「……そりゃ、何プレイだ?」

俺は思わず口をポカンと空けたまま、ボロ子の返事を待った。
と言うのも、栞を破いて元の世界の図書室の一角に戻ってきた俺の前に現れたボロ子が、突然何を思ったのか『私を殴りたければ殴れば良い』とか言い出しやがったからだ。
マゾか、マゾなのかコイツ。だとしたら絶対に殴ってやらん。放置プレイ。

「……欲望の王のことなら、別に怒ってないぞ」
「………?」

ボロ子は殴られるのを覚悟の上で目を閉じていたが、俺の一言に恐る恐る目を開いた。
あ、目を閉じてる間にキスくらいしてやっても良かったか。思い出すのが遅いぜ俺。
タイミングを逃しているので殴るより凄い事をするのを諦めた俺は、続けて言う。

「アイツ自身、『これはこれで面白いからいい』とか言ってたしな。アイツが怒ってないのに、俺が怒る義理も無いだろ。俺だって『お前の側』の人間なんだからさ」

『お前の側』とはつまり、被害者であるクロキゼンカからしてみれば、俺もボロ子も同じようなモノなのだということだ。俺は何も知らなかった、だからそれが罪。俺によって消滅しそうになった存在を知り、そして認めることが唯一の贖罪。それでいい。アイツが許すと言うのなら甘んじて受け入れ、そして共に学園で戦うと誓おう、それが俺たちクロキゼンカの道だ。

「そうか。じゃあ、次は私の番だな」
「ん? バンダナがどうかし――――」



―――ゴグシャァァアッ!!



「ぶぎぇええええええっっ!!!」



―――ダン! ダン! ズザザザザザザーーーッ!!



ボロ子の、『私のバンダナ』とか言うわけ解らんセリフの後、俺は右の頬に凄まじい衝撃を受け、身体が頭に引っ張られて空中を1回転、2回転、その後ツーバウンドして図書室の反対側の壁まで滑っていった。
フェルエルのマッハパンチは痛覚すらぶっ飛ばしたから痛くなかったが、コイツのパンチは生半可に強いだけだったから滅茶苦茶痛かった。

「ぼ、ボロ子ぉーーーー!! 誰を殴っている! ふざけるなぁーーーーッ!」
「全生徒を死に追いやって、馬鹿を見たで済ませるのか!!」
「全生徒? あああの作戦の事か! そうだボロ子、ああいう無力で何も出来ない連中が損をするんだ! ああいう人間が馬鹿を見る、そんな世の中でいいのか!? 彼らの様な善良な生徒が馬鹿を見ずに済む世界……理想の未来、そこに至る為の礎として彼らは死んだ! 彼らの死を無駄にしないためにも(以下略)」

ノリが良いと言うか何と言うか。
落ち着くまで数分要したのはさて置き。

「私に隠し事が出来ると思ったら大間違いだぞ。少なくとも、向こうの世界と違って縛られていないこちらの世界ではな」
「……何の事だよ」

正直、ボロ子が何処まで俺の心境を読んでいるのか興味があったから、極めて平静を装ったまま、俺はわざとらしく笑みを浮かべ、恍けた返事をする。

「Xの正体を知ったのだろう」
「ああ」
「私はその場には居なかったし、結局お前らの『作戦』とやらも知らず終いだったからXの正体は知らん。だが、教えて欲しいとも思わん。私がXを知っても、何の意味も無いからだ。その理由が解るか?」

その理由と言われても。
まぁ、ボロ子は向こうの世界では『ほぼ何も出来ない』から、Xの正体を知ったところで如何にもならないのだろうが。つまりXの正体を掴んでどうこうってのは、全部俺の責任で勝手にやっとけって事を言いたいのか。

「正解!」

―――ヒュッ!!

