、しかし眠気のほうがまだ……ぐー。

―――ムンズ。

俺の後襟を、誰かが掴んだ。
そして、物凄い力で引っ張られ、俺はズルズルと教室を後にする。
寝惚け眼で振り返ると、サナが俺を引っ張って歩いているのが見えた。

ズルズルズル……ごりッごりッごりッ……。


「いっ、いてぇ!! 背中いてぇ!!」

「そりゃ階段を昇ってますから」


アレ? 俺、何処に連れて行かれるの?
しかし眠気が酷く、全く抵抗する気が起きない。
あー、もしサナが『敵』だったら、俺ヤベーなぁ……。


「よし、2階くらいでいいですね」
「……んあ?」
「せぇーーー……のっ!」
「うぐぇっ!?」


―――ぶわっ!


力強く引っ張られた俺の身体は、軽々と宙を舞った。襟首を物凄く強く引っ張られたため、首がおかしな方向に曲がりかけた。サナは俺の首に何か恨みでもあるのだろうか。

などと考えて、俺は空を見上げた。あれ? なんか青い空が見えるんだけど……。


「そ、空ぁ!?」

「そりゃ窓から投げましたから」


漫画か何かのように、空中に一瞬だけ静止して、サナの言葉に耳を疑う俺。
せっかく空中に止まっていたので、下を見てみたり、何とか2階の窓の縁に掴まろうとしてバタバタともがいてみたが、当然ながら無意味であった。


「うっそだぁぁああああああーーーーーーー!!!」

「ご達者で〜」


ヒラヒラと手を振って1階へと階段を下りていくサナの後姿は一瞬で見えなくなり、俺は2階の階段前窓の下―――何組だろう―――1年生の教室の前の植え込みの中に墜落した。
窓際に居た生徒の何名かが、突然上から降ってきた何かに驚いて悲鳴を上げたり立ち上がって確認に来たりで、ちょっとした騒動となった。HAHAHA、お騒がせしました。今すぐ撤退しますので……。


「……ゼンカ君。何、してるの?」
「これはこれはクリア嬢。なぁに、紳士の嗜みですよ」
「突然上から降ってくる紳士の嗜みなんて知らないよ……」


植え込みの中で逆さまになっていたら、窓からクリアが覗きこんでいたのが見えた。
ここはクリアとミレーユのクラスだったのか。偶然だな。
クリアは植え込みの中からシンクロナイズドスイミング、或いは犬神家みたいな感じで突き出された俺の両足首を捕まえると、力任せに引き抜いた。
ここの学校の女はアレか、怪力揃いか。

結局クリアの教室から校舎の中に舞い戻った俺は、見知らぬ生徒や唖然としている教師の白い目を無視して自分の教室へと戻るのだった。

後々聞いた話によると、この一件でクリアもまた色々と白い目で見られるようになったとか。






……………………







さて、面倒な授業の描写は全部すっ飛ばして時は放課後。
フェルエルが来るのを待っても良かったのだが、先に校長室に行って今日の成果を聞こうと思っていた俺は、HRが終わり次第教室を飛び出した。

昼休みはクリアとかフェルエルに掴まってしまっていたから、結局リシャーダのところには行けず終いだったし。最近全然行動に進歩が無いなぁなどと、俺は自嘲しながら校内を突き進む。
途中、何処かのクラスの担任らしき教員から「廊下を走るなー!」などと怒られたりもしたが、「よく見ろ競歩だ!!」と言い返してやった。

もうすっかり通い慣れた校長室のドアの前に立ち止まり、コンコン、とノックをする。
……返事が無い。今は居ないらしい。
どうせまたカレーでも食いに行ってるんだろう、俺はそう思って、先に中で待っていようとして校長室の豪華なドアを押し開けた。

……そして、中の光景を一目見て、フッと鼻で笑い、ドアを閉めた。

校長室の中は、宇宙空間でした。……だから、そんなカオスなモノローグを俺に喋らせるな!
しかし事実は事実で、実際に宇宙空間だったのだから仕方ない。
俺は宇宙教室(念のため言うが、そんな教室は無い)と間違えたのかと思ってドアの上を見たが、そこには校長室と書かれたプレートが下げられていたため、俺は余計に混乱した。

と、思った瞬間閉めたドアが勝手に開き、中から白い手が飛び出してきて俺を引きずり込んだ。
ちょ! 怖い! 何このA級ホラー!
抵抗する間も無く、俺は宇宙空間の中に放り出されるが―――どうやら宇宙なのは背景だけで、ちゃんと呼吸も出来たし音も通じた。

