栞を破く事によって世界が巻き戻された時、世界の中に留まっている者は全てその間の記憶を失うと言うルールがある。それは、『時間の津波』によって全てが持っていかれるから、と言う風には以前、説明したような気がしないでも無い。

その津波から身を守る唯一のアイテムが、『栞』に封じ込められたミリエの『魔導』だ。
『魔導』は、世界の一番高いところにあるエネルギーの単位だと思えば良い。
この世界で、ゼンカたちがスキルを使うときに用いる『気力』を『1グラム』とするならば、その上に『波導』と言う名の『1キロ』があって、『魔導』は『1トン』に当たる感じだ。

より純粋に磨かれた魔導によって編み出される数々のスキルは、『魔法』と言うよりも『奇跡』。
多分、エックスも近いうちに理解する。それはさて置き。

時間の津波から身を守る手段はミリエの魔導が唯一無二の手段だが、身を守らずとも津波に飲み込まれること自体を回避できたならば、記憶の継承は可能である。
つまり、魔王ゼレス。ロールバックの最中、彼は世界から脱出し、記憶を失うのを防ぐ事に成功していたと言う事。
最初は無我夢中だった。津波に飲み込まれまいと必死に抗い、その結果、偶然にも、『世界の外側』に手が届いた。そんな感じだっただろう。
凄まじい偶然。もはや、それもまた奇跡。しかし彼が魔王だと言うのならば、或いは元々その素質があったとも言えなくは無い。

魔王でありながら藁をも掴む思いに至ったその時、彼は奇跡的に、雲を掴んだ。

全ては、奇跡によってもう一度出会うことを許されたフィノンを守るため。
そして、彼女に認めてもらえた時に、その言葉を言うため。





デンリュウ宅のインターフォンが鳴らされる。夜も更けた時間だ。一般的には、失礼極まりない時間帯の訪問である。
一体何事かとデンリュウが訝しげに応対した時、そこに在ったのはフィノンの姿だった。
しかし、フィノンは申し訳無さそうな表情で目を逸らし、そして少し横に動く。

「………っ…」

デンリュウは、フィノンが横に動いたことで、漸くフィノンの背後に立っている人物に気付いた。そして、その『居る筈の無い男』に、驚愕した。
スキル研究は凍結させたはずなのに、どうして『それ』がそこに居るのか解らない。
そしてスキル研究の段階に於いても、精神だけを呼び出す技術までしか確立されていなかったのに、どうして彼が実態を伴ってそこに居るのか……。
デンリュウの理解を超えた現象が、そこにあった。

「一応、初めまして、だな。デンリュウ」
「あな、たは……ッ」
「大事な話がある。この学園の……、陰謀に関する話だ」

魔王ゼレスが世界に呼び出され、そして時間の津波に抗うのを繰り返して得た様々な『感覚』は、ついに彼が自らこの世界に降り立つ事を可能にしていた。……つまり、彼は世界の駒として、一つのボーダーを超えていたことになる。
尤も、それは彼自身にとって、路上の石ほどにも意味を持たない『結果』に過ぎなかったが。

「校長先生、彼は……その、見た目ほど悪いヒトじゃないです、だから」

フィノンの懸命なフォローに、デンリュウの心境に干渉する程の効果は無い。
デンリュウは仮にも教師として、それなりに人を見る目がある。
だから、ゼレスを第一印象だけで悪人だと決め付けたりはしない。フィノンのフォローが無くても、その事実に変わりは無い。

「……上がりなさい。立ち話も何でしょう、カレー茶くらい出しますよ」
「普通のお茶はありませんか」





………





「長いゲームだったけど、今回で見納めね……」

デンリュウが居る場所に、この世界に存在を封印されたミリエも居る事が出来る。
だからこの家も、校長室以外でミリエが存在し続けられる数少ない場所であった。
デンリュウの家にてゼレスの訪問を見届けたミリエは、気紛れにその場を後にし、いつもの寝場所に戻っていった。

アークとゼレス。アルファベットのAとZ、始まりと終わり。

ミリエはそのこじ付けに奇妙な因縁を感じて、愉しんでいた。
今までは、Zしか無かった。終わりしか無かった。だから勝てなかった。
でも今は始まりのAがある。だから、このゲームを終わらせて、駒たちに新たな始まりを導く事が出来ると、そんな風に思える。だから、今回は勝てる。否、勝つ。

