翌朝、奇妙な噂が立っていた。 「ねぇ、聞いた? あの噂」 「聞いた聞いた。何処かの教室ですすり泣く声が聞こえたんだって?」 「ねー。怖ーい。どうしようもう夜に学校に泊まれないよー」 「しかも同時に2箇所で聞こえてきたんでしょ? 複数居るのかなぁ」 「ちょっとヤダ、やめてよー。今夜眠れないよー」 クラスの女子たちが、揃ってそんな事を話してはキャッキャしていた。 まったく、この春麗らかな日に怪談話なんか、季節外れにも程があるだろう。 ――と、すすり泣いていた張本人である俺は、平静を装いながら教科書を逆さまに持っている事に気付かず、一心不乱に読み耽るフリを続けるのだった。 そういや、同時に2箇所って事は、もしかしてもう片方は本物……? ちょっと背筋がゾクッとした瞬間、隣に座るフィノンからツッコまれた。 「ゼンカ。教科書逆さまだよ…」 「……脳トレだ」 我ながら天才的な切り返しが出来たと思う。 咄嗟だったとは言えよく此処まで完璧な言い訳が思いついたものだ。 それにしても、もう朝のHRが始まる時間だってのに、フリードがまだ来ていない。 まぁアイツのことだから、どうせ遅刻だろう。 2日目にして、早くも俺はアイツのイメージを確定させていたのだった。 と、漸くフリードが教室に入ってくる。 ……なぜか、両目が真っ赤に腫れ上がっていた。まるで、一晩泣き明かしたように。 「せんせー、何で両目が真っ赤なんですかー」 「はっはっは。昨日、とても感動的なDVDを5万円で買ってな。久々に男泣きしたんだ」 クラスメート一同、フリードの意外な一面に溜息を零すが、俺だけは同情しておいた。 フリード。やはりお前も買ってたのか、あのDVDを。 夜中にすすり泣いてた犯人、もう片方はフリードだったようだ。 道理で女子たちがよく出来た怪談話をしてると思ったぜ。 本物じゃなくて良かった。俺、幽霊とか苦手なんだよな。 あ、因みに昨日の夜はコンピュータルームが閉館した後、適当に誰も居ない教室を探して一人で泣き明かしたんだぜ。 まさかこんな噂が立つなんて、その時は全然予想だにしてなかったのは言うまでも無い。 ************************** 迷宮学園録 第四話 『ラーメンおかわり!』 ************************** 「ゼンカ、大変な事になった」 「なんだよフェルエル。大会以外で俺に関わらせるなって言っただろ?」 「そのことについて、少しばかり拙い事に」 昼休み、購買部でパンを買って教室で食っていた俺の許に、フェルエルがやってきた。 因みに、先輩とは付けずに呼び捨てである。 フェルエル自身も呼び捨てで良いとか言っていたから、周囲には妙な誤解を生みそうではあるが、遠慮なく呼び捨てにさせてもらうことにしていた。 さて置き、大変なことになったとは言いつつもフェルエルの表情は至って冷静であったので、どうせ大した事は無いだろうと俺はタカをくくっていたワケだが―――彼女が基本的にいつもこんな表情なのを、俺はもっと早く思い出すべきだった。 まぁ、思い出したからと言って、打開策が見付かったワケでも無さそうだが。 「ピカレスクマッチの大会規定が変わってな。先鋒、副将、主将同士がそれぞれ1回ずつ戦って勝敗を決めることになったのだ。だから、私一人で先に3勝することが出来なくなってしまったというわけだよ。参ったな、ははは」 「そうかそうか。それは参ったな、ははは」 参っちゃうぜ全く、ははは……―――じゃねーよ! ガターーーーーーーン!! 「おおおお!? ゼンカ、おいゼンカッ!?」 椅子ごと引っ繰り返って卒倒する俺。 そうだな。もしもフェルエルの表情如何についてちゃんと思い出していたら、この時卒倒くらいは免れていたかも知れない。 知ってたか? 人間って、結構簡単に気絶出来るモンなんだぜ。 