学内の地図は生徒手帳の中に書かれている。
取り壊し予定の旧校舎も地図の上ではまだ健在で、俺は容易にその場所を探り当てる事に成功した。
ただ、探り当てるまでは良かったのだが、旧校舎への道のりは1年校舎からは随分遠く、現3年校舎を横切らなければならないので、誰にも見付からずに向かうのは難しそうであった。

旧校舎は元3年校舎だったらしい。
歴代3年生が自由きままにスキルの修練を重ねた結果、この学園創立から僅か10数年にして建て直しを余儀なくされたとか如何とか。

ともあれ誰かに目撃されるのは非常に拙く、さて如何したものかと頭を捻った俺は、昼間ではなく夜に忍び込むことに決定した。

何故旧校舎に行く事にしたのか。
その理由は単純なものだ。
旧校舎裏の倉庫の、さらにその裏まででいい、そこに、俺が宇宙のスクリーンで見たのと同じ光景が広がっていたら、俺はあのボロボロマントの女の言葉を信じよう―――たったそれだけの理由に過ぎない。


「それでは今日の授業は全て終わりです。明日は土曜日なので、今日はちゃんと家に帰りましょうね。それではまた来週会いましょう、さようなら〜」

「さよーならー」


サナが1日の職務を終え、教室を出て行った後くらいに、俺は事の重大性に気付いたのだった。


「だから、俺は家がねーんだよ!!」


休みの日は学園は閉め切られるらしい。
行くアテの無い俺は、暫しその場で途方に暮れるのだった。





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迷宮学園録

第十話
『終末への誘い』

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全校生徒は強制帰宅。
この事実は、裏を返せば今夜こそ誰にも目撃されずに旧校舎へと行けるという、最高のシチュエーションを提供してくれていた。
それを利用せずに、一体何時、俺は真実を掴み取れるのか。

図書館で適当に本を読みながら、学園が完全に閉鎖されるまで、俺は時間を潰していた。

何でもいい、情報が欲しい。
情報をかき集めて、重ね合わせて、そして―――





思考停止。


『誰か』が、俺の近くに居る。

まだ部活で残ってる連中が居るから、それ自体に何の不審点は無い。
今の時刻が午後5時で、図書館の閉館まではあと1時間ある。
さらに、学園閉鎖は夜の9時だから、今から数えてあと4時間も暇を持て余している俺のすぐ近くに、誰かが『居る』―――気がする。

振り返る。誰も居ない。
前も、右も左も、ヒトの姿は何処にも無かった。

だが、確かに存在感を放つモノが、俺の傍に在った。


「私の言葉を、まだ信用しきってはいないようだな」


スゥ―――と、頭の中に『あの女』が現れた。


「たりめーだろ。それより、お前なんでそんなところに居るんだよ」
「私は此処には『居ない』。校長室から話しかけてるだけだ」


道理で周囲に誰も居ないのに、誰かが居るような錯覚を覚えたわけだ。
この女は校長室から未知なる電波を飛ばし、俺の頭に直接話しかけてきていた。
それにしても、今更だが何で校長室なんだろうか。


「デンリュウは私ほどでは無いが、世界の外側と通じる力を持っていた。そんなデンリュウが長い間存在していたあの部屋は、私にとって適度に存在しやすいほどに空間が歪んでいるのだ」

「……よく解らん」

「兎に角、此処は私にすら情報が不足した世界だ。デンリュウが味方、それだけは疑うな。お前が旧校舎に行く事を止めるつもりは無いがな」


俺の行動はお見通しらしい。
だが、見透かされた事は俺の行動を制限する材料にはならない。
それに、この女も俺の行動を止める心算はもう無いらしいし。

と言うか、こんな会話が出来ると言う事は、もっと俺を手伝ってくれてもいいんじゃないのか?


