「……ちょっと待て」 と――誰に対してでもなく、俺はそう呟いていた。 敢えて言うなら、『時』に対して、『止まれ』みたいな意味で。 勿論止まるわけが無いので、この言葉自体に何の期待もかけていなかったが。 しかし、そう呟かざるを得ないだけの理由は、少なくとも俺の目に映っていた。 「え? お前火炎放射使えるようになったの!? すげー!」 それは、所詮フィクションだと諦めていた世界。 「よっしゃ行くぜ! 水の波動!」 「何の! ミラーコートッ!」 それは、夢にまで見た、待ち望んでいたはずの世界。 「あっ、危ない! そこのキミ、危ないーーーっ!!」 「んなっ!!」 少女の声に振り返った俺が、気を失う直前に見たのは―――緑色の光の玉。 薄れ行く意識の中、俺は何者かたちの会話を聞いていた。 「ねぇ! ねぇ、ちょっと! あぁあどうしよう……! ねぇアーティ! ワタシ、人殺しちゃったかも知れない!」 「……お前のスキルレベルで人が死ぬとは思えないんだがな」 ここは―――『何』だ? ************************** 迷宮学園録 第一話 『迷い込んだ世界は』 ************************** 「あら、あらあらあらあら……?」 目を覚ますと、俺はベッドの中に居た。 清潔感溢れる真っ白なベッドに、お世辞にも寝心地が良いとは言えない枕。 俺は病院の中のような匂いに、ここが保健室である事を悟る。 「あらあらあら」 上半身を起き上がらせた俺の前に、金髪の女性が立っていた。 あらあらと言いながら、まるで珍獣でも見るような目で俺を見ている。 見た目の年齢的に、彼女はここの教員だろう。 随分な美人であったが、今はそれどころではない。 「漸く気が付いたようですね。大丈夫ですか?」 女性は心配そうな表情を微妙に浮かべた笑みで、そう訊ねてきた。 『ここ』が『何処』で、『俺』は『どうなった』のか。 訊かなければなるまい。今の俺に出来ることは、それくらいだ。 「ここは、何処だ―――ですか」 何となく、丁寧語に言い直す。 すると女性は、あらあらと言うような困惑の表情を浮かべた。 「保健室ですけど」 俺の求める解答から見れば、100点満点中見事に0点の返答であった。 ……仕方ないか。こっちも何が何だか解らないのだから。 向こうから見れば、学校に居ながら保健室を『何処だ』などと聞く俺を、 きっと頭の打ち所が悪かったのか、と心配するのは道理であろう。 先ずはこちらの事情を話すしかあるまい。 そう考え至った俺は、とりあえず事の経緯を話す事にした。 ――俺の名前が『黒木全火(クロキ ゼンカ)』である事。 ――少なくとも、この異空間の住人ではない事。 ――俺が本来通っていたはずの学校の図書館で、 不思議な本を開いた瞬間にこの場所に居た事。 ……あとは、金髪のお姉さんが好みである事とか。 しかしこれを告げた瞬間、もう少し大きくなったらね、と言われて頭を撫でられた。 「ふぅん……なるほど。つまり世界を渡ってしまった――次元の歪みか、或いは空間変異による同調格差領域と個体変異値が天文学的確率で一致したか……その本に何か仕掛けがあるとしたら、向こうの世界の超界意思か……」 「……あの、ちょっといい――ですか?」 どうも丁寧語は喋りづらい。 「はい、なんでしょう」 「言ってる事がサッパリ解らないんですけど」 「そうでしょうね。『これ』はつまり、『そういう次元』の問題だと言う事ですよ」 ……なるほど。解りやすい解答だった。 実に的を得た答えである。 同時に、『今』俺がとても絶望的状況にあると言う事も意味する。 「俺、元の世界には…?」 「帰る方法は皆無ですね。私も一応、知り合いの専門家に当たってみますが―――これはどちらかと言えば、『あなた自身』の問題である可能性が高いのです」 ビッ、と、額に指を当てられる。 