「しっかりしろ! 傷は浅いぞっ!」 フェルエルが俺を抱き起こして肩をガクガクと揺らすが、俺はまるでマネキン人形のように揺れ動くだけであった。 しかしお陰で意識を取り戻した俺は、またフェルエルと顔を突き合わせる事になってしまう。 もう嫌だ勘弁してくれ。俺はネテロ会長と向かい合いたくなんて無いんだ。 もっと純粋に青春を謳歌したいんだよ。 「ゼンカ。私としても非常に不本意ではあるのだが―――折角出来た仲間を手放したくは無いんだ」 「そうか。そういうセリフはもっと状況を選んで使ってくれ」 「だから、もし万が一お前が部を抜けてしまうような事になったら―――」 数秒ほどの間を開けて、フェルエルは小声で言う。 「この場で、お前について無い事無い事、泣きながら叫ばせてもらう」 「アンタは鬼か! 真のド外道なのかっ!!」 俺にとってとても不名誉なことが、教室に残っている連中に知れ渡るのか。 それも、無い事無い事って、全部捏造かよ! まぁ一部真実が混じるよりはマシだが。 「お前が部員として頑張ってくれれば、それがお前の名誉を守ることに繋がるんだぞ!?」 「それを一方的な脅迫と言わずして何と言う!!」 「よし解った。それじゃあ報酬として白い帯を巻かれたブツを1つ追加しよう」 「OK乗った!」 金に目が無い純粋な俺なのだった。 結局フェルエルは俺の返答に満足し、そろそろ昼休みも終わりが近かったので2年校舎へと引き返していった。 その機を見計らい、AAコンビの片割れが話しかけてくる。 「リシャーダ先輩の次はフェルエル先輩か。お前はどうしてそう人を選り好まないんだ?」 AAコンビのアーティから、唐突にそんな事を言われるとは思わなかった。 なぜならそれをのたまっているアーティはアーティで、ユハビィとか言うアホっぽい女に色々と弄られているのを教室の中でよく見かけるから、説得力?何それ美味しいの?みたいな感じだし。 と言うか、選り好めるのなら俺は絶賛そうしたいんだ。 まだ学園生活2日目なのに、2日連続で済し崩し的にコトが進んでいる事には些か閉口せざるを得ないんだぜ。 ……かと思ったが、何だかんだで全部自業自得なんだよな……。 「……一応訊くけど、フェルエルもやっぱりアレなお方なのか」 「ん、まぁ四天王だな」 注。ここでは四天王と書いて「アレなお方」と読みます。 四天王―――実力も然る事ながら、奇人ぶりが周囲とは一線を画す事で有名、と言う者に与えられる、とても不名誉な称号(なのだが、貰う側が奇人なので、不名誉だという自覚は一切無いらしい。もう脱帽するしかない)。 2年生の四天王でコレだぜ? 3年生なんかとは絶対に関わりたくないね。 「あー、残念だが、来週1年生と3年生で合同レクリエーションがあるぞ?」 「マジか……なぁ、レクの日までずっと水風呂に入ってたら風邪引けるかなぁ」 「風邪より重い病気に掛かれそうだな」 合同レクリエーションとか。 何それ、何でわざわざ新しい出会いの場を設けちゃうの? 無理だぜ無理無理、そんなことになったら俺は生きていけない。 きっと夜鍋をしながら手袋を編まれてしまうに違いないんだ。 「何だよマイケル。いつからそんなヘタレになったんだ?」 俺が頭を抱えてガクガクしていると、AAコンビのもう片方、アディスがやってきた。 その表情には、3年生に対する恐怖など微塵も感じられなかった。 いいなぁ、きっとアディスはまだこの学校の奇人の恐ろしさを何も知らないんだ。 「いや、俺は既に3年と交流があるんだ。近所付合いだった先輩が2人ほど居てな」 「なんだよ、そう言う事は早く言え。そいつらはまともか?」 「……………………まとも…………………かな。多分」 「三点リーダがやたら多い上に多分まで付いたッ!」 結論。この異世界はアホばっかりです。 