「手伝う? 何をだ」
「ナビだよ。この学校の中の状況を逐一俺に教えてくれればいい」
「残念ながらそれは無理だ」
「何でだよ?」


あっさり否定する女。
俺は納得いかずに問うが、返って来た答えは至極当然のものであった。


「お前の頭に話しかけることは出来るが、校長室の外の様子を知る術は私には無いからだ。お前、私を超万能な存在か何かと勘違いしてないか?」
「……超万能な存在じゃないのかよ」
「少なくともあと1ヶ月は力の回復に努めないと、お前の望むような『万能』を発揮するのは無理だな。力の許容量、最大量が常人と較べて莫大だからと言って、その回復力も他より優れているとは思わない事だ」


つまり、コイツの『世界を巻き戻す』なんて言う馬鹿げた力も、単純に力の最大量が多いからこそ扱える一種のスキルである、と言う事らしい。
言い換えるならば、常人の力をコップ一杯の水とすると、この女は巨大なダムいっぱいの貯水量を誇っていると言うわけだ。許容量こそデカイが、枯渇状態からの回復は非常に難儀する―――我ながら上手い例、か?


「その例を借りるなら、常人がコップをひっくり返してしまっても直ぐに回復出来るが、私の場合はダムの水全てを失うと命に関わってしまうのだ」
「近隣住民のライフラインだもんな」


ダムの用途はあらゆる方面に分化している。
治水目的もあるし、利水目的と言うのもある。
水力発電の基盤にもなりえるし、競艇などのためのレクリエーションのためにも使われる場合があるのだ。
この地球上の限られた水資源をいかに上手く利用していくのかは、俺たちに与えられた永遠の命題なのだろう―――


「そうとも。だから水は大切にしなければならないのだ。……オイ、何の話だ」
「水の大切さを訴える事で、この作品が地球環境の重要性を問う社会派小説にならないかなぁ、なんて」
「お前は私以上にこの世界の外側まで影響を及ぼせると言うのかっ!? あとそれは全然社会派では無いからな!」


コイツとの会話は以下略で閑話休題。
脳内でアホらしい会話をしている間に何時の間にか1時間経ってしまったらしく、図書館閉館の案内放送が流れたので、俺は読んでいた本を本棚に戻して図書館を後にした。
すっかり暗くなった廊下を歩いている間に、何時の間にかあの女は俺の頭の中から消えていた。

俺は探偵じゃ無いから、出来るだけ思考の幅は広いほうが良かったんだが。
しかしアイツに無理をさせて取り返しのつかないことになっても困るか。と、無理矢理自分を納得させて俺はまたテクテクと校内をぶらついた。

学園の完全閉鎖まであと3時間、何処で時間を潰そうか迷いながら歩いていたら、俺は何故か校舎を後にしていた。

正門前にはサナが突っ立って、帰宅する生徒たちに挨拶をしていた。
見付かると色々と面倒かも知れないので、俺はそそくさとその場を後にしてグラウンドの方へと抜けていく。

3年校舎は、学園の正門を潜ってすぐの中庭とグラウンドの脇をずーっと歩いていき、途中に1年、2年校舎を通り過ぎた先にある。そして、この学園の中では最大を誇る校舎だ。
あのデカさは、3年がスキルの修練を重ねるためにあらゆる種類の教室が完備されているかららしい。
一番簡単な例としては、3年がわざわざあの校舎を出なくてもいいように、あの校舎にも3年専用の銭湯があるとか如何とか。羨ましい限りだな。

1、2年校舎の閑散ぶりに較べたら、3年校舎は随分と人気が多かった。
帰宅途中の3年生が前から歩いてくるたびに俺は物陰に隠れ、何とかやり過ごしてどんどん校舎へと近づいていく。
近づくに連れて、何と言うかこう―――ピリピリした空気と言うものを、肌で感じた。

3年生の風格―――いや、それだけじゃない。
何処か落ち着かないというか、まるで俺が此処に隠れているのを知っていて、それを探し出そうとしているような―――周囲に気を張り巡らせて警戒している様子であった。

3年の集団が歩いてきたので、俺は物陰からそいつらの会話に聞き耳を立てる。
男ばかりのむさ苦しい集団の会話を盗み聞きすることになるのが、些かショックであったが今は文句を言っている場合ではないか。何かヒントが得られるかも知れないのだから。


「……は、仕方ないだろう……」
「そう……、……は間違ってないって」


くそ、よく聞こえないな。

俺は植え込みの裏側で地面にビッタリと張り付き、神経を耳に集中する。
足音で集団がどんどん近づいてくるのが解った。もう少し近づけば、会話が聞き取れる。





「次は、入学式の後に転入してきたっつー、アイツか」
「まぁ妥当なトコだわな。来週の合同レクの場で、派手にやっちまうか。校長の時みたいによ」






―――え?

