「アーク、如何言う心算だ……」
「俺は何もしてねーぞ。『あの』アークが勝手にやった事だろ。そうカッカすんなよ」

エックスは、苦虫を噛み潰したような顔でアークを睨みつけて言ったが、アークは平然とポテチを食べ漁っていた。ポップコーンには、飽きたらしい。

「……まさか貴様、最初からこうなる事を予測済みで……」
「予測はしてないが、こうなったら面白ぇなぁとは思ってたな」
「くっ……くそぉ! 何だってこんな展開に!! 私の計画が台無しではないか!!」

エックスは究極系が破られた事を未だに根に持って、行き場の無い怒りをそこらじゅうのモノを投げまくって解消しようとしていた。尤も、それも全部自分の戦術の不行き届きが原因なのだから、滑稽極まりないモノだ。
しかしアークはソレについては笑わない。
超界者アークは、自分の興味の無いモノに対しては、トコトンまで冷徹になれる。
今はまだ、エックスの顔芸が面白いから笑っているし、このゲームの結末に期待しているからこの場所に居るけれど。もしそれらが全て決着したら、アークは用済みになったエックスを『破壊』するかも知れない。
エックスの面白いものを作り出す力に見切りを付けてしまったら、或いはゲームの最中にでもそうし兼ねない。

だから、焦る。エックスは、焦っている。
アークの、性根の腐った自己中心的で超俺様主義な性格を知っているから、焦燥している。
アークは危険なのだ。気紛れで自己中心的で、突然何を仕出かすか全く想像できないから怖いのだ。

今は待て、今は。
ミリエを倒したら、次のゲームを作り出して、……アークがどんなに暴れても如何にもならないような世界を創り上げて、そして倒してやる……! だからそれまでは、コイツに余計な行動をさせるわけにはいかない……! エックスの内心を支配するのは、その感情のみ。果たしてそれで、ミリエを倒す事が出来るのかと疑われるくらい、彼の心は揺さぶられていた。







しかし、アークは本当に気紛れだった。
何時、エックスに見切りをつけるかも解らないと思わせておいて実は全然、そんな気はこれっぽっちも無かったのだ。
何故ならアークは、どうせミリエが勝つだろうと思っていたから。
自分が手を下すまでも無く、ミリエがエックスをボコボコにして二度と口が利けないような状態にしてしまうと予想していたから。
何故? それはアークにも解らない。

このゲームを将棋に喩えよう。
エックスは、ミリエとの埋め難い実力差を、このゲーム盤の上に於いて『駒落ち』と言うハンデを強いる事で埋めようとした。
しかし、エックスが強いたのは、言うなれば4枚落ち。飛車角香車を落とすだけ。あまり実力差が無ければ致命的なハンデなのだが、ミリエとエックスを較べた場合、4枚落ちではあまりに心許無かった。

……6枚落ちだったら、どんな素人でも冷静に打てば勝てるはずなのに。定石として、敗北までの道筋さえ提言されている程の出来レースであったのに。
エックスは己の力を過信して、4枚落ちに留めてしまった。このゲームを通して、エックスの最大の失敗を一つだけ挙げるとすれば、この一点に尽きる。


「サッカー選手が卓球選手に卓球で勝つためには。ハンデで点数を貰ったって如何しようも無いだろ。卓球選手側に、ラケットの代わりにフライパンとか持たせなきゃ駄目なんだよ。でもミリエの場合はフライパンでもまともに戦ってくるから、金魚すくいのポイを使わせなきゃ駄目なんだ。エックス、お前はミリエを随分と過小評価していたみたいだな」

「何の事だ、この戦いでミリエは『何もしていないぞ』。全部、あの黒木全火とか言う駒がやった事なんだ。ミリエはちっとも凄くない、私の力の前に完全に封じ込められていて何も出来やしない、怖いのはあの駒なんだ、あの黒木全火なんだ――――!!」


