「さぁて、どんな串刺しが良いかくらいは選ばせてやるぜ。縦か? 横か? それともダイナミックに折り畳んでから貫通か? くっくくく!」


エンテイが院内に向かった後、ライコウは若い医師に向かって言った。
若い医師は恐怖のあまり、その場を動けない。
ライコウは、その身体の素体となったロストの能力を活かし、身体を自由に伸縮させながら笑っていた。
なんて不気味な光景だろうか。人間の形をした何者かが、人間とは思えぬ気味の悪い手を向けて迫ってくる。

―――それはまさしく、死そのもの。
若い医師は、自分の身体がここに在るにも関わらず、命だけが目の前の怪物の手の上にあるような錯覚を覚えた。

そして、ライコウの首の付け根辺りから現れた3本目の腕は、緑色のナイフのようなモノをその手に構え――――


「―――ッ!!」


ライコウの頭と身体を繋いでいた部分を、緑色の光が横断した。
しかし、そこに既にライコウの姿は無い。彼は間一髪で回避して、床の上をゴロゴロと転がりながらも直ぐに立ち上がり、身構えた。


「……ッ……誰だ!」

「誰だっていいじゃない……どうせ、どちらか片方が死ぬだけなんだから……」


ライコウは、一瞬でも自分の命を取られそうになったことに対して警戒心を抱いたが、そこに立っていた者の姿を見て、あっさりと警戒心を捨てた。
如何見ても満身創痍。ロストとの交戦があったのだろう。見るからに、立っているだけで精一杯な様子の女子がそこに立っていた。制服から見て、学園関係者だと思われた。


「……学園関係者か。優先しろって言われてたな。いいぜ、お前から串刺しだ!」


吼える。
それと同時に、すぐ近くで何かが割れるような音がする。


部屋の中に追い込まれたライコウにはその音の元凶を確認する術が無かったが、凡そ何が起きているのかは推測できた。
そして、やるべき事を理解して、駆ける。

ライコウの足元で、床に散らばっていた書類が舞い上がる。
瞬間的速度は人間のレベルを超えていた。しかし、それはライコウの姿を視認出来なくするようなものでは決してなかった。




―――リシャーダは。
病院に辿り着き、そして偶然にも医師を襲う謎の男を発見して、考えるよりも早くその救出に駆けつけた。
フェルエルが目を覚ましてくれていたのは僥倖。今、彼女がこの近くで別の敵と交戦に入ったのは、先ほどの何かが割れる音が教えてくれた。
他に何人の敵が居るかは解らないが、先ずは目の前の二つの命を救うのが最優先事項だと判断する。

たとえ満身創痍でも、絶対に退けない時があるとすれば、それは今。
どうせ一度は捨てた命。何を迷うか。躊躇うか。


……リシャーダが、退かない。彼女は、何故自分が退かないのか、解らなかった。
客観的に見て、勝負にならないときは退くのが、彼女の信条だったからだ。

何故退かないのか、少しだけ考えた。
……答えは、出なかった。多分、この病院を守りたい理由があるのだろう、程度にしか解らなかった。






リシャーダはどんなに無様を曝しても、この病院を守るために戦うことを心に決めていた。
……でも、それは不意に、意味を失う。病院全体を包む空気が、変化すると同時に。

ライコウもエンテイも、何故そうなったのかは解らない。
一つだけ理解できたのは、この病院が今、『ゼロ』に包まれたと言う事だけ。
彼らの身体―――ロストの身体が、水の中に入れた氷がひび割れるように、音を立てて亀裂を走らせていく。


ティニと言う、魔術を消してしまう少女は、フロアの椅子の影ですやすやと寝息を立てていた。だから、この現象の原因は、他の誰かと言う事になる。
でも、もしかしたら、それはとても身近な人間かも知れない、と思った。


リシャーダは、この不可思議な現象を、野生の勘で予感していたのかも知れない。
それをずっと感じていたから、こうなる事が解っていて、退かなかったのかも。


「リシャーダ!」
「……フェルエル。大丈夫だった……?」


フェルエルが駆けて来た。
手に負った傷は生々しく血を垂れ流していたが、当人の様子を見る限り今は平気なようだ。

「向こうの敵は?」
「あぁ、突然動かなくなったから、その隙に一撃で」

フェルエルは、グッと怪我をしていない方の拳を握って見せ、どんな風に『一撃で』なのかを説明してくれた。それを見ていた、既に一歩も動けないライコウは、低く笑う。

「……一つ教えろ。これは、お前らの作戦勝ち、なのか……?」

一歩でも動けば。その瞬間、ライコウの素体となっていたロストの身体が砕け、三賢者ライコウの意思の切れ端は跡形も無く消滅するだろう。
だから彼は動かず、問う。動かなくても、じきに砕けて消えるだけだったが、その問いに答えてもらうまで、彼は己の身体が砕けぬように努めた。

