「いやー、危ないところでしたねぇお二人とも」

パトカーに、こんなに気分良く乗れる日が来るなんて、アーティは夢にも思って居なかった。
きっと、これにお世話になるときは、この車の後部座席はとても不快なものであったに違いないと、そう思っていた。
しかし、その思考の穴に気付いて、アーティは納得した。
被害者が犯人の許から解放された後が、きっとこんな気分なんだろうと、そう思った。

「助かりました……でもどうして此処に?」
「……スキル関連の事件に対応するには、今の警察は力不足です。が、たとえそれがどんな事件であったとしても、110番を受けて駆けつけないワケにもいかんでしょう?」

運転席でハンドルを握る男―――バクフーンは笑みを浮かべながら、そう言った。
恐らく、先ほどの家の前での戦いの間に、隣の家のおばちゃんが110番してくれたらしい。
ユハビィは電話していないと言っていたから。

「あんたらみたいに魔法を習う世代には頼りないかも知れないけどな。もうちょっと頼ってくれてもいいんだぜ?」

助手席を預る、ピジョットと言う名の男が自信満々に言った。
確かに、そうだった。最初、この異常事態に陥った時、アーティは一瞬たりとも公的機関に助けを求める考えが浮かばなかった。それは、スキルに関係する事件は、同じスキルに関する何かで解決しなければならないという思い込みがあったからに他ならない。
アーティは、そんな自分を恥じた。ユハビィも、同じように反省した様子だった。
隣の家のおばちゃんが、普通の人で良かった。
……いや、本当に普通なのかどうかはさて置き。

「影が多いッスね。蹴散らしますか?」
「道まで壊すなよ」
「うっす!」


アーティは、さっきから前方席の間にある、バズーカ砲みたいなモノが気になっていた。
なんで警察がそんなものを?
この異常事態に対応しようとしているなら、確かに納得のいく武器であるかも知れない。
しかし、そう考えると逆に頼りなくも見えてしまう。何故なら、そんなものでは影は倒せない事をアーティは知っていたから。
……影には、スキルしか当たらないのだ。


ピジョットがそのバズーカ砲らしき筒状の物体を手に、窓を開けて身を乗り出した。
豪雨が強風と共に入り込んできたが、ゴーグルを掛けてその筒状の物体を構えるピジョットは、その程度のことには全く怯まない。
前方に影の群れが見えてきた。それに向けて、何かを射出する心算らしい。

「お、おい! あの影には普通の攻撃は―――」
「安心しな、コイツは俺たち警察の『新しい力』だ!」

引き金が引かれる。
筒状の先端から、高速で何かが射出されると同時に、本当にバズーカ砲でもぶっ放したかのような衝撃音が響き渡り、ユハビィが思わず短い悲鳴を上げた。

「なっ、何ですかいきなり!」

ユハビィがそう叫んだ次の瞬間、前方の影の群れの中心で大爆発が起き、影たちが木端微塵に砕け散った。
アーティとユハビィはスキルの勉強をし、普段からそれに触れていたから、その爆発がスキルによるものである事がすぐに解った。
でも、警察は『スキルを使わない公的機関』と言う常識が、彼らの胸中に一つの矛盾を生み出していた。

「……い、今のは……」
「コイツは今日まで極秘に開発されてきた、警察のスキル兵器のプロトタイプさ。無理言って借りてきたんだぜ?」

ガシャコン! と小気味いい音と共に薬莢がバズーカ砲の後部から飛び出した。恐らく内部では次の弾が装填されたに違いない。
その一撃はあまりに苛烈で、前方で群れていた人間型の影たちは破片のままピクピクと痙攣し、いつまでも再生しようとはしなかった。

「仮称『ライデン・MK−3』、射出弾丸の属性はオリジナルの『二十番台』。現在特許申請中なんでそこんとこヨロシク!」

前方の影たちに、そのライデンマークスリーとやらが再び火を吹いた。
その威力は単発がシャインバーストに匹敵し、影たちは直撃しなくても衝撃波だけで木端微塵に砕け散る。……普通に殺傷力がありすぎて、警察が持つ武器としてはあまりに怖い。