俺自身の問題と言われても。 確かにこういう世界に興味が無かったわけではないが、 しかしだからと言ってこんなことになるなんて、理解不能だ。 額に指を突きつけられっぱなしになる趣味は無いので身を引いて離れると、 女教師も一歩引き下がってまた俺の境遇についての推測を冗長に語り始めた。 「あなたが此処に来た事に『意味』がある。あなたを此処へよこした『何者か』が、あなたの行動に対し『満足し得る結果』を得ない限り、あなたは元の世界へは帰れない可能性が高い―――つまり、あなたは何者かに選ばれて、この場所で何かを成し遂げるためにやってきた、と考えられるのです。現に此処ではないほかの世界では、救助隊ポケモンズのリーダーを務めた者もまた同じような理由で世界を超えて……いえ。まぁ細かい事はさて置き。 あなたがこの世界で何か行動をする中に、元の世界に帰るためのヒントがある『かも知れない』と言う事なので、暫くは我慢して下さい、と言う事です」 スラスラと、納得できそうでやっぱり想像を超えた理屈を語る女教師。 ……そんな長いセリフ、よく噛まずに言えるよな。国語教師だろうかこの人。 しかも、暫くは我慢しろと言われても、 こんな行くアテの無い世界でどうしろと言うのか。 ――と、どうやら俺の不安を察知したらしい女教師は付け加えた。 「この学校は特に規則が無いんです。入学も退学も、寝泊りを何処でしようとも、それは全て生徒が個人的に決定すること。あまり出過ぎた行為が無い限り、我々教員は授業以外に余計な口出しはしません。……私の言いたいことが、わかりますか?」 「つまり、それは―――」 あぁ、今度はなるほど、言いたい事はちゃんと理解できた。 遠回しに何を言っているのか、それくらいは解ったつもりだ。 そして……願っても無い。チャンス、だと思った。 俺は俺なりの解答を示す。 「俺に、この学校の生徒になれ、と言う事ですか」 「そう言う事です」 ふふふ……クールになれ、俺。 こんな面白世界に来たってのに、シケってる場合じゃねぇだろ? こうなりゃあ取るべき道はただ一つ、この世界を満喫してやるまでだ。 夢かもしれないとも思ったが、もはや今、そんな理屈は通らない。 俺は、この世界で生きていくしか、今他にするべき事が無いのだから――。 「幸い今年度は始まったばかり。1年生として入学すれば、『スキル』の勉強も他の者に差をつけられることは無いと思います」 「スキル?」 俺が語尾を上げて復唱すると、女教師はピッと人差し指を立てて、その先端に電気を出現させた。 手品かナニカかと思ったが、しかし此処へ来てすぐ見た光景をリフレインした俺は、 『スキル』が何なのかを即座に理解し、混乱を回避する。 恐らく、元居た世界でフィクションとして語られていた『魔法』と捉えるのが早い。 この世界では、『魔法』が使えるのだ―――すっげぇ! 超かっけぇ! 女教師はそれだけ見せると、俺の様子を見てもう大丈夫と判断したらしく、 早くも保健室から出て行こうとしていた。 そういえばその格好から見て、保険医では無いようだ。 大方俺を倒したあの女が、担任を呼んだとかそんな感じだろう。 この女教師は折角出来た唯一の知り合いだ、 是非ともこの人を担任にしたいわけだが、 彼女は一体何処のクラスなんだろうか。 それくらいは訊いても大丈夫だろう、 俺は出て行こうとする女教師を呼び止めようとして、 まだ名前を教えてもらってない事を思い出し、言葉に詰まった。 「あ、あの!」 「あら、まだ何か?」 「先生の名前をまだ聞いてないんですが」 「あらあら、そうでしたね。私はデンリュウ。よろしくね、ゼンカ君」 「―――それと!」 すかさず追撃の質問。まだ俺のバトルフェイズは終わってない。 「デンリュウ先生のクラスって何処ですか?」 「……」 硬直するデンリュウ先生。 