リシャーダもフェルエルも、こんな作戦など知らない。
少し間を空けてから、今にも砕け散りそうなライコウに、リシャーダが言い捨てた。


「運が無かったんじゃないの?」

「だろうな。お、俺たちに……負ける要素なんか、な、なかった……はず……」


やがて、ライコウは己の言葉の振動で、砕けて消えた。





消える間際に。

ライコウは、見た。

目の前の、二人の女子の、その後ろにもう一人。

黒髪の






























「……なんか、待たせたみたいだな……」












フェルエルはその一言に振り返り、そして、ほんの少しの間会えなかっただけのはずなのに、まるで何年も会っていなかったかのように思える、その一人の友人の姿を見つけた。
でも、リシャーダは振り返らず、悪態をついた。



「……別に。待ってなんか……」



「はは……あんまりだな」



黒髪の男は、苦笑いをしながら、リシャーダの頭を後から撫でた。
普段なら一瞬で弾き飛ばすところだったが、リシャーダは背を向けたまま黙っている。



「……まぁいいや。んじゃ、一仕事片付けてくるぜ」



ポンとリシャーダの肩を両手で軽く叩き、踵を返す。
その後から、消え入りそうな声が聞こえた。










「……待ってた」










振り返らないのは、振り返れないから。
その理由は、それを見ていたフェルエルには解っていたが、多分、彼にも解っていた。

待ってた、と言うただ一言が、その全てを物語った。

だから、彼は言う。



「もう待たなくていい。これからは、もう待つ必要なんか無い」



そして、その言葉の返事を聞かず、彼は走り出した。
一瞬、その隣に、始祖鳥の幻影が見えたような気がした。









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迷宮学園録

第四十八話
『ロスト/拘束』

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全て偶然。
それ以上でも以下でも無い。

あの老医師が、気紛れに若い医師を救おうとして。
黒木全火に投与する薬の量を無断で減らし、そしてこの日の朝、薬を打つのを阻止したから。
今、彼は目を覚まして、学園までの短くない道を直走っている。

でも、少しだけ考えてしまうのは。
黒木全火の強い意思の力が、あの薬を超越したのではないかと言う、期待。
だってあの薬は学園で作られた『スキル新薬』で、冗談抜きで半分は魔法で出来ている。
だから、強い意思の力が魔術の威力を左右するのなら、黒木全火には、あの薬を無効化する素質が十分に備わっていた。
……だから、何と言うわけではない。ただ、それ程の力を手にした彼を、誇らしく思いたいだけ。

「……卑怯です。ゼンカさまは……」
「そうだ。俺は卑怯者だ。よく言うだろ、騙されるほうが悪いんだって」
「………」

私は、一つ隣の次元から、彼と会話していた。
でも、それは言葉のキャッチボールと言うより、私が一方的に文句を言い、彼が屁理屈を返す。そんな、中身の無い会話であった。

「リシャーダは強いよ」
「知ってます」
「だから。大丈夫だ」

黒木全火は、リシャーダのことを全部知った上で。
結局、その道を選んだ。
彼の中では、このゲームを終わらせるのは、もはや通過点にしか過ぎなくなっていた。



「フルフル」
「何ですか……」


全ては偶然。
ただし、そこには奇跡が一つだけ在った。


「ありがとう」
「今更……礼なんて。……嫌いです。もう、ゼンカさまなんか……」
「……それでも。ありがとう」


私は、とてもその場に居るのが辛くて、もう一つだけ隣の次元に、身を移した。
もう、お互いに気配でしか相手を感じることは出来ない。
でも、二人で並んで、学園を目指す事は変わらない。


「ずるいです……」


『もう待たなくていい』なんて。
これ以上冷たい言葉が、この世界の何処にある。
何も知らぬリシャーダは、その言葉を別の意味で受け取った。

“もう居なくならないから、待つ必要なんか無い”
リシャーダは、その意味で受け取った。
きっと悲しむ。絶対に悲しむ。……絶望する。

だって、もう待つ必要が無いなんて。

その本意が、“もうこの世界には戻らないから”、なんて。
“待つ意味が、失われるから”なんて。


解ってる。
その解答が、彼がこの世界を捨てると言う意味で無いことは解っている。
彼には帰るべき世界があって、この世界にはゲームのためだけに呼び出された存在だから、ゲームが終わったら在るべきところに帰らなくてはならないのは解っている。