「……対人向けには、もう少し控え目な威力が良いと、報告しておく必要があるな……」

バクフーンが呆れ顔で言いながら、ライデンの連発でボコボコになった道路の上を華麗なドライビングテクニックで疾走していった。



余談だが、この世界で最初に定義された属性は、全部で17種類であった。
その後暫定的に『波導』と『魔導』を加えて19種類になり、『二十番台』とは、その20番目以降の新たな属性に対する俗称である。
二十番台は全てが既存の属性を組み合わせた『複合属性』で(と言っても、属性の複合にはかなりの技術力が求められるため、現在『二十番台』として認可されている複合属性は僅かに2種類である)、恐らくこの『ライデン』とやらが射出する弾丸も、何かの属性が組み合わされたものであろう事は想像に難くない。
ライデンの属性のうち一つは、名前から察するに電気属性で間違い無さそうだった。






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迷宮学園録

第四十二話
『兄妹/アークとティニ』

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豪雨の住宅街。病院まで通じている住宅街の一本道。
一つの決戦が、幕を引いていた。

「くっくく、どうだゼロよ……私の勝ちだ……ッ!」

ディヴァインフレアの威力の、半分以上は無効化されていた。あと僅かでも無効化できたら、完全に相殺されかねないくらいの攻防戦であった。
勝敗を決したのは、『意思の力』。
道具に込められた程度の力では到底及ばない強い意思によって、ホウオウはゼロを屈服させた。

攻撃を防ぎきれなかったリシャーダは、直撃よりは遥かにマシとは言えかなりのダメージを負い、豪雨によって水浸しになった地面に伏していた。
意識は微かに残っていたが、勝ち目が完全に失われていたため、自ら意識を手放すのも時間の問題だ。しかし、生きたままジワジワと殺されるよりは、それはずっと楽な道だった。

……リシャーダは一つだけ勘違いしていた。
この猫のストラップのそれが、ゼンカの力に似ていたから、ゼンカが力を貸してくれているのだと思っていた。事実はそれとは異なっていた。だから、仮に祈ったら力が増すとしても、ゼンカに祈るのはお門違いだったのだ。
このストラップに力を込めたのは、別の人物。
体育祭の日に、ゼンカと接触していた、とある幼女の力。









「……眠いの?」


リシャーダの頬に、冷たい手が触れた。
手放しかけた意識が回帰する。


「………」


顔を傾けた。
そこに、見慣れぬ幼女の姿が見えた。冷たい手の持ち主だった。

ホウオウは、突然そこに現れた存在に、理解が追いつかない。
どうしてそこに、そんなモノが居るのか解らない。




「風邪、ひくよ」



「………………誰だ」




リシャーダの代わりに、ホウオウが呟いた。
……それ以外の言葉が、見付からなかった。

それに対し、幼女は立ち上がって、ホウオウの目を真っ直ぐ見つめた。
睨むでもない。凝視するでもない。ただ、見た。
それは、『興味』を測る視線。どれくらいのものか。どの程度のものか。人と人が目を見て話す時のそれとはまるで違う。どれくらい面白いのか、……吟味する目だった。

そして。


「おまえ。ロクな死に方しないよ」


やっと幼女が紡いだ一言が、それ。

誰だと言う問いに対する返答ではなく、ホウオウを吟味し終えた『感想』。
名乗るまでも無い、と言う意思表示。名乗る必要が無い、と言う高慢な挑発。

お互いの力関係が対等では無くても、名乗るのが普通だろうとホウオウは思っていた。
でも直ぐに、名乗らない場合が在る事を思い出して、それが余計に彼の腸を煮えくり返らせた。

人が相手に名乗らない時の理由の最たる例とは。
つまり、道端を擦れ違う草木や電柱、石ころにイチイチ名乗るのか? だ。

前々からの因縁で絶対に名乗りたくないと言う敵対心と、この幼女が今名乗らなかった理由は180度違う。
敵対心さえ向けてもらえない道端の石ころと、ホウオウの存在が同じレベルだと評価されたのだ。

漸く、ホウオウは悟った。
この女が名乗るかどうかは、問題ではない事を。
この豪雨の中で傘も差して居ないのに少しも濡れていないこの女が只者じゃない事を。
そして、それでも自分の最強魔術の方が、もっとずっと強いから何も心配は要らない事を。
……一瞬で、片付ける。この女がどんな魔法でこの豪雨を回避しているのかはわからないが、それさえも捻じ伏せて己の最強を証明する。

