――迷宮冒険録 第九十一話





穏かな風が吹き付ける、広い大地を見下ろせる崖の上。
これまでの戦いがあまりに小さく見えるほどの絶景を前に、
いくつかの影の中で一番前に立っていた者が呟いた。

「………この地方も見納めだな」
「……そろそろ、発ちましょうか」
「あぁ。行こう、新たな始まりを刻みに」

始めは、たった一人の孤独な戦いだった。
何時か、自分を閉じ込めたミカルゲに復讐するためだけに、運命に抗ってきた。
そして何時しか掛替えの無い仲間たちと出会い、新たな始まりを刻む旅に出る。

仮面も剣も輝石も無い。
純粋に己と言う存在を噛み締めながら、
名残を惜しむようにその戦いの舞台を見納め、彼は去る。

幕が降りれば、役者は去るのみだ。
次の舞台に上がるため、或いは、他の舞台を傍観するために。

まさしく、それはアディスと同じ道を行くもの。
これから先、彼がその道を踏み外す事は無いだろう。
彼を支える、多くの仲間たちが居る限り。






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      迷宮冒険録 〜終章〜
    『この世界で待っているから』
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―――あの光の中。

ナイトメアの魂をかけた一撃を、全開の波導で迎え撃とうとしたアディス。
その二つの超存在の衝突は誰にも止められるものではなく、
ただ誰もが祈りながら決着を待つしかない、そんな戦いだった。



―――その時、だった。



アディスは絶対に表情には出さなかったし、口にもしなかった。
戦いの最中、仲間たち以外の者の『声』を聞いていたのに、それを悟られまいと、黙っていた。




声を届ける神器の誤作動だろうか




それともそれは何者かの意図する処だったのだろうか。




ナイトメアの勝利を信じる、プラチナの者たちの声を、アディスは聞いてしまっていた。




それは同情を掻き立てるには十分だった。十分過ぎた。
負けられないのは解っているのに、このまま勝ってしまいたくないと思った。

目の前に居るのが他でもない、運命の戦いに散ってきた自分なのだから。



その瞬間のアディスには、多分、文字通りの意味で神が降りていたのかも知れない。
普段の彼ならば―――いや、それ以前の問題だ。
たかが通常よりずば抜けた力を得てしまった『だけ』の者に、
『その状況』で、『そんな判断』が出来るはずが無い。



ナイトメアの魂をかけたこの波導を打ち破った時、
ナイトメアの魂は粉々になって消滅するだろう。
それがナイトメアの――本望とするところの決着だったとしても、
彼の勝利を願う者達の声を聞いてしまったアディスには、それを認めることが出来なかった。





「――――くそっっったれがぁあああ あ あ あ あ あ あ あ ッ ! ! !」


「ッ!!」




ぶつかり合うための波導を、全てを包み込まんとする波導へとシフトする。
ナイトメアの攻撃を、そのままナイトメアの中に押し戻そうとする力。

土壇場で波導の微細なコントロールをモノにしたと言うだけでは説明の付かないほど、
アディスの行為はあまりに『出来すぎて』いた。


しかし、波導は止まらない。
一定の空間には、必ず『飽和』と言う状態がある。
二つの超存在が衝突しているこの空間はとっくに限界が来ていて、
これ以上何か余計なことをしようものなら、簡単に空間そのものが崩壊する状態にあった。

世界が悲鳴を上げる。これ以上手を出したら崩壊してしまう。手が出せない。



だから、アディスがやろうとしていた事は成功を見る事無く終わる。




ナイトメアは、砕けて死ぬ。




そうやって、全てが終わる。













終わる、はずだったのに。















「―――我、命ずる―――!」





それは、超界者の呪文とは違う。

『望む』のではなく、『命ずる』。

言葉にしてそれだけの違いが、超界者と『そうでない者』の決定的な差。
それにすら至れないモノでもなく、存在を知りつつ至ろうとしないモノでもない。

『そうでない者』が、そこに居た―――






「―――我が声を聞けアルセウス―――!」





世界に申請を行い、手順を踏んで歴史を捻じ曲げる超界者などとは比べ物にならない力。
世界が壊れてしまうと言うなら、世界の崩壊と言う事実すら『無かった』ことにしてしまう力。




「―――我が望み、その写し、定め、因果、永劫の宿業―――!」




超界者如きを歯牙にもかけぬ、超界の力など児戯だと嘲笑わんばかりの、
暴力的なまでの支配力―――自らが世界そのものにならんとする力!




