それは唐突だった。あまりに唐突過ぎた……! 巨大な、ウミウシみたいな怪物が……ッ! 突然グラウンドに出現して、走者を、一掃……ッッ!!! 「はぁーーーっはっはっは! 俺の精霊具象スキル『カラナクシ』に敵は無いッ! わはははははっ!!」 そのウミウシみたいな怪物の頭の上に立つ謎のイケメンが、高笑いしながら叫ぶ!! もう誰も間違わない、今年の体育祭最終種目は、……地獄への招待状ッ!! 俺の作戦や、2年・3年が今日と言う日のために積み上げた全てを根こそぎ踏み躙る悪夢ッ!! 俺たちは勘違いしていた。この種目は、それぞれの学年の作戦がぶつかり合う戦いになるだろうと! ―――だが違う! この勝負はそんな次元の話ではない! 1・2・3年の代表クラスが、力を合わせて教員たちの仕組んだ『障害物』を突破し、ゴールを目指す戦争なのだッ!! アンカーを務める、現在は選手待機ゾーンで待つフーディンと目があった。 お互い、この勝負が如何なるものであるのか、『理解』する。 2年生も『理解』した。押し潰された走者もまた、状況を把握する。 一人の力では、この障害物の突破は不可能だと言う事を! そして、観客全員も理解する! これが、教師vs生徒の意地のぶつかり合いだと言う事を! 故に、熱気はさらに燃え上がるッ!! 今まで生徒vs生徒だったのに、最後の最後で仕組まれたどんでん返しによって、観客のテンションは天井を突き破るッ!! 「じ、上等だぜ……下級生との勝負ってのも燃えたが、教員vs生徒だともっと燃えてくるじゃねーか!!」 「よーし、どうやら目的は一致したようだな……」 「先ずは、このウミウシの化物をどうにかしないといけませんね……」 第一走者が集まった。 暫く作戦会議をするように、3人は円陣状態から動かなくなる。 それから数十秒後、3人の走者は揃って、ウミウシの怪物の頭の上に居る男を睨み付けた。 「生徒の力をおおおおおおおおおッ! ナメんじゃねぇぇぇえええええええええッッ!」 最初に叫んだサンダーがウミウシに向かって走るッ!! 最初はその巨大さに圧倒されたが、よく見ればその動作はあまりに愚鈍! サンダーの俊敏な動きの前にはまるで追いついていない! この体育祭の『障害物競走』の醍醐味は、その障害物を突破した先に得られるタスキも一緒に次の走者に託す点にある。最終走者は合計3つのタスキと一つのバトンを受け取って、まさにこれまでの走者の全てを受け継いで疾駆するのだ。 だからサンダーたちは、このウミウシの怪物の頭の上に居る男から、タスキを奪わなければならないッ!! 「おおおッッ!!」 サンダーが跳躍する。ウミウシの、多分前足辺りを駆け、登り、傾斜が急になったところで両手を伸ばし、腕力で全体重を跳ね上げ、一気に頭頂部に到達する。ウミウシはその挙動を、一切追う事が出来ない! 「ここは俺の特別観覧席だ。退席願おうか」 「タスキを貰ったら言われなくても退席してやるぜッ! うおおおおおおおおおおおおおッッ!!!」 帽子の男に、サンダーが挑む! その隙に、2年・3年もウミウシ登頂を目指す! 「カラナクシ、マッドショットッ!」 サンダーの攻撃をかわしながら、男が叫んだ。 マッドショットと言えば、一応スキルにもその名前がある。まさかと思った瞬間には、カラナクシと呼ばれたそのウミウシは、湿った巨体の下で泥と化したグラウンドの土を一気に跳ね飛ばし、スキル独特の魔法の力によって、吹き飛んだ泥を己の身体を登山する走者に命中させた。 「ぐわっ!」 「うぐ―――!」 泥を跳ね上げる際、吹き飛ばされないように堪えるので精一杯だった走者は、その泥を避ける事が出来ず、無様にもグラウンドに叩きつけられた。 「本当なら御覧の通り、生徒レベルでは誰もここまで登ってくる事は不可能だ。