枕元に携帯電話を置いているのは翌朝それで目覚めるためだが、布団から出る事無くそれを止めることが可能であるために二度寝してしまう事の多いユハビィは、その対策として携帯電話とは別に目覚まし時計もセットしていた。
まだ携帯電話が鳴る前の頃。ユハビィは布団を頭まで被って、寝息を立てていた。


数分後、携帯電話が高らかに鳴り響く。その瞬間、布団の中から手が伸びて、カメレオンの舌の如く携帯電話を捕まえて布団の中に連れ去るのはいつもの光景。
この日も例に漏れず、ユハビィを最初に起こしたのはその携帯電話だった。
しかし、まだアラームを設定した時間よりも早いことに彼女が気付くのは、アラームを止めるために携帯電話を開いた時だった。

「………めー…るぅ……?」

布団の中で半目を擦りながら、ユハビィは新着メールをチェックした。
その内容を見た彼女は、一気に眠気が吹っ飛んでベッドから飛び降り、携帯電話を片手に部屋を飛び出した。向かった先はアーティの部屋。アーティはまだ眠っている頃だろうが、そんな事は今や些事であった。

「アーティアーティ、アディスが今日はフライアと先に行ってるって言ってますよ!」

バンッ! とドアを開け放つと、アーティが眠るベッドに飛び乗って彼を叩き起こす。
押し潰された彼は、しかし押し潰され慣れているようで、

「ぐぅ……ユハビィ、それは一体……」
「アディスからメールが来てました。この内容を要約すると、……つまり人類は滅ぶッ!」
「な、なんだってー!」

とMMRよろしくな感じでリアクションを返した後、上に乗っかっているユハビィを布団ごと跳ね飛ばし、もう一度布団を被った。

「これはホントに大進展ですよ! どっちでしょうか! どっちが誘ったんでしょうか! フライア? アディス? どっちにしたって世界が滅ぶくらいありえないことですよーぅっ!」

くるくる回りながら部屋の中を一通り踊り明かした挙句、カーテンをビシッと開けて窓の下を見るユハビィの目に、街中をうろつく影の魔物が沢山映った。
豪雨の中をペタペタと歩き回るソレは、何ていうかとってもファンタジー。

「……うん、……ホントに滅ぶかもしんない」

ユハビィは、この世界って影も自分で歩いたっけ? なんて思いながら、静かにカーテンを閉めた。
幸い、影と目は合わなかった。


直後、ユハビィの携帯電話に掛かってきた電話は、キュウコンからのものであった。







**************************

迷宮学園録

第四十一話
『分身』

**************************









かれこれ数分間。
アーティは豪雨の音を聞きながら、時計の針の規則正しいリズムを、無意識のうちに心の中で刻んでいた。
最初のうちこそ変にテンション上げて頑張ってみたものの、矢張りこの現実に頭が追いついてくるに従って、雰囲気が暗く淀んだモノに包まれていくのを止めることは出来なかった。

まぁ、それは仕方ないだろう。だって普通ありえないじゃないか、影が町中をペタペタ歩き回ってて、そしてキュウコンからの電話の内容が、『今日は家に居ろ』なんて。……と、アーティは誰に対するでもなく文句を言いたい衝動に駆られていた。

「ユハビィ、……朝食まだだろう?」
「………」

ベッドの上で体育座りをして、頭を抱え込んだままのユハビィは言葉を返さず、身動き一つしなかった。
押しても引いても反応しないユハビィに、アーティは溜息を洩らす。
普段は明るいのが唯一の取り得みたいなヤツがこんなんでは、調子が狂う、と言う感覚とは、少し違う。
アーティは、ユハビィが本当は明るい性格なんかしてない事を知っていたから。

こんな時は、そっとしておくのが良い。
と、キュウコンならそう言う気がしたから、アーティは一旦部屋を後にして、居間に朝食用のパンを取りに向かった。うっかり家の外の異世界に踏み込まないように、慎重に。

―――玄関を、開けたくなる衝動に駆られる。
それはただの興味本位。あの『影』が、一体『何』なのか。それを、見たい、知りたい。でも、もしも玄関を開けたら、二度と日常には戻れない気がする。だからその好奇心を押し殺し、念のため玄関の鍵が掛かっている事を確認し、足音も極力立てないように、部屋に戻った。
幸い居間のカーテンはまだ開けていないから、その過程でも影たちに気づかれる事は無かった。
まだ憶測だが、見付からない限りは、家の中は安全なようだ。



……アーティとユハビィは諸事情があって同居している。
彼らの関係が従兄妹であるのも、そうなった理由の一つかも知れない。

ユハビィの両親は外資系の仕事がどうのこうのと、家を空けていることの方が多い。
ユハビィが、最後に両親と会ったのは半年前と言うのだから、その多忙さは想像に難くないだろう。
そしてアーティの家庭も似たようなもので、従兄妹同士と言う事で現在一つ屋根の下に暮らしている状況になっている。
ただし、完全に二人っきりではない。ユハビィは料理は超が付くほど下手だし、アーティもお世辞にも一人暮らしが出来るほどの甲斐性はまだ無い。彼らを支えているのは、同じく従兄であるキュウコンなのだ。