む、この質問は駄目だったか? と、俺が諦めかけたその時、答えが帰ってきた。 「私、校長ですよ」 「……」 デンリュウ先生は、それではまた会いましょうと言って、 保健室のドアをガラガラと開けて出て行った。 あの人には、開けたドアは閉める、と言う常識は備わってないらしい。 かと思ったら、保健室の前に待機していたらしい謎の男が、 すかさずドアを閉めてデンリュウ先生の後を追っていった。 付き人、かなぁ。随分怖い目を、していた希ガス……。 「ェぇぇぇぇぇええええええええええッ!?!?」 CM一本分くらいの間を空けて、漸く俺はリアクションを取るのだった。 この面白世界で初めて出会ったうら若き女性は、校長先生でした。 なんだろう。この一文で小説が一本書けそうな気がする。 ………… 「よーしお前ら。先ずは二人一組のペアを作れ」 「せんせー、このクラスの人数は奇数なんですけどー」 「わはは、心配するな! 最後まで残った幸せな奴には、 俺とペアを組むという僥倖が待っているぞ!」 その一言を聞いた瞬間、教室の中の全員、誰一人例外なく、 机と椅子を跳ね飛ばさん勢いで(否、何人かは実際に跳ね飛ばした)立ち上がり、 近場のヤツを捕まえて次々にペアを作っていった。 「うわっ、わわわ! だ、誰か余ってる人居ないっ!?」 「こっち来い! 誰か俺と組めーー!」 「おおおおいッ!! いやこっちだ! 俺と組めーーッ!!」 凄まじい怒号と喧騒と混乱の中、ペアを作って一安心した生徒は席につき、 徐々に立っている者の数が減ってきた中、完全に出遅れた少女がおろおろしていた。 「んー、どうやら余りはフィノンのようだなぁ」 「う、うそおおおっ!? 冗談でしょ先生!?」 「わはは! そう怖がる事は無い。なぁに、最初は優しくしてやるから」 「何をっ!?」 ―――スパーーーーン! 直後、男性教員の頭に、おたま(何処から持ってきたんだろう)が直撃した。 皆、どよめきながら、おたまが射出された方角に目をやる。 何時の間に教室に入ってきたんだ―――デンリュウ校長が、俺を引き連れて立っていた。 「フリード先生、あまりオイタは駄目ですよ? くすくす」 「ははは、これはこれは校長。なぁに、ほんのジョークですよ」 ((…嘘だッッ!!)) 教室全体の心の声が聞こえた気がした。 「このクラスだけが奇数なのを思い出しましてね。『彼』を編入させようと思ったのです」 「彼とは、そこの少年ですか」 フリード先生なる人物が、覗き込むように俺の方を見る。 チッ、あまりジロジロ見るな。男に興味深げに見られても気持ち悪いだけだ。 フリードはそんな俺の目の色を察知したのか、 潔く引き下がるとまだ立ったままのフィノンの方を見て言う。 「それじゃ仕方ないな。フィノン、お前は彼とペアを組め」 「仕方ないって言った! 今仕方ないって言ったよこの人!!」 どんだけいたいけな少女と組みたかったんだよこの教師。 と、教室全体がジト目でフリードを見つめるが、 豪快にそれらを笑い飛ばしてしまう辺り、太平洋レベルの器の持ち主のようだ。 座礁したタンカーから重油でも垂れ流されてしまえば良いと思った。 「それじゃあ自己紹介でもしてもらうか。少年」 「おう、それもそうだな」 ズカズカと教壇に上がる俺。 皆の視線を集めると、そこはかとなく快感が得られる。 あー、なんか今なら何でも出来そうな気がする。 『魔法』と言う未知の勉強を前にして、 俺はちょっとテンションがおかしかったんだろう。 多分、そうとしか考えられない事を、俺は仕出かした。 「俺の名前はマイケル・ジャクソン! みんなよろしく! ポゥッ!!」 ……以後、この自己紹介は伝説として語り継がれる事となった。 続く |
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