パトカーは見るも無残な姿で煙を吹いていた。
車内に残るよりは表に出て戦うのが賢明だと判断したアーティたちは、自ら影たちの前にその姿を晒す。

でも、それは影との『戦い』にはまるでなっていなかった。
影の、数の暴力に飽かせて二人の体力を削るだけの、それはもはや単なる作業。
材木を刈るためにチェーンソーを構える男に対し、樹に出来ることは最後の一瞬まで根元と繋がっている事だけだ。今のアーティたちは、様々な方角から刃を入れられ、倒れる方向までも調整されてしまった材木だった。

ミシミシと軋む音が聞こえたら、もうすぐ倒れてしまう合図。
彼らが材木なのは違いないが、一つだけ違うのは彼らを切っているのが林業関係者では無いと言う点だった。
普通、樹が倒れそうになったら、その方向に居る者は全員退避する。押し潰されないために。
でも、彼らは避難しない。それどころか、倒れる方向に群がり、それはまるでホームランボールを求める球状のファンたち! 当たれば軽傷では済まないのに、でもでもその記念すべき一球が欲しくて、周囲の者を掻き分けて我先にとボールが飛んでくるであろう座標にダイブする光景は往々にして滑稽!
この影の魔物はまさにそれ! アーティが、僅かに残された波導を纏って突っ込んでくるのを、本当ならば避けるべきなのに避けない! ユハビィの攻撃も避けない! 待ち構える事さえしない! 自分から当たりに行く! 当たれば影は砕けるのに、でも周囲も影だらけで全部真っ黒だから、砕けてるのかどうかもよく解らない!

数の暴力に加えて、手ごたえが無さ過ぎる異形の軍勢は、獲物を精神的に追い詰める能力にも秀でていた。倒しても倒してもキリが無く、次第に技のキレだけが鈍っていく感覚を、アーティはしっかりと感じていた。ユハビィも、同じようにそれを味わっていた。影の耐久力の低さが、この精神攻撃を狙ったものだと言うのなら、それは想像以上の効果を叩き出していた。

ピジョットとバクフーンも、『ライデン』を駆使して抗うが、360度を包囲されているのにたった2本の爆撃で一体どうしろというのか! それに空を飛ぶ影にはそもそも当たりやしない!

「……何を言っても、死亡フラグになる気がしてきたよ……」
「何だよ、言い残す事が在るなら言えよユハビィ……!」
「言い残す事なんか無いよ、なんかもうそんなこと考える余裕も無いや……」

背中を預けていたユハビィの手が止まったのを、アーティは空気の流れで察知した。
この極限状態で限界まで研ぎ澄まされた集中力ゆえの直感と言っていい。それを察知できたのは、殆ど奇跡に近かった。

次、影がユハビィを攻撃したら、それで大事な者が一人、居なくなる。

と、アーティが本能で悟る。
そして、この理不尽な結末を前に、沸いたのは怒り。

どうして、こんな目に遭わなければならないのか。
この世に神はいないのか。―――もし居るなら、どうして助けないのか!














     ……助けろよ……!














アーティには、もう解っていた。
自分ではもう、ユハビィを守れない。
バクフーンもピジョットも、自分自身さえも何もかも守れない。

それを肯定した時、出てきたのはその一言だった。

どうして?
そんな一言で、都合よく誰かが助けに来てくれるとでも?

現実的に考えて、そんなことあるはずがない。
でもこの無数の影を見て、じゃあ現実って何だよ、とアーティは憤る。
理不尽。不条理。










「……助けろよ、守れよ、全員助けろよッ! ウオオオオオオオオオオオオオオッッ!!」



その叫びは他の誰かよりも、自分自身に向けられていたのかも知れない。
でも、それは確かに、“彼女”に届くだけの『強い意思の力』が込められていた。

ユハビィを弾き飛ばし、戦列から下げる。
そのユハビィを襲うはずだった影の顔面には、代わりに突如として割り込んできたアーティの拳が叩き込まれた。微かに残った波導が炸裂して、影は頭から木端微塵に砕け散る。

後方から迫った影を、アーティは手刀で薙いだ。
影は、真っ二つ。ドチャリと地面に崩れて動かない。
上空から迫る黒い鳥には、アーティの『別の腕』が捻じ込まれ、粉砕。


……3本目の、腕?


「………ッ……?」


アーティには、何が起こっているのか解らなかった。
手刀なんて、使った覚えが無い。上空から飛んでくる鳥に届くほど長い腕なんか持っていない。
なのに影は真っ二つで、粉砕。―――何故?