宇宙空間の中に入った俺の前に、ボロボロのマントで身を包んだ魔女のような出で立ちの女が現れた。
不思議な存在感―――この教室が宇宙空間であるからこそそこに居る事が出来るかのような、淡い存在。

女は、俺を責めるような口調で言った。


「……リセットしろ。このゲームはお前の負けだ」

「あ? 何を言ってるんだ? 誰だよお前」


俺が問い返すと、女は右手を振り上げながら答えた。


「鍵の一つが破壊された。お前にはもう勝ち目が無い」
「鍵?」
「そう、鍵。お前を守ってくれていた、盾でもある大事な鍵」


すると、宇宙空間がスクリーンのようになり、ある映像を映し出した。
映し出されたのは、見たことも無い校舎の裏手にある、見たことも無い倉庫だ。

俺は、この頃には、これが異常事態であることを薄々悟っていた。
鍵、守ってくれていた盾―――その破壊。校長室の不在。
バラバラに散らばっていた不安が、再び不気味な音を立てて合わさって膨れ上がる。

スクリーンの映像は、まるでカメラを持った誰かが歩き回っているかのようにゆっくりと移動し、見たことも無い古びた倉庫の裏手まで来て、その地面を映し出して停止した。



そのカメラは広範囲を映し出しており、故に俺は、そこに映った映像の不審点にすぐに気づく事が出来た。
周囲には雑草が生い茂っている倉庫の裏手なのに、ある一箇所だけ、まるで何かの爆発でも起こったかのように、地面が荒れ果てていたのだ。


「この髪飾りに見覚えは無いか?」


女が言った。
カメラがズームになる。

荒れ果てた地面の上に転がっている、赤い、砕けた何かの飾り。
俺は、何処かでそれを―――見た。見た事がある。
あれは、長い髪を先端で束ねていた、ある人物の―――


「ま……さか……」


頭の中が、ガンガンと痛くなってきた。
眩暈が視界と思考を襲う。吐き気が胃袋から食道を駆け上がってくる。
あれは、だって、あの赤い飾りは、……俺は、それをしていた人物に会いに此処に来たのに……!!


「リセットしろ。もう一度やり直せ。今やり直せば、この世界の記憶と能力を次に持ち越せる……」
「まだだ、まだ死んだと決まったワケじゃ……!」
「ならば、この倉庫の中まで見せれば納得するのか? お前には、少々刺激が強すぎると思うんだがな……」
「……っ!!」


……気持ちが悪い、頭が痛い、誰が、誰がこんな事を……!

スクリーンの映像が切り替わった。
そこは薄暗い部屋の中で、多分、あの古びた倉庫の中なんだろう、……あ、あぁ……その、倒れている人はッ! その隣に、乱雑に置かれているヤツは!!

アブソルと、デンリュウ校長が。
暗くて解りづらくても。それが、彼らなのだと、解った。
……暗くて、よく見えなくて、良かったのか悪かったのか……!
せいぜい、人の形をしていたくらいしか解らなくて、変わり果てた姿を直視せずに済んだのは、俺にとって幸せだったのか不幸だったのか!


「うっ、うぅぅうぅううッ―――ゲホッ、ごほッ!!」


吐き気が強すぎて、俺は喉に胃酸を引っ掛けてしまう。
強烈な刺激に呼吸が止まりそうになり、蹲って咳を繰り返した。

胃液の代わりに、目から涙が零れ落ちた。


「何でだ……どうして……」


身近な人間の死。
それは、初めて味わう苦痛ではないはずだったのに。
別居していて、そんなに交流の無かった祖父母の死とは、衝撃の格が違っていた。

昨日まで! 昨日の夜まで!
どっちも、俺と話していたのに……!
全然、今日死ぬみたいな予兆なんか無かったのに……!