キュウコンはこの学園の教師として自立し、遠い地方から一人上京してきた立場にある。
家業を継げという親の反対を押し切った彼を支えてくれたのがユハビィやアーティの両親であったから、これは彼なりの恩返しでもあったに違いない。
……最近は、学園の方が忙しくて、あまり構ってやれなくなっていたけれど。
でも、ユハビィがたまに言う『婚約者』と言うのも、キュウコンは本気で視野に入れていた。それくらい、キュウコンはこの関係を大切にしていた。

そのキュウコンから、先ほど電話があった。
内容は、今日は家で大人しくしていろ、と言うもの。
アディスとフライアが先に行くと連絡をくれた、直後だった。

それを伝えるためにアディスにメールを送ったが、返事は無く。
……フライアにも送ったが、未だに返事はこない。
フィノンも、その姉のリシャーダにも、まだこの学園に入って日はあまりに浅いけれど、知りうる限りの友人たちに連絡を取ろうとしたけれど、尽く失敗した。

町を徘徊する影の魔物の情報は、この頃にはほぼ町の住民には伝わっていたと思う。
つい今し方、隣に住むおばちゃんから安否を確認する電話が掛かってきたし。
テレビの緊急速報では、まだこの異常事態を遠巻きに観測する程度しか果たせず、しかもこの豪雨の所為で交通機関も麻痺し始めているため、具体的な被害者の情報は一切入っていない。

「……ねぇ、これ、夢?」
「抓ってやろうか?」
「…………」

ユハビィの一言にアーティは冗談で返したが、場が明るくならない。
アーティは、やれやれと溜息をついた。
普段は底抜けに明るくて馬鹿なことばかりしているユハビィの中に眠る、もう一つのユハビィ。
否、それこそが本当の彼女だと言ってもいい。繊細で、臆病で、消極的な人格。それを隠すための必死な強がりが、普段の彼女を形作っているのだ。
でもこの異常事態を前にして、それが崩れ始めるだろう事はアーティにとって想定すべき事態であって、だから彼は己の不甲斐無さに対して、やれやれと溜息をついた。……まるで、爆弾だった。

「ユハビィ、『大丈夫』だ。『大丈夫』だから、落ち着け」
「……本当? 本当に?」
「あぁ、本当だ。オイラが嘘なんか吐くか」
「……そう、だよね、アーティは嘘、下手だから直ぐ解るよね……」
「……コノヤロウ」

『大丈夫』と言うのは、キュウコンが、たまに不安定になってしまうユハビィをあやす時に用いる言葉。
何の根拠も無いが、どうにもキュウコンがそれを言うと本当に大丈夫な気がしてしまうから不思議なものであった。
アーティは、それをキュウコンが言う時に似せる努力はしたが、辛うじてユハビィを落ち着けることが出来て、安堵する。軽口を叩けるくらいは安定したと見ていい。

ユハビィの暴走癖が、この状況にとって『爆弾』だった。
不安のあまり、ストレスのあまり、ユハビィと言う一人の多感な少女が突発的にどんな行動に至るか、アーティは『暴走』と言う予測こそ立てられても、その細かい内容まではとても思考が及ばない。
同じ部屋の中に、何時爆発するかも解らない爆弾と共に居る。それだけでも苦痛だったが、当然、アーティ自身もこの異常事態を不安に思う心は在った。
でも、ユハビィが居るから、自分は不安がっちゃいけない。ただそれだけの理由で、アーティは己の心を殺して冷静に振舞い続ける。結果、爆弾は現在、危ういながらも未だ爆発の兆候も無く、穏かな状態を保っていた。
けれど、それは突然来るのだ。
爆弾なんてそんなモノ。不発弾が地中から見付かっただけで大騒ぎになるのは、それが何時爆発するか解ったものじゃないからだ。
その一点に於いて、アーティが抱えるソレは爆弾の中でも一際厄介者、『不発弾』であった。
タイムリミットがある時限爆弾なら、どれだけ心が楽だったろうか。
爆発するタイミングが解るなら、諦めもつくというもの。
でも、不発弾は違う。爆発するかも知れない。しないかも知れない。しない時は、みんな助かる。そんな希望が目の前をチラつくから、諦められない、屈服できない。

爆弾処理のエキスパートであるキュウコンが居てくれたらいいのに、こんな時に限って彼はユハビィの不安を煽るような事を告げて、一方的に電話を切ると言う暴挙に出た後はそれっきり。

……今は、アテの無い希望に縋って、信じて待つしかない。
何を待つ? 影が消えるのを? 影を消す誰かが来てくれるのを?
でも、もしも待つ以外の行動を迫られた時、自分には一体何が出来る?