自分の腕を見て、そこに自分の腕では無い何かがあるのに、漸く気付く。
……アーティの左腕に、何かが装備されていた。やや青みがかった銀色の、自在に動く便利な武器が。
その武器は圧倒的速度と攻撃力で、次々と影を捻じ伏せていく。もはや、アーティの意思など関係なく、次々と影を蹂躙していく。

でも、流石に影の数が多すぎる。この状況はどうにもならないように見えた。
武器から声が聞こえたのは、その時だった。



“私の名を呼んで”



聞いた事が無いはずの声。
でも、それは絶対に知っているはずの声。
1000年、2000年、いやもっと前。
アーティが、まだ別の誰かだった頃。……生まれ変わる、前。

―――古代文明

―――超古代兵器

―――“テロメア”

アーティと古代兵器ラプラスが強い繋がりを持っているのは何故?
それは、アーティにラプラス召喚のヒントを託した者には解らない。ただ、アーティの持つ波導の波長と、とある古代人の持つ波導の波長が、100%一致していると言うのは、揺ぎ無い真実だ。

旧式防衛拠点型テロメア“ラプラス”とまるで家族のような関係を持っていた、ある古代人とアーティは何もかもが全く同じだった。これが、俗に言う生まれ変わりの奇跡と言うものならば、きっとそう。アーティは確かに前世で、ラプラスと深い関係を持っていたことになる。

だからアーティは覚えていなくても、ラプラスは彼を知っている。
だから、アーティの呼びかけに応えることが出来る。否、絶対に応える。何故なら、“彼女”はずっと、もう一度応えたくて、あまりに長い時の中を、海底に沈んでしまっても耐え続けていたのだから。

もう何千年前のことかなど、解りはしない。
でも、それだけ長い間願い続けたのだから、叶ってもいいではないだろうか。
命を持たぬ兵器でも、そこまで願い続けたのだから、もう許しを得てもいいのではないだろうか。
3度目の世界では“彼女”にとっては望まぬ形で呼びかけに応えることになってしまったから、この最後のチャンスでくらい、もっと純粋にその呼びかけに応えさせてもいいのではないのか。

―――と、心優しき神の幻影が、そう思ったのかも知れない。



「……なんで、知ってるんだ……。でも間違いない、オイラはお前の名前を知っている……!」






“呼んで。今度こそ、紛れの無い貴方の意思で”






今はまだ呼び掛けが小さいから、こんな武器―――身体の一部でしか力を貸せない。
守りたいから、ちゃんと呼んで欲しい。もっと強い意思で呼んでもらえれば、きっとそれに応えられる。
そして、その影どもから、まとめて全員、守ってあげられる。



“呼んで、私の名は―――”





「―――ラプラス……」





 宣告する。
 Laplaceよ、此れより彼の許が御前の居場所よ。
 今此処に召喚契約成立を承認した。
 彼に尽くせ。彼の命を履行せよ。


アーティがキュウコンから貰った、青い貝殻のキーホルダー。
その貝殻の内側には、そんな内容の『呪文』が書き込まれている。
それを書いたのは、このキーホルダーをキュウコン経由でアーティに託した張本人である、あのカラナクシの使い手で。そしてその呪文は、古代兵器ラプラスの召喚『のみ』を、強力に補助するための、スキル研究機関が独自に開発したプログラムだ。
召喚スキルは複雑でアーティにはとても無理だから、その原理は全てこのキーホルダーが代行してくれるようにはなっている。だから、アーティに必要なのは通常スキルに必要な、『意志の力』だけ。


―――よって、召喚スキルは発動する。
形はどうあれ、強い意思の力を見せたアーティに、ラプラスはついにその姿を降臨する。






青い長髪を靡かせる、氷の様に冷たい目をした女性が。
今一度、アーティの前に現れる。

彼女は暫く影を睨んでいたが、やがてその髪を翻し、アーティに笑顔を向けた。



「やっと、呼んでくれましたね。数え忘れるほど長い時間、私はずっと待っていました」


「……オイラが、“あの日”、お前を呼ばなかったから……」


「そう。貴方は優しいから、“あの戦場”で私を呼んでも如何にもならないことを、知っていたから……。でも、それでも私は貴方の声に応えたかった。―――せめて最期を共にしたかった」


「……ラプラス……」


「でも、逆に言えば、“あの日”呼んでくれなかったからこそ、今。今度こそ、貴方を守ることが出来る……」



ラプラスは。
再び、影を威嚇するように、周囲を凍て付く様な眼光で見渡した。

影が、怯えていた。
一応、取り囲んではいるものの、誰も襲ってくる気配を見せなかった。



「………異界の“ロスト”か。……哀れな、ものだな……」










**************************

迷宮学園録

第四十四話
『ロスト/感情』

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影たちには、強い食肉衝動が備わっていた。
それは、『肉』を失った彼らだからこその、『未練』にも近い。