ホウオウの中に、確固たる意思が生まれた。
……でも、もし。突然現れたのが一人では無かったら、どうだろう。

この幼女に気を取られ、もう一人現れていたのに、全然気付かなかったとしたら。

豪雨によって、何処を歩いても水を撥ねる音がする。
そのお陰で、もう一人居る事に、ホウオウは漸く気付く。逆に言えば、その音が無ければ、ホウオウは気付くことが出来なかったと言ってもいい。彼が全く油断していたわけではない。突然現れたその男が気配を消す事に長けていたから、いくらホウオウでも、直接五感で感じ取らなければ、その男の存在に気づく事が出来なかったのだ。

今度は、誰だとは聞かない。
聞くまでも無く、その男の不敵に笑う表情を見れば、勝手に名乗ってくれると思ったから。
でも、その予測は外れる。当然だ。彼らはホウオウに敵対する者だから、訊ねない限り名乗るはずが無かったのだ。
ホウオウの元居た世界とこの世界の文化は、少しだけ食い違っているようだった。


「元の世界と土、どっちに還りたいかは選ばせてやるぜ、おっさん」


「ふっっざけるなッ! 何者だ貴様はッ!」



突如現れた男から最初に飛び出したのは、宣戦布告。
あまりに解りやすいその一言に、思わずホウオウは叫んだ。

何故叫んでしまったのかは解らない。何も考えず、本能的に叫ばされてしまった感覚に近い。
でも、ホウオウの居た世界には、それを示す言葉が無かった。だから、ホウオウは自分のおかれた状況を、イマイチ理解する事が出来なかった。

『弱い犬ほどよく吼える』

その言葉がホウオウの居た世界にもあったら、きっと彼はもう少し冷静に行動できたかもしれない。


「俺はアークだ! これはティニだ! あっちの方から割と走ってきましたよろしく!」
「……これとか言うな……」


それに対抗してアークと名乗る男もまたアホ丸出しで叫び返し、ティニと呼ばれた幼稚園児みたいな少女はかなり眠そうな顔で呆れ気味に溜息をついた。……早起きさせられて、本当に眠いのかも知れない。

しかし、ホウオウはそんな彼らのグダグダな様子を見ても、警戒の色を消す事は出来なかった。
このアークとティニなる人物がどんなに弱そうに見えても、決して弱くはない事を証明する材料が、いくらでも存在していたから。
例えば、一体どうやって此処まで来たと言うのか。影で囲まれたこの場所に、一体どうやって!
そしてこの豪雨の中を傘も差さずに、にも関わらずまるで濡れていないのは何故!


「ん、心が読めねーな。やっぱ世界が違うと波長が合わねーのか?」
「……どっちでもいいよ。まだ眠いんだから……さっさと片付けよう……」


アークと、ティニ。アディスの兄妹たちが、そこに居た。
見れば、彼らが歩いてきたであろう場所に、影の魔物が居なくなっている。
一体、どんな攻撃スキルを用いて消し去ったと言うのか?

ホウオウの心境など意に介さず、アークは倒れていたフェルエルを抱き上げた。
その気絶した顔をじっくり眺めて、一言。

「うむ、結構好みだ。特別にタダで助けてやろう」
「このゲス野郎」
「ティニぃー! 実の兄に向かって何たる言葉を!」
「この世界の神は一つだけ大きな間違いを犯した。私にもあの愚兄の血が流れている事だ」
「よぉっし……いい度胸だ、お前の大好きなコーヒー牛乳を、冷蔵庫の一番高い段にしまって置いてやる、ふふふふふ!」
「き、きさまっ!」

ホウオウなど、まるで無視だった。彼らにとって、ホウオウと言う一人の魔術師など、歯牙にもかけぬ、取るに足らない存在に過ぎないということが、態度によって明白に示された。
だが、この間でさえホウオウが手出し出来ずにいたのは、この二人組の持つ未知なる能力を警戒していたからだ。決して、彼らのアホなやり取りに唖然としていたわけではない。

