真っ赤な、と言う表現があるが、直視するとそれは白か黄色と言うのが相応しい。
青空の中にポツンと浮かぶ、指先で測ると1センチにも満たない物体のくせに、その圧倒的な光度のお陰で他の追随を許さない存在感を放つ太陽は、体育祭と言うただでさえ暑苦しいイベントをより熱気に包んでくれるのだった。
そう、今日はこの学園の体育祭である。
スキルを用いてありとあらゆる競技で学年一位、学園一位を決定するのだ。これで燃えなきゃ男が廃るぜ!
ついでに、あまりの暑さに皆汗ダラダラなワケだが、当然女子は体操着が濡れて透けて……これで萌えなきゃ男が廃るぜ!

「おうゼンカ! よく言ったぞ、流石は俺の見込んだ男だッ!」
「よっし、それじゃいっちょ行きますかフリード先生!?」
「いっちゃいますか! やっちゃいますかァーッ!?」
「やっちゃいますかァーー〜〜ーーーッ!? ぎゃっはっはっはっは!!!」

両手で、今や化石となった伝説のギャグ『ゲッツ』を作ってお互いを指差しながら跳ね回る俺とフリード。
ミョ〜なテンションで盛り上がるヤロー2匹に向けられるのは、クラスの女子たちの絶対零度の視線だけであった。

「く、ゼンカのヤツ……女子の視線を釘付けにするとはッ!!」
「サンダー、いい眼科を紹介しようか」

訂正。サンダーだけは羨望の眼差しを向けてくれていた。
リシャーダは、そんなサンダーの隣で冷たいツッコミを入れていたが。

まぁ、祭で盛り上がっちゃうのは俺の癖みたいなものだから、軽くスルーしてくれると嬉しいんだ。
今日は体育祭。狙うは勿論、学園一位のみ!





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迷宮学園録

第三十三話
『熱血体育祭』

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第何種目だっけ、忘れたが現在進行中なのはクラス別対抗リレー女子の部。
1年B組(うちのクラスだ)は、トップランナーのフェルエルが脅威の爆走を見せて大差で次のランナーにバトンを渡していたのだが、次の走者であるフルフルが予想以上に役立たずで、結局最後の方はリシャーダが一位との絶望的な差をギリギリまで追い上げたものの、あと一歩及ばず二位と言う結果に終わった。

勿論、役立たずなフルフルには罰ゲーム。メイド姿で、競技で疲れて帰ってくるクラスのみんなに給水サービスをさせていた。

「ゼンカさまさえよければ、水だけじゃなくてもっと凄いサービスも……」
「もう帰れよお前」
「ゼンカ。水だけじゃ困るだろう、私はラーメンをサー」
「しなくていい! 何なんだお前ら! 競技が終わるたびにそんな濃厚なラーメンが食えるか! でも美味い! おかわりッ!」

因みに、フルフルは元が鳥だから『走る』と言う動作が苦手らしい。
本当はリレーの時に飛ぶと言う作戦だったらしいのだが、当日になって飛行スキル使用禁止と言う制限が掛けられたのだとか。同情はするが、学年、学園一位を狙っている我がクラスとしてはこの結果は非常によろしくない。なので罰ゲームは日付が変わるまで有効と言う事にしておいた。
その後、他の競技でもフルフルはメイド姿のまま出場し(他のクラスの連中は、パフォーマンスの一環だと思ったらしく、「うちのクラスも負けてらんねー!」とか叫んでいたが、その辺は割愛。)、客席のお父さんたち(俺やフリードの同類・同志)が一斉にフラッシュを焚くと言う怪現象が起きた。




「ゼンカ君、ゼンカ君」

トントン、と肩を突付かれ、振り返るとそこには他のクラスの女子、クリアが立っていた。
尚、俺はこの時まで、ごく自然にこの女をクリアだと思っていた。
結局クリアでは無い事に気付くのは、もう数ヶ月先の話である。