心臓が、凍りつく。

コイツらは、一体、何を言っているんだ?

彼らが俺の真横を通り過ぎる瞬間、ハッキリと聞こえてきたその言葉は―――




「だが、最近アイツにはフェルエルがついてるぞ」
「問題ねーよ。いくら強かろうが、所詮2年だ。俺たちの敵じゃねー」





この集団が、俺を、狙っている……!
だが何故、一体どうして!?

唐突に突きつけられた現実に、俺は―――不覚を取る。


―――パキッ……


地面に伏せて、植え込みの影に隠れていたのに。
何を血迷ったのか俺は、信じられない現実の前で、植え込みの小さな木の枝を、握り締めて折っていた。


「誰だッ!!」
「Xか!?」


集団が振り返る。
彼らの行動は迅速で、この場に伏せているだけでは直ぐに見付かるであろう事は明白であった。

拙い、この状況はかなり拙い!
俺は即座に立ち上がり、彼らに背を向けて走り出す。
此処から逃げなければ。幸い、足の速さには自信がある。
こいつらなど、校舎をぐるりと1週もすれば簡単に撒いてやる!


「あいつ……間違いない、黒木ゼンカだ!」
「ふっ―――やっぱりそうだったか。大方俺たちを探りに来たんだろう! 殺せ!」


「―――っ!!」


マジかよ、二言目には殺せ!?
連中が何を思っているのかは知らないが、この場を平穏に済ませる方法が無いことだけは一瞬で理解できた。
くそっ、こんな時にあの女が居ない事が腹立たしい!
いや、居ても俺を助ける術など持ち合わせては居ないか、兎に角今は逃げるしかない!


走る―――疾駆する。
植え込みを飛び越え、3年校舎に向かって一気に駆け抜ける!

後方から、怒声を響かせた集団が俺を追いかけてくる!
スキルが飛んできたらヤバいから、『まもる』を何時でも使えるように心がける!
3年校舎に辿り着いたら、校舎の中に入ろう、そして校舎の適当なところで窓から飛び、旧校舎の中まで逃げ切れればこの場は凌げるはずだ!

どんな高いところから飛んでも、『まもる』を使えば俺自身の運動エネルギーを消し去る事で衝撃無しに着地出来る事は既に検証済みなのだから!


「アイツ速いぞ!」
「エリオ! 此処はいい! 校舎の中に入られると厄介だ! 教室の中に居る連中に連絡しろ!」
「解った!」


―――マジかよ!!
校舎の中へ逃げようとしていたのに、この集団は校舎の中にも仲間が居るってのか!?
いや、もしかしたら、これは最悪の展開―――『敵』とは、3年生全員のことだったのか!?

何にせよ今校舎の中に入ったら、窓から飛ぶところを目撃されずに逃げ切る事は出来ないだろう。
くそっ、そもそもこうなった時点でこっちに逃げてるんじゃあ駄目じゃないか!
3年校舎の中には敵がうようよ居るってのに、何でこっちに逃げてるんだよ俺は!?
落ち着け、クールになれ俺! 心臓の鼓動を高めろ、全身に血液と酸素を送れ、不要な情報は全て排除、今は―――逃げ切る事だけを考えろ!

後方集団は5人。
そのうち一人は、校舎の中に連絡を取るために遅れを取っていたから、実質4人だ。
もし此処で不意を突いて突っ込んだら、連中を振り切れるか?

4人の体躯は俺と大差が無い。
喧嘩の心得ならある。これでも、元の世界では名の通った……いや、それはいいんだが。


「冷凍ビームッ!!」

「チッ!」


集団のうちの一人が、遠距離攻撃スキルを使ってきた。
ただ、走りながらでは命中精度に難があるらしい、それは俺には当たらず、明後日の方向を凍結させた。

当たったら凍らされるのか、一発で逃亡不能になってしまうな。
そうこうする内に、3年校舎の前まで来てしまっていた。
校舎の入り口には、今まさに残りの敵が俺を捕まえようと集まってきている。

その数、パッと見で8人程度。
俺は対複数の喧嘩では10人までなら潰せる自信はあるが、こっちの世界では『魔法』が飛んでくるのだ。正直、未知の能力者を相手にすると、1対1でも勝つ自信は無い。

まだ、後方集団を振り切ったほうが安全だ!