アークはエックスの反論などまるで聞き流して、自分の提示した『卓球』の喩えを頭の中で反芻していた。
ミリエだったら、何だか金魚すくいのポイでも高速スマッシュを打ってきそうな気がしたから、念のためイメージしてみたのだ。
物理原則的に、在り得ないのだが。でもミリエの場合、石橋を叩いて渡るどころか、最初から石橋なんか無くて、地平線が見渡せるくらい広大な大地が広がっているだけだ。
ミリエに立ち向かうヤツは、目の前に広がる大地にただただ呆然と立ち尽くすしかない。
ミリエの攻撃や行動は、攻め手の斜め上を行く。石橋が無いから、広大な大地に対して地雷の有無を確認していたら、空から隕石が降ってきてジ・エンドと言う風になりかねない。
そして誰もが口を揃えて、二度とミリエ様には刃向かいません、と言うのだ。

『何もしてない』じゃない。つまり、それはミリエの行動がエックスの頭では到底感知出来ないほど高等(斜め上)過ぎるだけに違いない。それとも、これはアークのほうがミリエを過大評価していると笑われるべきなのだろうか?
ならば、どちらが正しいのかは、このゲームの結末が語ろう。

4thTry―――二度とロールバックが出来ないから、これが問答無用で最後の戦いになる。
果たして最初に仕掛けるのは、サナか、それとも他の何者かか。





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迷宮学園録

第三十五話
『FinalTry/ずっと一緒に』

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「先生遅いねー。一体何してるのかなー」
「ゼンカもまだ来てないよね。如何でもいいけど、やっぱ居なきゃ居ないで暇よねぇ」

女生徒の数名が、もうとっくにHRが始まっている時間にも関わらず姿を見せない担任のキュウコンについて議論したり、まだ登校していないゼンカについて云々言っている時、漸く教室のドアが乱暴に開かれた。
……そこに居たのがゼンカだったら、皆安心しただろう。
何故、と言われても誰にも答えられないが、『あの』ゼンカが欠席なんて考えられないと全員が思っていたからだ。
キュウコンが肩で息をしながら、教壇に立ち、クラス全体を見渡した。
そして、暫く息を整えてから、告げる。

「ゼンカが交通事故に遭ったそうだ……俺はこれから病院に向かうから、皆は次の授業の準備をして待つように。授業はリィフ先生が来てくれるから何も心配しなくていい。じゃあな」

言うだけ言って、またズカズカと出て行くキュウコンに、誰もが目を丸くしていた。
事故? 誰が? ゼンカ? 誰そいつ? うちのクラスの……? 黒木全火のこと……?

ガタン! と椅子を跳ね飛ばす音。
誰もが振り返った先には、無人の机と、引っ繰り返った椅子が在るのみ。
その席の主は、……窓から、飛んでいた。

「フルフル!」

フェルエルが窓から身を乗り出して呼び止めようとするが、その声が既に届かないほど、フルフルは遥か上空を飛行していた。

「……全く、仕方ないヤツだな。アイツは交通事故くらいで死ぬタマじゃないだろうに……」

と、言いつつも、フェルエルも内心穏かではなかった。
彼女はボクシング部の同輩としてゼンカの能力についてある程度知っていた。
『まもる』と言う、絶対防御のこととか。それを考えると、交通事故で病院に担ぎ込まれたとしても全然心配にはならないはずなのに、何故か安心して待つことが出来ずに居た。
大丈夫、大丈夫、大丈夫、きっと大丈夫……。言い聞かせるように。フェルエルは己の心を制し、フルフルの椅子を元に戻してから、自分の席に戻る。
しかしその途中でリシャーダに手招きされたので付いていくと、リシャーダは廊下をテクテク歩き、とうとう2年生校舎の昇降口までやってきてしまった。

「……何処に行く気だ?」
「お見舞いよ。何がいいかしら。メロン? それじゃ安直過ぎるわね」
「はぁ……、お前もかリシャ。ゼンカなら大丈夫だろう、四天王のくせに授業をそう易々とサボるな」
「………」