そして辿り着いた結論は単純明快、『叩き潰す』。
能力がわからないなら、調べればいいだけの話だと。そしてそれは、戦えば解る事。

影が、唐突に動き出した。
ホウオウは言葉で命令にしなくとも、頭の中で命じるだけで彼らを統制する事が出来る。
フェルエルを抱えたアークと、起き上がりかけのリシャーダ、そして何故かホウオウに対して最前列に立っているティニを無数の影が囲み、襲い掛かる。

「よし、ティニ。やっちまえ」
「嫌だよ眠い……お前がやれよ」
「馬鹿言え、この俺の白魚の様に美しい御手をこんな怪物の血で汚せるか!」
「……お前のスキルは手を使わないだろう」
「ん、そういえばそうだったな」

……リシャーダのツッコミを介入させないくらい、一瞬のやり取りの後。
アークは何処からとも無く、拳銃を抜き、撃った。

「―――ヴォルテックブレッド」

一匹の影に着弾した瞬間、そこから広がるように電気の網が広がり、全ての影を一瞬で絡め取った。
だが、そのスキルは、そんな事をするためのものでは無い。
電気の網に絡め取られて身動きが取れなくなったその影たちは、今に死刑執行を待つだけの存在に過ぎない。何故ならそれは、電気椅子に座らせられているのと、姿勢以外は何も違わないのだから。

「……ギルティ」

アークの一言が、死刑執行の合図。
その一言で、全ての影が高圧電流によって焼き殺され、跡形も無く消滅する。
リシャーダは、その何もかもが圧倒的過ぎる力に立ち上がることを忘れ、呆然としたまま彼を見上げていた。
しかも強力なスキルを使っただけではなく、アークは何時の間にかフェルエルをお姫様抱っこにしているし。その状態で、この先どうやって銃を使う心算なんだと、リシャーダは実に如何でも良い疑問に囚われる。
でも、それは余裕と安心の現われ。そんな如何でも良い疑問を感じてしまうくらい、これ以上無い安心感がリシャーダの胸中にあった。こんなにも頼りになる存在が目の前に居て、安心するなと言うほうが無理な相談であると言ってもいい。
それは、まさに希望だった。
リシャーダの下らない疑惑の視線を察したのか、ティニがリシャーダを見上げて言った。
ティニは、リシャーダのその視線が、兄であるアークのスキル名のダサさと関係があるのだと思っていた。

「兄は厨二病患者なんだ……察してやってくれ……」
「い、いや、別にそういう視線で見てたわけじゃ……」
「ティニ、縛るぞお前」

またちょっとアホなやり取りをしてから、アークは踵を返してスタスタと帰り始めた。……フェルエルを抱いたまま。ホウオウまで無視して。
リシャーダとしてはフェルエルが心配で仕方ないから追いかけたいのだが、しかしそれをするとティニを置き去りにしてしまうから、板挟みになって動けなくなっていた。
が、アークは適当なところで立ち止まると、再びこちらに向き直った。

「実況解説の席はこの辺でいいかね」

パチン、と指を鳴らし、虚空から椅子とテーブルとそれを覆う屋根を召喚するアーク。
さらに屋根の下にソファまでも呼び出し、そこにフェルエルを寝かせた。
リシャーダは漸く起き上がることを思い出し、ティニとアークの中間に立ってツッコミを入れる。

「ちょっと、何してるの!?」
「実況解説でもしようかと」
「あの子は!? アイツ、凄い化物なのよ!?」
「ばけものぉ? 馬鹿だなぁお前、人間様の世界に化物なんか居るわけねーだろHAHAHA☆」

再び指パッチンで今度はティーセットを召喚したアークは、優雅にそれを飲み始めた。
ホウオウが、漸く馬鹿にされていることに気付く。と言うのも、影が一瞬で全て掻き消されたと言う事実があまりに衝撃的で、今の今まで硬直してしまっていたからだ。

