目覚まし時計が鳴っていた。


既に布団から出ていた俺は、それを止めるのを忘れていた事を思い出し、止める。


窓から差し込む朝日を全身に浴びて、今日一日への糧とした。
まだ春先で、冷え込みこそ在ったが、今はまるで気にならなかった。
心の在り方一つで、ここまで変わるのだろうかと俺は感心した。


全ては心の在り方一つ。


楽しいか、楽しくないかなんて。
それは全て、自分の心が勝手に決めてしまうことなのだから。







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迷宮学園録

最終話
『居場所』

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―――サナを、剣で貫いた後。

ボロボロのマントに、ボロボロの後ろ髪を靡かせた、変な女が俺の前に現れた。
それが誰なのかは一発で解ったし、それが何を意味するのかも解った。
―――ミリエは、そこに倒れているサナを見て、やる気なさそうに言う。


「殺したの? 意外と過激な終わり方を選んだね」
「殺してないよ。……そうだろう、フルフル」


俺が、その名を呼ぶと。
二つ隣の次元から、フルコキリムがその姿を現した。

フルコキリムの、対象を生きたまま喰らうためだけのスキルで、サナは一時的に不死になっていた。
だから、この剣で貫いても、激痛で意識は飛んでも、死にはしない。


これでサナを殺されたと勘違いしてゲームが終わってくれれば、それが俺にとっての勝利だった。

でも、それだけでは終わらない事も、当然覚悟していた。
サナを、殺したフリをして。その後に現れるかも知れない、ボロボロマントの女と『同じ存在』との戦いを、覚悟していた。

勝てる見込みは限りなくゼロに近かったが、それでもフルコキリムとクロキゼンカが共に戦ってくれるから、恐れは無かった。

結果的に、その必要は無かったわけで。
色々と、積み重なった偶然に、俺は感謝する。


「ま、お陰で助かったわ。ありがとうゼンカ。やっぱり何処の世界でもゼンカはゼンカだねぇ」
「ワケ解らんこと言いやがるぜ。もう超界云々な話は勘弁してくれよ」
「あっはは。そーでした。で、本題なんだけど」


ミリエは、態度を切り替えて、問う。
実に単純明快なその問いに、俺は少しだけ迷いを感じた。


「帰る? 残る?」


一応、残ると言う選択肢も在るらしい。
不覚にも俺は、最後の最後で、ちょっと揺らぐ。
でも、決めたことを変えたくなかったから、迷いを振り切った。
口に出してしまえばもう取り消せないから、迷いに負ける前にハッキリと言った。


「帰る」
「オッケ。やっぱりゼンカはゼンカだ。そう言うと思ったよ」
「まだ言うかコノヤロウ」


ミリエは、イタズラを成功させた子供のように笑いながら、時空の狭間にゲートを開いた。
それは見覚えの在るゲートで、通れば元の世界に帰れる事は、容易に想像できた。









「じゃあな、フルフル。後はお前に任せたぜ」




「………うん。任されたよ……」



ただ一人、見送る事を許されたフルフルは、目に涙を溜めながら、最後までゼンカから目を離さなかった。
その辛い役目を負わせてしまった事を、俺は心の中で謝罪する。
そんな俺の心境を察したのだろう。フルフルは、首を横に振った。


「思うところが在るなら、此処に残ってください。何処にも行かないで下さい。……残らないなら、笑顔でサヨナラです」


フルフルは、笑ってみせた。
でも、それが長く続かない事は直ぐに見て取れたから、俺は踵を返し、ゲートに向かって歩き出す。
フルフルは多分、もう笑ってない。でも、俺が最後に見た彼女は確かに笑顔で居てくれたから、それを心に焼き付けて、歩く。

言葉にしたい想いが沢山あっただろう。
でも、その全てが俺の枷にしかならないことを知るフルフルは、無言を貫いた。
嗚咽も殺し、ただ、俺の背中を見送った。








ゲートの入り口の境界線に差し掛かると、俺は『クロキゼンカ』の身体から意識だけが切り離された。
……今日まで、共に戦った戦友であり、そして他でも無い俺自身である仲間との別れを感じ、思わず、振り返る。幸い、そこに立ちはだかったクロキゼンカによって、フルフルの泣き顔を見ずに済んだ。