ジッ……と、リシャーダの猫のような目が、フェルエルを睨む。
怒りとは違う。『これは真剣な話だ』と言う、凄みだ。
フェルエルは漸く状況を理解して、教室へ戻ろうとするのを止めた。

「ゼンカのスキル、あれって何か使えない条件とかあるの?」

リシャーダの質問は、フェルエルにしか答えられない。同じ部活の部員として、誰よりもゼンカの能力をよく知るフェルエルにしか。だからこそ、リシャーダのその質問には、より深い意味がある。

「いや、無いはずだ。一日の使用回数制限ならあったはずだが……」
「そう。じゃあ、おかしいと思わない?」
「……何がだ?」

リシャーダは、聞き手を弄ぶ名探偵のように焦らしながら、続ける。

「おかしいのよ。ゼンカが何時ものようにスキルを使える状態であったなら、今日のこの状況はそもそも根本的に『在り得ない』」
「……リシャが何を言いたいのか解らない」
「つまり、ゼンカがいつもと変わらない状態だったら、どんな交通事故に巻き込まれても無傷で生還して何事も無かったかのように登校してきて、『朝から交通事故に巻き込まれちまったぜ』とか言いながらサンダー辺りと談笑に耽ってるはずなのよ。でもそれが無かった。何故? 決まってる。ゼンカはその『交通事故』とやらに対して、『防御スキルを使わなかった』。何故? 『使えない状況下にあったから』。それは何故? そこからは本人に聞くしか無いでしょう。だから行くの。病院に。文句ある?」

リシャーダが饒舌な時は、2通りある。
猫と戯れて上機嫌な時と、……内心、本気で怒っている時だ。
フェルエルは、リシャーダに従うしか無かった。しかし観念して病院に行く事を決意した時、今度はデンリュウに呼び止められた。
助かった、と思う反面、リシャーダの意見に半ば同意していた自分の意思との板挟みになったフェルエルは、何とも言えない表情をデンリュウに向けて困惑させた。

「えーっと……何かあったのかしら? もう直ぐ1時間目が始まる頃でしょう……?」
「ゼンカが交通事故に遭ったらしいので、病院に行くんです」

リシャーダはキッパリと真実を言い捨てて、会話を終わりにしようとした。
しかし、デンリュウは目を丸くして、今の一言に対して詳しい説明を求める。
如何しようかと悩んだ末、フェルエルは自分が説明するから、リシャーダは先に病院に行けと言う事にした。リシャーダは不満そうな顔をしていたが、一刻も早く病院に行きたかったようで、素直にそれに従い、校舎から出て行った。

「……フェルエルちゃん。本当なの?」
「はい。今朝、キュウコン先生が。今リシャーダも向かいましたが、既にフルフルとキュウコン先生も病院に向かっています」
「そう、ですか……私、今日はまだ職員室に行ってないので、知りませんでした……。でも妙ですね、ゼンカ君が? 本当に交通事故に?」

デンリュウも、リシャーダと同じレベルでモノが考えられるようで、直ぐに違和感に気付いた。
ゼンカが交通事故で倒れるなんて、『在り得ない』。例え誰かを庇ったとか、そういう特異な状況が重なったのだとしても、最上級防御スキルの『まもる』は、全てのエネルギーをゼロにする能力なのだから関係ない。……だから、事故に遭うこと事態に疑問は無くても、それで怪我をする事には、大いなる疑惑が残るのだ。

「…解りました。行ってらっしゃいフェルエルちゃん。私は少しだけ忙しいのでまだ行けませんが、後で個人的にお見舞いします」
「はい、それでは」

フェルエルが走り去るのを見送り、デンリュウもまた校舎を出た。

「デンリュウ様、すみません!」
「アブソルちゃん、大丈夫ですよ。まだ待ち合わせの5分前です」

フェルエルと入れ替わるように、デンリュウの元に駆けて来たのはアブソルだった。
デンリュウは、アブソルについて旧校舎を目指して歩き出す。よく見ると、小脇に書類の束が抱えられていた。