だから君には特別に邪魔をしなかった。第一障害のタスキは、君が奪って見せろッ!!」 「くっ……上等だぜ、音速のサンダーをナメるなよ!!」 ウミウシの頭の上は、巨大な球体がいくつも敷き詰められたような状態になっていて非常に不安定であったが、男はその上に立つことに慣れているようで、下でウミウシがどんなに動き回っても平然としていた。 しかしサンダーはそうもいかない。 少しでも動かれるだけで足を滑らせ、転落しそうになってしまう。 喧しいほどに叫んでいた観客も何時の間にか、そのスリリングな勝負に見入っていて、声を出す事も忘れていた。 「ゼンカ。サンダーはタスキを取れると思う?」 リシャーダが問う。 彼女は、しっかり客観的に実力差と言うものをその目で捉えている。 だから、そんな質問をすると言う事はつまり、結末は見えているのだろう。サンダーはタスキを取れない、と言う未来が。 だが、俺は違う。 俺とサンダーは性根が似ている。気合いと根性で、実力差なんて簡単にひっくり返せると信じている。 そしてその根性論は、信じれば信じるほど現実味を帯びることさえも知っている。 だから、ほぼ確信と言ってもいい。 リシャーダが、客観的に見てこの勝負の敗北を確信しているように、俺はサンダーの勝利を確信している。 「取るさ」 「そう。じゃあ、そうなのね」 リシャーダは、俺の言葉を信じたようだった。 俺が言うのなら間違いないと、そう思っているかのように。 「反論しないのか?」 「しても無駄でしょ」 「そりゃそうだ」 サンダーの動きが、徐々に安定してきていた。 しかし俺の目から見ても、あのイケメンがサンダーが頭の上で戦うのに慣れるのを待っているように見えていた。あくまでサンダーと戦う事を選び、そして対等な戦いを演じようと言うフェア精神の現われだろうか。 理解は出来ないが、しかしチャンスでもあった。 サンダーは1年生の中では最強クラスだ。教師陣は、この第一の障害に於いて先ずは1年生の力を見ようとしているのだろうか。そう考えれば、この奇行にも説明が付くのかも知れない。しかし勝負が始まっている今となっては、そんな事は後付けの憶測であって、もはやどうだっていい。 「フラれた数だけ強くなった。お前の力を見せてやれサンダぁぁぁああああーーーーーーッッ」 「うおおおおおおおっ!! それを言うなぁぁああああああああッッ!!!」 「む―――この拳は……ッッ!! ちぃぃぃいいッッ!!」 光の雫(涙)を伴ったサンダーの渾身のストレートが弾丸の如く打ち出される! イケメンはその拳が、今までのサンダーのそれとは別格である事を本能的に悟る! 避ける? いや間に合わない! それにこの気迫では、いくら避けても必ず追い詰められる! だから避けない! 正面から叩き潰すッ!! サンダーの、フラれ続けた事により蓄積した『哀』の力―――漆黒の闇の力に対抗できるのは、己が持つもう一つの闇の力でしか在り得ないと理解するッ!! イケメンは心震わせる。このサンダーを相手にして本当によかったと神に感謝する。 何故なら、彼もまた『同じ闇を背負う者』。闇は闇としか理解し合えない、そして男が理解し合おうその場に相応しい『拳の会話』が今実現しようとしているのだ! 「ハムの人とか、カラナクシの人とか……抽象的な呼称で俺を呼ぶなぁぁぁぁぁあああああああああッッッ!!!」 「なっ―――この闇の力は……まさかお前も哀の使者なのかぁぁあッ!! ならば尚更負けるわけにはいかねぇぇぇえええッ!! 俺の負のエネルギーを受けてみやがれぇぇぇええええええええええええッッ!!」 サンダーとイケメンの拳が激突する! 光の雫が砕け散るその光景は聖戦の幻想か! しかしその美しさこそ感じることが出来ても、その涙の理由を知らない者に、彼らの拳の重さは理解できない! 