ゼンカも終末のZ。フルコキリムも、最後/失敗を示すF。
ラプラスもLastの頭文字を持っているし、考えてみれば終わりだらけの盤上だ。
つまり縁起の話で言えば、過去3回の挑戦は、勝てる見込みの薄いゲームだったのかも知れない。
最後に勝てばいいのだから、それは然したる問題ではなかったが。

終末のZを冠するゼンカを参加者に選んだのは、絶対に譲れない理由がある。
ゼレスは強いが、このゲームを支配するだけの能力は無い。
せいぜい、相手の駒を倒す切り札にしかならない。
『ゼレスと言う駒で得られる勝利には、破壊しか無い』。
故に、ゼンカでなければならぬ理由がある。
ゼンカでなければ得られぬ勝利が、ある。


エックスに終末のZを叩き付けるための決め駒としてだけでなく、ゼンカだからこそ選び取れる未来を見るために。


「さぁ、足掻いてみなさいエックス。たかが『世界の駒』の力を、存分に思い知らせてあげるわ」










**************************

迷宮学園録

第三十七話
『沈黙/駒のくせに』

**************************






…………
……



デンリュウ宅。
デンリュウが一人で住んでいて、簡素だが決して生活に不自由しない、学園から200mくらい離れた住宅街の中に溶け込んでいる、ありふれた一軒家。
たまにアブソルや、呼んでも無いのにフリード他色々な者達が遊びに来るので、デンリュウは寂しいと思ったことは一度も無かった。特に半年ほど前からは、黒木全火を筆頭に生徒まで遊びに来るようになっていたので、随分と賑やかなものであった。

「……本当ですか! ……はい、……はい、ありがとうございますっ!」

受話器を持って、子供のように喜ぶデンリュウの姿を見ていたアブソルは、その態度から交渉の成立が確定した事を悟り、安堵の表情を浮かべ、デンリュウの好きなカレーの仕上げに取り掛かった。
底の深い鍋の中で踊る食材に、自家製のスパイスを投じて作る、オリジナルのカレーである。
これを食べた事があるのはアブソル本人を除けば、フリード(ただし、デンリュウに振舞うための試作カレーの毒見)と、デンリュウだけである。他の誰も食べた事が無い理由は、アブソルが『デンリュウ様以外がこれを味わう資格など無い』と背中で語りながら料理をする姿を見れば、想像に難く無い。
アブソルは、デンリュウと二人だけの時しか、これを作らない。

味は、フェルエルがラーメンを作るのと同じレベル、と言えば良いだろうか。
あのデンリュウが、アブソルがカレーを作ってくれる日を手帳やカレンダーにマークして、クリスマスの日を待ち侘びる小学生のように首を長くして待つほど、美味いのだ。

上機嫌に受話器の向こうの政府の大物と話すデンリュウは、鼻腔を擽るそのカレーの匂いに、さらに機嫌を良くするのは、喩えるなら良い意味で火に油を注ぐようなモノであった。
通話を終え、受話器を置いたデンリュウは、そのままの足でキッチンへと向かった。

まだ料理の最中であるのに、具を煮込む時間を利用して使用したものを洗い、綺麗に整頓してある辺りが、アブソルの性格をよく反映している。……と思ってしまうデンリュウの場合は、洗い物なんて食後の一休みが済んださらに後まで残すのが日常であった。最悪の場合、次の日に持ち越される場合もあったりするので、アブソルのような補佐役が居るのは、ある意味大正解かも知れない。

背中にデンリュウの気配を感じつつも、平然とカレーをかき混ぜるアブソル。
それをジッと見つめているデンリュウ。
沈黙の我慢比べでも始まるかと思った矢先、口を開いたのはデンリュウだった。

「……そんなにかき混ぜると、ジャガイモが溶けちゃいますよ?」
「―――っ!」

慌てて鍋の中をチェック。大丈夫、まだジャガイモは無事だった。

「私が居ると落ち着かないみたいですねぇ……。カレー、楽しみにしてますよ♪」

デンリュウはイタズラを成功させた子供みたいに微笑んで、ウインクしながらキッチンを出て行った。
廊下とトタトタと歩く音が聞こえなくなってから、アブソルは溜息をついた。
平静を装うためにかき混ぜすぎたカレーの無事を確認してから、少し小皿に取って味見をする。

