「ハァッ、ハァッ、……ッ!」

「微温いな……『魔導』がまるで扱え切れていない」



ホウオウの拳が、カラナクシの使い手の顔面に捻じ込まれる。
それはただの右ストレート。何の魔法でも無い、ただの物理攻撃。
でも、カラナクシの使い手の『魔導』が通用しない場合、この物理攻撃さえも彼には超え難き壁となる。
格闘技の心得などまるで無かった彼には、ホウオウはあまりに強かった。


「グッ、ゲホッ、げほごほッ……!」


……影を殲滅するまでは良かった。
予想通り、影を操る黒幕がその姿を現すところまでは良かった。

まさか、現れたのが異世界の支配者だなんて。
これでは、屋上で散々エネルギーを溜めていた事が、まるで無意味。
いくらエネルギーを溜めていても勝ち目なんか無いくらい、絶望的な差がそこにあった。

影如きとは格が違う。巨大なカラナクシの物理攻撃も、魔導によるスキルの攻撃も、どちらも通用しなくて一体どんな攻撃が通るというのか。


「フン、つまらんな。念のため分身を回収する必要は無かったか……?」


足元で膝を突く彼を膝蹴りで軽く吹き飛ばし、ホウオウは乱れた衣服を整えた。
その姿は、このスキル研究機関でもかなりの権力と実力を持っていた、あのホウオウで間違いない。
なのに、中身は完全にベツモノ。その威圧感が、元の彼とはまるで違う。

……ホウオウは、少し融通の聞かない男だったけど。
でも、突然こんな風に世界を脅かすような事をする男では無かったはずだった。
彼にとってスキルの研究はこんな事をするためのものではなく、生き甲斐そのものであったはず。
だからこのホウオウを名乗る男が、あのクソ真面目で頭は固いけど仲間想いだった一人の研究員であるはずが、断じて無い!


「ホウオウ、てめぇ何やってやがる……ッ!」

「『何』、とはおかしな事を訊くな。見ての通り、この世界を侵略しているのだ」

「てめぇに訊いてんじゃねぇ! オイ、この馬鹿ホウオウ! そんなワケわかんねーヤツに良いようにされてんじゃねぇぞッ! 目ェ醒ましやがれッ!!」

「……ふ。この器に向かって言ってるのか。ならばもう遅い、手遅れよ。既にこのホウオウの精神は我が力によって跡形も無く消え失せたッ! 既にこの世界のホウオウとは、この私ただ一人を除いて他に居ないッ!」

「ふ……ざけるなァッ……! 嘘言ってんじゃねぇぞ、あのホウオウが志半ばで易々と消え失せるタマかよ……ッ! 上等抜かすな支配者気取りがぁぁぁあああああああああああああッッ!!」


カラナクシの使い手は再び大地を蹴り、ホウオウに殴りかかる。
魔術が通用しない。カラナクシの攻撃も効かない。今更、拳の一撃が通らないのは全身の痛みが教えてくれる。でも、それでも殴りかからずにはいられない。このホウオウではなく、その中で消え失せたと称されている本物のホウオウを殴りつけて、その目を醒まさせてやりたかったから。


「勘違いするなよ。『気取り』ではない。私は支配者なのだ」


なのに、支配者ホウオウはもう、彼との戦いを終わらせていた。
だから、その拳を、もう届かせはしない。

ホウオウはその拳を、触れもせずに受け止め、跳ね返す。
いや、跳ね返すというより、吹き飛ばすと言う表現が正しいかも知れない。
向かってくる拳の威力を丸ごと捻じ伏せる『風』の魔術で、ホウオウは何度も噛み付いてくる狂犬が二度と立ち上がれぬよう、適当に目に付いた建物に向かって吹き飛ばした。

弾丸が射出されたかのような速度で彼が突っ込んだのは体育館。
壁をぶち抜き、体育館内部の、反対側の壁に大きなクレーターを作って、そこで彼の意識は途絶えた。
間際、カラナクシをモンスターボールの中に回収しておいた自分の判断に、感謝しながら。




一部始終を見ていたハルクは、恐怖した。
ホウオウの途方も知れない強さに、ハルクは己の矮小さを思い知った。

―――それは、ホウオウの戦い方に起因するのかも知れない。
ホウオウは、己の『最強魔術』によって、あらゆる攻撃を無効化することが出来る。それによって、相手の戦意を奪い去ってしまう。

それはゼロの力に似ているが、原理は全く違う。
ゼロの力は、『×0』の力。あらゆる力を捻じ伏せる絶対の能力。
対するホウオウのそれは、『−X』の力。相手の攻撃の威力を瞬時に測り、それと同じだけのエネルギーを衝突させて無効化する能力。
故に理論上は、ホウオウの力を超える攻撃は防ぎ切れないことになるが、ホウオウの力が高すぎるからそれは殆ど『×0』と見做してもいいかも知れない。
魔術の発展があまりに遅れている、この世界に於いては特に。