「……最高に楽しかったぜ。流石は『俺』だな」

「あぁ。俺も、楽しかった。元気でやれよ、フルコキリムと一緒に」


境界線に、ピッタリと拳を合わせて。
それを別れの握手の代わりとして、俺はもう振り返らない。

ゲートの中は冷えた空気で満ちていた。
歩くに連れて、背後の光景が、どんどん遠くなっていくのが感じられた。











「……本当に残らなくていいのー? この場合、残るのが本当の優しさってもんじゃないのー?」



ミリエの声が聞こえた。


「知らねぇーよぉー。……今、すっげぇ親孝行したい気分なんだ。帰る家が無いってのは、やっぱキツイわ」


あの世界のクロキゼンカは人間では無かったから、親や家族といった概念は持っていなかった。
だから、あの世界に飛ばされた俺にも、自動的に家族と呼べるものは無く、フェルエルやリシャーダの家に勝手に押しかけたりする事になっていたのだ。

……奇麗事を言うなら、あの学園には俺の『家族』は沢山居たけれど。
まぁ、俺はそんな事が言いたいんじゃなくて。


「……仲間だけを大切にすりゃ良いって事じゃねーんだよ。誰かを限定して大切にしてるからって、それは全然威張れる事じゃ無い。親を大切にしないくせに、一人前に友達想いを語るのは許せないし、……好きとか嫌いとか、そんなのは自分の心の在り方一つで勝手に決まることなのに、それに縛られて狭い視野しか持てないのは駄目なんだ」

「……何それ、ゼンカ哲学?」

「……最後まで聞けよ」

「ちっぽけな人間の小難しい話に興味はありませんから。簡潔に一言でどうぞ!」

「……そうだな……」





全ての発端となった、俺の元の世界の、俺が通う学校の、図書館の、奥で。

あの時と、全く同じ姿の、ミリエに、俺は皮肉を込めて言った。



「我侭は控えるよ。俺には俺の生活があって、それは簡単に捨てていいようなちっぽけなモノじゃないんだから」

「……い、痛いところ突くね……。私へのあてつけ? 英雄を務めた報酬ならいくらでも払うわよ? 何が欲しい。言ってごらん。私が欲しいなら一晩だけ好きにしてくれてもいいのよ?」

「自分を安売りするヤツに興味はありませんから」

「じ、じゃあ5万円で……」

「英雄から金取んなよ」




完全復活したミリエの力によって、俺の元居た世界も一度ロールバックされ。
俺の長いようで短い、異世界冒険の日々も、時間にして僅か数分の白昼夢と言う事にされてしまった。

もしかしたら、本当に夢だったのかも知れないと、この先思うようになってしまうかも知れない。
でも、たとえそうだとしても、俺は絶対に忘れない。
この、足して1年と1ヶ月を過ごした日々を、絶対に。

俺が生きてきた十数年よりも遥かに短い期間で育んだ仲間との思い出を。その絆を。




だって、たったの1年で、あんなに心通わせる仲間を作れたのだから。
この先の俺の人生に、何を悲観する事があると言うんだ。




そうだろう、……無限の時を生きる不死鳥、フルフル。









……………









棚引く風が運ぶは春の香り。
桜と、桜と、桜と……ぶっちゃけ桜しかなかった。

俺は、いつものお気に入りの場所で、缶コーヒーを飲んでいた。
俺って誰だって? ……名乗らせるなよ。名前、無いんだから。

そうだな、屋上が似合うイケメン、とでも名乗っておこう。
俺はアレだ。ミリエによってこの世界に呼び出され、この学園の陰謀と戦うハメになったわけだが、ものの見事に置き去りを喰らって、現在絶賛途方に暮れている真っ最中なのだ。