「………辛い」

恋もカレーも。
アブソルの苦難は、まだまだ続いていく。

ところで、本当ならばアブソルがカレーを作りに来るのは、明日のはずであった。
しかし、

『緊急事態だから、カレーを作る用意をしてすぐ来てください!』

などと電話で言われては、それに従わざるを得ないのがアブソルと言う男であった。
カレーの件は半分冗談だとしても(とは言え、半分は真剣だったように思える)、アブソルも自分が呼び出された理由は、それなりには感づいていた。
デンリュウに緊急事態だと言わせるような『何か』が、あったに違いない。

カレーを完成させて、鍋ごと居間に運ぶと、テーブルの上にはご飯だけが盛られた皿が3つ並んでいた。

「……3つ?」
「3つです」
「……おかわりなら、いくらでもありますけど」
「4つです」
「増やさないで下さい」

サッ、と手際よく4つ目の皿を出すデンリュウ。
流石のアブソルも、一体何がしたいのか解らなくなり、困惑した。
すると、唐突にインターフォンが鳴り響き、アブソルは危うくカレー鍋を落としそうになった。

「あ、来たみたいです。ちょっと待っててください、て言うかカレーの準備をお願いします」
「あ、はい……」

言われるがまま、4つの皿にルーをかけていくアブソル。
暫くして、パタパタと言う忙しないデンリュウの足音が響くと同時に、別の足音が二つほど聞こえてきた。

「なんか、この家のカレー臭はすげぇな……来るたびカレーの匂いがするぜ……」
「ぜ、ゼレスっ! そんなこと言っちゃ駄目だよっ!」

「お前は……1年の」

入ってきたのは、学園に今年入学してきた1年生、フィノン。
そして、その……家族、とか友人、には到底思えない、……あまり関わり合いになりたくないタイプの男が、フィノンを守るように背後に張り付いていた。

「昨日も来たんですけどね。こちらも色々忙しかったので、また今日も来て頂きました」

デンリュウが席について言う。言いながら、どうぞ、と言って空いた2人分のスペースを示す。
フィノンと、ゴロツキみたいな男はそれに従って、それぞれカレーの前に座った。
…デンリュウ以外には食べさせる心算なんて無かったのに、まさかそれがこんなゴロツキに食べられるなんて。と言うアブソルの心境は誰にも悟られる事は無かったが、今この瞬間の和やかな雰囲気からは想像も付かないくらいあっさりと、『作戦会議』は始まったのだった。





…………





人間一人を学園から放逐してのけたのは、研究機関の『誰か』。
しかしそんなことは些事だ。命令したのが、他でも無い私だと言う事。それが、真実。

「順調かい、サナ」

3度目の世界で、私は『学園の真の姿』を突き止めていた。
学園に通う者でも、教員の中のごく一部しかその存在を知らない学園の本当の姿。
シークレットランク最上級の『政府直属スキル研究機関』と言う存在を。

「…………エックス」
「さっそくだけど、次の作戦を……」

教員で在りながら研究員でもある者を見つけ、『疑心』を抱かせて利用し、今に至る。
研究機関の持つ、あらゆる強大な『力』を利用すれば、こんなゲームに勝つことなんて容易い。
私にしては安直な発想だったかも知れないけれど、その発想の安易さとは比較にならないほど、学園の裏側まで辿り着くのには時間が掛かってしまった。かれこれ、世界を4度もやり直すハメになるほど。

「……黙れ」
「……随分な、物言いだね」

先ずはその力で、参加者であるゼンカを沈黙させる。
腰巾着のフルコキリムもそれで黙らせる事が出来ると踏んでいたから、現状は全て思惑通りに進んでいる。
そう、全て計画通り。
エックスの作戦など必要ない。
着実に一歩ずつ踏み込んでいけば、この道は決して崩落しないのだ。
エックスのような駆け足で、渡れる橋を自ら壊すのは、もう御免なのだ。

「お前の作戦には愛想が尽きた。体裁ばかりを気にして、その中身がまるで伴っていない……」
「………」
「敢えて訊こう。お前、勝つ気あるのか?」
「……痛いところを、突くね……」

……でも、学園がどんな方法で人間を沈黙させるのか、私は理解していなかった。
手段は任せると言ったけど、どんな風に人間一人を学園から放逐するのか、知る由がなかった。