「何?」
「あの人がね、ゼンカ君に用があるんだって」
「あの人?」

指差す先を見ると、どっかで見た事あるような男が、客席の中に紛れつつも、しっかり俺を見て立っていた。まさかウホッいい男…、な展開じゃないよなと思いつつ、俺はそいつの元へ歩いていく。
するとそいつは、俺について来いと言っているのか、人ごみの中を掻き分けて、どんどん人気の少ない方へと歩いていった。オイオイ、まさか本当に……俺はヤローに興味は無いぞ。

2年校舎の裏手まで来ると、グラウンドでの喧騒もまるで世界の外側の出来事のように感じられ、日陰と言うのもあるだろう、季節も既に夏は越していたので、少し涼しさも感じた。
しかしまぁ、校舎裏独特のジメジメした空気のため、あまり心地よさは感じなかったが。

俺を呼び出したその男、正確にはその男の髪型は、見覚えがあった。
しかし、全く思い出せないから、もしかしたら『似た髪形・顔付きのヤツ』を知っているだけなのかも知れない。
あと、人ごみを掻き分けている時には気付かなかったが、そいつはユハビィをちっちゃくしたような幼女を連れていた。

「そう硬くなるな少年。俺たちはお前の味方だ」

極めて明るい表情を作ろうと勤めているのだろうが、多分、生来無愛想な顔なんだろうなぁと思った。
その男のぎこちない笑顔を、隣に突っ立っていた幼女が男の脹脛辺りに肘打ちして止めさせる。
『お前の味方だ』と言う言葉に、俺は薄々、状況を理解した。俺に対してそんな言葉を言ってくるのは、つまり、俺の境遇について、ある程度の理解を持っている者の可能性がある。

「……俺はアーク、んでコイツはティニってんだ。あ、誘拐とかロリコンじゃねーぞ。これでも血の繋がった兄妹だ」
「愚兄が、迷惑をかけて、申し訳ない……」
「き、兄妹ぃっ!? 何処が!?」

素っ頓狂な声を上げて驚く俺。
一方、勝手に他己紹介されたティニ(推定6〜7歳くらい)は、しかし別段動じる様子も無く、平然と実の兄を見下していた―――推定年齢からは想像も付かない、酷い言葉で。
なるほど、この兄あってこの妹ありか。それにしてもこの二人、まるで似てないと思う。
そうだ、それでやっと思い出したが、この男の髪型はどちらかと言えば、アディスに似てるんだ。
と、思った瞬間。

「来年この学校に入ってくる愚弟のアディスも宜しくな」
「……!」

男の目は、真っ直ぐ俺の瞳の奥を注視していた。俺が考えている事を、透視するように。
俺の心を読んだ上で、弟も宜しくとか言い出したのだろうとしか思えないほど、男は不敵な笑みを浮かべていた。明るい笑みはぎこちなかったが、不敵な笑みを浮かべさせたら、この男はかなり絵になっていた。
……要するに悪役顔だった。

「……一体、何の用だよ? 俺を呼び出しておいて、『味方です』で終わらせるワケ無いだろう?」
「お前に限らず、人を呼び出しておいて『味方です』なんて、そもそも有り得んだろう。そう慌てるな、『まだまだ時間はあるんだからな、4月までは』」

そいつはパチンと指を鳴らす。
すると、何も無いはずの空中から、白くて高級そうな椅子とテーブルが現れた。貴族の庭園に置いてありそうなそのテーブルの上には、ティーセットが置かれていた。
……召喚系のスキルだろうか。それにしては、やたらと無駄が無い。普通、召喚系のスキルは、もっと呼び出しに時間が掛かるからだ。それなのにこの男は、指パッチンだけでそれをやってのけやがった。
只者じゃないとは思っていたが、俺はそれでも、この男を過小評価していたのかも知れない。

「お前はコーヒーが好きだったな。……その理由は、お前の父親への憧れ、か」
「……!」
「父親は『その道』のトップに立っているくせに、仁義に厚い立派な男のようだな」
「お前……なんでそれを……」
「『お前は赦せる人間になれ』、その一言が、無意味な喧嘩三昧だったお前を変えた」
「…………!」

アークは、手際よくコーヒーを淹れながら、独り言のように呟いていた。
その言葉の一つ一つが全て真実を言い当て、俺は、とうとう『恐怖』さえ感じる。
どうして知っている、こいつは何者だ……!
全身の産毛が逆立つような感覚―――鳥肌が俺を包み込み、警戒しろと叫ぶ。