でも、どうして今日なのか。……いや、それさえも、もう解っているのに、心がそれを認めようとしない。


一つの奇跡。それは、黒木全火の絶対の意思が、ロールバックによる記憶の津波を、超越していたこと。いや、厳密には超越は出来なかったが、その時失った記憶を、デジャヴではなく、確かな記憶として呼び覚ましていたと言う事。

だから、今日がこのゲームの決着の日だと、黒木全火は気付いて。
そして、目が覚めて最初に出会った私に、告げた。

―――今日が最後になるから、その別れを、私だけに告げた。
その残酷な仕打ちを、私はまだ感謝できない。でも、告げてくれなかったら、その時が訪れた時、どうして教えてくれなかったのかと我侭を言ったに違いないと言うのは、ちゃんと解っている。

リシャーダは何も知らない。だから哀れ。
私はリシャーダが嫌いだったはずなのに、今はもう同情している。

もはや届かぬ恋。
黒木全火が居なくなったら、同じ人を想っていた友として、彼女と仲良く出来るだろうか。


「……ずるいです。卑怯です……嫌いです、……」


もう少し早くこの真実を知らされていたら、あの病院の一階フロアで、間髪入れずライコウを喰らい尽くし、リシャーダを助けていただろう。でも、黒木全火が目を覚ましたのはその後だったから、どう転んでも私がリシャーダを見捨てていた結果は変わらない。

……ずるくて卑怯な私は、恋敵が消えるのを望み、彼女を見捨てた。
そんな自分が嫌いになって、もう黒木全火を想う資格など無くて。





この現実が、その罪への罰だと言うのなら。
せめて、黒木全火をこの世界に留めて欲しい。
私は、罰を受け入れ、二度と彼には近付かない。
だから、リシャーダだけでも、……救って欲しい。





でも。その願いは叶わない。






「フルコキリム」



黒木全火の声が聞こえた。
その名で呼ばれるのが記憶の内では初めてだったから、少し戸惑って返事に困っていると、彼はそのまま続けた。



「『駒』って何なんだろうな」


「………」



問いの意味を、私は計りかねる。
人間のくせに、黒木全火の思考は、神の側の者を凌駕しているように見えた。



「俺たちは。チェスとか将棋じゃ無いんだよ、……たとえ世界の『駒』に過ぎなくても。……決まった居場所なんて無い―――好きな場所に居てもいい―――俺は、そう思う」


「……好きな、……場所」



一つ、次元を戻り、黒木全火と姿を確認し合える位置を低空飛行する。
その、『好きな場所に居てもいい』と言う言葉が、私の積年の痛苦を癒してくれるような気がした。
黒木全火は、照れ笑いのような表情を浮かべながら、それでも学園まで続く道を走り続ける。


「だってそうだろ。俺も、お前も、学園とは関係ない。なのに今は学園に居て、普通に生徒としての生活が出来ている」



「それは……これがゲームだから……」



「これがゲームなのを知ってるのは、俺たちだけだぜ。サンダーもリシャーダもフェルエルもキュウコン先生もデンリュウ校長も……ゲームだなんて知らないのに、誰も俺たちを拒まなかったじゃないか」



「………あ………」




黒木全火の言葉が、刺さる。
どうして、ここまで。



「居場所なんてな、いくらでも作れるんだよ。ここじゃなきゃ駄目だなんて、そんなのは自分の可能性にフタをしちまってるだけなんだ。だから俺は元の世界に帰る。こっちの方が100倍楽しい世界だって思ってたけど、それは俺が未熟だったから、元の世界を楽しめてなかっただけなんだって、解ったから。俺は、あっちに帰って、あの時より100倍、いや1000倍楽しんでやる。このゲームを無意味にしないために俺は……元の世界に、帰るんだ。フルコキリム。お前も、このゲームを無意味にしないために、やる事があるんじゃないのか?」




「………」





「強制はしない。でも、ここまで一緒に戦ってくれた『この世界の仲間たち』への、俺の最大限の感謝なんだ。変われ、フルコキリム。ゲームが終わった後の世界を、お前が引っ張っていくんだよ」




彼は、こんな考え方が出来るのだろうか―――非力な人間のくせに。



「……っ、うぅ……っ……、っ……うあああああぁぁぁぁぁっ……!」




―――どうして、私が彼を好いたのか。
その理由が、漸く解った。

そして、このゲームの、本当のプレイヤーが、どうして彼を選んだのか。
それも、何となく、解った気がした。彼なら、……非力な人間のくせに、世界を変えてしまえるから……。