俺も含めて。そこはもう否定しない。 ………… 放課後。 帰る家はこの学校なので、授業が終わると同時に開放的な気分になれるのはちょっとお得。 などと余裕をこいて両腕を伸ばし、大欠伸をしていたらその瞬間に両手首をガシッとつかまれ、俺は抵抗する暇もなくあっという間に小体育館へと連行されてしまった。 俺を拉致したのは、勿論ネテ―――じゃなくてフェルエル。 「よく来たな」 「拉致っておいて何を言う」 「まぁ座れ」 「もう座ってます」 「お茶でも飲むか?」 「………」 俺の無言をYESと受け取ったフェルエルは、小体育館の隅に設置された簡易キッチンでお茶を沸かし始めた。 いきなり部活かと思ったが、フェルエルはまだ制服姿だった。 これから着替えるのか? 否がおうにも妙な期待が膨らんでしまう。 と言うか、うむ。なんだろう。 後ろから眺める制服と言うのも、これはこれで非常に趣深いものが……。 と、あらぬ妄想をしているうちに、フェルエルは俺の前に小さなテーブルを持ってきて、給水ポッドやその他諸々のお茶の一式をその上に置き、再びキッチンへと向かってから、何かを持って舞い戻ってきた。 「待たせたな」 「……………」 あ……ありのままに今起こった事を話すぜ。 『おれはフェルエルの前でお茶を待っていたと思ったらなぜかカップラーメンが出てきた』 な……何を言ってるのかわからねーと思うが、 おれも何をされたのかわからなかった……。 茶菓子を出すとかお茶請けを出すとかそんなチャチなもんじゃあ断じてねえ。 濃厚な鶏がらスープのコクと深みを味わったぜ……。 「あぁ、お茶のつもりだったんだがな。ついつい小腹が空いてしまったのだ」 「客人への持て成しを自分の腹具合で勝手に変更するな」 しかしちゃっかりラーメンを頂く俺なのであった。 「足りなかったら注ぎ足してくれ」 「何を!?」 フェルエルは給水ポッドを指差して言った。 足せというのか。お湯を足せというのか。 ……スープが薄まるわっ! 「? 何をわけのわからんことを。相変わらず元気だなゼンカは」 フェルエルはそう言って、自分のカップラーメンを給水ポッドのお湯が出るところに置く。 そして、ポッドの天辺にあるボタンを押した―――すると。 ビチャビチャビチャ……デリョリョリョリョリョ……。 「やはりラーメンはアツアツが一番だな。給水ポッドは保温に優れているから、こればかりは文明の発展に感謝をせねばなるまい」 うんうんと納得したように頷きながら、フェルエルは注ぎ足されたラーメンを満面の笑みで啜っていた。 へー、ラーメン好きなんだー。 …………目の前に給水ポッドの使い道を致命的に間違えているアホ女が居るんだが、俺はこの場合どうすればいいのだろうか。 効果音だけじゃわからないって? いや、わかってくれ。 何で俺がいちいちモノローグで、『給水ポッドからラーメンが出てきた』なんてカオス極まりない文面を演出しなければならないんだ。っつーか詰まるだろ、常考。そのポッドの内部構造は一体どうなってやがるんだ。 「ところでフェルエル。部に残る代わりに、貰うものは貰うぞ?」 「あぁ、解っている。ちょっと待っていろ」 白い帯で巻かれたブツ。 フェルエルは立ち上がると、それを取りにこの場を離れていった。 今月は鞄と教科書類と、あと例のDVDの購入で残り92万といくらか残っているんだが、ここにさらにまた100万が加算されるとなると、もう今月は遊び放題なんじゃねーの? うひゃひゃひゃ! などと心の中でいやらしく高笑いしていると、フェルエルが一着の胴着を持ってきた。 ……白帯で巻かれていた。 「フェルエル。お前がそんな気の利いたギャグをしてくるなんて思わなかったよ」 「世の中甘くないと言う事だな」 「今日までお世話になりました。