「おっ、おおおっ、うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」 「うッ―――!! こ、この力は……伝説の『モテナイフォース』!!」 サンダーの咆哮に、光の粒が応えた。 彼らの闇の結晶が集まり、サンダーを包み込む。 それは鎧。心の鎧。何千何万とフラれ続ける拷問のような強い悲しみに曝された者だけが着る事を許された、伝説の鎧モテナイフォース! あらゆる優しさも、悲しみも、まとめて捻じ伏せて跳ね返す鎧の前に、いかなる攻撃が通る道理があるものか! たった今、サンダーは無敵の絶対防御を手に入れたのだ! それはゼンカの防御スキルを遥かに上回る闇の力の結晶! ……しかし、そのサンダーが手に入れた闇の力の結晶への嫉妬が、イケメンの心の闇に強き炎を灯す。 「そうだ、それでこそ障害物『狂想』! さぁ、死のダンスを踊ろうかッ!!!」 イケメンの手には、光の斧が握られていた。闇は、転じて光となる。光が在るから闇が生まれ、その逆も然り。これは輪廻転生の理であり、万物創生の原理! イケメンの手に顕現せしは、名も無き苦痛に耐える強者に送られる煉獄よりの褒美、宝斧ダブルセブンフォー! 闇と闇がぶつかる。その衝撃に、果たしてこの世界は耐える事が出来るのだろうか。 それは誰にも解らない。ただ、それによって世界が壊れてしまったとしても、サンダーとイケメンは決して後悔しないだろう。 「「ううううううううううおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」」 暗黒史に、新たな一ページが刻まれる――――!! ………… 「と言う展開になると予想してみました! どうですかゼンカさま!」 「もう帰れよお前」 ************************** 迷宮学園録 第三十四話 『記憶完全燃焼/思い出不完全燃焼』 ************************** 厨二病を発祥したフルフルによって途中から文章が改竄されていたため、一体何処までが真実だったのかは読者には解らないと思う。……俺にも解らない。実際、カラナクシの頭の上で起こってる出来事なんて、グラウンドを囲む最前列の俺の位置からじゃ何も見えないし。 真実と結果だけ告げるならば、サンダーとイケメンが拳を突き出した体勢で同時にカラナクシの頭の上から転落し、しかしてサンダーの手にはしっかりと3本のタスキが握られていたと言うのが事の顛末だ。 イケメンは、『いいパンチだったぜ』とか言っていたらしいが、当然俺たちにそれが聞こえるはずも無く、決着がクロスカウンターであった事を知るのは、この競技が終わった後の話である。 「フェルエル、頼んだぜ」 「あぁ、任せておけ」 1・2・3年が同時にタスキとバトンを受け渡し、第二の障害を目指して走る。 すると突然、彼らが走るトラックの前方に、一台の大型トラック(駄洒落じゃないぞ)が入り込んできた。まさかそれを乗り越えるのが第二の障害かと思ったが、トラックの荷台の横がガパァー!っと開き、中から簡易ライブステージ&審査員席が現れた。もう、この種目が何をしたいのか、俺には解らない。 なんと、第二の障害は『熱唱カラオケバトル』。生徒チームvs教員チームで持ち歌一曲ずつ披露し、採点マシーンの合計得点が高いチームの勝利みたいな。 もうそれ障害物でも何でもねーよ! ただのバラエティじゃねーか! と言う俺の叫びは届くワケも無く、これはこれで異様な盛り上がりを見せる客席の流れにただただ圧倒されながら、デンリュウ校長の電波ソングに洗脳されそうになるのだった。本当の意味でも違う意味でも、あれは確かに電波ソング。 