学園が、見えてきた。
それはつまり、別れの時間もまた、すぐそこまで迫っていると言うこと。

黒木全火は、最後の戦いには私の力が必要だと言ってくれた。
ならば、共に戦おう。鳥類を統べる王、不死鳥フルコキリムが写し身、フルフルの名に懸けて。







……………









学園の中には、激しい戦いの跡が生々しく残っていたが、戦いそのものは既に終わっているようだった。

魔王ゼレス、古代兵器ラプラスの姿が見えた。
フィノンとアーティも近くに居る事だろう。彼らの様子からして、身近に犠牲者は出ていないようだった。

それを確信させたのは、やたらと明るい馬鹿一匹。
アークとか言う、確か以前、体育祭の日に会ったような気がする男。


「やっと来たか。待ち侘びたぜ?」
「男に待っててもらっても嬉しくないな」
「そうかい。うちの妹はお前があんまり遅いから結構ご立腹だったぞ」
「俺が知るかぁっ!」


これだけ明るい馬鹿が堂々と野放しにされているという事は、やはり犠牲者は居なかったらしい。
眠っている間のことはフルフルから凡そ聞いていたが、ロストとか言う影の魔物には一度も出会わなかったから、恐らくほぼ殲滅は完了しているのだろう。

あとは、サナを倒すだけ、と言う事か。

と、心の中で思った瞬間、アークの表情が一変する。
馬鹿みたいな笑顔が消え、不敵な笑みになる。彼の顔立ちには、その方が随分お似合いであった。


「勝つ見込みはあるのか? 相手は『+1』かも知れないんだぞ?」
「+1だか何だか知らんが……まぁ、大丈夫だろ。俺には心強い仲間が居るからな」
「おうおう、言うじゃねぇか。覚悟を決めたらそこの穴から地下研究室に行けよ。ヤツはそこに居るらしいぜ」


ビッ、と後方を指差すアーク。
彼の背後で無残な姿を晒すグラウンドに、ぽっかり開いた人間一人分くらいの穴があった。

……誰かが掘ったのだろうか?

と言う心の中の問いに、アークが答える。


「フリードがな」
「何をやってんだあの変態教師は」
「そう言うな。あいつは今回のMVPなんだからよ」
「その本人は今何処だよ?」
「被害状況の確認だかで出てるぜ。あの様子じゃ当分は戻らないだろうな。最終決戦に参列できないなんて可哀想な男だ」


ある意味では、確かに可哀想な男だ。
まぁ、MVPの座はくれてやるとする。
どうせ、俺はもうこのグラウンドにさえ、戻ってこないかも知れないのだから。


RPGで言えば、このアークは、最後のダンジョンの門番みたいな男だった。
魔王を倒しに地下迷宮へと足を踏み入れる主人公の背中を押してくれる感じの。

でも厄介なのはその門番が人の心を勝手に読んでしまう事で、しかもこの男の性格上、いつ何処でそれを口にされるか解ったものでは無いから、予め釘を打っておく。


「俺のこと。明日の朝までは、絶対に喋るなよ。明日の朝に、この情報を必要としてるヤツ全員に教えてやれ」
「……ほー……。このヤロウ、考えやがったな……」


俺が、この戦いを最後にこの世界から姿を消すのを、アークは既に読んでいた。
だから、それを言うか言わないかは、任せる。どうせ、明日の朝には、俺が居なくなった事はバレるだろうし。
その時は、ちゃんと説明できるヤツが一人は居たほうがいいだろう。
だから、メッセンジャーの役目を押し付ける。

フルフルがその役目を負ったら、きっとみんなからどうして黙ってたのかと責められる。
だから、それはアークがやればいい。アークなら、いくら皆から責められようと、全然心が痛まないから。

「オイ、軽く傷ついたぜ」
「大丈夫。アークは強い子頑張る子」
「心にも無いこと言いやがった!」


そんな馬鹿なやり取りが、この世界の最後。
俺は逃げるように、フリードが掘ったらしい穴の中に飛び込んだ。

アークは、一瞬追いかけるような素振りをしたが、足を止めて、俺が消えていった穴を、暫く見つめていた。




「……餓鬼のくせに。散々現実を知ってきたくせに。……どうして、まだあんな考え方が出来るんだよ……」




冷たい目線が、何時までもその穴に突き刺さっていた。

暫く後、アークは諦めたように溜息をついて、その場を後にした。













続く 
  
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