ホウオウの支配する魔術の世界に於いて、『影の魔物』はごく一般的な存在である。
ヒトの世で喩えるなら、それらはネズミ程度には理解されていた。日の出ている間は建物の影や地下道に身を潜め、夜になってから活動を開始する彼らの名は、『ロスト』。
……意思も、身体も、心も『失くした』、異形の者たち。


「GRYYYYYYYYYY!!」


―――痛い……!


もし、ここまで何の躊躇いも無く影たちを打ち砕いてきた彼らがこの真実を知ったら、一体どんな顔をするだろうか。きっとエックスが満足するような、絶望に屈した表情で泣き叫んでくれる事だろう。
でも、結局誰も教えない。彼らにこの真実は重過ぎる。
目的のために何処までも非常になれるアークやゼレスなら、或いはこれを知っても己の信念を貫けるだろうか。ラプラスに限っては既にその正体を知っていたから例外だが、そうでない者達には、この真実はあまりに、辛い……。





人間型のロストは、元は、魔術の世界の、………人間だ。
……動物型は動物。……鳥類型は鳥類。彼らはそれぞれ、対応した『生前の姿』と言うものを、持っている。この世界には呼ばれなかったが、ホウオウの居た世界には、魚型のロストも存在している。

……要するに、ロストとは生ある者たちの『成れの果て』なのだ。
『魔術』が行き交う特殊な大気の中で、未だ己の死を理解せぬ死者の魂は、その姿を歪め、ロストへと至る。原理は解明されないが、しかし事実、魔術を一切使用しない空間で死を迎えた動物の魂がロストに変貌したと言う事例は報告されていないから、魔術と何か関係があるのは間違い無いだろう。

この学園の世界でも、黒木全火の元居た世界でも、これと同じ事は起きていた。
それは遠い昔、まだまだ『魔術』と言うものが認知されていた時代まで遡る。
当時恐れられていた異形の怪物、悪魔と呼ばれるソレは、その長き歴史を見てきた者の証言によれば、ホウオウの世界からやってきた『ロスト』と言う存在とほぼ同等なモノであったと言う。



繰り返すが、ロストの行動理念は食肉衝動のみ。
集団でヒトを襲っては喰らう異形の怪物、と言う解説文が添えられるくらい、彼らの行動は実に単純なカニバリズムに基いていた。
故に人々は彼らを『身体と感情を失った魔物』の意味を込めて『ロスト』と呼ぶに至る。

……でも、『それ』はまだ証明されては居ない。
『ロストが本当に感情までも失ったか如何か』なんて、まだ。



「GRRRR!」



―――痛い、痛いよ、身体が砕けてしまうよ痛い痛い痛い……ッ!



「GYRYRGGGRYRRY!!」



―――助けて、もう嫌だこんなの嫌だ、……あぁでもその身体は羨ましいよ。



「GYYYYYYYYYYYYYYY!」



―――その身体を食べれば、もう一度あの空を自由に飛び回れるのかな!
―――その身体を食べれば、もう一度あの恋の続きが出来るのかな!
―――その身体を食べれば、もう一度愛しい我が子をこの腕で抱く事が出来るかな!



―――その身体を食べれば、もう一度―――




波長が合えば、彼らの叫びが聞こえることもあるだろう。
でも幸か不幸か、彼らの波長は、生者よりも明らかに異質。
死者の声を聞ける霊能力者でも、ロストの声までは聞くことは出来ない。
……偶然や奇跡がいくら重なっても、彼らの声は人間には届かない。
それは喩えるなら、ガソリンの代わりに石を使おうとするようなもの。
根本的に規格が違っているから、ヒトにロストの声は、掠りもしない。