しかしそこで負けないのが我が学園が誇る変態四天王集団、第二走者のフェルエル(1年)、ナイトメア(2年)、バンギラス(3年)が、何だかそれぞれのキャラソンみたいな歌を披露して教員陣を打ち破り見事にタスキを強奪、第三走者へと繋ぐのだった。 だから! お前らいつの間にキャラソンなんか出してたんだッ! 絶対この後のCMでCD出すだろお前ら! って俺も何言ってるんだ!? 第三走者は、うちのクラスの足が速いだけの目立たない男、名前は何だっけ。エラルドとか言ったっけ。それから2年生はナイトメアに続き、こっちはまともな(?)四天王のエイディ=ヴァンス。3年は変態四天王のセバスちゃんことカイリューだ。 彼らの前に現れた障害物は、某SAS○KEを髣髴とさせる巨大アトラクション。グラウンドの真ん中に、突然教員陣が力を合わせて召喚しやがったそのセットは、多分何処かの緑○スタジオから無理矢理呼び出したんじゃないかと思われるくらいの見事なS○SUKEだった。 しかしそこは物理原則を跳ね除ける世界観、いとも容易く1stステージを突破するかに見えたのだが、やはり何もしてこないはずが無かった教員陣の狡猾なトラップ(デンリュウ校長のヘキサボルテックスとか)によってエラルド、セバスちゃんの両名が脱落。地面属性と言う事で辛うじて電気攻撃に耐え抜いたエイディがタスキを奪い、次の走者に託した。 そしていよいよ最終走者まで、合計3本のタスキとバトンが届けられたワケなのだが、その間俺はと言うとずっとリシャーダの『狩人の目』に見張られていて、携帯電話をしっかり抱え込んだまま汗をダラダラ流しているしか出来なかったと言うか何と言うか。 「よし、この最終走者が全員完走したら」 「やらんぞ! 絶対にやらんぞーっ!」 巨大ウミウシ、カラオケバトル、SASUK○に続く最後の関門に、誰もが予想を裏切られる覚悟をしながらそのレースを固唾を呑んで見守っている。 走者たちも、奇妙な仲間意識が芽生えたのか、決して一人抜きん出る事はせず、揃ってゴールするつもりで居るようだった。 こんなに学園全体が団結したのって、一体何時以来だよ!? 俺はそれを凄く嬉しく思った。そして、来年にはこの学園を去っていくフーディン先輩も、同じ気持ちのようだった。これが、教員の狙いだというのなら、俺たちは感謝する。 ここまで競技と称して激しくぶつかり合って来た者達が、最後の最後に手を取って共にゴールを目指す。 敗者なんか居ない。全員が、一緒に勝利を享受する。 一番簡単な、理想の未来。俺が欲しくて已まなかったカタチが、今ここにある。 最後にどんな壁が来ても、きっと乗り越えよう! だって此処まで辿り着いたのだから! 最終種目に参加している生徒も、見ているだけの生徒も、そもそも参加者ですら無い客席の父兄も、そして、このサプライズを提供してくれた教員たちも。 ピンポンパンポーン。 レース真っ最中だというのに、唐突にアナウンスのアレが鳴り響いた。 その直後、デンリュウ校長の間延びした声が聞こえてくる。 「みなさん、お疲れさまでしたぁ〜。このレースで一位入賞を果たしたチームに、なんと吃驚1億ポイントが進呈されまぁ〜す。最後まで頑張ってくださいねぇ〜」 ―――プチ。 瞬間、時間が凍る。 誰もが、今の一言を、理解できない。 えぇと、誰だ? 教師vs生徒とか言ったヤツ。 1億ポイントって何? 今現在、暫定一位の3年A組は合計460ポイントだぞ? ………。 ………………。 ………………………………………………。 「だ、だまされたぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああっっっ!!!!!」 俺の絶叫が、凍った時間を打ち砕いた。 