************************** 迷宮学園録 第四十話 『死の快楽を賜う影の宴』 ************************** 「はぁっ、はぁっ、はぁ………っ…、ま、撒いたか……?」 「さぁ……けど、まだこの辺りには来ていないようね……」 学園で異常が発生しているのと同じ時刻。 リシャーダとフェルエルは、早朝に待ち合わせて学園とは違う場所に向かっていた。 「あのオッサンと連絡を取ろう、リシャーダ、周囲を頼む」 「解ったわ……あぁもう、酷い雨ね……!」 あのオッサンとは、先日学園を訪れた壮年の刑事だ。確か、バクフーンと言う名前の。 彼はこの学園の『裏側』を追っていて、それで最近起きた一つの事件と、過去に起きた事件の類似点に気付き、再びこの学園で情報を集めに来たらしい。 彼はそれを『幽霊事故』と呼んでいた。 交通事故による被害者が意識不明のまま眠り続けると言う事件だ。 事故当日の聞き込み情報と、提出された書類との矛盾。狡猾に隠された『何か』。 そしてバクフーンが辿り着いた結論は、『事故なんか無かった』、或いは『事故はあったが、それら沈黙した被害者とは何の関係も無かった』。 バクフーンは以前から学園の裏側に大きな力があるのを感じていた。だからこそ、その小さな矛盾から、こんな仰々しい仮説を導けたのだ。 それが真実かどうかは、調査の末に突き止めればいいだけのこと。だから彼は、先日学園を訪れ、リシャーダとフェルエルと邂逅し、協力関係を築いた。 その翌日となる今日は、既に作戦実行日であった。 早朝の病院に忍び込み、ゼンカの病室に潜入すること。そして、『沈黙』の真実を探ること。ゼンカの病室の位置は、事故当日にバクフーンの許に提出された被害者の情報の中に含まれていたから、リシャーダたちは迷う事無く目的地まで辿り着けるはずであった。 それなのに、昨日と今日では状況がまるで違っていた。 とても自然現象とは思えない豪雨、そして町中を徘徊する人では無い『何か』。 さらには上空までもがその『何か』の支配下にあり、何処へ逃げてもそれらはピッタリと追いかけてきていた。 まさに、影そのものだ。 真っ黒に塗り潰された体躯の外観その通りに、逃げても逃げても追いかけてくるそれらは、まさに影と言う言葉を用いなくて他に適切な言葉が見付からない。 病院まではまだ少し掛かるのに、既に傘も無く雨曝しになりながら影の魔物から逃げる事を強要されているのは、体力的にも苦しい状況であった。 最初は、その影なんて大した事無いと思っていた。 動きは少しだけ早いが、リシャーダのリーフブレードの投擲の方が5倍は速い。フェルエルの拳なら、その10倍は速いのだ。決して、影が何匹現れようが、問題にならないと思っていた。 でも、倒しても倒しても蘇り、さらには数を増すその人間型の影を見て、悟った。 ―――殺せない相手に囲まれたら、逃亡する術は何も無いことを。 不幸にして、リシャーダもフェルエルも、影を焼き尽くすスキルを持ち合わせてはいない。 だから、走る。病院まで走り続ける。その途中で出会った影は、考える間を与えずに二人でねじ伏せて一気に突破する。 しかし、豪雨で体力がどんどん奪われる。 倒せない敵に追われている。此処から逃げるには、車か何かに乗るしかないのに、この地域は朝からこんな豪雨になっていると、車なんて全然通りやしない。 「影!」 リシャーダが叫ぶ。 携帯電話でバクフーンを呼び出そうとしているフェルエルに、上空から鳥型の影が急降下して迫っていた。豪雨の中、雨に紛れて音を消し、襲い来るそれはまるで梟の狩りのよう! リシャーダの研ぎ澄まされた直感が無ければ、今頃は上空のそれらに捕まっていたかも知れない。 捕まる? いや、あの長い嘴と小さな足は、獲物を捕まえるために進化を遂げた形状ではない。 