動物的直感が、俺の足を方向転換させる。


「んなっ―――ごあふッ!!」


突然方向転換して突っ込んできた俺に不意を突かれた男は、俺の膝蹴りによって顔面から血を撒き散らしながら大の字にぶっ倒れた。


「てめぇ!!」
「囲め囲めッ!!」


しかし、残るのは3人。
残念ながら、今の俺はちょっとだけスイッチが入ってるんだ。
俺を囲みたければ、あと8人は必要だな―――って、その8人が今まさに校舎から飛び出して来てるんだった!


「アームハンマァーッ!!」
「遅ぇッ!!」


――ゴキャアッッ!!

3年の一人が繰り出してきた、『腕を巨大化するスキル』によるラリアット攻撃をすり抜け、俺はそいつの顔面に肘鉄をお見舞いした。そいつもまた鼻血をぶちまけながら転倒する。
―――いける! コイツらスキルは強力だが、動作があまりに遅すぎる!


「調子に乗るなよ1年ボウズ! ギガインパクトッ!!」
「こっちからも行くよ、破壊光線ッ!!」


巨大なエネルギー波が、俺に向かって放出された。
遠距離攻撃スキルは距離に応じて威力が下がる、などと授業で聞いた覚えがあったが、ごく稀にその例外を行くスキルもある―――と言うのを、さっき図書館の本で見た!
この攻撃がまさにそれ、だから俺は適切な対応をすることが出来る!



―――ズドォォオォォォオオオンッ!!!



近くの植え込みもぶっ飛ばす程の爆発が俺を中心に巻き起こった―――ように見えたことだろう、このスキルを使った本人や、そいつらの近くに居た連中には!
爆発により発生した煙を掃き除け、3年はそこに倒れているであろう俺の姿を探すが―――俺は既に、その場から遥か遠くまで走り抜けていた!

代わりに倒れていたのは、哀れにも俺に『盾』として使われた、顔面から血を流す2名の生徒!
俺はあのスキルに向かってそいつらを投げ飛ばし、その直撃を見事に回避したのだ!
僥倖だったのは、その爆風を上手く利用して軽快に走りぬけることが出来たというところだろう。
そして連中は、自分が使ったスキルを逆に利用されたことで頭に血が昇り、余計に俺が逃げるチャンスを与えてくれるに違いない。

だが、一体何処まで逃げればいいのか解らない。
此処で逃げたとして、俺は来週の3年との合同レクリエーションの中で、きっとまた狙われるのだ。

俺を狙う犯人が3年で、そいつらはデンリュウ校長を、アブソルを殺していて、くそ!

逃げるだけじゃ解決には至らないのか!?
Xを探し出して倒せば、後は自分が何とかするとボロボロマントの女は言っていた!

だけど―――いくら探偵じゃない俺でも解るヒントが一つだけ転がっていた。



俺がうっかり物音を立てたとき、3年の中の一人は確かに言ったのだ。

『Xか!?』

それはつまり、彼らもまたXを追っていると言う事で―――あぁ、駄目だ駄目だ、わけが解らない! 何で俺は狙われる、何で俺は殺されなくちゃならない! 死んで堪るか! せめてリセットする前に、もっと踏み込んだ情報が欲しい―――そのためには、味方が必要だ!

俺一人じゃあ、いずれ追い込まれて殺される。
だったら、俺一人じゃなければいい、だがAAコンビとか、クラスの連中を巻き込むわけにはいかない!


―――フェルエルだ!


「だから、俺は携帯電話を持ってねぇんだよ!!」


連絡手段が無い事を思い出して、心の中で自分を殴る。
こんな時に限っていないのが本当にもどかしい!



「くそったれ、死んで堪るか! 殺されて堪るかよッ!!」



俺を取り巻く事態は、確実に終末へと動き出していた―――











続く
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