「なぁー、カラナクシー。俺はいつになったら元の世界に帰れるんだろうなー」


モンスターボールに話しかけちゃう、寂しいイケメンがロンリー。
でも、その表情には、達観の境地に至ったような、春の香りにスッカリ身も心も解き解された恍惚の笑みがベッタリと貼り付いていた。
頬を撫でる風が気持ちよくて、もう何もかもがどうでも良かった。
こっちの世界もこっちの世界で面白いし。なんかもうこっちに居てもいいんじゃないかって思ってた。


「……ん? ……んん? ってうおおおおおおおおおおおおおおおおごふあッ!!」


しかし、そんな俺への救済措置は、例外なくあったらしい。
突然空間がバチバチと電気を流したように弾け、バックトゥザフューチャーよろしくな感じで虚空から一台の乗用車……寧ろスーパーカーが飛び出してきて、俺を一回撥ねてから停車した。


「……オレは次元を旅する愉快なスーパーカードライバー! どうやらコレに乗って世界を旅したいようだな青年よ!」

「あの。青年血塗れなんですけど」

「血も滴るウホッいい男…、って言うでしょ」

「いや、断じて。っつーか何やってんだミリエッ!! 俺を置き去りにして勝手に物語を終わらせるなっ!!」

「いやーごめんごめん。チューニングが上手くいかなくてね」

「車は必要か! 俺が元の世界に帰るのにその文明の利器は必要なのか!」

「いや、断じて」



……まぁ。かくして、血塗れの俺を乗せたスーパーカーは、無事に俺の元居た世界へと安全運転してくれたのであった。
貴重な体験をした俺から一言情報を提供させて貰うならば、どうやら世界と世界の間には、高速道路があるらしいよ。
もう、わけがわからねーよ!

片道2時間のドライブの末、俺は無事に帰るべき場所へと辿り着いたのだった。
……忘れたくても、俺はこの冒険を一生忘れないだろう。絶対に。



「あ、そういやサナはどうなったんだ? あの後のこと、俺知らないんだけど」

「さぁねー。運ばれた先の病院で奇跡の再会でも果たしてるんじゃないのー?」



学園の研究者と言う最高の立場で潜入した俺は、サナが大切に想っていたと言うDと言う男の話は知っている。
そのサナがXだったと初めて知った時は驚いたが、同時に納得もしてしまえるくらい、サナの境遇は不運なものであった。

この学園の暗部と戦おうとして沈黙させられてしまったDを何とかして救えないかと思った俺は、方々に根回しをして、この学園の暗部と繋がりを持つ病院の関係者に接触し、内側から瓦解させる事を目論んだ。
あまり目に見えるほど大きな結果は出なかったが、多少はゼンカが目覚める切欠の一部になれたかも知れないから、そこだけは誇っておきたい。俺の、唯一の活躍として。


「そーゆう真面目なトコがあるから、ゼンカと同じようにアンタも選んだのよ」

「真面目、か。よく解らないな」

「真面目な人はみんなそう言う。くすくす…。大丈夫、あの病院も、ちゃんと変わった。Dもサナと再会できる。……この先、まだ暫くは色々在るだろうケド、でもそれは私たちが干渉しなくても彼らが自分たちで解決できるから」


別れ際。
ミリエは、確信染みたようにそう言って、俺の前から姿を消した。
どうしてあんなに何時も何時も自信に溢れているのかは解らないが、もはやあの世界に戻れない俺は、そのミリエの自信に肖っておこうと思う。




「じゃあな。学園……」








……………








「……いい加減、元気を出せよリシャーダ」
「……私は元気よ、フェルエル……。……今朝も、醤油とコーヒーを間違えたわ……」
「……重症だ」

机に突っ伏して、生き人形と化したリシャーダを宥める事数日。
私だって、ゼンカとフルフルが突然居なくなって困惑したいうちの一人だったのだが、リシャーダがこんな状態だから落ち込んでいるばかりでは居られず、比較的早く立ち直っていた。