あれは、そう―――足が小さいのは何時までも飛んでいられるから、滅多に地上に足をつけないからそうなっているのであって、その嘴が体長と同じくらいの長さを有しているのは、獲物を串刺しにして、身体の中のやわらかいモノを……ズルズルと啜るために進化した結果の姿……ッ! フェルエルに迫っていた影は、マッハパンチによって木端微塵に砕け散る。 此処までの過程で、人間型以外は再生・増殖しない事を知っていた彼女は、そこで油断する。 迫っていたのが一匹だと、誰が決めた? マッハパンチによって砕け散った真っ黒な鳥の影を突き破って、もう一匹の真っ黒な鳥が飛び出してきた。死角を突いた奇襲攻撃に、フェルエルは一瞬だけ死を覚悟した。 この影は、命と言う概念を知らないらしい。最終的な目的のためなら、平然と自らを捨て駒にして仲間に次の攻撃を託そうとしている。 もしも相手が異形ではなくちゃんとした人間だったら、それはとても高潔な行為に見えただろう。 でもこの状況に限ってそれはない! 一体何を考えてるかも解らない影の魔物がそんな高等な連携攻撃を仕掛けてきたら、余計に不安を煽るだけだ! 「―――っくぅ!!」 マッハパンチを放った所為で、身体の重心が前に傾いていた。 その、顔面を抉らんとする真っ黒な嘴が眼前に迫る。 それを、伸ばした右腕をさらに一歩伸ばし、身体を嘴に対して水平にして、上体を逸らして回避する……顔面を抉られるのは回避した、が、その嘴は、フェルエルが持っていた携帯電話ごと、その手の平を串刺しにしてアスファルトの地面に突き刺さった。 「うッ、あ、あああああああああああああああッ!!」 すかさず、黒い鳥の横っ腹にマッハパンチを叩き込み、砕く。 しかし、携帯電話も左手も、とても使い物にならない状態になっていた。 「フェルエルっ!」 「だ、大丈夫だ……だが、連絡手段が……」 フェルエルの持つ携帯電話だけが、唯一の連絡手段だった。 リシャーダは、最初にこの影の魔物たちに囲まれた時に、それを入れた鞄を捨ててきてしまっている。 「……走れる? 兎に角病院に行きましょう、ゼンカのこともそうだけど、そんな怪我を何時までも放っておけないわ」 「あぁ、……行こう」 フェルエルは、滅多につけていない指定リボンをブレザーの内ポケットから出し、左手に巻いた。 ピアス穴を空けるならともかく、数センチサイズの穴が手の平に空いている感覚が想像以上に不快で、吐き気さえ催してしまうが今はそれを気にしている場合ではない。 吹き出した油汗も、豪雨によって全て押し流される。 流れる血もまた同じように流れ去る。雨水が染みることは、今は気にしていられない。 「この道を真っ直ぐよ……下手に曲がりくねってるのも嫌だけど、遮蔽物が無い一本道が一番怖いわね……」 「怖がってる場合かリシャーダ。横から突然何かが出てこないだけマシだろう」 実際は、もしかしたら民家の塀の影に隠れている可能性も否定できないが、これまでの影の行動の特徴から察するに、連中は単調な動きしか出来ないらしいことが解っていた。 例えば人間型なら、手は攻撃以外には使えず、べチャべチャと歩き回るくらいしか移動手段を持たない。扉を開けたり、人間くらいの高さの壁を乗り越えることは出来ない。……その代わり、その攻撃力にモノを言わせて、扉や壁くらいなら平然と破壊して突破するだろうが……。昆虫型も多少は壁を這って歩けるようだが、施錠された扉を開けるような行動は取らないようだ。 だから今この町は、家の中にいる場合に限り安全なのかも知れない。……或いは、その影に『見付からない限り』は、安全が保障されるのかも。 しかしその仮説が正しいとしても、つまり一度でも見付かったら、どんな扉の向こうに隠れても最期は……。 二人は一本道を駆ける。 アディスとフライアの時とは違う。 彼女らは二人が二人とも『戦士』だから、どんな弊害が現れてもそれを一瞬で捻じ伏せて越えられる。 