「お前には頼らない。お前はゲームに勝った後、私の願いを叶えればそれでいい」

殺すなとは言った。
殺しても良かったのだけれど、でも、心がそうさせなかった。
研究機関側も、殺すよりは沈黙させる方が遥かに楽だったようで、快諾してくれた。

「それは困るね……キミは私の駒なんだ。駒が主に逆らうなど」
「私の主はDだ! 二度と私の前でそんな事を言ってみろ、お前に『死』を抱かせて殺してやるッ!」

今朝の職員会議でその事を知り、愕然とした。
まさか、『交通事故』だったなんて…ッ。


「できるの? キミに? 駒ごときに?」

  ダッテ、Dモ……交通事故デ、沈黙サセラレタノダカラ。
  コンナ偶然ガアル? イヤ、無イ。ダカラ。
  Dヲ沈黙サセタ実行犯ハ、スグ傍ニ居ル……!
  手ヲ伸バセバスグ届クトコロニ……ッ!


「超界者だか何だか知らないが……1対1で私に勝てると思うなよ」


何と言う皮肉。
エックスと出会って、今、私はここにいる。
ここまで戦うことが、出来た。
エックスは恩人。願いを叶えてくれるカミサマ。
なのに、そのエックスに牙を剥かんとしている『この私』は、誰?


「………丁度いいよ。もう、『新しい駒』も見つけたし……ふふふ。ミリエに勝つためには、キミよりずっと強い駒が必要なんだ。だから、キミはもう『要らない』」

  『要らない』。
  私が、エックスをそう認識したように。
  エックスが、私を不要とした。
  ならば、相反する願いは対立し、殺し合うのみ。
  従え、さもなくば消えろ、それが絶対真理!


「上等だ……殺してやるッ! だが楽には殺さないッ、絶望だ! お前は絶望を抱いて死ねッ!」


ああ、大人しく、従っていればよかったのに―――。
そうしたら、きっとゲームに勝って、Dとまた一緒に居られたのに!

Dが目を醒ましたら、先ず何をしよう、何を伝えよう?
そうだ、最初は、“おかえり”って。それから、沢山、頑張ったんだよ、って。


「絶望、か……ふふふ。それはもう飽いているな。ふふふ、あはははははは!」

  エックスの高笑い。
  いくら強くても所詮駒は駒だと言う嘲笑。
  ―――その声が、不快!


「……黙れ……ッ」


全部終わったら、もう学園に縛られないところに行こう。
そうだ、ここじゃない国へ。Dと一緒に、何処か遠い国へ。
何処までも広がる平原を背に、海が見えるところへ、Dと一緒に。


「くっくっく、ひゃァあああああっはははははははああッッ!! 片腹痛いぞサナァアアアッ! 誰に口を利いている、誰のお陰でここまで希望を持って戦えた! エックス様だろうがァこのマヌケぇええッ!! この私が居なければ貴様こそ真の絶望の中で死んでいたと言うのにィィッ!? 私に絶望を抱かせて殺すだとくひゃぁぁああッはハハはハハハハはははははははッッ!! これだから所詮ニンゲンなんだよォ、身勝手で利己的で腐り切った醜悪なァッ! 己の目的さえ達せられれば神さえも踏み躙るゥッ! ひぃーーーっひっはははッ!」

「笑うな、喋るな、その薄汚い声を私に聞かせるなぁぁぁぁああああああああああああああああッッ!!」

  エックスへの咆哮は、同時に断末魔だったのかも知れない。
  駒は駒。打ち手に逆らう事が、そもそも不可能。
  だから、『それ』は容赦なんか微塵もなく『私』を『削る』。


「ひゃっはァあぁァァアアハハはははははははははははははっはっはははははははははははッッッッ!!」



今の家は狭くて無理だと言われていた犬が飼えるくらい、大きな家を建てよう。
誰の邪魔も入らない、二人の世界。
もうすぐ、手が届く

待ち焦がれた   未…




「ぅぅぁああああああああああああッッッ!!!」


  最後に見えたのは、エックスの剣。
  それは、心を斬る剣。
  心を殺された私は、再び『駒』になる。





「身の程を知れよクズがぁぁあああッ!! ククククひひひひはははははハハァアアッッ!!」





















…………






深夜の病室は、本当に幽霊でも出そうなほど静寂に包まれていた。
しかし彼女が幽霊を恐れないのは、自分自身もそれに近い存在であったから。

「………ん」

自分の手の中で何かが動いて、フルフルは目を覚ました。

「……ゼンカ、さま……?」

手の中にあるのは、ゼンカの手。
その指が微かに動いたような気がして、フルフルはゼンカの顔を覗きこむ。
しかし、……やはり、死んだように眠ったまま、動かない。

フルフルは自分の気のせいだったのかと思い、再び瞼を閉じた。
ずっと一緒に居られるのは、夜だけだ。
昼間は定期的に医師団が来るから、何処かに隠れてなければならない。
だからせめて、夜。この時間だけでも、共に。