いかなる攻撃も通らない。そのイメージが戦いの中で相手に植え付けられ、後に残るのは絶望。
戦う気力さえ、根こそぎ奪い取る。だからハルクは屈した。勝ちようが無いと言うイメージを、ホウオウに植え付けられた。この先、どんな戦い方をしても、ハルクはもうホウオウに勝つことは出来ない。

スキルの発動を左右するのが『意思の力』である限り、勝てないと言うイメージを植え付けられたら、それは本当に勝機を失う事に直結するのだから。



魔術の戦いは、意思の戦い。
意思が負ければ、魔術は、その力を失うのだ。








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迷宮学園録

第四十五話
『ロスト/意思』

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ホウオウに仕える三賢者が一人、スイクンの姿は、学園に向かう道の途中に在った。
あちこちに見られる破壊痕は、影やホウオウの分身体と、逃亡したアーティたちによるものだろうと彼女は考えていた。
豪雨が収まりつつあるのを見る限りでは、分身の回収も全て済んだと言う事だろう。
そしてそれは、あの学園に、ホウオウが分身を回収しなければならないほどの相手が現れる可能性があると言う事。

もしそうなった時、自分には何が出来るだろうか。
まともに戦うことになった場合、ホウオウの足を引っ張ることにはならないだろうか。
スイクンは、そんな懸念を抱いていた。


本来のスイクンの力は強大で、それはホウオウさえも脅かす。
しかし、この世界に於いて、このスイクンの力は高くない。それは、このスイクンが、切り離された意識の一部に過ぎないからである。



異世界召喚スキルは、やはり不完全であった。ゼレスの時と同じように、『意識』だけしか呼び出すことが出来なかったのだ。
ホウオウが、この学園の研究員の一人である『ホウオウ』の身体にその意識を上書きして存在しているように、スイクンの意識は、適当な人型のロストを無理矢理魔術で変形させて器代わりにする事で存在している。他の三賢者も同じである。

ホウオウはほぼ100%の力をこの世界に持ち込むことが出来たが、意識の一部だけをこの世界に持ち込んだ三賢者の力は、本来の20%程度であった。
だから、正面からぶつかった場合、三賢者の力は、3年四天王より僅かに劣る程度に留まってしまう。
まして、素体が影なのだから、防御力は低いし弱点も多い。


「―――それで、自分の器に相応しい他の身体を探しに行こうとでも?」
「―――ッ!?」
「異世界召喚スキルが不完全だと思っているのなら、それは間違い。異世界召喚スキルに完成形など存在しない。それは、『超界者』にのみ許された暴挙だから。世界の駒に、それが出来るはずが無い」


スイクンは、いくら自分の力が本調子では無くても、それなりの力はある心算だった。
にも関わらず、背後に立っていたその女の存在に、話し掛けられるまで全く気付けなかった。

悟ったのは己の無力ではなく、その女の『異質』。
靡く白髪。前髪は一部、メッシュでも入れているかのように黒。
いや、そんな色の特徴以上に、その女が人間では無い事を証明するのは簡単だった。

左右に2枚ずつ、合わせて4枚の翼。―――それは、まるで天使のよう。
そんな錯覚は、その女の持っている『人間らしからぬ存在感』によって、さらに掻き立てられる。


「一体、何者です……」
「その問いには答えない。敵ではないから安心しなさい。味方でもないけど」
「ふ……ふざけるな! そんな事が罷り通るとでも思っているのですか!」


スイクンの怒りは当然のもの。
敵でも味方でもないと、そんな事をのたまうのはつまり、自分たちをまるで相手にもしていないと言う事だ。
それは許されない。この世界を支配する以上、全ての存在には等しく選択肢が迫られるはず。

―――服従か、……死か!

なのにその女は、そんなものには興味が無いと言うような目で、明らかに見下していた。


「あなたがどれだけ私を敵視しようと、このゲームのルール上、私はあなたに手を出せない。逆も然り。無意味だから、感情を磨り減らすのは止めなさい」

「ならば何のために現れたと言うのですか! 敵でも味方でも無いなら、一体何故!」
「私が選んだ『参加者』と接触するためですよ。あなたもロストを素体にしているのなら、そのうち此処に現れるでしょうから」

「……な、にを―――――」


スイクンは、この女が一体何を言っているのか、必至で考えた。
でも、その思考は唐突に、ブッツリと断ち切られる。
スイクン―――素体となったロストの身体が、内側から食い潰されたからだ。