「アーク……。警戒、されてる……。お喋り、過ぎるよ……」
「HAHAHA☆ 悪い悪い。そう身構えるなって言ってるだろ黒木全火。俺はこう見えて占い師なんだ。観たくなくても、観えちまうんだよ、相手の事が。同情してくれ、この能力の所為で俺の青春時代は散々だった。告白する前に結果が解っちまうのは面白くもなんともねぇ」

アークは肩を竦めてやれやれのポーズをしてから、俺が座るであろう席にコーヒーを置いた。確かに、それは面白くも何とも無いな、と思う。身近にサンダーとか言うアホを知っている俺としては。
アークは、それから自分用に紅茶を淹れ始めた。……ティーポットから出してるから、多分紅茶だろう。

「残念、これはワインです」
「昼間からワインかよ! ポットからワインかよ!! 何で俺の周りのヤツは片っ端から道具の使い道を脱線してんだよっ!!」
「当然だよ、英国紳士としてはね」
「ここは英国でも無ければお前は紳士でもない! あとどっちにしろ英国紳士だったら紅茶だろ!」


給水ポットからラーメンを出していたフェルエルを思い出しつつ、英国紳士と言う言葉の使いどころを間違えるアークにツッコミを加えると、ティニがくすくすと笑い出した。続いてアークがアホみたいに笑うので、何時の間にか釣られて俺も笑っていた。
……味方だと言うのだし、あまり深く考えても仕方ないだろうと、俺は腹を括ってコーヒーを啜る。
が、それがいけなかった。

「ぶっはぁぁあっ!!! なんじゃこりゃあああああっ!!!」
「残念、それは醤油です」
「ざっけんなぁぁぁぁああっ!! 何で!? さっきコーヒー淹れてたよな!?」
「ある時は英国紳士、ある時はしがない占い師、またある時は一流の手品師。俺って一体何者なんだ!?」
「俺が知るかぁーっ!!」

……どうやら俺は、話を脱線させられる星の下に生まれているらしい。
結局この場では本題には入ってもらえず、体育祭の後にまた会うと言う約束を取り付けて、俺は学園一位の座を目指す戦いへと舞い戻っていった。
アークとティニは、俺を見送ってからテーブルと椅子を片付けた。

「ふ……たかが夢のお告げかと思ったが、どうやらこの学園、随分面白い事になってるじゃねーか」

さて、念のために説明しておこう。
このアークは、この世界に於ける純粋な『アーク』と言う一個体であって、超界者アークとは一切関係が無い。全く同じ魂と器を持っていると言う点では、関係が無い事も無いのだが、少なくとも互いに関与はしていない。
超界者アークは今頃、ポップコーンを片手にこの迷宮学園録と言う世界を傍観している頃だろう。彼はこの世界に興味はあっても、引っ掻き回す心算は毛頭ない。それは純粋に邪魔をする気が無いと言う心の現われでもあるが、一つの確信の下に、自分が手を下すまでも無いと思っているのだ。

超界者アークは、この『アディスの兄のアーク』を、違う意味で信頼している。
同じ魂・同じ器を持つ『アーク』ならば、自分が後押ししなくても、必ず何かを仕出かしてくれる、と確信しているのだ。そして4度目となる今回、とうとうそれは実現した。

アークはこの体育祭の日の朝、いつも夢を見ていた。自分の母校に、『何かがある』と言う夢を。
それはロールバックを繰り返すたびにハッキリとした神託として、アークの心に『何か』を残していた。
そして4度目、ついに彼は動いた。その神託に、気紛れを重ねて。

「面白い、こと……?」

ティニが問う。しかし、アークは不敵に笑ったまま、答えない。
アークの人の心を読み取る力は真実であって、決してアークのハッタリやトリックでは無い。だから、漠然とした夢のお告げによって訪れた母校でゼンカと言う存在と邂逅したのは、決して偶然では無い。
……ゼンカの心には、この学園で近い将来に起こり得る惨劇と戦う意思が、確かに在ったのだ。それを観たアークは、この学園の暗部を、確信する。