アーティの思考の片隅に押し潰された小さな不安が、僅かに膨らんでくる。
それを表情に出すまいとして、アーティは先日、キュウコンから貰ったキーホルダーを握り締めた。
青い貝殻の付いたキーホルダー。それと一緒に貰ったものがあるのを思い出して、アーティは雑念を忘れるために本棚に手を掛けた。

キーホルダーと一緒に貰ったのは、一冊の本。
自分には早い、まだ難しいと思って、貰ったものの本棚に入れたきり一度も読まなかった、スキル研究に関する本だ。
キュウコンは何のためにこの本をくれたのだろう、とアーティは考えた。
多分、キュウコンが何時もユハビィの傍に居られるわけではないから、その時代わりにユハビィを守るための力をつけて欲しくて、……と言う理由だろう。キュウコンなら、きっとそんな事を考える。

本棚からその本を取り出して、ふと、カーテンの掛かった窓の方を見た。
大雨とは言え、太陽は昇っている。カーテン越しに多少の明るさは感じられたが、しかし豪雨は一向に収まる気配を見せていなかった。
溜息をついて、再び本に目を落とす。

最初のページは、前書きのようなもの。無駄に長いので、適当に読み飛ばす。
次は目次。構図は一般的な本の様式に準えてあった。タイトルだけを目に入れながら、ペラペラとページを進めていく。
目次に目を通す限り、本全体のタイトルはスキル研究だが、特に召喚系スキルをメインにしている本のようであった。
召喚系スキルは、1年の最後の方に習うものだ。アーティの判断通り、それはまだ早い。早すぎる。
でも、キュウコンがこれを渡したと言う事は、最低でもこのレベルの力を求められていると言う事だ。
アーティは意を決して、文句を言わない事を決意する。そして本の、本論へと足を踏み入れる。


召喚系スキルと、空間系スキルの関連性。
『呼び出す』と言う強い意思によって発動するスキル。意思を持つものを呼ぶならば、それぞれお互いが求め合った場合、さらに召喚確率が向上する理論。
召喚系スキルに於ける気力の使い方。精神力の制御。


学園では、スキルはもっと直感的で解りやすく教えてくれた。
その点、流石に難しいレベルの本ともなると、いちいち解りにくい表現があったりして、アーティには何が何だか解らなかった。


炎のスキルならば、『対象を燃やす』と言う意思の力を具現化して炎を発生させる。
それによって生じた炎は、対象以外の物は決して燃やさないため、力を制御しきれずに暴走させたりしない限りは、事故には繋がらない。
他の『攻撃スキル』も、同じように意志の力によって攻撃を成立させるものが多い。
ただし、スキルの基本エネルギーである『気力』を、よりそのままの形で扱う系統の攻撃スキルの場合、必要な意思が『攻撃する』と言う単純なものに限られるため、操作を誤ると周囲にも被害を出す事になるのだが。
一方で空間系スキルは、攻撃スキルに較べてより強靭な意思の力が必要になる。
どれくらい強靭な意思かと言うと、『カラスが白い』と思い込むことで世界中のカラスが本当に白くなってしまうくらいの力が理想的だ。
実際、白くならなくてもいいのだけれど。
でも、この例を持ち出された時、『そんなこと出来るわけ無い』と考えるようなら、空間系スキルの適正は無しと言う事になる。『出来るかもしれない』と思ってしまうような、多少メルヘンや電波な思考を持っているタイプの人間の方が、これらのスキルは扱いやすいのだ。
それは言い方を変えれば、想像力とか妄想とか自分だけの世界と言う表現も出来る力。


要は、『そこにあるのは何も無い空間だけど、俺にとっては便利な収納棚なんだぜ』と言う認識の下にスキルを発動するのだから、常識に囚われた思考は枷にしかならないと言う事である。
難しいと思っていた本の内容も、要するに『気合いと思い込み』で何とかなる、と言うのが結論であったようで、アーティは安心すると同時に若干呆れながら本を閉じた。

「……大丈夫だから、何も考えるな、明日には解決してるから……」

思わず口をついて出た言葉は、アーティの願望だった。小さなその呟きは、ユハビィには聞こえていなかったらしい。下手に刺激せずに済んで、アーティは安心した。
……心から、そう願っていた。明日には解決してると、願わざるを得なかった。
でも、保障なんて無い。明日も明後日も、人類が滅ぶまでこれが続くとしたら、……それをユハビィが知ってしまったら。

ユハビィの思考が、自分以外の方面にズレ始めるのが、アーティの中で想定し得る最悪の局面だった。
自分たちが無事である事だけを考えさせていれば、如何にでもなると思っていた。でも、それが自分たち以外の者に対する不安へスライドしていくと、歯止めが利かなくなってしまう。
……だって、自分たち以外の者の無事を証明する手段が、『無い』から。
特にアディスとフライアは、メールも返ってこないし電話も通じない。
二人で良からぬ事をしているだけなら、邪魔してごめんなさいと土下座したっていい。
だが、今は状況が違う。影の魔物が徘徊する豪雨の町中を、二人は出て行った。

無事で居る方が逆におかしいくらいの異世界に、二人は飛び出していったのだ。




「なぁユハビィ―――」


椅子を、くるりと半回転させて、ベッドの上に目をやる。
そこに、ユハビィが体育座りで居るはずだった。アーティの考えでは、そのはずだった。

「…………ユハビィ?」

サー…、と血の気が引く。
ユハビィが、部屋の何処にも、居ない。
見れば、部屋のドアが少しだけ開いている。

……本に夢中になっている間に……?


「……ッ! あの馬鹿!!」

すぐに思い至ったのは、ユハビィが、異世界に飛び出していったのではないかと言う最悪の事態。常に最悪の事態を想定して動けば、幾らかは気が楽になるという先人の教えを地で行くアーティにとって、それを防げなかった事はあまりに大きな痛手だった。
しかし、彼はその行動こそが本当の痛手であることにはまだ気付かない。

アーティは部屋を飛び出した。
読書に耽っている内に、ユハビィはこっそり出て行ったのか?
どうして目を離した! ユハビィがどんな行動に出るかなんて解らないはずだったのにどうして!