フルフルは、ゼンカの手を両手で握って、まどろみに身を預けた。





―――。



「……!」

ゼンカの指が、微かに。
でも、……もう一度確認しても、やはりゼンカは眠ったまま動かない。
……いや、眠った人間が動く事なんて全然珍しくない。
きっと、何か夢を見ていて、それに神経が反応しているだけなんだ。
それがきっと楽しい夢だったらいい、その夢の中に自分が居たらもっといい。
そう思いながら、今度こそフルフルは眠りに落ちた。





夢を見ていた。

元の世界のこと。

尊敬する父の言葉のこと。

ボロボロのマントを着た、知らない女のこと。

大切な何かを無くして走り回って、殺されそうになったこと。

暗い牢獄の中で悔しさと惨めさに耐えながら戦ったこと。

信じていた誰かに、裏切られたこと。

命を懸けて、何かを守ろうとしたこと。

そして、死んだこと。


どれも、知らない記憶。
知らないのに、何故か夢に見る不思議な光景。
不気味なくらい現実的で、今の日常から見ればありえない非日常。

どうして、仲間を沢山失わなきゃいけない?
どうして、自分が何度も殺されかけなきゃいけない?
どうして、こんなにも悲しい気持ちにならなきゃいけない?

いくら考えても答えは出ない。
あのボロボロマントの女は一体誰だ?
デンリュウ校長が『盾』なんて、一体誰の言葉だったんだ?
どうしてフィノンに不信感を感じなければならないんだ?

まるで、ほんの短い時間を何度も繰り返したような、あまりに嵩張った記憶が全身に広がっていた。
この先の未来を、俺は何度も繰り返した気がする。
そして何度も、打ち砕かれてきた気がする。
何度も仲間を失ううちに心が磨り減って、自分の命を軽視してしまっていたような気がする。

繰り返した世界。
短い期間なのに、あまりに膨大な『4月』の記憶。
それを、重ね合わせて。見えたのは、助けを求めている『誰か』の影。

俺はそれを知っている。その影の持ち主を知っている。





「……」



眩しい光の向こうで、俺の知っている影が、助けを求めた。
そうだ、俺はそいつを、助けにいかなくちゃいけない。
なのに、俺はまだ、夢を見ている。つまり、眠っている。
起きなきゃ。起きて、学園に行かなきゃ。

思考が覚醒に向かう。
これは夢だ、だから目を醒まさなきゃいけない。
さぁ起きろ、起きてやるべき事をやるんだ――――





「全く、こんな子供を沈黙させるなんて、一体何を考えているのやら」
「我々に思考は必要ありません。あくまで、業務だけをこなしていればいい」

白衣を着たその青年は、先日『交通事故』と言う名目で『沈黙』させられた少年の腕から注射器を抜き、助手に渡した。
彼らは医者だが、『スキル研究機関』と裏でコンタクトできる数少ない存在であった。

「それに、これをやめたら、資金援助も受けられなくなる。この病院の全員を、路頭に迷わせる心算ですか?」
「いや、ほんの戯言だ。気にするな。次、行くぞ」
「……はい」

『沈黙』。
定期的に薬を投与することで半永久的に仮死状態に保つ、この病院とスキル研究機関が共謀して人間一人を抹殺する手段。
この大規模な病院に備えられた病室の、一体何部屋が『沈黙』させられた患者で埋まっているのだろうか。
答えはわからないが、そのうちの一つが、サナの敬愛する『D』なる人物であることは間違いなかった。


「それにしても、今の少年……あの薬に耐性でも持っているんでしょうか。随分意識レベルが高かったように見えますが……」
「一口に薬っつっても個人差もあるだろう。あまり深く考えるなよ」
「はぁ……、解りました」











続く
次へ
前へ
戻る
inserted by FC2 system