最初のシナリオが終わった。
永遠に続くと思われた物語が、唐突に。

その唐突が彼女にとって計算の範疇であったのは、我々も知るところだ。
しかし、彼女が一つの失敗を犯した事もまた、我々は知り、そして同情しなければならない重大な要素であろう。

『自分が助かるためならば、他の何を使い捨ててもいい』

非情に見えて当然であるその意思を、彼女は最後の最後で貫く事が出来なかった。それが致命的な誤り。
なぜならその結果、世界を巻き戻す事にこそ成功したものの、『ロールバック』の制御を失い、一体何処まで世界が巻き戻ったのか、彼女自身には解らなくなっていたからだ。
彼女に残された力が僅かであったために、そこまで致命的な時間が巻き戻されてはいないだろうが―――彼女が再びこの世界に『現れる』ために、あとどれほどの時間が必要になるのか……我々には知る由も無い。

彼女自身は、世界の中で出番を待つ駒の一つとして、『無』の中をひたすら待ち続ける状況を余儀なくされていた。
それは、彼女にはとても辛いこと。拷問と言い換えてもいい程に。
本来の『駒』はその『無』を感じることが出来ないため、出番が来るまで待つことと、出番を終えたあとに退屈を感じることは無いのだけれど。
彼女は、その存在の次元が他とは違うが故に、『無』の中でも自身を保つ事が出来てしまう。

外から見守っているこちらとしては、それは心配すべき事象。
彼女がその退屈に耐え切れず、『無を感じる事が出来る力』を捨てて『駒』の一つに成り下がる事を選んでしまった場合、残念だけど、こちらは大切な仲間を一人、失う事になってしまうのだから。

こればかりは、彼女の心の強さを信じるしか無いのだけれど。


しかし。
この失敗による影響は――こちらの方が重大かも知れない。

あのゼンカと言う少年が、自身の置かれた状況を理解する間も無く世界の外に弾き出された事が、最悪の場合、二度とこの世界に戻ってくる事が無い可能性も示しているのだから。



彼女はゼンカだけでも守ろうと、自ら銃弾を生身に受けた。
馬鹿な子。いくら銃弾を止める力が勿体無いからと言って、あの危機的状況の中、『数分』と言う長過ぎる時間をかけて実体化した自分の身体を盾に使うことも無かったのに。

兎も角、彼女はゼンカを世界の外に、何の説明もせず弾き飛ばした。


だからゼンカは、『世界が巻き戻った事』と、『もう一度だけ世界に挑める事』を知らない。


何も知らずに、元の世界に帰ってしまった。
もし、彼が『夢だったんだ』と思ってしまったら、もうこの世界は救えない。

せいぜい、ちゃんと帰って来なさい。信じて待つと言った彼女を、失望させないように。





………





さて。
ゼンカのその後を見守る前に、少しだけ最初のシナリオのおさらいをしよう。
最初の世界―――クロキゼンカが、ある学園に迷い込んだ話。



最初のキーポイントは、『不思議な世界』。

最初に彼が見たのは、彼の元居た世界とはかけ離れた世界だった。
スキルと言う名の魔法が飛び交い、変わった名前の連中が変わった日常を送る夢の様な世界。
彼はそこに溶け込み、楽しい日々を送ろうとしていた。

それは、仕方の無い事。
彼はこの世界に来るに際し、『元の世界への未練』を全て消されていたのだから。

その代わり、消した本人の力が不完全だった所為で、本来の目的まで忘れているという想定外の事態になってしまっていたようだけれど、後半は無事に思い出せていたようだから結果オーライ。



次のキーポイントは、『デンリュウ校長』。

彼女は―――周囲から見れば穏かでカレー好きな若き校長先生、と言ったところだろう。
しかし、ゼンカや読み手の視点から見ると、少し特異な存在に見えるかも知れない。

でも、彼女は本当に優しい人。
アブソルも言っていた通り、生徒には絶対に手を出さないし、見ず知らずのゼンカに対して最大限の援助をしてくれた。学園を守る立場上、ゼンカに対する多少の警戒も仕方が無かったのだろう。

この時点で勘の良い読み手は、『鍵』を守る一つの手段を知ったと思う。

『デンリュウ校長は生徒に手を出せない』

このルールを打ち破ることに成功すると、ゼンカは次のシナリオで盾を失わず、さらに物語の深いところまで潜り込む事が出来るはずだ。何故なら、最初のシナリオで明らかになった犯人グループは、間違いなく3年生だったのだから。




次は少しだけ特異なキーポイント、フィノンを取り巻く『異常』の噂。

フィノンはゼンカのクラスメートで、2年生四天王のリシャーダを姉に持つ大人しい少女。
そんな彼女は、とある噂によってクラスの中では孤立しがちな状態にある。
ゼンカは、そんな彼女を救おうと躍起になっていたけど、結局最初のシナリオではそれどころじゃなくなってしまったので、今回はルールの存在だけを知るまでで合格点だ。