己を責めながら、走る。
部屋は2階だ。玄関は1階だから、途中に階段があるのは必然だが、アーティはそれを5段飛ばしで駆け下りる。それはもはや飛び降りると言う表現に近い行為だった。僅か2歩半で、1階に降り立つ。
勢い任せの行動に、思わず着地と同時に転倒してしまったが、そのままの勢いで直ぐに立ち上がって体勢を立て直し、走る。

玄関の鍵が開いていた。
つまり、ユハビィが外に出て行ったと言う証明。
でも傘は全部揃っている。まさか、傘も無しに?
いや、ありえる。暴走してしまったら、雨だろうが槍だろうが、ユハビィは構わず飛び出していく!

アーティは家を出た。玄関を跳ね飛ばさん勢いで開け放ち、しかし一応靴を履くだけの冷静さを伴って。
開けるとすぐに、豪雨が全身を包み込んだ。それはシャワーのように、一瞬で衣服をずぶ濡れにしてしまう。頭から水が滝のように流れ、視界も遮られそうになる。
だが、水タイプのアーティは、その程度では怯まなかった。
アーティはまだ気付いていないが、恐らくこの豪雨がスキルによるものである事も、何か関係していたに違いない。豪雨の中にあって、アーティのパフォーマンスは一向に低下しなかった。

影と、目があった。真っ黒に塗り潰された物体は、そこだけ空間が窪んでいる様にさえ見えるのに、不気味に浮き上がった目が金色に輝いていて、雨の中にあってそれは十分な威圧感を演出してくれた。
そして、すぐに無数の影が、ペタペタと集まってくる。
しかし、集まりこそすれど、彼らは一定の距離のところで止まる。
見れば、無数の影の軍勢の中に、影ではない何者かの姿があった。
ユハビィでは無い。
その女は、……誰だ?
この影の中で、まるで影をペットのように扱う、その女は、誰だ……?
心に浮かべた疑問を感じ取ったのか、その女はペコリと頭を下げた。


「偉大なる魔術の父、ホウオウ様に使えし三賢者が一人、スイクンです。以後、お見知りおきを」


……丁寧な挨拶は、余裕の現われ。
それが友好を示さない事は、一瞬で理解できた。
それよりも、家の目の前にワケの解らない女が居て、ユハビィは何処に消えたのかと言う事の方が問題だった。

アーティは慌てて家の中に逃げ込もうとするが、……ドアは施錠されて居ないはずなのに、見えない何かにガッチリと固定されているかのように、ビクともしない。
この状況が、このスイクンと名乗る女によって家の外に誘い出されたのに近いと言う事実に気付くまで、そう時間は掛からなかった。


「学園の周辺住宅、どれもこれも魔術耐性が強くて中に入れないんですよ。自分から出てきて頂いて、本当に感謝しますよ、ふふふ……」


スイクンは一歩前に出て、アーティを追い詰める。
魔術耐性とは、恐らくこの周辺の住居が、全てスキルに対して耐性を持つように設計されているからこそ備わったものだろう。スキルと魔術は、実によく似たものらしい。……などと言う考察まで、アーティの思考は及ばない。今の彼の中にあったのは、ユハビィが何処に行ったのかと言う事と、この状況をどうにかして打開しなければならない焦燥感だけであった。


「……ユハビィを何処に隠した……!」

「ゆは…びぃ? ……あぁ、この家のもう一人の学園関係者ですか。家の中に居るんじゃないですか? 貴方が勝手に勘違いして、飛び出してきただけですよ、ふふふふふふふふふ……。……尤も、そのためにわざわざ鍵を開けさせてもらったのですがね」


スイクンと名乗る女が、人差し指を立てて、指揮でもするかのように滑らかに動かした。
すると、豪雨によって生じた大量の水が操られるかのように踊りだす。……その水の形は変幻自在。『鍵を開けた』と言う事実を認めさせようとしているのか、鍵のような形にもなったりした。
終いには、スイクンはその水を叩き付けて、家を囲む塀を攻撃して見せた……と言っても、魔術耐性があると言う言葉が関係するのか、表面に小さな傷を付けるだけに留まる。いや、ただ水をぶつけただけだと考えると、たとえ小さくても傷が付く時点でそもそもおかしいことになる。普通、バケツ2杯分くらいの水がぶつかって亀裂が入るような建物なんてありえないからだ。
大量の水がぶつかった衝撃による破壊と言うよりは、水そのものに異常な硬度が宿っているように見えた。その予測は、水が刃の形状になった瞬間、確信へと変わる。あの刃は水で出来ているが、恐らく実物の刃の如く物体を切断するに違いない。

―――ドンドンドンッ!

……外の騒ぎを聞きつけ、ユハビィが玄関を叩き始めた。
だが、ドアは見えない力で固定され、非力な人間の力では到底開けられなくなっていた。

「アーティ! 開けてっ、アーティッ!!」
「来るなユハビィ! 誰でもいいッ誰か……あぁくそっ!!」

ユハビィに、誰かに助けを求めるように言おうとして、破綻する。
キュウコンには通じないのに、一体誰に助けを求めるというのか。
この状況を打開出来る人物に心当たりが無いわけではないが、しかしその人物の電話番号なんて知らない。だから、誰も呼べない。助けを呼ぶことが出来ない。この、肝心な時に……!