「………なるほど、こちらの人間は中々の使い手が揃っているようだな……だが、我が最強魔術の前には―――」

ホウオウが喋り始めると、ティニがさらに一歩前に出て、その言葉を制する。

「魔法? ばっかじゃないの? いい年して。そんなものあるわけ無いでしょう」

リシャーダには、ティニが何を思ってそんな言葉を発しているのか解らない。
影の魔物や、無効空間、さらにアークのスキルを見た上でそんな事を言っているとしたら、尚更ワケが解らなかった。
また、それはホウオウも同じだった。今し方まで魔法の世界を堪能して、さらにこの降り頻る豪雨さえも己の最強魔術の一端だと言うのに、それを前にして「魔法なんか無い」と言い出すのだ。
それを認めるわけにはいかない。魔術の発達した世界から来たホウオウはそれを認める事が出来ない。
それを認めることは、即ち己の存在をも否定する事になるのだから。



「ふ。何を戯言を。我が最強魔術を―――」

「だから、魔法なんかないよ。いい年して夢見てんじゃないよ、現実と向き合いなさい、大人なんだから。だいたい何よ最強魔術って。うちの愚兄にも負けないくらい馬鹿に見えるわ。自分で最強とか言っちゃ駄目よ。まぁ、……駄目さ加減で言えば、アンタなんかうちの愚兄にも遠く及ばないけれど」

「………………」


1言ったら、10の辛辣な言葉が返ってくる感じ。あと、ホウオウに言い返しているはずなのに、何故か言葉の節々で実の兄を馬鹿にしている。
言い争いで勝つのは諦めた方がいいとホウオウは悟り、己の中の魔力を滾らせた。
百聞は一見に如かずと云う。ホンモノの魔術を見せ付けてやれば、それで否定する事は不可能なのだから。



「ならば、その目に焼き付けろッ! 我が最強魔術の紅蓮の炎をッ!!!」



―――ホウオウの全身を炎が包まない!
―――炎が巨大な龍となってティニに襲い掛からない!

……要するに、何も起きない。
ホウオウは思った。

あれ? 今日はMPが足りないかな? じゃあこの辺で勘弁してやろうかな? と。

でも違う。MP……もとい魔術の基礎エネルギーたる魔力は、己の身体の中に無限とも言えるくらい大量にある、滾っている、それなのに―――


「魔法なんかないって言ってるでしょ、ばーか」


魔力が、形を成して身体の外に出て行かない。
魔術が発動出来ない。魔法なんか無い、と言う少女の言葉が、徐々に現実味を帯びてくる。
もしかしたら、本当に魔法なんか無かったのかも知れない、と言う感情が心の隅に芽生えてくる。
グラリと、ホウオウの中で『芯』が揺らいだ。豪雨が、何時の間にか止んでいたのが、その証明。
嘘のように晴れ渡った空が、……いや、本当に、あの豪雨さえも、嘘だったのかも知れない。だって、水浸しだった地面はカラッカラに乾いているし、リシャーダの服も、全然濡れてなんかいなかったのだから。
スキルによる水などは、スキル終了と同時に消滅する。基本的なルールである。

アークが席を立った。
実況解説をするとか言いながら、何時の間にかお茶を飲みながら雑誌を読んで笑っているだけだった男が、漸く立ち上がって、屋根を虚空に片付ける。
それを見たホウオウの心がまた揺れる。……あぁ、やっぱり魔法はある? と。

「種明かしをしてやろう、おっさん。魔法はある、ただしティニが今それを否定しているから、表向きには『無いことになっている』」
「………ば、馬鹿な……そんな、芸当が……ッ」

否定したら、無くなる。ティニと言う少女が『無い』と言うだけで、魔法は使えなくなる。
まさか、こんなにも高次元の『ゼロの力』を、こんな幼女が?
それとも、思い込むことで虚実と現実を入れ替えると言う、反則級の能力……ッ!?




「土下座して謝った方がいいんじゃねーの? ティニがもし、『お前なんか居ない』って思ったら……」



「き……消える、のか……!? 私が消えるというのかッ!!?」




俄かには信じられない。
でも、この少女の圧倒的な『ゼロの力』ならば、……或いは、本当に……!!