まるで神隠しを見ているかのように、スイクンは虚空に消滅した。
代わりに現れたのは、……真っ黒い液体を嘴の周りにはしたなく纏わりつかせた一匹の鳥。始祖鳥のような姿をした、伝説に語り継がれる神聖なる鳥の王、不死鳥フルコキリム。

ロストの身体を器にしていたスイクンの意思も、多分丸ごと食べられただろう。
不死鳥は、何か変なものも一緒に食べたかな? と、首を傾げる素振りをした。
でも、もうスイクンは戻らない。今頃は、スイクンの本体が元の世界で歯軋りをしているに違いない。


「久しぶりね、不死鳥フルコキリム。―――私の駒」

「……誰?」

「誰でもいいのよ。傀儡が主の名を知る必要は無いのだから」

「………」


フルコキリムを駒に選んだこの女は、敢えて彼女にロールバックを回避する手段を与えなかった。
だから、一度でも世界が巻き戻されれば、彼女の記憶の中から自分が消え失せるのは計算どおりだった。

お互いに正体を知り合う必要は無い。ゲームに勝つ上で、それは重要な問題では無いから。


「あなたは私の駒だけど、私のために動く必要は全く無い。黒木全火のために尽くしなさい。それだけを守る限り、このゲームに敗北は無い」

「クロキ、ゼンカのために……」


フルコキリムは、その一言を復唱した。
何故、目の前に現れた人ならざる者がそんな事を言い出すのかは怪しいが、しかしその一言だけは、フルコキリムの中で、確かな導となるものだった。

フルコキリムは、もし目の前のこの不審な存在が妙な事を言い出すのなら、無視をする心算だった。
しかし、出てきた人物の名前が、フルコキリムをこの場に留まらせる。その人物こそ、今のフルコキリムを支える、最も大きい存在であったから。


「あなたはあの無力な人間の武器。せいぜい浮気をしないようにと、私に言えるのはそれだけ」


人ならざる者は、最後に不敵な笑みを付け加えて、踵を返して歩き去って行った。
だが、途中で平行次元に移動したのか、フッとその姿を消した。


「武器……か。死なないだけが取り柄の私に、一体何が出来るのか……」


翼を広げ、足に力を入れる。
そして、高く跳躍する勢いで地面を蹴ると同時に全力で羽ばたき、空へと舞い上がる。小雨にまで成り下がったこの天候支配のスキルは、もはや心地よいだけであった。

暫し滞空して、学園と病院のどちらに向かうか迷ったが、フルコキリムはこの一瞬の迷いさえも下らないものであったと小さく笑い捨て、病院目指して飛び去っていく。







………









前略、皆様。
俺はちゃんと生きています。Byフリード



と言う文字を、真っ暗な地面の中に刻んで、フリードは自嘲気味に笑った。
地下研究室内部を徘徊する、人間型の『影の魔物』が、『研究室の中しか徘徊しない』と言うルールを持っていなかったら、多分本当に死んでいたのだが。

あの影が受けた命令は、研究室内部に入り込んだ敵を殺せと言うもの。
それに忠実だった彼らは、フリードが研究室の壁をぶち抜いて地中に逃げた瞬間、攻撃を止めてまた何処かへ歩き出してしまった。
偶然にも、その時開けた穴は監視カメラの死角に当たる位置だったようで、サナはそれには気付かない。
あらゆる偶然が重なり、フリードはその命を永らえて脱出に成功した。

『穴を掘る』と言う、使い道がイマイチ解らないスキルが、まさかこんな風に命を助ける事になるとは。と、フリードはかつての自分の英断に感謝した。
ちなみに、フリードがこのスキルを、女子更衣室に潜伏するために覚えたのは言うまでも無い。
そんな邪な目的で覚えたスキルで奇跡の生還劇を演じる事になったのだから、世の中不条理なものである。

ザクザクと穴を掘っていたフリードは突然硬くなった地面に、グラウンドの地下まで掘り進んでいた事を察した。今頃地上では何が起こっているのやら、と、断続的に聞こえてくる地鳴りの様な音にノイローゼを発祥しそうになりながらも、一生懸命掘り続ける。


「デンリュウ校長はちゃんと気付いてくれたかねぇ……どーせまた朝からカレーでも喰ってるんだろうが……」


フリードはこの異常と真っ先に対面した男だったが、地上を襲う悪夢に対する理解は、現時点では誰よりも劣っていた。ずっと地下に居たのだから仕方ないと言えばそれまでだが。
しかし、このフリードの判断が無ければ、もっと被害が拡大していたのは間違いない。





―――地上。
豪雨で支配した区域内に、無数の強い気配を感じたホウオウは、それらを自ら支配するために学園を後にせんとして歩き出す。
だが、その必要は無かった。既に、その強い気配を持つ一人目が、学園の中に入ってきたからだ。