「契約によって、先ずは学園関係者を優先するように言われているのです。そう焦らなくても、ちゃんと二人とも送って差し上げますよ――――私の最強魔術でねッ!」

「……送るって何だよ、地獄か? 天国か? どっちもオイラにゃまだ早ぇーぜ!」


アーティの両拳に、青い光が灯る。
それは、この学園に入学する祝いで、アディスの兄であるアークから教わった強烈な攻撃スキル、『シャインストーム』。生身の人間がこれを受ければ、卒倒は必然。心臓付近に直撃させれば、即死させ兼ねない威力を誇り、腕で防いでも粉砕骨折は免れない暴力のカタマリ。
アークが何を思ってこんなスキルを教えてくれたのか解らない。
だが、「絶対に人間には使うな」と言う約束の通り、今こそこのスキルを使わねばならない事だけはハッキリと理解できた。

スイクンは、その青い光を見て、半歩後退する。

「……見慣れない力ですね……。窮鼠猫を噛む……或いは、本当に噛み殺される事さえ、否定出来ない……」

後退し、その代わり前に出てきたのは無数の影。
どいつもこいつも真っ黒で、目が輝いてくれなかったら、宇宙空間に放り込まれたような錯覚さえ覚えてしまいそうな状況だった。それは、本当に『真っ黒』だから、数匹が重なると、目の数でしか敵の数を数えられなくなってしまう。
それどころか、突然攻撃されても、その後にもう一匹影が居たら真っ黒な背景の中に攻撃まで溶け込んでしまうから、狭い場所で戦うにはあまりに危険が過ぎる怪物たちであった。


「……輝け……」


―――などとは、アーティは微塵も考えなかった!
その拳に宿る『波導』と言う力の強大さを知っているから、彼は先手必勝の思考に切り替える事が出来た!
攻撃は最大の防御と言う。影にとってもそれは同じことであったから、アーティが先手を取って攻撃を仕掛けたのはあらゆる意味で正解!
たとえ影がカウンターを仕掛けようと、アーティに指一本触れる間も無く、粉砕されるのだからッ!

鳥の影が上空から迫る。
だが、アーティはそれを見逃さない。
アディスよりも、もしかしたらフェルエルやリシャーダよりも、より『戦士』に近いアーティは、一対多の戦闘に於いて微塵の隙も作らないッ!

―――バグシャァッ!!

裏拳が叩き込まれる。黒い鳥は断末魔さえ上げずに地面に叩きつけられる。
アーティはそれを見届けず、前方から迫る昆虫型の影の真下に飛び込んで蹴り上げた。影は、見た目に較べて殆ど重さと言うものが無く、波導を纏わないただの蹴りでさえ持ち上げる事は可能だった。
この影たちは、『数』と『攻撃力』以外、何も持たないと見て間違い無い。
アーティの姿は、既に昆虫の下には無い。
無数の人間型影の頭上を曲芸のように飛び、次々と確固撃破していく。
野獣型―――虎の様な影が飛び掛ってくる。その首を的確に捕まえ、波導によって強化された腕力で一気に反対側に投げつける。ちょうど、蹴り上げられて上空から戻ってきた昆虫型と衝突して、お互い木端微塵になってどっちがどっちのパーツだったのか解らなくなる。

「……なるほど。身体強化のエネルギーですか……ふふふ。しかし、それで何時まで持つでしょうか?」
「………?」

スイクンが不敵に笑う。その足元で、影が蠢く。
……人間型の影が、その砕けたパーツの分だけ、再生していく。
つまり、倒せば倒すだけ、増殖すると言う事だ。
普通なら絶望的状況だろう。だが、アーティの中に確固たる信念が一つだけあった。

元を正せば、こんな影の魔物が現れたのが発端なのだ。
そうでなければ、別に豪雨なんて気にする事は無かった。
ちょっと億劫な気分になりながらも、傘を差してのんびり登校するだけの、いつもの日常があっただけの話なのだ。
この影が消えないからいけない。この影が居るからいけない。
こんな影、居てはいけない。だから―――消すッ!

「身体強化のエネルギーって言ったか? 何勘違いしてんだ……」
「…………え?」

アーティの構えが変わる。
変幻自在の戦士のような覇気が、一撃必殺を体現する侍のそれに変わる。
豪雨の中でも、その気配が―――風向きが変わるのが、スイクンにはハッキリと解った。

「消えろッ! 此処はヒトの世界だァァアーーーーッ!!」
「――――ッッ!」

スイクンが、今までの余裕を消して、横っ飛びでアーティの直線状から離脱する。
だが、影は何も考えず、命令だけを遂行するように、アーティに接近しようとしているから、その直線状から逃れる事はしない。
アーティが家の前に陣取って、塀で囲まれたところで戦うから、その小さな入り口に影が密集してしまうのは必然の結果であった。

アーティの拳が光のカタマリとなって射出された。
威力は、スイクンにとってはこの際如何でも良かった。
影は、炎か何かで消されない限り、どんなに高い威力の攻撃を受けても何度でも立ち上がるから。

でも、……この光は拙い!
この光は、影を消し去るレベルに達している!
虫眼鏡で太陽を直視するようなものだ! 常人だって目が潰されかねないッ!
そんな一撃を、まさか追い詰めた鼠が放ってくるなんて!
窮鼠のくせに、本気で噛み殺しに来るなんてッッ!