「それで、結局どうなったんですか?」
「はい、申請は通りました。政府も、もうこんな研究に予算は出せないようで。今は研究機関の国外解放による経済支援を受ける方向で検討しているようです」
「そうですか。良かったです、これでもう、戦争のための研究はしなくても良いのですね」

4度目の世界では、この学園の裏側の実態が完全に凍結される方向で話が進んでいた。
しかし、これは後悔による成長が原因では無い。……いや、大元を辿れば、確かに後悔による成長の結果であるのだが。
研究に対して頑なだった政府を動かすほどの大きな力が、後悔と成長によってこの結果を創り上げたのだ。
エックスが激怒したのは、これが原因だった。

そう、『政府』の凝り固まった姿勢を解き解したのは、あのアディスの兄、アークだったのだから。








「……先手は五分か」

超界者アークは、ステーキにナイフとフォークを入れながら言った。
コイツ、喰ってばかりじゃないかと言うエックスの不満げな表情を他所に、アークは構わず食事を続ける。

「ゼンカを学園の外に放逐して、ゲームを磐石にするのがお前の一手。さっきサナにアドバイスしてた作戦はこれか? だとしたら、お前にはゲームの才能は無いな。ゲームを作る才能はあるが」
「……何だと……?」

ゲームのプレイヤーは、ゼンカとフルフルの2名だ。
これらを学園の外に放逐して、磐石な姿勢を取ろうとするエックスの作戦は、一見すると悪くないように見える。
でも、このゲームを将棋に喩えるならば、今エックスの打った一手は、『相手を詰める手』でも、『守りを固める手』でも無い。盤上の隅で死に駒と化した歩を取るために、貴重な一手を浪費したに過ぎないのだ。
エックスが有利なのは事実だが。その有利をさらに着飾ろうとする彼の姿勢は、勝負師として見ればお子様もいいところであった。無駄が多い。ミリエを相手にする上では、そんな着飾りは無謀を通り越して、世界を一周してまた勇気に戻ってくるくらい無意味だ。

「言ったろ、ミリエを相手にする時は、絶対手を抜いちゃあ駄目だってよ」
「私は手など抜いていない! これでいいのだ、これで磐石だ、私は確実な勝利を手繰り寄せているのだ!」

ふぅ、とアークは小さな溜息を付いた。それは、呆れと哀れみ。
エックスは、自分の一手を盲信している。これだからナルシストは、とアークは呆れ気味に、ステーキの最後の一切れを口の中に放り込んで、食器を虚空に片付けた。

一方の、ミリエ側の一手を見てみよう。
現在、ミリエは駒を指すことが出来ない状態にある。何故ならゼンカが記憶を失ってしまったから。
だけど、それでもミリエは最初から、自分が駒を指さなくても、駒が勝手に動いてくれる事を視野に入れて戦っていた。だから今更ゼンカが居なくなって、完全に駒が自分の手の届かないところに行ってしまったとしても、さほど危機感は感じては居ないことだろう。

勝手に動いた最初の駒は、アーク。
アークの指した一手は、一見して大味でド派手な大逆転の一手。エックスの作戦を根こそぎ台無しにするような、本来ならば『切り札』として温存しておきたいような攻撃。
こんな制御不能な打ち方で、果たして何処まで戦えるのか。ミリエは今、何を考えているのか。
会いに行くのは簡単だが、アークはそれはしない。あくまで、傍観に徹するのみだ。



アークの、情け容赦ない態度とは裏腹に、牢獄のような校長室の中で、ミリエは随分とボンヤリしていた。
と言うより、ボンヤリする以外に、する事が無かった。
今までも特にする事は無かったが、今回ばかりは本当にする事が無い。
ゲームのプレイヤーとしてゼンカ以外の駒との接触は出来ないから、作戦を考えても伝える相手が居ない。だから、ミリエのそれは放心状態に近かった。無論、その分しっかりと力を回復して、いざと言う時に備える程度のことはしていたが。