「帰るぞ、ティニ」
「え……? いいの……?」
「アイツは今日俺と出会ったことは『忘れる』、そーゆーコトでよろしく」
「…………」

アークの奇妙な一言に、ティニが顔をしかめた。
ただ、ティニがどんなに凄んで見せても所詮は幼女なので、ただ可愛いだけなのが哀れである。
同情したアークは、チョコレート一枚で手を打つことにしようと、鞄に手を突っ込んだ。差し出されたチョコレートを受け取って、ティニは溜息をつきつつも首を縦に振る。

ティニには、僅かながら他人の記憶を改竄する能力がある。
ただしそれは微々たるモノで、せいぜい『実際に在った出来事』を暈して、『夢か現実かをあやふやにする』程度の能力だが、それを使えばゼンカの『アークと出会った記憶』を『白昼夢だったのか』と思わせることが出来る。
ゼンカを呼び出すために利用した女生徒もまた、同じように記憶を操作すれば、今日のこの出来事は、時の流れが完全に風化させてくれるだろう。






………





体育祭もいよいよ佳境に入っていた。最後の競技は障害物競走。毎年毎年、病院送りになる選手が後を絶たない男塾みたいな競技だ。PTA? そんなもん、この世界には無かった。俺の認識が甘かった。俺の元居た世界にあるものが、この世界に必ず在るとは限らないのを、痛感させられた。
因みに俺は直前の騎馬戦(と言う名のバトルロワイヤル)で、果敢にも3年で俺のボクシング部の先輩たちのチームFLB(自称)に挑み、見事に返り討ちに遭って重傷を負ってしまったため、B組ゾーンから応援するだけを余儀なくされていた。包帯グルグル巻きでミイラ男と化している。仕方ないから、自前のゾンビマスクを被ってより死人に成り下がってみたりしたら、真面目に応援しろとか怒られた。よ、良かれと思ってやったのに……。
それにしても、フーディン先輩の3色パンチ、伝説かと思ったら実在していたのか……。

「油断したわね、ゼンカ」
「そういうお前こそ結局敗走してたじゃねーか」
「私は勝てない相手に挑むほど馬鹿でも勇敢でも無いの」

リシャーダは。最後の競技には選抜されていないので、俺と同じようにB組ゾーンで待機していた。
そして俺の隣でフルフルの差し出した水を飲み乾し、視線を俺の携帯電話に向ける。
……正確には、俺の携帯電話の、猫のストラップに、だ。……またかコイツ。

「ねぇゼンカ、じゃんけんしない?」

そわそわしながら、妙な誘いを仕掛けてくるリシャーダ。
そんなにか。そんなに欲しいのかこのストラップが。お前の築き上げたクールキャラを壊してまで……ッ!

「ストラップならやらんぞ」
「…………………」

凄い表情で俺を見つめるリシャーダ。
凄いって言うのは、鬼の様なと言う意味から180度ほど違う方角の意味。
そうだな、こう……置き去りにされた子犬のような。ハートにグサリと突き刺さるような切なさを伴った。だから、お前はそんなキャラじゃないだろ! と叫ぶ気力さえ根こそぎ刈取られる様な。

「………そう、………じゃあ、………もう、………しねばいいよ」
「俺そんなに重罪っ!?」

俺の隣だけ夜の闇のように真っ暗になっているのは、リシャーダが体育座りのまま俯いているから。
解った、解ったもう俺の負けでいいから! 欲しいならやるよ!

「べ、べつにほしくなんか……」
「あーもう面倒くせぇなお前っ!!」

照れながら顔を背けるリシャーダに、ミイラ男(兼ゾンビ)な俺の叫びが木霊する。
そんなアホみたいな光景をメイド姿のフルフルがジト目で見ていて、さらに木陰からサンダーが羨望の眼差しを向けていて、……そんな日常は、体育祭と言うイベントの中に於いても例外なく、俺たちを包んでいた。