「ぬおおおッ!!! 寧ろその鉄拳の意味のが気になるわーーッ!!」

2発目ともなると流石にボクシング経験者なので辛うじて避けられた。
しかしさっきからやたら暴力的だが、俺、何か怒らせるようなことしただろうか。
全く心当たりが無く、こればかりは真剣に悩んでいると、ボロ子は呆れたように溜息をついてから、吐き捨てるように言った。

「Xの正体は、お前にとって随分……信頼に値するヤツだったようだな」
「―――!」
「そしてお前は迷っている。そいつを、殺すことを」

正解コールにタメすら不要なほど、当然のように俺の心を読み当てるボロ子。
……そりゃ、迷うだろ。常識的に考えて。
よくあるRPGとかのシナリオで、信じていた仲間が実は敵だったって言うイベントは手垢塗れの王道だけどさ。そのRPGの中で主人公がいくら葛藤しても、結局シナリオの流れに流されて、プレイヤーは殆ど作業的に、その仲間だった敵を……倒すんだ。

普通堪えるだろ、そんなこと出来ないだろ。
サナは、俺に負けるなら踏ん切りが付く、と言っていたけど。
俺は、間逆の事を考えていた。サナを殺して勝利を得た後に、俺は本当の意味で勝利を……喜ぶ事が出来るのだろうか、と。
サナが俺に負けて悔いは無くても、俺はサナに勝った事を一生後悔するだろう。
信じていたヤツを倒してまで得た勝利の代価は、ただ後悔するのみ。
負けても後悔するけど。勝ったら、もっと後悔する気がする。
そんな葛藤の中に置かれて、何も感じないワケが無いんだ。
俺はゲームの主人公のように冷徹には、なれない。

と、そんな俺の葛藤に嫌気を感じたらしいボロ子は、俺をガン見しながら言った。


「歯を食い縛れ」

「あ?」

「殴打する疾風の魔導、レベル1」


ボロ子が何かの魔法のような言葉を唱えた次の瞬間、拳とは違う何かが俺の顔面を再び殴りつけた。
今度のはフェルエルのそれと同じように俺の痛覚をもぶっ飛ばし、俺は図書室の中を天井スレスレまで舞い上がってから床にたたきつけられた。

……即座に起き上がれないのは、今の一撃で完全に身体が麻痺しているから、と言うだけでは無いような気がした。


「お前はそうやって打ち負かされて終わる事さえも諦めるのか?」


ボロ子は俺を見下ろして言う。
普段なら、自分で殴っておいて何を言う、とツッコミを入れるところだが。今はまるでそんな気にはならず、ただ素直にボロ子の言葉が耳の奥まで染み込んで来るのを感じるばかりだった。
しかしボロ子はそんな俺の感傷をお構い無しに、辛辣な内容の質問をぶつけてくる。


「じゃあ聞くが。Xが誰だったら、お前は躊躇い無くそいつを殺せたのだ」
「――――ッ!!」


呼吸をする事さえ忘れる程に、俺はハッとした。
誰がXだったら殺せただと? そんなの、……誰だって……。
誰が、Xだったとしても……。……ああ、そうか……そう言う事か。
サナだったら迷うのに、つまり他のヤツだったら、俺は躊躇い無くそいつを殺せたのかってことか?


「Xが知らないヤツなら、遠慮なく殺せたのか?」


俺の葛藤を、ボロ子が復唱する。
その答えには、迷う事無く回答を出す事が、出来た。

……きっと俺は、知らないヤツだったら遠慮なく殺せた。
何の躊躇いも無く、ただ純粋にみんなを惨劇から救うために。

……最低だ……ッ!! サナと他の誰かを区別するなんて……!
大切じゃない人間なら殺していいのか? 違う、そんなはず無い!

―――俺には、Xを殺すことなんて、出来やしなかったんだ……!
だからボロ子は怒っている、不甲斐無い俺を責めている、ボロ子はゲームに勝たなければいけないのに、そのために存在している俺が何も出来ない事を嘆いている……!


「……迷うなとは言わない。お前のその葛藤は、人間として正しい。別に私は、最初からお前にXを殺してもらおうなどとは……考えていなかったのだからな……」


ボロ子の言葉には、俺への失望が込められていた。
一言一言が俺を責めているように、心に突き刺さってきてズキズキと痛む。
今なら解る。『デンリュウ校長を失ったら、俺に勝ち目が無い』と言う言葉の意味が。


「最初から解っていたんだ。お前が、この戦いの駒にするには、優しすぎる事を……」


暫し沈黙、その後ボロ子は小さく呟いた。


「……もう、やめるか?」


それこそ、打ち負かされる事からさえも、逃げ出すと言う事。
しかしボロ子はボロ子なりに、俺のこれ以上の続行を、危ぶんでいる。
駒には、俺意外の代わりが居るのだろう。しかし決定的に違うのは、あの世界が残り何回ロールバックできるのかも解らないのと、それにも関わらずそこをゼロとして再スタートせざるを得ないと言う事。