「…………暇だわ」

暇だった。
ただ、暇で暇で死にそうだった。
この状況下に於いて、負けるなどとは微塵も考えていなかった。
それが達観なのか確信なのかは、ミリエ以外の誰にも解らない。

「やっぱ暇って凄いわ。暇でニンゲンって殺せるんじゃないかしら。証拠も残らないし、完全犯罪の匂いがプンプンするわ」

なんかもう思考が如何でもいい方向に逸れ始めるくらい、ミリエは暇であった。

「………寝よう」

そして、寝た。麗らかな春の日差しが閉じたカーテンの隙間から射し込む、校長室の平行空間での事だった。寝る間際、早くデンリュウが戻ってきて、カーテンを開けてくれないかなぁ、などと考えていた。





…………






何度世界を繰り返しても、偶然空いている病室なんて特に変化はしないらしい。
ゼンカが搬送された病室は、2度目の挑戦の時にフェルエルを入院させた部屋であった。
尤も、それは誰の記憶にも残っていないのだが。せいぜい、フルフルが『前にも此処に来た事があったっけ?』とデジャヴを感じる程度にしか。
病院の外からゼンカの病室を見つけたフルフルは、窓から入ろうと試みた。
閉められた窓に手を掛け、押したり引いたり。外から窓を開けるのはちょっと難儀するが、一応神の側の者なので、鍵が掛けられていたとしても開ける事そのものは難しくは無い。
カチャッ、と言う小気味いい音と共に、窓が大きく動く。
隙間から身体を滑り込ませると、そこにゼンカを乗せたベッドがあった。
……生命維持装置みたいなのが付いていた。不安が、大きくなる。

『……クロキゼンカ、聞こえる?』

欲望の王クロキゼンカは、黒木全火の意識が無い間だけ、その身体を借りて動く事が出来る。
でも、その身体そのものが『死』に近い状態である場合は例外だ。身体が死ねば、クロキゼンカも死ぬから動けない。身体が死んでさえいなければ、腱が切れていようが動かせるのに。
でも、……呼びかけに、返事が無い。
慌ててゼンカの胸に耳を当てて、心臓が動いているのを確認して安心するが、でも、返事が無い。

『…………』

原因は、何だろう。と、考えてみるが、解らない。
そもそも、クロキゼンカがこうなっている理由さえ、解らない。
1年前、突然こうなったのだ。異世界からやってきた『黒木全火』と言う存在に上書きされそうになりつつも、辛うじて一つの身体に同居すると言う形を取って、今に至るのだ。

最初は、黒木全火を殺したいほど憎く思っていた……と思う。
記憶は何故か虚ろだが、多分、憎かった。殺したくても、それがクロキゼンカの器を共有しているから殺せなくて、やり場の無い怒りだけが堪っていて、きっと苦しかった。
今は違う。今はそんなことは無い。寧ろ、ずっと一緒に居たいと思っている。
クロキゼンカが『赦した』。だから、フルフルも全火を赦して、一緒に居る事を選んだ。

去年の夏休み、フルフルは学園に編入した。
ゼンカと共に居たいがためだけに、編入試験を受けて。
そして、それまでよりも一緒に居る時間が長くなって、初めて気が付いた。
ゼンカは、馬鹿で変体で如何しようもない男だけど……、でも彼には、人を惹き付ける力があったのだ。

クロキゼンカは破壊と欲望を司る神のくせに、粗暴だけど本当は優しくて。
黒木全火の正体は解らないけれど、人間のくせに『赦すこと』を知っていて。

そんな二つの魂が同居した器の周りには、自然と人が集まっていて。
それは、フルフルには無い力。永遠の命と言う、永劫の孤独を約束された鳥類を統べる神、不死鳥フルコキリムが最も欲して止まなかった力。
それを持つゼンカが羨ましくて。特別な感情を抱くのに、時間は掛からなかった。