だから、病院までもう少しだけ掛かるとしても、それは決して運命に聳え立つ巨大な壁では無いはずだった。 二人にとって、余裕で突破できる通過点に過ぎないはずだったのだ。 病院に行けば人がいる、人を呼べる、そうしたら協力して何とかなるかも知れない! でも、病院に居るのは、殆ど怪我をした患者ばかりでは無いか? 自分たちが逃げ込むことで、今度は病院を危険に曝してもいいのか? でもでもそんな事を考えている余裕は無い! 捕まったら殺される餌にされる! この町を包む『非日常』を否定するために、日常を探さなければならない! 自分たち以外の、普通の人間を見つけなければならない! 「―――誰か居る!」 「影か!?」 「解らない、でも前……、……あれは、誰?」 豪雨によって前方の視界は悪い。 誰かが立っている程度の認識しか出来ない。 顔面を覆いつくす水を拭って、目を凝らして前方をよく見る。 その間も足は止めず、病院に向かうのは決してやめない。 リシャーダの直感は、距離が詰まる事によって確信に変わった。フェルエルの目にも、前方の人影が見えるようになっていた。 人影? 多分人だろう、今までいくつもの人間型の影を見てきたが、それらは獲物に対して、手を振るなんて事は一度もしなかった! 「人だ!」 やっと希望が出てきた。自分たち以外の人間が見付かったことで。 この悪夢のような光景でも、人数が揃えば少しはマシなものに思えてくる。 リシャーダもフェルエルも安堵して、その手を挙げる人影に向かって走った。 そこに立っていたのは、見ず知らずの男だった。 距離が詰まり、豪雨の中でも多少の色彩が見えた事で、二人はそれが『真っ黒な影』では無いことを確認する。人間だ。この豪雨の中に飛び出して、生き残りが居たのだ。 ……でも、こんなに距離を詰めたのに、その男は、手を下げない。 二人は男の前に立ち止まって、暫くそれを見つめた。 遠くからだと手を振っているように見えたのに、でも近付くとそれが間違いだった事がわかる。 男はこの雨の中、手を挙げたまま空を仰いでいた。……まるで、濡れていなかった。 「……何を、しているのですか……」 意を決して、リシャーダが話しかける。 男は少し溜息をついてから、……とても、人間とは思えない声で、告げた。 「忙しいんだ。影たちは光が苦手だから……雨を、降らすのがね」 リシャーダの目が見開かれた。 どうして自分の直感が、こんな時に限って反応してくれなかったのかと恨んだ。 この男は人間ではない。影の魔物が徘徊する豪雨の世界で、こんな無防備な状態で生き残っているなんて、そもそも普通じゃない……! だが、リシャーダはその男から飛び退いて離れる事が出来なかった。 何時から、そこに居たのだろう。大量の影が、周囲を取り囲んでいた。 それでも男は平然と手を挙げたまま立っている。 確信した。この男が、この雨と、影の魔物の元凶なのだと。 「り、リシャ――……、に、逃げろ……!」 「フェルエル……!?」 見ると、フェルエルの左手から、真っ黒な何かが伸びていた。 いや、『何か』なんて回りくどい言い方はもういいだろう。それは、先ほどフェルエルにその傷を負わせた、鳥型の影の魔物! 人間型しか再生しないはずなのに、先ほど砕け散った小さな破片が、フェルエルの左手の中で今まさに再生しようとしているのだ……ッ! 激痛に耐えかねて膝をつくフェルエルの姿は、まるで天を仰ぐこの男に服従を誓っているようにさえ見えた。 「……あまり私から離れたところで無理はするなよ。ヒューマタイプ以外、再生能力は低いのだから……」 「ぐッぁア――――ッッ!」 ス…と、男は空いた片方の手を、フェルエルの左手に近付けた。 するとその瞬間、再生しあぐねていた黒いカタマリは許しを得たかのように一瞬で鳥の姿を形作った。 その激痛に、フェルエルの意識が飛ぶ。しかし倒れないのは、現れた黒い鳥が身体を支えていたから。 