フェルエル先輩の事は一生忘れません(忘れたくても)」 スッと立ち上がると一礼してフェルエルに背を向ける俺。 しかし案の定、背中からタックルされて倒され―――否、今度ばかりはそれはない! 「待っ―――おわあ!!」 サッカーブラジル代表も吃驚する足捌きで、背後からのフェルエルのタックルを回避した俺は、まさか避けられるとは思って居なかったのであろうフェルエルが派手に転ぶのを、後方と言うナイスアングルから双眸に焼き付けておいた。 「白!」 ―――パァンッ!! 絶対領域から覗いた色を叫んだその瞬間、俺は空を飛んだ。 生まれて初めての浮遊体験は、ちょっと首が取れそうな衝撃を伴っていた。 そして無様にも頭から墜落した俺は仰向けに倒れ、赤面して唇を噛み締めているフェルエルの姿を、視界の中に上下逆さまに捉えたのだった。 うぅむ、今のが音を置き去りにした拳か。 手加減されていたのだろうか、予想よりは痛く無かった。 ただし、多分5メートルくらいは(上方向に)飛んだかな。 「……馬鹿っ」 「サーセン……ゴフッ」 そんな目に涙を溜めて、赤面しながら「……馬鹿っ」なんて言われたら、素直に謝る以外に出来ることなんて優しく抱きしめてあげるくらいじゃないか。 しかし空中浮遊のダメージが何気に大きかったらしい、俺は痛みも無いのに暫く起き上がれずに居たのだった。 そうか、フェルエルの拳は、痛覚すらぶっ飛ばして肉体にダメージを与える事が出来るのか。 ……怖すぎるわッ! その後、暫くフェルエルのご機嫌取りに奔走する事になったのは割愛。 精神年齢はどっこいどころか俺より下っぽい、この化物。 トンだ先輩に目を付けられてしまったものだと思った。 ………… 「ともあれ、3人目が必要な事に変わりは無い。早速だが、新しい仲間をスカウトに行くぞ」 「いや、それ以前にまだ1年生は部活禁止じゃあ」 「スカウト禁止とは言われていない。所謂青田刈りってヤツだな」 すっかり元気になったフェルエルに引っ張られ、俺は再び1年校舎へと舞い戻った。 フェルエルに先導されて1年校舎を徘徊する狂気の集団(二名)、その名もピカレスク・マッチ部。 さぁ、俺の様な哀れな犠牲者になりたくなかったら道を開けろ愚民どもー! 俺の心の中で愚民扱いされた1年生たちは、しかして俺の様な哀れな犠牲者になる心算は毛頭無いらしく、何か言われるより先に素早く逃げ去っていくのだった。 蜘蛛の子だって、こんな機敏に逃げ回ったりしねーよ。 その逃げっぷりはさながらカゴから脱走したハムスターの如しであった。 「参ったな。何故みんな逃げるのだ。ゼンカ、お前嫌われ者か?」 元凶はアンタだよ。 とは口が滑っても言わないが。 しかし、放課後だけあって既に生徒の数も普段より少ないのだ。 これでは、望むような成果を得ることは愚か、先ずスカウトすら上手くいかないだろう。 俺がその旨をフェルエルに伝えると、彼女も『確かに』と呟いて立ち止まった。 「1年生が沢山集まっていて、かつ私が自由に動ける時間とは何時だ?」 「……昼休みの食堂とか?」 洩れなく空腹な一年生でごった返しているに違いない。 「それだ! よしゼンカ。今日のところは此処までだ。1年はまだ部活動禁止だしな。と言うわけで解散!」 俺の提供したアイディアを鵜呑みにしたフェルエルは、そのまま何かを思いついてしまったらしく走り出して何処かに行ってしまった。 何処かっつーか多分小体育館だろうけど。 それより、俺は一つ気になっていたんだ。 「1年が部活解禁されたら、俺もやるのかピカレスクマッチ………」 まだフィノンの問題も解決してないのに、なんだか物凄く面倒な事に巻き込まれてしまったことを、改めて痛感する俺なのであった……。 続く |
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