光が止んだ時、影は一つも残っていなかった。
この豪雨と雨雲のカーテンは、影の魔物の弱点を全て補う事が出来る画期的な状況であった。
太陽光の元では影の魔物はその影響力が極端に低下するし、炎の攻撃に対する耐性が皆無になってしまう。
雨と雲。光と炎を遮る二重結界。この中でならば、影の魔物を用いて、世界征服なんて容易いと思っていた。
なのに、この世界は、かつての魔術の世界には無い魔法を使う人間が居るッ!
魔術の世界を支配した時のような作戦は、通用しないッ!
それをホウオウに伝えるために、スイクンはこの場の撤退を考えた。
でも、それは直ぐに意味を失った。

「お疲れ、スイクン。もう下がるといい、ここは私の最強魔術に任せなさい」
「……ホウオウ様……!」

影たちが居たはずの場所を無様にも地面に手と膝をつきながら見ていたスイクンの背後に、彼は現れた。
『天候変化の魔術:豪雨』の支配エリアを拡大するために、侵攻の最前線に立つホウオウの分身が。
アーティも、その姿を確認する。見た目は、普通の人間と何も変わらなかった。


「……本命が出てきた、って感じだな……」

「さぁ、このホウオウ自ら測ってやろう―――……お前の価値を」


風格が、スイクンとは別格だった。それはスイクンの態度からも解るように、このホウオウと言う男が今日の一連の出来事の黒幕である事は、想像に難くない。

……気取られてはならない。と、アーティは平静を装ってその男を睨みつける。

波導を放出する技は、消耗の激しすぎる技だった。
だから、出来るだけ多くの影をひきつけ、まとめて消し去りたかった。
それが叶って一安心と言うところに影たちの真の操り手であろう男が現れては、戦況はあまりに不利と言うもの。何故なら、この男が影の支配者なら、新しい影をまた呼び出してきてもおかしくは無いのだから。

実際、さっきの影を消し飛ばすような大技は、あと1発が限度と言うところ。
それを温存しながら戦うのが正解か、不意打ちで一撃必殺に賭けるのが正解か、現在の敗北必死な状況の中では、どちらが正しいのかは解らない。しかし、選択は迫られている。どちらかを、選ばなくてはならない。
結果、アーティは一撃必殺が最も可能性の高い選択だと判断した。

もう一度、初っ端からその一撃を叩き込む。
そして、この技が何度でも撃てるんだというアピールをする。


「ふ……くくくく……!」

「っ……何がおかしい……」


ホウオウが低く笑った。
そして、侮蔑を込めた視線を返してくる。


「見える、見えるぞォ……気の流れがァ……! あと1発だ、お前はさっきの技を、あと一度しか使えないッ! そしてこう考えている……『初っ端からその一撃を叩き込む。そして、この技が何度でも撃てるんだというアピールをする』となァッ!」

「……ッッッ!!」


一字一句、正確に心を読まれ、アーティは動揺した。
心臓の鼓動が、急激に早まる。思考を読まれた事実が、折角頭の中に描いた作戦を真っ白に塗り潰す。
平衡感覚が無くなるくらいの衝撃に、眩暈さえ覚えた。
背後からは、未だにユハビィがドアを叩いている音だけが聞こえる。
それはまるで、地獄の扉を叩いているかのよう。

……その音が不意に止んだ時、アーティの思考は切り替わった。


「さぁ、どうする? お前の手の内は読めているぞ? 私を出し抜く奇抜な一手でも打ち返してみせろよ、私を愉しませて見せろよ人間ンッ!」

「読めてる……か。じゃあ、読んでみろよ。今、オイラが何を考えてるか」

「………ほぅ……」


……そう来たか、と憎らしげな表情を浮かべるホウオウ。
それは明らかに先ほどまでの余裕とは違い、己の失敗を悔いるものに見えた。
実際、ホウオウはヒトの心など読めはしない。ただ、その場その場で相手が考えそうな事くらい、簡単に予測できるだけの場数を踏んできた、ただそれだけなのだ。

だから、唐突に読んでみろと言われると、それは不可能だ。
前後の脈絡が無ければ、思考とは無限の広がりを持つ。それを読むことは、ラプラスの悪魔でも不可能なこと。


「読めないよなぁ、読めるわけがない! お前には読めないんだ、ヒトの心も、運命さえもッ!」

「……ほざくなよ人間! 確かに心こそ読めなくとも、私は運命を読むことは出来る! 運命とは全て私が紡ぐ因果だからだッ! 私が自分で決める運命を、どうして私が読めぬというのかッ!?」

「じゃあ読んで見やがれッ! 頭上注意だッ!!」

「ッ!」


ホウオウが、上空から迫る何かに気付く。
上体を逸らし、紙一重で回避せんとするが―――遅い。

―――ゴキャッッ!