フライアは、1年校舎の影から、その後姿を見送った。
目を醒ましたフィノンと、未だ目覚めぬアディスと共に。

「……大丈夫かな。ゼレス……」
「……そんなの、解らないよ」





悠々歩いて来るその男に、ホウオウは口元を怪しく歪ませた。
それは、歓喜の笑みか。ホウオウは目の前に現れた強者に、心を躍らせる。


「ようこそ。我が新たなる支配予定地へ」


ホウオウが、学園全体を指すかのように、両手を広げて言った。
ゼレスは少し顔を顰めて、言葉を返す。


「……強いな」
「それはどうも」


ゼレスは、率直にホウオウをそう評価した。
―――強い。
ゼレスよりも強いのか、それとも他の何かと較べて強かったのか。ホウオウは、その一言からどちらの意味で「強い」なのか判りかねたが、しかし余裕の表情を崩さない。
どちらの意味であったとしても、お互いの利害が一致していないのは一目瞭然だったからだ。
このまま戦闘に発展するまで、あと秒単位の時間しか掛からないだろう。

ホウオウには、その緊張感を愉しむ余裕があった。
対するゼレスにもそれがあったのかどうかは、無表情な彼からは察する事が出来ない。
故に、ホウオウが先ず、誘う。


「来ないのか? 来ないなら、私はさっさとこの世界を支配したいのだが?」
「支配するならしてみろ。俺はそれを阻止するまでだ。お前が何もしない限り、俺はお前に何もしない」
「…………ほう」


今度こそ、ホウオウは理解した。
この男は、この最強魔術の使い手たる自分を、まるで恐れていないと。
こちらが何もしない限り、相手にはしない。その代わり、何かしたなら、阻止する。
その言葉はつまり、「お前が何をしても、俺には阻止できる」と言う挑発に解釈できる。
大そうな自信であったが、しかしその覇気から見て、強ち思い上がりでもなさそうであった。


「……私はな。楽しみとは、最後の最後まで取っておきたい性分なんだ」


ホウオウは語り出した。
ゼレスは、当然手を出さない。
……いや、出せない。ホウオウの力が解らない以上、迂闊に手を出せずに居る。

それは少なからず、ゼレスがホウオウを、自分を脅かす存在になり得る程度には評価していた事の証明であった。少し考えれば、それはホウオウにも簡単に看破される事であったが、ホウオウがあまり物事を深く考えない性格であったのが幸いだったと言える。

ホウオウは自分の力を、『過信』している。それも、『故意に』。
魔術とはそう言うものだ。出来ると思わなければ出来ない。それが最も顕著に出るからこそ、『思い込む』と言うことは、魔術で強靭な力を発揮するためには欠かせない要素なのだ。

だから、ホウオウはゼレスがどんな能力を持っていようとも、その気になれば気兼ねなく攻撃をすることが出来た。
ゼレスのように、未知の敵を警戒するなど、ホウオウはしない。

その一点のみ、ホウオウは確実にゼレスを上回る。


「見たところ、お前はかなりの実力者のようだ。正直、お前さえ倒せばこの世界を支配するのも簡単なように思える。だがどうだ、それはつまり、楽しみを先に味わってしまうのと同じではないか?」

「…………」


ホウオウの言い分は、つまりこの世界の支配よりも、ゼレスを倒す事の方が楽しそうだ、と言うものだった。そしてだからこそゼレスを後回しにして、先ずは世界を征服したいと言う身勝手な相談。

その一言に込められた意思を、ゼレスもまた逃さない。
この男は、異界の魔王たる自分など、世界を支配できて当前の如く、倒せるものだと思っている。

お互いが、お互いを、見下す。

どちらも、負ける気が無い。



「悪いがお前の性分は理解出来んな」
「…………」
「俺は、本当の楽しみこそ新鮮なうちに味わいたい性分なんだ」
「ふ……。それはそれで理解も出来る。折角後回しにしたのに味を落とされては、興も殺がれると言うものだ」


ホウオウが、棒立ちの状態から、僅かに重心を動かした。傍目からは解らないが、ホウオウはついに、身構える。
微かな空気の流れで、ゼレスはそれを察知した。


「―――ならば来い! ただし私を失望させるなよ異界の魔王!?」

「……気付いていたのか。ならば礼儀だ、名乗ろう。俺は魔王ゼレス、この世界は貴様には分不相応だ異界の支配者よ!」

「フッフフフッ! 分不相応か如何か、その目に焼き付けるがいいッ! 我が名はホウオウ、最強魔術師ホウオウよッ! ふははははははははははははははははははははははッッ!」











続く 
  
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