悪いのはリシャーダなのか、それとも何か、隠された真実があるのか。

こういう場合、得てして隠れた真実があるのは定石。
ならば、リシャーダの心を開く事が出来れば、ルールを見つけることが出来るかも……。
その方法は、ゼンカの判断に委ねるしか無いのか、それとも……。




次は最初のシナリオで最も重大なキーポイント、3年生の『暴走』。

デンリュウ校長とアブソルを襲ったのは、間違いなく3年生。
それは当人たちの口から明らかになった真実で、ゼンカを狙う一連の事件の犯人は3年生と言う事になる。
ここで問題になるのは、『3年生』と括ってはいるものの、それが『一部の』なのか『全ての』なのかがまだ明確には見えていないと言う点だ。

『全体の』ならば、3年全てに共通する何かが裏に潜んでいる。
『一部の』ならば、その一部に共通する動機が裏に潜んでいる。

解っているのは、『3年はXを追っている』と言うルールだけ。
でも、それはつまり、本当ならばゼンカとは味方同士であるはずなのに。

一体、彼らを暴走させているルールは何なのか。
それを破らなければ、ゼンカの校内での戦いは、かなり不利な状況を強いられる事になるだろう。
しかし、逆に言えばこのキーポイントを解き明かせば、Xはすぐ目の前に現れるかもしれない。ゼンカにとって、この鍵がネックになるのは間違いないだろう。




たったこれだけのヒントだけでは、真相に辿り着くのは不可能だけど。
『動機』や『犯人』が何なのかを無視して、真実だけを探る事は十分出来るはず。

でも、そんな推理ごっこより、実際にゼンカが奮闘するのを見ているほうがずっと面白いかも知れないか。特に、此処や、此処よりさらに上の存在にとっては。




『彼』も、やっと泣き止んだようだし。


さて、次のシナリオが開幕するのか、ここが最終回なのか。
彼の行く末を、見守りましょうか。













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迷宮学園録

第十二話
『インターバル』

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魔法も不思議な出来事も何も無い世界に、一つの存在が帰って来た。
その存在は少しの間、此処とは違う世界での日常を知り、此処とは違う世界で起きる『異常』を知り、その『異常』と戦うことを誓い、そして―――『異常』の持つ力の前に、敗れ去った。

……勝てると、思っていたのに――俺は、無力だった。



その本を床に叩き付けて、俺は、泣き崩れていた。



――何故、言われたとおりにしなかったんだ!
――『盾』を失った俺如きが、敵の尻尾を掴めると本気で思ったのか?!



無力なくせに精一杯強がったバカヤロウは、全てのチャンスを自ら潰し、世界を、滅ぼした。



――俺に、チャンスをくれ……今度は、間違えないから……!



俺は、泣きながら本の前で、何度も土下座をした。

元の世界の学校の図書館はもう閉館していて。
一通り泣いて、叫んで、どうにもならない事を悟った俺は、ゆっくりと立ち上がり、図書館を後にした。
内側からなら鍵は開く。
俺が出て行ったら開けっ放しになってしまうけど、今はそんな事は全然気にならなかった。

俺をあの世界に導いた、今は何の反応も示さない本を鞄に詰め、俺は帰路につく。


時刻は夜の9時半を少し過ぎた頃。多分、1時間くらいは本の前で泣いていたかも知れない。だから、時間は向こうの世界と連動しているようだった。ただし日付は、俺が異世界に飛んだあの日のままだったが。
家に帰れば、両親が俺の遅い帰宅に対し文句を言いながらも暖め直した夕飯を出してくれて、兄弟たちが一人で夕食を食べる俺にちょっかいを出して来て、笑い合うに違いない。

また、俺は平穏の中に埋没していく。
……あれは、俺の見た、夢だったのだろうか。
…………そうだよな。夢に決まってるよな。

ははは、馬鹿らしい。

俺は、寝惚けて見ていた夢の世界に帰りたいと、必死に泣き叫んでいたのだ。
急に、何もかもが馬鹿らしくなった。

明日は土曜日。ゆとりとか言うありがたいレッテルが貰える制度のお陰で学校は休み。


図書館を出て―――校舎の中をテクテクと歩き、下駄箱を目指す。


夢の中の、あの馬鹿馬鹿しくて楽しかった世界が視界にダブってきて、何度も涙を零しそうになりながら。


あれは、夢だったんだ。全部、夢だったんだ。なあ、だから、俺はもう泣かなくていいんだよ。


なのに、何度言い聞かせても感情が堪え切れなくて、俺は幾度も足を止めて振り返った。


そこに、あの女が立っていて、さぁ、もう一度だと、手を引いてくれるような気がして。



「…………」



真っ暗な闇が、廊下の向こうに広がっているだけだった。
あまり時間をかけていると、防犯ブザーに引っ掛かるかも知れない。

俺は踵を返して、また下駄箱を目指した。

夢だったんだ。
だから、下駄箱の位置だって、校舎の形だって、全部、あの世界と同じ。

靴を履き替え、外に出て、見上げる空も、校門沸きの木々も、中庭も、グラウンドも。
今思えば、全てが綺麗に一致していて、あぁ、本当に夢だったんだと、俺の心は徐々に落ち着きを取り戻していった。