ユハビィが、金属バットを持って、2階の窓から飛び降りたのだ。
そして、そのバットを、重力と腕力に任せて振り下ろし、ホウオウの頭部に直撃させる。
鈍い音が響き渡った。交通事故の時はこんな音がするのだろうか?
バットで人間を殴った事が無いから、アーティやユハビィは、その音を初めて聴いた。

あまりに鈍い衝撃音。
不慣れな人が長時間太鼓の音を聴いていると、内臓が振動する感覚で気分を悪くすることがあると言うが、このバットの衝撃音は、一度聴けばもう十分だと思いたくなるような嫌な音だった。


「ウッごおあぐうゥうっぅぅううううううううあおッッ!! ぎゃあぁぁぁぁあぁぁあっぁぁぁああああああああああああッ、がっ、おごおおううううううううおおおおおおあごあおおおおッッッ!」


頭を抑えてのた打ち回るホウオウ。
スイクンが駆け寄るが、ホウオウはその差し伸べたる手を跳ね飛ばし、苦痛に悶える。
その隙に、アーティはユハビィを連れて走り出した。
此処じゃない何処かに逃げるために。でも、何処に?
心当たりは学園。学園に行けば何とかなる気がする。
或いは、デンリュウ校長の家でもいい。どちらでもいいから、影の魔物に見付からないように逃げなくてはッ!


「にぃぃいがぁぁぁぁああスぅぅうううかアアアぁああああああああッッ!!」


ホウオウが立ち上がる。無残な頭部を押さえながら、流れる血を空いた手で拭いながら、絶叫して走り始める。
まるでゾンビのようだった。人間じゃなかった。

人間だったらどれだけ良かったか!
だって人間なら今の一撃で終わっていたから!
でも、それは立ち上がって追いかけてきた!
鬼の様な形相で! でも顔の半分が潰れているからそれはゾンビ!

「逃げてるだけじゃ駄目っ、叩き潰さなきゃ! 『この攻撃は効いてる』ッ!」
「駄目だ! 近寄るなっ! 今のアイツは何をしてくるか解らないッ!」
「でも……っ!」

バットを握り締めるユハビィが、もう一撃を加えようとしているのは、一刻も早くあのゾンビを叩き潰して、この状況から解放されたかったからと言う焦りによるもの。
焦りによる行動がどんな危険を孕むのかを先ほど身を以って知ったアーティは、それを許さない。
ユハビィの手をしっかりと握って、学園までの通い慣れた道を、豪雨に打たれながらも走り続ける。
ユハビィが男勝りに運動が得意なのを、アーティは感謝した。そうで無ければ、今頃あのゾンビに追いつかれていてもおかしくは無かったから。

「早いよっ、追いつかれる……!」
「……バットは当たるんだよな……?」
「え? ……うん、手ごたえあったよ」
「十分だ! 手を離しても止まるな、走れユハビィ!」
「ちょっ、アーティ!」
「走れッ!!」

アーティが、本気で叫ぶ。
ユハビィは、アーティを気弱で頼りない駄目なヤツ程度にしか思って居なかった。
だから、そんな大声を出されたのは生まれて初めてで、思わず萎縮したユハビィは、言われるがままに走り続ける。

アーティは、ご近所さんの家を囲む塀を、波導を纏った腕で貫き、地面から引っこ抜いて持ち上げた。


「悪いな、この塀借りるぜ……!」


後で謝って、直せばいいだろう。
そのコンクリートのブロックが連結して作られた塀を、ゾンビと化したホウオウ目掛けて、全力で放る。
ホウオウは頭の半分を潰され、視界があまりよろしく無いらしい、ぶつかる直前でその塀には気付いたようだが、避ける間も無く顔面からその塀と衝突して転倒した。
砕け散ったブロックがホウオウを埋め、アーティはさらに逃げる時間を得る。


「よっし!」


前方に、まだユハビィの姿があった。言いつけを守り、ちゃんと走って学園を目指している。
全力で走れば、足の速いアーティもすぐ追いつくだろう。

ブロック塀の瓦礫の中から、ホウオウの腕が飛び出した。


「なんたる野蛮な攻撃よ……! 魔術の世界では廃れたもの故、対策を抜かったわ……ッ!」


ホウオウは瓦礫から抜け出し、再び走り出した。
もう、頭を抑えることも忘れて、全力で。



逃げるに従って、他の影の魔物の姿が見えるようになっていた。
ユハビィは、走りながらそれらをバットで捻じ伏せて進もうとする。
前方に、影が立ちはだかった。昆虫型のそれは、巨大な一本ヅノを持つカブトムシに似ている。
その頭部目掛けて、ユハビィのバットが振り下ろされる――――が、昆虫型はビクともせず、突進攻撃を返してきた。

「わっ……!」

凶暴な牛に跳ね飛ばされるかのように、ユハビィは軽々と元来た道を3メートルほど跳ね飛ばされた。
バットもあらぬ方向に飛び、回収に行くより先に目の前のカブトムシに阻まれる事請け合いだった。


「GRRRRR」
「うーわー……万事休す、ってヤツ?」

昆虫型がジリジリと距離を詰めてくる。
ユハビィは、その昆虫型をかわして走り抜けるルートを探すが、見付からない。
上空で旋回する黒い鳥に導かれ、他の影が集まってくるのも時間の問題。
その時、アーティが追いついた。