「……やる」


俺は答えた。
小さな意思を、言葉で示した。


「Xを殺せるか?」
「殺さない」
「他の誰かに殺させる事を選ぶのか?」
「殺させない」


徐々に、俺の口調が強まる。
同時にボロ子も、俺の的を射ない返答に、言葉に熱を帯びさせる。



「ではどうする心算だ! まさかわざと負ける心算か!?」


「負けない!」


「っ!」



サナは殺さないし、殺させないし、ゲームには負けない。
それが、俺の答え。無理だと言われても、俺は、これ以外の方法で勝つ気は無い。


「俺を信じろ! 惨劇なんて一つも無い、最高のエンディングを作ってやる!」


両者共に、と言っても俺はまだ仰向けに倒れたままだが、暫く睨み合う。
やがてボロ子は、フッと静かに笑い始めた。


「ふふ、ははは! 漸く迷いを振り切ったか。それでこそお前を選んだ甲斐があったと言うものだ、黒木全火。駒の分際で超存在に信じろと命令するとは面白い。…………本当に信じていいのだな?」

「男に二言はねー。お前が何者で俺を駒扱いするのかもどーでもいい。俺を信じろ、絶対にやってやる。俺はこう見えて、結構執念深いんだぜ?」


やっと身体が動くようになり、俺は起き上がる。
身体が軽くなったような気がしたのは、きっと気のせいでは無いだろう。
誰も悲しまなくてもいい世界、それが俺の選んだ答え。
だからもう迷わない、迷いは無い。下らない選択に対する迷いは全部、此処に捨てていく。

Xが誰だったとしても、最初から殺さない方法で勝てばいい。
そいつを殺さずにこのゲームに勝つ方法を見つけてやる。
もっと厳密に言えば、勝ち負け以前に、この下らないゲームを『終わらせる』。

屋外スポーツが雨で中止になるように。
ゲームの主催者が続行不可能だと判断するような状況を作れば、そこが俺の戦いの終点だ。


「連れてけ。次の挑戦は俺の計画のためにも色々と忙しくなる。時間は何処まで巻き戻った?」
「2・3年始業式の後だ。お前の行動次第で展開は変えられるが、基本はセカンドトライのやり直しと思えばいい」
「オーケー、そこまで巻き戻ってりゃ十分だ。先ずはフィノンから何とかしないとな!」
「じゃあ、行くぞ」





開け、世界の道よ。
鏡に我が身を投影せよ。




MysticNote――Be OnlyOne Existence





浮遊感の後、俺の意思は再びこの世界を離れ、クロキゼンカが待つ器へと投影される。
今度は上書きではなく、共闘するための『投影』。



ここからが、本当の戦いだ!





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迷宮学園録

第二十六話
『3度目の挑戦へ』

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このゲーム、つまり超界者ミリエと超界者エックスの戦いに於いて。
それに加わった超界者ノアを、エックスはあまり快く思っていなかった。

この三人の超界者を強い順に並べると、一番上にミリエが居る。
その次にエックスが居て、最後にノアが来る。

エックスは、このゲームの上でならばミリエを倒す事が『不可能ではない』からこそ、今回このような挑戦をしたのだ。だから、エックスよりも実力が低いものが参戦してくるのは、非情に邪魔であった。
最下位のノアがエックスを屠り、そのままミリエさえも打ち負かす可能性も、まるで0とは言い切れない。これでは本末転倒である。
ノアなど、わざわざゲームの上に乗せなくとも、素の実力で倒せる相手なのだ。
それをゲームの上で対等に戦うのは、あまりに危険を伴うと言うもの。





だから、エックスは強く安堵した。




ノアが己の力を過信していたのかどうかは知らないが。
まさか自分からゲーム盤を離れ、外の世界で勝負を仕掛けてくるとは思ってもみない僥倖だったから。


「さて、あとはミリエ一人か……尤も、これも既に勝負がついているようなもの……ふふふふふ」


不覚にもノアに負わされた頬の傷を撫でながら、エックスは不敵に笑っていた。











続く 
  



  
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