「っつーか何してんだサンダー! お前選手だろ!」
「そうでした。やっちゃったぜ!」
「早く行け! そんで死んで来いお前!」

ヒステリックに叫ぶ俺を尻目に、サンダーはテケテケとグラウンドに向かっていった。
去り際、俺に背を向けながらサムズアップをくれやがったので、俺はそれを逆さまにした「KILL YOU」なサインを付き返してやった。



『さぁー! いよいよ最終種目となりました! 果たして勝利の栄冠を手にするのは何処のクラスなのかー!? 先ずは第一コーナー、なんと1年生ながらにして現在第3位にまで喰らい付いている1年B組! 1年生全員の期待に応えられるか!? そして第二コーナーは矢張り磐石! 伝説の三色パンチで他の追従を許さないFLB率いる3年A組ィーーーッ! 現在文句無しの第一位ですッ!! それに続くは第三コーナー、こちらも恐るべきポテンシャルを秘めたナイトメア率いる2年B組だァーーーッ!! 最終種目への出場権を持つのはこの上位3クラス! 奇しくも1・2・3年の代表が揃い踏みとなった今大会はまさしく波乱の予感ッ! 何処のクラスが勝ってもおかしくねぇぞテメェら死ぬ気で応援しやがれYEAHHHHHHHHHHHHHHhッッ!!!!!!!!!』

「「「ウォォオオオオオオオオオオオオッッ!!!」」」


会場全体の注目を十分に集めているのに、司会のハイテンションによって会場の熱気は最高潮を突破する。雄叫びは校舎の窓ガラスをビリビリと振動させ、まるでこれから始まる一大決戦に学園全体が武者震いを隠せないような様相を見せていた。―――しかしそれは比喩表現などではない。
誰もがこの決戦を固唾を呑んで見守っているのは、紛れも無い事実!

うちのクラスの第一走者は『音速のサンダー』。名前の由来は、告白しても音速でフラれるからだ。
しかし彼が早いのは告白までの時間から断られるまでの間だけではない。曲りなりにもこの最終決戦の第一走者を任せられるだけの実力は確かにある。
スキルを駆使しての競技大会なので、3年の有利は磐石であろう。しかし、同時に『走る』と言う競技でもあるのだから、必ず漬け込む余地はあるだろう。
『競技』なのだから、スキルでの実力差は戦略でカバーできるのだ!

「サンダー、いよいよアレを使う時が来たぞ」
「わぁーってるよ。ま、サングラス掛けてしっかり見てるんだな!」

それぞれ第一走者が位置につく。
ゴクリ、と会場全体がシンクロしたように唾を飲む。
そして、競技開始を告げる審判が空砲を持った腕を高らかに掲げる。
………サンダーは緊張を隠せない。
2年生の走者は、俺たち1年には負けまいと敵意をむき出しにしている。
3年の走者は、自分たちの勝利を疑っていないのか、まるで緊張感を感じさせない涼しいアスリートの顔をしていた。……それが油断や慢心だとしても、極限の場に於いて緊張しないと言うのは、ある意味強みである。何故なら、何時だって自身のベストを尽くせる証明なのだから。



―――パァアンッ!!!



会場全体の緊張の糸は、今日一日で随分聞き慣れてしまった銃声によって寸断され、一時は押し殺されていた熱気が、再び最高潮を突破する。
怒号、軍隊が突っ込んでくる時の地響きみたいな大歓声と同時に、第一走者はスタートを切った。2年も3年も、初っ端から仕掛けてくる事は無かった。サンダーはニヤリと笑う。

「見晒せえッ!! これが俺の最高出力だァぁぁぁぁあああああッッ!!」

若干遅れを取ったサンダーが叫ぶと、思わず前方を行く2・3年走者が振り返る。
―――それこそが狙い! 叫べば振り返ってくれるからこそ!
太陽のような強烈な光がサンダーから放たれ、振り返ってしまった前方走者は目晦ましを喰らう形になった。完全に視界を奪われた2・3年走者は、それでも何とか高速で走り続けるが、前が見えていないようで足取りはおぼつかない。
そしてその隙に、サンダーは暫定一位を駆け抜ける。
今日、この瞬間まで隠していたサンダーの必殺スキル、『フラッシュ』は見事に不意打ちを成功させ、後続との距離を大幅に稼ぐ事が出来た。