でも、どうしてこんなに記憶が虚ろなのかが、何時までも胸に引っ掛かっていた。
全く同じ悩みをゼンカも抱えている事に気付いた日が、多分、転機だった。

虚ろな記憶が語る、断片的な感情。
何故、自分の記憶は、こんなにも断片的なのだろうか?
生きていると、過去の記憶など徐々に忘れていくものだ。
不死鳥とて、それは例外ではない。不死鳥の呪いを受けた一族だって、代々の記憶は受け継がれていたけど、細か過ぎて些細な情報など、全て忘れられている。ある日の朝食とか、食べたパンの枚数とか、そんな事まではいちいち覚えきれまい。
でも、そうだとしてもおかしい、と思っていた。
もっと重大な何かの記憶がゴッソリと抜け落ちていて、その影響で周辺の記憶が断片的になってしまっている。そんな感覚が、フルフルの心の中にあった。

フルフルの覚えていない事実を告げるならば、確かにその通りだ。
今のフルフルは、『ノアと出会い、ゲームに参加した』と言う記憶が全て抜け落ちている。
そのために、ゲームの参加者たる自覚に基づいた記憶は全て虚ろになっているのだ。
ゼンカも、そうであるように。

お互いが持つ、自身の記憶への疑惑。それを共有している事が、フルフルにとって、他の者達に対する『優越感』となっていた。
自分は他の誰よりもゼンカに近いところに居ると、感じられていた。


『……』


不死鳥フルコキリムには、社交性なんて無いのだ。
永遠の命を持っていたから。孤独を友として過ごす時間が、あまりに長すぎた。

だから。
ゼンカの周りに人が集まるから。
ゼンカの傍に居ることで、孤独を感じること無く過ごせたから。
孤独じゃない事の暖かさを、知ってしまったから。
不死鳥は、もうそれを手放す事が出来ない。離れる事が、出来ない。

ゼンカが居なくなったら、もう人は集まらない。
教室で、ゼンカが心配だと言うクラスメートの話し声を耳に入れながら、独りで窓辺に座っているだけの毎日になる。
……また、孤独になる。きっと、そんなの耐えられない。

ゼンカと居るために、学園に入ったのだ。
ゼンカが居ないなら、そこに居る理由なんて無い。
ずっと居る。病院に居る。一緒に居る。目が覚めるまでずっと一緒に。




     嫌だ、もう独りは嫌だ、ずっと一緒じゃなきゃ嫌だ





「ゼンカさま…………」



眠り続けるゼンカの手を取る。
冷えたその手を温めるように、両手でぎゅっと握る。



「私は此処に。もう学園も、記憶も、如何でもいい、ずっと一緒に」




キュウコンは、病院の正面の広大な庭から、無数の病室の窓を見上げ、その何処かにゼンカが居るのだろうか、などと考えていた。

面会謝絶。

キュウコンは、教え子を見舞う権利を、奪われた。
そこへ駆けつけたリシャーダとフェルエルもまた、そのキュウコンの様子を見て、悟る。
そしてキュウコンがそうしたように、病院の、無数の窓を見上げるしか出来ない。



「……これから、何が始まるの?」



リシャーダがポツリと呟いた一言は、今日までの日常が崩れ去った事を暗示していて、フェルエルは返事を返すことが出来なかった。




      何かが始まる




リシャーダの漠然とした勘は、当たっている。
フェルエルやキュウコンには信じられなくても、誰が望まなくても。



『それ』は必ず起きる。



学園は既に、迷宮の中にある。



後戻る術は無し。出口の有無さえ解は無し。

















迷宮学園録













Mysticschool of Nexusworld
















――FinalTry――











     貴方が目覚めるまで、私は此処を離れません。絶対に――







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