叶わぬ夢を見て、ヒトを喰らう死に損ないたち。
彼らへの救いはただ一つ。……逆に、喰らってやる事のみ。

いくら砕こうとも、いくら焼こうとも、それは彼らに2度目の『死』を突きつけるだけに過ぎない。
本当の救いは彼らの死に切れぬ魂を喰らい、それを己が糧にしてしまう事。





それが出来るのは、『私』しか居ない。……それが、その立場たる『私』の『使命』と言っても良い。

『命』『に』『無限』『を』持つ、『私』の『使命』。






数多の『命』を喰らうことで、己が『命』を永らえ続けた呪われし鳥類の王―――不死鳥フルコキリムの不死たる由縁。

不死鳥に食事の必要は無い。細胞を維持するために、栄養を取る必要が無いからだ。
不死鳥の細胞から見たら、人間の細胞の燃費の悪さはただの環境破壊にも匹敵するだろう。

何も食べなくても何も与えられなくても、不死鳥の細胞はそれ単体で永久機関を実現する。

例えば、不死鳥を輪切りにして中身を観察したとしよう。中身はスカスカで、飛ぶために必要な骨格以外は殆ど何も無い。
心臓が動く理由は、主に全身に血液を循環させるため。しかし、不死鳥にそれは必要ないから、つまり心臓は要らない。食事もしないから胃も要らなければ、呼吸も必要ないから肺も要らない。人間―――生物には凡そ必要である殆どの器官が、不死鳥には不要なのだ。
……もはや、それは思考を持つ肉塊。さらには神の側の者として、『肉体』さえもさほど重要な意味を持たないとなると、それは全てに於いて人間を超越した存在である事は容易に窺い知れる。

現段階では、人間との生活リズムに合わせるために、身体の中に人間としてのそれを構築しているが、それはほんの余興のようなもので、やはり、実際にはまるで必要ないものだ。
皆と共に食事をするから、それを消化分解するための胃腸は捨てられないが、でもあくまで分解するまでの過程にそれを必要としているだけであって、栄養を吸収するためには必要ではない。

声を出すための声帯と、五感を司る器官、思考を司る脳があったら、それで十分。
だが、脳さえも一つの帰還として頭の真ん中にある必要は無い。身体全身が脳であり、そのスペアとして機能する。叩けば壊れる人間如きの脆弱な脳細胞とはスペックが違うのだ。乱暴な言い方をすれば、羽の一本一本さえも『脳』として機能できると言う事。

でも、こんなにも完璧な生命でも、寿命で死ぬ。本体から切り離されれば、その部位は死ぬ。不死鳥の細胞は、見えない何かをすり減らしながら活動していて、それが無くなった瞬間に活動を停止させるように出来ている。そうで無かったら、不死鳥から抜け落ちた羽が、新たな不死鳥になりかねない。

その『見えない何か』は、常に不死鳥の身体の一番体積の大きい部分に在る。
例えば真っ二つにされたら、ほんの少しでも大きい側にのみ『見えない何か』が残存し、逆に『見えない何か』が少しも残らなかった方の不死鳥の身体は、どんなに大きくても即座に死滅する。
全く同じ体積だったら(先ずそんな事はありえないが)、どちらが本体と認識されるかはランダムで決まるだろう。




フルコキリムは、その『見えない何か』を本能的に知っていた。
それが、『命』と言うもの。生命活動が開始されてから終了するまでと言う生物学的なものではなく、もっと非現実的な意味での『命』と言うもの。

生きたまま獲物を喰らう事で、命を喰らう。そうする事で不死鳥は己の寿命を無尽蔵に延ばすことが出来る。それが、不死鳥フルコキリムの性質。

生きたまま喰らうのは、実に簡単。不死鳥には、一時的に獲物に『不死』を分け与える事が出来たから。



「……ロストのノイズが五月蝿いんです。ゼンカさま、少し、出かけてきますね……」



不死鳥フルコキリムはゼンカの寝顔を一瞥してから、病室の窓をすり抜けて、青空の下に飛び出していく。
先ほどまでは恐ろしいまでの豪雨であったが、今し方、それが嘘であったかのように晴れ渡った。
フルコキリムはその豪雨がスキルによるものだと最初から理解していたから、別にその現象を不思議には思わない。

誰かが、この豪雨の原因を討ち、故に雨が止んだ。
その事実さえあれば、今の彼女にとって、原因が誰であるかなどと言う事は全て不要な情報に過ぎない。

眼下に、リシャーダとフェルエルが見えた。
その悲惨な様子を見る限り、ロストとの交戦があったことが窺えた。

一方、リシャーダとフェルエルからは、フルコキリムの姿は見えない。
何故なら、フルコキリムは今、『隣の次元』に居るから。
……この場合、『次元』と言う言葉が正しいかどうかは捨て置く。

フルコキリムは、この世界を『M』と名付けていた。
アルファベットの13番目のMである。ここが無数の建物が乱立し、人々が生活する基準となる次元だ。
本来、ヒトはその『M』から抜け出す事は出来ない。死んで魂だけになって初めて、隣のN次元、O次元、P次元……と移動していく事が可能になる。
ただし、この次元には見えざる『流れ』が存在していて、よほどM次元に強い未練が無い限り、死者の魂は徐々に『Z』の方角に流れていってしまう。その先に何があるのかはフルコキリムにも解らないが、彼女はその先にこそ『天国』や『地獄』に類する『何か』があるのだと思っていた。