すると、ティニが口を開いた。




「お前はこの世界の住人じゃない……だから。消すのは、蟻を踏むより簡単だ」




ティニの目が、視線が、圧力となって、心臓を握り締めた。
一転して追い込まれる恐怖が、ホウオウを包み込む。返答を渋ることさえも、許される気配では無いことが明白だった。時間の1秒1秒が、キリキリと心臓を絞めていく錯覚を、ホウオウは生まれて初めて味わった。それが、本当の恐怖と言う感情だった。

最強のはずだった。かつての世界でもゼロの力を使う者によって窮地に立たされたが、それでも己の魔術によってピンチを打開し、ついには世界を支配する存在にまで上り詰めた。なのに、今やこんな少女にさえ手も足も出ないと言うのか……!
消される? 本当に消されてしまう!? もう勝ち目は無い? 魔術が使えなくて、影も消滅させられて、もう自分には何も残っていない!?


「ッ……ぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!」


ホウオウがティニの首を掴む。このまま一瞬で絞め殺せば勝ちだと判断するッ!
その腕に力を込めて、一気に――――


パァン!


ホウオウの額から、赤い何かが散った。
ティニに手を掛けて、あと少しで絞め殺せるところで、ホウオウは、即死する。
アークは、銃口から昇る煙をフッと吹き消して、くるくる回してから何処かにしまった。
多分、椅子とかテーブルと同じように、虚空に片付けているのだろう。

ホウオウが即死したと解ったのは、赤い何かが散った瞬間、彼の身体がガラス細工のように砕け散って、地面に吸い込まれるように消失したからだ。
でも、それを驚いたのはリシャーダだけで、アークとティニは、そうなって当然だと思っていたようだった。

「……けほっ、えほっ……! ……余計なことを……」
「オイオイ、助けてやったんだぜ、感謝しろよ」
「違うっ! お前が悪乗りして変なハッタリを言うからこんなことになったんだろっ! 私にそんな仰々しい力なんか無い! 反省しろ!」
「へーへー、ごめんなさいねーっと」

……実は、ティニには思い込むことで現実と虚実を入れ替える力なんて無かった。
ティニが扱うのはゼロの力に似ているスキルで、それによって魔法無効空間を作り出す事が出来る程度のものであった。
もしこのホウオウがあと少しだけ冷静だったら、このカラクリを看破して魔法無効空間の外側まで逃げ、遠距離物理攻撃でも仕掛けて来ただろう。その時はその時でアークの出番が増えただけなのだが。



「さーて、こんな趣味の悪い分身を作ってる悪い子は、学園の方かねぇ?」
「…………」

アークがそう言って学園の方角を、遠くの景色でも見るようなポーズで眺めていると、途端にティニの頭がふらふらと揺れ始めた。

「……あれ? もしかしてもうアウト?」
「……おやすみ」
「―――のわっとぅッ!」

アスファルトの上に、真っ直ぐ倒れていくティニ。そのままでは頭から地面にぶつかって大怪我必至だったが、間一髪、一瞬の早業でアークが割り込んで受け止めた。
何だかんだで、リシャーダは彼らにちゃんと兄妹らしい繋がりがあるのを感じた。

「ったく、世話の掛かる妹だぜ」

アークが言うと色々とツッコミどころの多い一言ではあったが、リシャーダには響く一言だった。
アークの腕の中で安らかな寝顔をしているティニを見れば、そこが決して居心地の悪い場所では無いことがわかる。

「と言うわけで俺は学校に行くから、ティニをヨロシク」
「……は?」

ティニをフェルエルの眠るソファの隣に置くと、アークはビシッと敬礼して言い放った。

「あぁ、っと忘れるところだった。コレ、俺の連絡先だから。彼女が目覚めたら『白馬に乗った王子様が助けてくれた』つってそのメモを渡してくれ」

ご丁寧に、住所とメールアドレス、電話番号が記された紙が、アークからリシャーダに手渡された。『彼女』とは、多分フェルエルのことだろう。結構好みだとか言ってたが、まさか本気で?
そのゼンカですら絶対にやらない暴挙によってリシャーダは完全に思考停止に陥り、暫くその紙を持ったまま呆然としているしかなかった。

アークが走り去った後で、漸く自分の置かれた状況を思い知る。

豪雨も収まって、影も消えて、閑静な住宅街の道端には不釣合いなソファに眠るフェルエルとティニを預けられ、……一体、どうしろと。


「……いや、ホントどうしろと……」


とりあえず病院に行こうと思い、リシャーダはフェルエルの頬を抓り始めるのだった。
流石に、二人も背負って病院まで歩くほど、体力は残されては居なかった。









続く 
 
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