未だかつてこんなに報われないツンデレが居ただろうかと、私は嘆息する。
一方、サンダーはサンダーで。

「ヘーイ! そこの彼女〜、俺とお茶しな〜い!?」
「キモイ。死ね」
「グサリと来たッ! 心臓直下型地震マグニチュード7.5!」

……二人が居なくなって暫くは大人しくしていたが、今ではすっかり以前の通りだ。
強いて言えば、『以前』と言ってもゼンカと出会ってしまった後の話であるが。
彼曰く、「過ぎた事を云々言う心算は無いし、ゼンカが選んだ道なら俺はそれを応援するだけだ!」とのこと。

因みに、私たちは、既にゼンカとフルフルが居なくなった事の真相を、数年前にこの学園の生徒であったらしいアークと言う男から、聞き知っていた。
ゼンカは、元居た世界に帰ったらしく、フルフルも帰るべき場所へ帰った、らしい。
それはとても勝手な行動で、別れも告げずに居なくなった彼らを私は暫く許せなかったが、今はもう落ち着いたから、出来れば、また戻ってきて欲しかった。

尚、その際アークから白馬の王子様が如何とか言う話もされたが、生憎私の記憶には残っていなかったから、軽く受け流しておいた。


「フェルエル、俺を慰めてくれ……このままじゃあ一生彼女が出来ずに終わってしまうかも知れん……」

「情けない事を言うな。お前にもきっと彼女くらい出来るさ。この星の全人類がカップルになった後に、余ったヤツがきっと付き合ってくれるに違いない」

「よし、俺は今日から愛のキューピットだ! 全人類カップル化計画を実行して、余ったヤツに付き合ってもらおう! と言うわけでフェルエル、お前の好きなヤツを言え。俺が仲を取り持ってやろう」

「私の、好きな人か……」


考えた事も無い問いに、最初に浮かんだのは何故かあの駄目な黒髪の男。
勝手に居なくなった挙句、なんか記憶の中でムカつくほどの笑みを湛えていたから、イメージの中で思い切り殴っておいた。


「今は居ないな」
「な、何ぃーーーっ! ふざけるな! 早く誰かと付き合えよ! じゃないと俺に彼女が出来ないじゃないかっ!!」

「無理を言うな。居ないものは居ないんだ」
「OK、俺と付き合え」
「地獄を見るか?」
「サーセンッ!」


何故か、とても綺麗な直立で敬礼ポーズを取るサンダー。
そこまで脅した心算は無かったのだが、……まぁ、サンダーは何時も通り、凄く元気だという事で。

朝のHRの時間が近付くに連れて、教室もいつもの賑わいを取り戻し始めていた。


「ほら、起きろリシャーダ。先生来るぞ」
「んう…………。……ぁぅ」


―――ゴツン!


一度は起き上がるが、またしても机にぶっ倒れるリシャーダ。
それを数回繰り返して、リシャーダの額がすっかりアザになってしまった頃、キュウコン先生が教室に入ってきた。

HR開始まであと5分くらいあると思ったが……と、時計を確認しても、確かに5分程早い。






と。その時。


私の目に、信じられない光景が、映し出された。
思わずリシャーダを、力ずくで起き上がらせ、頭を掴んで教壇の方を向けさせる。


教室全体が、ざわつき始めた。



「……え」








キュウコン先生の後に続いて、とても誰かに似ている……もとい本人そのものに見えた、二人組が入ってきたからだ。


それも、この学園の制服に、身を包んで。




「ぜ……んか……?」




リシャーダが、呆然としながら、その名を呟いた。
ゼンカ。黒木全火。そう、あの男が。

そして、その隣には、フルフルが。




手提げ鞄を肩に乗せ、粗暴そうな感じを露にしながらも、何故か人を惹き付けるカリスマを感じさせる黒髪の男が、キュウコン先生の先導を受け、教壇に立った。
クラス全体の視線が、彼に集まる。

彼は、一つ、咳払いをしてから。














「俺の名前はマイケル・ジャクソン! みんなよろしく! ポゥッ!!」





















迷宮学園録





―Mysticschool of Nexusworld―
























完 
  

  
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