今まで、同じペースで走っていた走者が、一斉に全力疾走を開始する。 そして客席の父兄や、他待機している生徒たち全員、もう悲鳴ともブーイングとも何とも付かない奇声を上げて走れ走れの大合唱。 「はっ、走れぇぇえええええっ!! お前の足に全てが掛かってるんだぞぉぉぉおおおおっ!!」 「ここまで来て負けやがったら一生クラスの奴隷に遣ってやるぅぅぅぅううううッ!!!」 こうなるともう味方もくそもへったくれもありゃしない。 さっきまでの奇妙な仲間意識は跡形も無く吹っ飛び、1億ポイントと言う安いクイズゲームだって度肝を抜かれるような破格の大逆転に、我先にとゴール目指して疾駆する。 そして混乱が混乱を呼び、とうとう客席や待機ゾーンから、レースが行われているグラウンドにヒトと言うヒトが雪崩れ込み、それは、そう、満員電車に詰め込まれたニンゲンが一斉に飛び出すよりもずっと壮大で狂気溢れる光景で……!! 一人がグラウンドに入ると、もう一人は「おい何やってんだよ!」と呼び戻すためにグラウンドに入る。そうやって空いた二人分のスペースに雪崩れ込んだヒトの流れは将棋倒しの原則よろしく、堤防決壊と言う表現を120%体現しながら一斉にグラウンドを踏み荒らし、そうやって一箇所の堤防が決壊すると、連鎖反応のように次々と人がグラウンドに雪崩れ込んでいく。 あとは野となれ山となれ、お祭騒ぎが好きな連中が後方から押してくるので止まる余地などありはしない。 ついに走者たちもヒトの波に飲み込まれて競技は全部水の泡、ゴールまでタスキを届けられた者はなし。 デンリュウ校長はその光景を、ケラケラと笑いながら傍観していて、それを見た俺たちは漸く、『あぁ、踊らされたんだなぁ……』と、ヒトの山の下敷きになりながら気付くのであった。 最終種目は盛り上がりこそ異様な光景を呈したものの、結局お流れとなってしまったのでスコアには影響を及ぼさず、俺たち1年B組は3位入賞に留まった。しかし、歴代入賞クラスの中では、初の1年生メダリストとなったので、この栄冠は伝説として語り継がれる事だろう。 残念だったが、しかし不満は無かった。 「ところでリシャーダ。このレースが『全員完走したら』とか言ってたよなぁ? わはははは! 残念だったなッ! このストラップはやらーーーーん!」 「……………………………………………………………」 「……ご、ごめん。あげるよ、あげる。あげちゃうから、その『闇』をこっちに迫らせないで下さい……」 稀少品だった猫のストラップを、まさかこの日に取られるなんて、俺は夢にも思って居なかったことさえ、今となっては思い出である。良くも悪しくも。 ********* **** 「………どーしたのゼンカ君、ボーっとして」 「んあー、ちょっと昔を思い出してな」 時は再び、俺やフェルエルが2年生になった後に戻る。 俺は、今さっきまでふと振り返っていた『体育祭の日』の思い出に、奇妙な違和感を覚えていた。 ついこの間までは『無かったはずの出来事』が、今日思い出した体育祭の日の思い出の中に『在った』ような気がして、何かこう……噛み砕いた飴が歯にくっついて取れなくなったような気持ち悪さを感じていた。 「なぁ、シィ。俺、去年の体育祭の日にお前と会ったか?」 「さーねぇ。会ったような気もするしぃー、でもまだ会ってないハズだよう? 私はキミのコトはその時にはもう知ってたと思うけどねぇ?」 「俺の魅力に一目惚れか」 「んーん、フリード先生と並ぶ二大変態だって。あの頃にはもう、1年生でキミを知らない人は居なかったんじゃない? んふふふふ」 「………そーかい」 今、俺と会話をしているのは、隣のクラスの女子。1年生でミレーユと仲良しな面倒見のいいあの女、クリアの姉のシィだ。俺は初めてコイツに会った時、クリアと見間違えたのを覚えている。