僅かな破片から再生したはずなのに、大きさは元のそれと変わらない真っ黒な鳥は、再びこの世に顕現すると同時に小さな足でフェルエルの両肩を掴み、……長い嘴を、真っ直ぐ、その喉許に向けて――― 「やめろッッ!!」 緑色のエネルギーが、黒い鳥を貫通してアスファルトに衝突し、砕け散る。 黒い鳥は再び木端微塵になって、男の足元に飛び散った。 しかし彼の周辺では、再生能力が強化されるのだろう。鳥の破片は再び蠢き、それぞれがまた同じ形に再生し始める。 「フェルエルに手を出すな……ッ、あたしの目を黒いうちは指一本触れさせないッ!」 「………なるほど。逃げ回るだけしか能が無いのかと思っていたが、こちらの人間も少しは愉しませてくれそうだな」 男は漸く手を下げる。豪雨はさらに激しさを増し、これはもう雨じゃなくて滝の中に居るような気分だった。 「光栄に思え。このホウオウ自ら、お前の価値を測ってやろう―――我が最強魔術で」 リシャーダの、緑色の短剣―――リーフブレードが、ホウオウの腹部に打ち込まれる。 まだ喋っている途中だったホウオウの身体が、くの字に曲がる。 ……でも、短剣を突き刺したはずなのに、刺さらない! しかしそんなことよりも、反撃の隙を与えない事の方が重要だった。 膝蹴りが、前屈みになったホウオウの顔面にめり込む。ホウオウの頭が、ちょうどリシャーダの顔の前まで跳ね上がる。そこに目掛けて、身体の捻転で威力を高めた肘鉄を叩き込む! ホウオウが鼻血を撒き散らしながら、上体をS字型に曲げて後方に吹っ飛んでいく。 だが、彼が地面に倒れるより早く、リシャーダは上空から追撃を掛けた。 不気味なのは、これだけ攻撃を加えても周囲の影が一歩も動かないところ。 先ほど、自ら価値を測るとか言っていたから、恐らく手出しはさせない心算なのだろうか。 それが誤りだと言う事を思い知らせるより早くこの男の息の根を止めるのが至上目的ッ! ホウオウが地面に激突するのと同時に、リーフブレードがその喉に突き立てられる! でも刺さらない! 何かの防御スキルなのか、それとも純粋に生命体として体表構造が頑強なのか! そのどちらにしても、攻撃の手は休めない! 両手にリーフブレードを構え、右! 左! 右! 左! 右! 左! 右! 左! 右! 左! 右! 左! 右! 左! 右! 左! 右! 左! 右! 左! 右! 左! 右! 左! 右! 左! 右! 左! 右! 左! 右! 左! 右! 左! 右! 左! 右! 左! 右! 左! 右! 左! 右! 左! 右! 左! 右! 左ッ!! 「このッ……おおおおおおおおおッッ!!」 まだか! まだ死なないのか! まだ刺さらないのかッッ! 一体何時になったらコイツは死ぬんだ!? どうやったらこの刃が肉を切り裂けるんだ!? 解らない解らない解らない! もういい解らないなら考えるな刺さらないなら刺さるまで切り刻め! ―――どれだけ続いただろうか? この延々と続く連続攻撃は、始めのうちは相手が根負けするまで続く一方的なものだとばかり思っていた。でも、途中から、それは誤りだったのでは無いかと思い始めた。 最初から、こいつを倒す事なんか、出来なかったんじゃ無いかと……! こうやって攻撃を続けることだけが、自分が生き続けるための唯一の行為なんじゃないかと……! 周囲を囲む影がジッと動かないのは、このショーを愉しく見物しているから!? 絶対に助からない死刑囚が足掻く様を、大金積んで見に来る物好きな貴族のように!? もし、攻撃の手を休めたら、きっとそこがショーの終焉……! 「あぁぁあああッ!! 早く、死ねェぇぇえええええぇぇぇぇぇえええッッ!!」 右! 左! 右! 左! 右! 左! 右! 左! 右! 左! 右! 左! 正確無比に繰り出される攻撃が、僅かに鈍り始めた。ホウオウの驚異的な防御力の前に、先にリシャーダの体力が限界に迫りつつあった。 