『神の側の者』は、その多くが次元移動の能力を持っている。
普段はM次元に隣接するL次元に居座り、M次元を観察して退屈を凌ぐのが彼らの日課のようなものだ。

次元の境界線は半透明のガラスのようなもので、霊的才能があれば隣接する次元を見ることが出来る。とは言えこのように高度に発展しているのはM次元のみで、他の次元は全く未開発な『無』の世界であるため、霊能力者は隣の次元に居る幽霊を見ることが出来ても、まさか自分が隣の次元を見ているとは到底思い至らないだろう。

次元移動のメリットはただ一つ、この『無』を利用することである。
要するに、次元移動の概念を適用した場合、この世に存在する全ての密室は密室では無くなってしまうのだ。鍵を開けなくても、隣の次元に移動して部屋の中に座標を合わせて戻ってくれば、簡単に部屋の中に侵入できるのだから。
フルコキリムが、窓をすり抜けたのは、つまりそう言う事。
隣り合っている次元を移動するフルコキリムが、そのように見えただけの事。
霊的才能を持たないリシャーダたちにL次元で空を飛ぶフルコキリムの姿が見えないのは、当然の事。




「眠っていて良かった。きっと、こんなの見せたら、私は嫌われてしまう……」




L次元を飛翔する。
M次元を徘徊するロストたちを発見し、その座標目掛けて急降下する。
そして、M次元のロストに対し、L次元で重なり、次元移動。
ロストを、身体の内側から食い破り、己の寿命に加算する。


声にならないロストの絶叫が木霊する。
絶叫なんて、人間も動物も何も変わりはしない。
だから、ロストの断末魔だって、人間のそれと何も変わらない。

『それ』を聞くと、最初は自分の耳が信じられないだろう。
人間って、そんな声が出せるのか? と。
それくらい酷い悲鳴が残響するのだ。心の弱い人間なら、その音だけでも嘔吐必至である。


でもフルコキリムには、その断末魔が心地よくて仕方ない。
だって、最初からそのように生まれついているから。
ロストを、いや、ロストに限らず他の生あるものを生きたまま食らうのが不死鳥フルコキリムと言う存在だから、寧ろその断末魔は、料理を飾るプラスアルファに過ぎない。


一匹のロストが、突然虚空に飲み込まれたことに、他のロストたちが動揺する。
でも、どうしようもない。彼らは既に、アリクイに発見されてしまった哀れな蟻。
一匹、また一匹と虚空に飲み込まれていくのを、ただ狼狽しながら見ているしか出来ない。



―――嫌だ! 死にたくない、消えたくないィぃいいいい!!



ロストの魂の叫びも当然フルコキリムには聞こえているが、でもそれも料理を美味しく彩るドレッシング。既に死んでいるくせに、死にたくないとは滑稽極まりないと、フルコキリムは腹の底から彼らを嘲笑して、喰らい続ける。





フルコキリムは、既に『人間』と言うものを知ってしまった。
だから、この相反する感情に挟まれ、嬉々として食事を続けながらも、泣いた。



このロストは、仲間を沢山傷付けた。

その事実が、とても都合のいい言い訳になってくれた。







不死鳥と人間は、やっぱり違う。
とても、相容れていい関係じゃ無かった。

人間の感情を知ってしまったら、不死鳥の本能がこんなにも苦痛になってしまうなんて、一体誰が予想したというのか。
フルコキリムは、既に後戻りが出来ないところまで、『人間』を知ってしまった。

それを、思い知らされながら。
仲間の敵討ちだと思って、ロストを掃除し続けた。






「だから人間とは関わらないって、あんなに決めてたのに……ッ! 人間の感情を理解なんてしないって、決めてたのに……! 不死鳥失格だよ、……私、もう、どうしたらいいのかわからないよ…………」





どんなに泣いても、その手は止まらない。
次々と、機械のようにロストを屠っていく。
本能が、ロストを喰らい尽くせと叫んでいる。
それを抑えることが出来ない。
心では抗っても、身体が言う事を聞かない。






「不死鳥失格……。……こんなの、人間のする事じゃない……」






じゃあ、お前は一体、『何』なんだフルコキリム?



無益な自問自答をしながら、フルコキリムは次のロストを求め、L次元を再び飛翔した。



……そんなところを移動しては、誰も手を差し伸べる事さえ出来ないのに。








続く 
  
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