しかも、クリアが此処に居るはずが無いのに、クリアだと思い込んだまま数日を過ごした記憶もある。 それくらいよく似ていて、でも空気みたいに誰にも違和感を感じさせず、何時の間にかそこに居る。シィは、そんなつかみ所の無い不安定な存在なのだ。 不安定と言うのは、もう一つ、コイツの性格についても言い当てた特徴なのだが。 「あ、何か今ひとの事を空気みたいだとか思ったでしょ」 「んー、なーんかさっきから背景が話しかけてくるなぁ」 「酷っ、流石の私も傷つくよ! 覗き込んだらキミが逆さまに映るビー玉みたいにひび割れちゃうよ!」 「じゃあ逆立ちすれば良いよ」 「なるほどっ、キミは頭いいねぇ!」 スッと廊下の冷たい床に手を置くシィ。コイツ、本気で制服で逆立ちする気か? と思って慌てて俺が止めるよりも早く、ジュースを買いに出ていたリシャーダとフェルエルとサンダーが戻ってきて、シィを制した。 「シィ。スカートで逆立ちすると、色々大変なことになるわよ」 「おおっ、そうだった。よし、ジャージに着替えてくる」 「…………」 シュビッ、と敬礼をして自分の教室に飛び込んでいくシィを、もはや誰も止めはしない。 要するに、馬鹿な子なんです。外っておいてあげてください。 「……ゼンカ。何をどうしたら、ここで逆立ちをする話に?」 「アイツを空気みたいだと思っているのを気取られたらそんな話まで」 「そう。……あたしの想像力じゃ、その話から逆立ちまでの経緯は全然想像できないわ……」 呆れたように言い捨て、教室に戻っていくリシャーダ。 フェルエルもそれに続いて教室に入ったが、サンダーだけは俺の隣に残っていた。 「なぁゼンカ、どうやったら女子に逆立ちさせられるんだ!? そのコツを是非教えてくれ!」 「…………」 サンダーは、俺の想像を超えた立派な変態に成り下がっていた……。 「って、お前ら俺のジュースは!?」 「すまんゼンカー、ラーメンならあるぞー」 「おおおおおおおいっ!!!! た、たまにはスッキリサワヤカな清涼飲料水を飲ませろぉおおおっ!!!」 この日常を作るのには、本当に苦労した。 その甲斐あって、俺は今、本当に楽しい毎日を送っている。 しかし、俺は何故こんな世界に居るのだろうか。 俺は本当は、魔法なんか無い普通の世界で高校生をやっていたはずなのに。 1年以上もこの世界で過ごして、もはや今更考えても如何にもならない事なのは解っているが。 元の世界に帰る方法もわからないし、この世界での他愛も無い日常が楽しくて仕方ない。 もう、ずっと此処にいよう。 こうして仲間と共に。 1stTryと同じ記憶しか持たない黒木全火は、体育祭の日の事を、正確に思い出すことは出来ない。 アークとティニに出会ったことは、彼らに記憶を消されているから思い出すことが出来ないのは仕方ないのだとしても。 今の黒木全火は、何も知らない。 ただ、1年前にこの世界に突然やってきて、ワケも解らずこの学園の生徒になって、今日まで過ごしてきた。そんな記憶しか、残っていない。 本当はこれが4度目の世界で、1年前からずっと、この『4月』を戦うために一人戦ってきたのに。 黒木全火の記憶は、ロールバックによる消去によって過去の思い出まで改竄され、彼はそもそも、これが『Xとの戦い』である事さえ、『知らない』。 全火がこの世界で積み上げた意思は全て消去された。 全火の記憶の中から、『Xと戦うために』と言う文面が全て抹消された。 しかし、記憶が無くても。戦う意思が無くても。 4thTryは開幕する。 3年生の始業式が終わったあの日からもう、ゲームは始まっているのだ。 続く |
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