「くっ、逃がすかッ!!」

2年走者が『何らかのスキル』を自分に掛けた。すると、見る見るうちに速度が上昇し、折角開いた距離がどんどん詰まっていく。『高速移動』だろう、やはり持っていたか、と俺は舌打ちした。
高速移動のような己の身体能力を向上するスキルなんて、滅多なことでは覚えられない。原理が複雑すぎて、3年レベルに達していないと不可能だと言ってもいい。だから3年が持っているのは覚悟していたが、まさか2年が持っているなんて―――と、俺は歯を食い縛った。
だが、まだそれも想定の域を超えない。3年が持っているのを覚悟していたのだから、2年が持っていたからと言って別段作戦に支障は来さない!
何故ならこのレースは『障害物競走』! ただ早いだけで突破できるなら、普通に長距離リレーでもやればいいのだ! 教員たちだってそれは理解しているから、早いだけでは突破できない仕掛けを必ず用意してくるに決まっているッ!

「―――などと、ゼンカ辺りは考えているんだろうなぁ。今まさにそういう顔をしている」

3年生の第二走者、ボクシング部の先輩に当たるリザードンは、腕組みで第一走者のバトンを待ちながら呟いた。その視線の先に俺の姿が在ったが、俺はそれに気付いていない。

「だが甘いぞ、まだまだ甘い。早いだけでは突破できない事など、2・3年は百も承知なのだ! 何故なら既に去年も経験したことなのだからなッ!!」

リザードンの確信染みた不敵な笑みにシンクロするように、3年の第一走者はグングン差を詰め始めていた。影のようにピッタリと、決して離され過ぎずに一定の距離を保とうとしているようにも見える。
その絶妙な距離は、まだ見ぬ『障害物』を前方を走る走者に先に経験させ、十分な対策を練る『時間』に己の『速度』を掛けたものに見える……!
3年A組を代表する策士フーディンが、やはりただ走るだけと言う行為を選手に許すはずが無かった!
彼もまたこの体育祭に勝つために、十分過ぎる作戦を練って来たのだ!

「後はぶつかり合いだな、どちらの作戦が上を行くか……!」

まさに、その通りであった。
だが、リザードンは知らない。
否、知る由さえ無いのだから、誰も彼を責められない。
その作戦を打ったフーディンを責める事だって、誰にも出来やしない!
だって、3年は全員、去年も同じ種目を経験しているのだ! だからフーディンの作戦が十分だと判断した! つまりそれは、言うなれば全員の責任!

まさか……今年のレースが去年よりも数段凶悪性を増しているなんて、誰にも想像できなかったのだから……ッ!!

サンダーが一番最初に、その場所に到達する。
だが足は留めず、どんな障害物が出てきたとしても、それを突破する心算で居た。

【危険、障害物注意】

走者の視界に真っ先に入るような位置に立てられたその看板には、まるで……犠牲者たちが、後続の者に引き返せと叫んでいるかのような……血の様に真っ赤な文字が書かれている……ッ!
恐怖心を刺激するには十分過ぎるインパクトだったが、しかしサンダーはまだ状況を理解しない。
何故なら、これは所詮『競技』。まさか、殺しに来る事は無いだろうと油断していた。
その後を追う2年も、3年もまた、全員が油断していた。だから、サンダーだけが特別馬鹿だったと断ずる事は出来ない。

「さーてアブソルちゃん、やっちゃいますよ!」
「……今年こそ、死人が出ても知りませんよ……」
「大丈夫ですよぅ、医療スタッフは万全の体勢で待機してますから☆」

デンリュウが、教員席で満面の笑みを浮かべている。
それが、不意に俺の視界に入った。その瞬間、戦慄が俺を包み込む。

「サンダーッ!!! 止まれぇぇぇぇぇええええええええッッッ!!!」

だが、俺の叫びはもう意味を成さない。
『それ』は、地中から現れた。
そしてサンダーを押し潰し、2年・3年の走者をまとめて捻じ伏せた……ッ!!



あまりに予想外。
卑劣なまでの超展開。
体育祭は、かつてない戦いの歴史を紡ぎ出そうとしていた―――!!










続く 
  
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