「伏せろ!」
「はい!」

ユハビィがバッとしゃがむ。それを飛び越え、アーティが昆虫型の前に飛び出した。
その、6つ輝く目の真ん中辺りに、輝く拳が命中し、影は木端微塵に爆裂した。

「この影はスキル以外は当たらないかも知れない。気をつけろ」
「うん、わかった」

少し振り返ると、ホウオウが追ってくるのが見えた。
でも、それ以上に違う何かが見えて、アーティは足を止めた。

「アーティ……? アーティ! ねぇアーティ! 逃げないの!?」
「……あれは……」

ホウオウが迫る。
ユハビィが袖を引っ張って急かすが、アーティは動かない。

「アーティ!」
「……は、はははは……! おせーぜ、遅すぎるぜ! 何してやがったよこんなんなるまでッ!」
「あ、アーティ……!?」

笑うしかなかった。
この状況―――異世界に足を踏み込んでしまった中で、こんなに頼もしい味方が駆けつけてくれるなんて、とても思っては居なかった。
異世界に足を踏み込んでしまったと思った。違う。ここは異世界なんかじゃない。ちゃんと、いつもの日常がある世界と繋がっているんだ。
だって、それはあまりに頼もしいカラーの車!
通称、国家権力! 弱気を守る正義の使者!

―――ホウオウには、バットの攻撃が有効だった。
だから、きっとその攻撃は強烈に違いない。


「ピジョット! しっかり捕まってろッ!」
「うすッ!」


―――学園の暗部を追い続けた一人の男が、アクセルを踏み込んだ。
それは、目の前に障害物がある時には、考えられないような行為。
でも、この白と黒のコントラストが美しい車に乗っている彼らは、目の前の通行人を障害物などとは認識しない!
だってこの世界に、頭を半分割られて尚か弱い子供を追いかける人間が、居るはずが無いのだから!



「くひひひひひいひひひひひひッ!! 見つけたぞ追いついたぞこの餓鬼どもめッ! 捻り殺してくれるッ!! いやいや生かしたまま四肢を捥いで、貴様らの目の前で輪切りにしてやろうかッ! 死ぬより辛い目に遭わせてやろう、多くの我が同胞を招待して、貴様らの解体ショーを開いてやろうッ! ぁぁぁあ聞こえるぞ聞こえるぞお前らの泣き叫ぶ声が悲鳴が断末魔がァァァひゃはははははははっはァッ!! 瞼を閉じれば見えるぞお前らの苦痛に歪む顔があぁあぁぁッ! 全身余す事無く使ってやるから安心しろよ心配しなくても二人ともバラバラだァオイオイ押すなよ焦らなくてもちゃんと解体してやるよ順番順番ンンンンうけけかかかかかかかかッッ!」


ホウオウの両手から、真っ黒い腕が伸びてくる。
恐らく、『影の魔物』を腕に纏わせて、それを武器に攻撃しようとしているに違いない。
もはや、彼の言葉は悪魔の絶叫。心の中の言葉がそのまま口から零れているかのように、取留めの無い悪態が次々と飛び出してくる。でも、もしも彼に捕まってしまったら、或いは本当にそうされてしまうかもしれないくらいの威圧感が言葉の節々から滲み出てきていた。

その時、ホウオウの脹脛に、パトカーのバンパーが激突した。
ホウオウは後方に回転しながら、パトカーのボンネットの上を跳ね、フロントガラスに頭部を強打して真っ赤なモノをブチ撒けながら天井をゴロゴロと回転し、パトカーの急ブレーキと同時にアスファルトに叩き付けられた。
パトカーの扉が開く。

「乗れ! 此処を離れるぞ!」
「た、助かった……」

ユハビィが、安心のあまり泣きそうになりながらパトカーに乗り込み、アーティもそれに続く。
扉を閉め、急発進した後に漸く、ホウオウが起き上がった。


「うぐゥっ……ご、合流しなくては……本体と……こ、このダメージは、拙い……がフッ……!!」


フラフラとした足取りでホウオウが向かった先は、パトカーを追う方向とは少し違っていた。


『魔法』ならば、無効化できた。
ホウオウの持つ最強魔術の最強たる由縁は、あらゆる魔法を寄せ付けない絶対の魔法防御によって他の全ての魔術師を退けていたからだ。
そして、彼が元居た世界は魔法が全ての基本となる世界であったために科学の発達が一切無く、ゆえにあんな四角い箱が激突してくるなんて、全く想定外の出来事であった。
元居た世界では魔法が発達し過ぎていたから、敢えて魔法を使わないと言う武道の分野の発達が乏しく、槍や剣を振り回す戦士なんて、ただの野蛮人として馬鹿にされて然るべき存在だったのに。

ホウオウは考えを改める。
その改めた考えを『本体』に伝えるために、『合流』しなければならないのだ。
所詮、このホウオウは分身だから。ホンモノのホウオウの力を、ほんの少しだけ与えられた人形に過ぎないから。どれだけダメージを受けて、再起不能が宣告されようとも、生還して合流して、データを残す事が出来ればそれで値千金なのだ。


「くっくくくくくくくく……! よぉく解った、もう止めだ、侮るのは終わりだ、此処からは全力で狩らせて貰うぞ人間どもめ……ッ!」











続く 
  
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