「っぁあぁあああぁぁぁああああああああああああああッッ!!」

「覚えておけ。全ては、昨日の夜中のことだ。お前は、それを阻止しなければゲームに勝つことが出来ない」
「―――何でだ! アンタはこうなる事を知っていたのか!? どうして止めなかったッ!! どうして二人を助けなかったぁッ!」


ボロボロのマントにつかみかかろうとした俺の手が空を切る。
この存在には、俺は、『触れられない』。

それがまた悔しくてもう一度叫ぼうとした時、女の鋭い一言で俺は声を飲み込んだ。


「私に止められたならそうしていたッ!! それが出来ないから私はお前をこの世界に喚んだのだッ!!」
「―――っ」


その一言で、ふと理解する。この女が、俺に関する事件の元凶だった事を。
……あぁ、少しずつ、ボンヤリと思い出してきた。
俺は、この宇宙空間を、『知っている』……。知っているはずだったのに、忘れていたのだ。


――あの日。
俺は、元居た世界の学校の図書館で本を読んでいた。
別に本が好きだったワケじゃなく、そう、俺は―――そこに『呼び出されていた』から。
指定の時間までそこに居るために、暇潰しで本を読んでいたのだ。

その時、俺の後に座ったのは、今目の前に居るこの女―――ただし、その時はうちの制服を着ていたか。

コイツは俺にだけ聞こえる声でついて来いと言った。
俺は、その後を追って、大量の本が並ぶ本棚の間を歩いていった。
誰の目も憚らぬ場所まで来た時、女は一冊の本を俺に手渡した。

それは『ドア』。俺とこの世界を繋ぐ架け橋。

そして―――『助けて』と言ったんだ……。


「俺の、やるべき事は―――この世界で、お前を助ける事―――だったのか」
「減点10。思い出すのが遅い。……兎に角。デンリュウ校長はお前の盾だった。それを失ったお前は、孤立した王将―――だから、私は此処で『待った』を掛ける」
「……過去に戻るのか?」
「そうだ。そしてここでの教訓を活かして、次の挑戦でXを倒せ」
「エックス……」
「私をこんな状態にしたXさえ倒せば、あとは私が全部片付けてやれる。この私に与えた屈辱を数億倍にして全部叩き返してやる……ッ」


ギリッ……と音が聞こえてくるほど、女は強く拳を握り締めて言った。


「私の存亡を賭けた戦いでもある。私を生かすも殺すも、残念ながらお前次第だ、黒木ゼンカ」


『X』を倒し、救われること。
それが、この女の史上目的。
もし、それが出来なかったら―――俺が、Xを倒せずに、返り討ちにあったなら。


「Xによって、この世界は滅ぶ」
「期限は」
「新学期の最初の1ヶ月、日付が5月1日に変わるまでだ」


それを過ぎたら―――この、ほんの短い間、俺を楽しませてくれたあいつらも、何もかもが―――滅ぶ。


「平行世界に行くのではない。私の力で、この世界の時間を無理矢理巻き戻すのだ。だから、そう何度もやり直すことは出来ない事を肝に銘じて、もう一度転入するところからやり直せ」
「どうすりゃいい」
「これを」


女は、俺に1枚の栞を手渡した。
なるほど、本を架け橋としてこの世界に来たのだ。
それをリセットするのに、栞とは洒落た事をする。


「その栞の中心に時計のイラストが描かれているだろう。それを破け。破いた瞬間に、お前は一度元の世界に戻り、もう一度この場所に戻るための準備をすることが出来る」


暫く時計のイラストを見つめてから、俺は栞をポケットに捻じ込んだ。
この場で破かなかった事に、女は不満そうな表情を浮かべた。


「…何をしている」
「もう少しだけ探る。盾が消えたなら、『敵』は直接俺を狙ってくるだろう。どうせリセットするなら、ギリギリまで粘って情報を集めてから、ってのがゲームの常識だぜ」
「解っているのか? 死んだら、お前だって元の世界には帰れないのだぞ?」
「覚悟の上だ。なぁに、形見になっちまったが、デンリュウ校長から頼もしいスキルを貰ってるからな。万が一でも、ポケットから栞をすぐ出して破るくらいは出来る」


万が一の時は、まもるを発動して敵の攻撃を防ぎ、この栞を―――破く。


「盾が消えたから撤退なんて言ってんじゃ、何の進展も無い。俺は―――仮に今回勝てなくとも、次勝つための材料は手に入れてやる」


力強く、言い放つ。
かつて、これほどまでに真剣に何かを言ったことがあっただろうか。
俺は―――勝つために。生まれて初めて、本気の決意をする。


「くれぐれも、無茶はするなよ」


その一言を最後に俺の周囲はいつもの校長室の様相を取り戻し、女は宇宙空間と共に消滅していた。


ポケットの中に入っていた栞だけが、今のが夢や幻では無い事を、静かに告げていた……。










続く
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