一体この世界の何が不満だったんだ。
今の家族や学校の友人たちと、向こうの世界で出会ったフェルエルやフィノンや、アディス、アーティ、ユハビィ、フライア、デンリュウ校長、アブソル、クリア、ミレーユ、サナ、それにフリードも特別に入れてやろう、たった一週間にも満たない時間を過ごしただけの関係である彼らを、俺は心の中で天秤にかけていた。

こっちの、本当の家族や友人を捨ててまで、それを選ぶのか、俺は。最低だ。
俺を想ってくれる者達よりも、自身の妄想を選ぶなんて、俺は……頭がどうかしてる。






辿り着いたのは、家ではなく、俺が―――ゲームを終えた場所へと続く道。
この先には、今は使われていない、取り壊しを待つだけの旧校舎が建っていて、その裏手に隠れるように、同じく今は使われていない体育倉庫がある。
……向こうの世界で、デンリュウ校長とアブソルが死んでいた場所だな。

この場所を歩いていると、たとえ今は関係なくても、また恐ろしい連中に追い回されるんじゃないかと、背筋が凍りそうになる。

『まもる』が在れば何とかなると。己の力を過信して。
栞を破るタイミングを逃して、俺はこの道を真っ直ぐ逃げた。
旧校舎裏の体育倉庫に行きたかったが校舎の構造がよく解らず、挙句旧校舎の中へ逃げようとしたが鍵が掛かっていて、追い詰められて、もう駄目だと思った時。

ボロボロのマントを羽織ったあの女が、俺の『盾』となって敵の攻撃を受け、残された僅かな力で俺を元の世界へ送り返して―――それで、終わり。
その後どうなったのか、俺は見ていないから解らない。
ただ、あの本に呼びかけても、何の応答も無かった―――応答が無い事が、一つの答えだったのかも知れない。



全部、夢だったんだろう?
もういいんだよ、苦しまなくても。
もう忘れてもいいんだよ、何もかも。



『諦め』が完全に俺の身体を支配するまでに掛かった時間の間に、俺は俺の最期の場所まで到達していた。
旧校舎前で追い詰められ、銃を向けられて、本当に殺されると思った場所。



















「…………?」



最初、遠くからぼんやり眺めていた時、俺は『それ』を貼り紙だと思っていた。
旧校舎の昇降口らしきガラス張りのドアに貼られた一枚の紙。

しかし、その正面に立って顔を上げ、それを直視した時、それが貼り紙では無い事に気付くのに、難しい思考は必要なかった。
その紙には、明らかに見覚えがあって、この世界には相応しくない模様が描かれていたからだ。

時計を歪めたような、意味不明なイラスト。

それは、俺が受け取った、リセットのための栞に描かれていたそれと同じ―――


「何で、これがこんなところに―――」


ふと、脳裏に過ぎったのは、俺がさっき自分で思ったこと。

『同じ』なのだ。
この世界と、向こうの世界は、役者が違うだけで全てが同じ―――だから、ここにこの紙があると言う事には、重大な意味が隠されている。


……ここは、俺が元の世界に戻った場所。
……もしもあの時、あの女が俺を『帰した』のではなく、『リセットさせた』のなら?
もしそうなら、ここに貼られているこの紙は、俺がもう一度あの世界へ行くための新しい入り口……!



心臓が、萎えきった全身に血液を送るために激しく鼓動する。
身体の奥底から何かが熱く煮え滾ってくる。




―――帰れる!!





「まだ、終わってない……!」





―――あの世界へ!!




もう、2度目だから『行き方』は知っている。
俺はその紙に描かれた時計のイラストに右手を重ね、そして高らかに叫んだ。





「俺を連れて行け! あの世界へもう一度ッ!」





非現実的な眩い光が俺を包み込んだ。
ふわりと身体が浮くような感覚の次に、眩暈のするような無重力感。あぁ、懐かしい! この感覚だ! 行ける、もう一度あの世界へ行ける! また皆に会える!



―――今度こそ助けられるッ!




「MysticNote――Be OnlyOne Existence!!」










何も書かれていない、不思議なノートを一冊だけ残して。

俺の姿は、再びこの世界の旧校舎前から消え失せた。





次の旅が、今、始まった。














続く?






…………




『同じ』?

くくく……『違う』。
俺は確かに『ゼンカ』だが、『黒木全火』とは別物よ……。

次のシナリオで、ハッキリと思い知らせてやるぜ。
どいつもこいつも……くくく……








―――皆殺しだッ!!!










続く 
  

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