やはり、そうだった、これは単なる見世物に過ぎなかった、倒せない、倒せない倒せない倒せない! でも手は止めるな、止めちゃ駄目だ、止めたら殺される、フェルエルも殺される、自分はどうなってもいいからフェルエルだけは守らないと! ガクッとリシャーダの上体が崩れた。仰向けに倒れているホウオウに馬乗りになって連続攻撃を繰り返すうちに、豪雨で手元が狂い、テンポ良く刻んでいた攻撃のリズムが、滑って、崩れる。 今までは、前に倒れそうになる上体を、リーフブレードを叩き付ける事で保っていた。でも、それが滑ってしまうと、体勢を保つ事は不可能となる。 リシャーダは、ホウオウの顔の横に手をついた。バシャ! と泥水が跳ねた。 その瞬間、ホウオウの、ずっと暇にしていた手が、リシャーダの腕を掴む。 「お疲れ様。随分愉しいショーを見せてもらったよ」 「――――ひ……」 ……あんなに殴ったのに! ………あんなに切り刻んだのに! ホウオウの顔面は、本当ならグチャグチャになってもう原型なんか留めてないはずなのにッ! ――――まるで、無傷! 腕を掴まれ、逃げられない。 ホウオウは、そのままゆっくりと上体を起こす。 リシャーダが乗っているのに、まるで気にせず機械のように起き上がる。 腕を掴まれたリシャーダも、それに伴って『立たされる』。 「あ……あぁ、……ッ」 やっと、リシャーダの感情が、状況に追いついた。 今までは何も考えずに攻撃を続けるだけで良かったから、それを感じる暇さえなかった。 でも、もう攻撃が続けられない、万力のような力で右腕をつかまれ、逃げる事さえ出来ない! ……でも、たとえその腕が無くても、この無数の黒いギャラリーを突破できただろうか? つまり、どちらにせよ助かる道なんか無かったと言う事ッ! 彼女が久しぶりに感じたそれは、迫り来る『死』に対する本当の恐怖と絶望! 「何を恐れることがある。人間とは、やるだけの事はやったら、満足して死に行くものだろう? お前はお前に出来うる全ての事をやり遂げたのだ。おめでとう、この拍手が聞こえないのかね?」 パチパチパチ! 無数の影が、拍手喝采でショーの終焉を飾る。 「お前にやり残した事は無い。これは私からの選別だ、この世に生を受けた物が、最期の一瞬にだけ感じることを許される究極の快楽―――『死』を、トコトン堪能したまえ」 パチン、とホウオウが指を鳴らすと、数匹の影がリシャーダの両腕を背後から取り押さえた。 そして、ホウオウが眼前から退くと、代わりに現れたのはフェルエルの左手を破った鳥の影。 「コイツは生きたまま獲物を啜るのが得意でね。ま、説明するより実際に体感するのが早いだろう。くくくくく、贅沢者め、史上最も長い『死』を味わえる僥倖、泣いて悦ぶが良いぞ! はははははははははははっはははっ!!」 「……っ、……ひ、……ぃぃいいっ!!」 迫り来る恐怖の余り、全身の筋肉が弛緩する。 動けない、抵抗できない、逃げられない、……これは夢? どうしてこんなことになっている? 昨日までは何も変わらない学生生活だったのに、どうして今日はこんなにも狂っている?! どうして、こんな風に残酷な最期を迎えなきゃいけないっ!! 真っ黒に塗り潰された嘴が、胸の中心に触れる。その動作は機械のように正確で、身体の中に捻じ込まれていく感覚までしっかりと堪能できるように実にゆったりとしている! ……顔面を覆う大量の水が雨なのか涙なのかそれ以外なのかわからない。 一つ言えることは恐怖のあまり、多分笑っていたことだけ。笑おう、笑えば、きっと愉しい気分に――― グッ……と、制服越しに、嘴が皮膚を突き破ろうとしてめり込んでくる。 その瞬間、瞼の裏に、いつか見た光景がリフレインした。 死ぬのは初めてだ。そんな当たり前の事が、当たり前では無いような感覚。 前にも一度、似たような残酷な最期を遂げた事が、あったような気がする。 夢? 幻想? 真相はわからない。でも、それは確かに今の状況に似ていた。 ―――死にたくない……ッ スキルを発動する上で重要なのは、強い意思の力。 炎スキルなら、燃やすと言う確固たる意思を。 防御スキルなら、何が何でも守ると言う意思を。 つまり、結果としてリシャーダは、漸く追いついた恐怖と言う感情のお陰で、その条件を満たした。 ずっとポケットに眠っていたそれを起動する条件を、意図せずに満たした……! リシャーダのポケットの中で、何かが輝いた。 その光は彼女の身体を包むように広がり、影の魔物を弾き飛ばす。 「GYYY!?」 ドズン! ドズン! と、背後で巨漢の影が倒れる音。 目の前の鳥は、空中に霧散して消滅した。 「………何」 ホウオウは、目を見開いた。 今まさに死に行かんとしていた少女を包む光が、一体何なのかが解らない。 一つ言えることは、その光は『影』たちにとって脅威になる力だと言う事。 リシャーダはその光の中に、あるクラスメートの後姿を見ていた。 彼は、ただ黙って、でも自信に溢れた表情で、頷いてみせた。 ポケットの中から、輝く『それ』を取り出す。 それは彼女の家の鍵だが、本当に輝いているのは鍵ではなく、鍵に付けられたストラップ。 本当は携帯電話につけようと思っていたけれど、そちらが満員だったから渋々家の鍵につけたそれは、かつてゼンカから強引に奪い取った猫のストラップ。 「貴様……何故貴様が『ゼロ』の力を……」 「ゼロ……?」 ホウオウの言葉を、リシャーダは今ひとつ理解できない。 ただ、彼女にはこの光が、影やホウオウに対抗し得る貴重な力で在る事だけが即座に理解出来ていた。 「まさか、かつて私を苦しめたゼロの力と……この世界でも邂逅しようとは……」 ホウオウは、憎らしげに言い捨てると同時に、影たちを後方に下げさせた。 あの光の前に、如何なる影も無力だと、その行動が証明した。 一方で、ホウオウもまた、リシャーダの様子から一つの事実に辿り着いていた。 あの力は、あの少女が本来持っていたものではない。恐らく、今その輝きの中心にある装飾品が、その元凶となっているのだろうと。何者かがその装飾品に特別な力を込めたと考えた方が妥当かも知れない。 この世界には、そんな芸当をやってのける存在が、何処かに居るというわけだ。 ホウオウの中で、リシャーダは獲物から通過点に変わった。 今すぐ叩き潰して、その力の本来の持ち主を探しに行かなければと言う意思が芽生えた。 しかし、それはホウオウが願わなくとも、すぐに叶う事になるのだが……。 「……面白い、面白いぞ! それでこそ支配もやり応えがあると言うもの! 忌わしきゼロの力よ、再び我がゼロを超えた『最強魔術』で、今度こそ完膚なきまでに叩き潰してくれるッ!」 ホウオウが、初めて仕掛ける。 動きは並の戦士レベル。リシャーダにとって、それは決して早くはない。 ……しかし、正体不明の『最強魔術』を相手にするためには、そのホウオウの速度は早すぎた。 考える時間なんて無い。ただ、その攻撃を受けるしかない。何せ、そもそもこの光の使い方だって良く解らないのだから。 「最強魔術―――ディヴァインフレイムッ!」 ホウオウの右腕が突き出されると同時に、そこから炎に包まれた鳥が出現して射出された。 威力は達人レベル。とても学園の生徒が抵抗できる火力ではない。避ける事も出来そうにない。 ……すると、全身を包む光が、流れるように前に出て、炎の鳥との間に割って入った。 ゼンカには、『あのスキル』を使うとき、こんな光景が見えていたのだろうか? リシャーダは半ば無意識に、炎の鳥に対して手の平を翳した。 それは、拒絶の意思表示。 その挙動だけでも、そのスキルの威力は上昇する。 「爆ぜろ、ゼロぉぉぉおおおおおおおおおおおおおッッッ!!」 「……ゼンカ―――力を貸してッ!」 続く |
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