「―――我が許可無くしてその所業、能わさず―――!」




誰がそう決定しようと、誰がそう誓おうと、それは『彼』の前に関係ないこと。
『彼』は『主導権』も『イニシアチブ』も持ってはいない。
その上を行く。
軽々と超えていく。
この世界に於ける優先権や優位性、あらゆる権利は彼の手の中にあるのではなく、




「―――我、新たなる創造主の名の下に、行使する―――!」




彼、そのものなのだ。
この世界で最強になる方法は一つ。
彼を、味方に付ける事。
そうする事で――そうした者は、全てに対する主導権、イニシアチブを持つことが出来るのだ。

しかし、アディスの剣となりその力をすり減らしながら戦うミカルゲでさえも、
その力の前には介入する事が許されない、認められない。




「―――我が名はアーク・アディス、其の名の下に我、創造す―――!」




その瞬間のアディスは、まるでアディスの形をした何か別のものであるようだった。
世界のあらゆる強制力を撥ね退け、思うが侭にアカシックレコードすら書き換え―――
アディスにそんな力など有るはずが無いのに、
その瞬間だけ、まるでアルセウスが本当に彼に応えたような、そんな錯覚を誰もが覚えた。



ティニの創った神器は、決してガラクタなどでは無かった





―――我、命ずる。迷える魂よ、在るべき場所へ還れ―――






それは、『声』を届ける神器



アディスの強い願いが、『その願いを叶えうる何者か』に届き、
『その力』を彼に『与えた』のだと――そうとしか考えられないような異常な力が、
その瞬間のアディスには宿っていて、そしてアディス自身がそれを認識していた。

銀色に輝く波導、それと同じように輝く瞳。
創造主アルセウスのみが持つとされる、伝説の『銀』の波導。
それを身体に纏わせたアディスは、それが計算通りだったかのように直ぐに行動に移る。

最初からそうする予定だったと言わんばかりに、虚空に魔方陣を描く。
彼が手を広げて突き出せば、そこに輝く魔方陣が『現れる』と言うレベルの速度で。
描かれた魔方陣から生じた無数の『手』は、
爆散せんとする波導を包み込み、時空の彼方へと引きずり込む。


その魔方陣には、この世の物ではない文字列で現された呪文が書き込まれていた。
超界者である者には、それがどんなものか、感覚的に理解できた。
恐らく、この世の全ての『情報』を50だか60個程度の文字で表そうとしたら、
あの文字列になるのだと―――その魔方陣はそれだけの情報量が―――
常人では直視しただけで脳が潰れるほどの情報量が宿っていた。

波導と波導の衝突の光の中だったのが幸いだった。
もしそうでなければ、この近辺にいた全ての者が廃人になっていたのだから。

砕けた波導はもう使い物にならない、その一瞬の判断は超界者であるミカルゲにすら
迷いを与えるほど難解なものだと言うのに、アディスはそれを当然の如くやってのける。

そして、魂の大半を失い、その命を落とそうとしているナイトメアの身体を支え、
自らの魂の半分をナイトメアの身体の中に押し込むまでの一連の動作は、
熟練のレスキュー隊員が要救助者に対し迅速な救命措置を行うかのように無駄の無い動きだった。






―――我、願う。還るべき場所へ還れ。我、それを待つ―――






その一瞬だけ、アディスは、この世界のアルセウスの意思を跳ね除ける『創造主』となっていた。
願えば、全ての神器に纏わる連鎖も無かったことに出来ただろう。
願えば、輝石を巡る悲しい争いも、その犠牲者さえも無かったことに出来ただろう。
願えば、プラチナの陰謀のために起きたあの大戦でさえ、無かったことにできただろう。

しかしアディスはそれをしない。
それをしてしまう事は、これまでの戦いを全て否定してしまう事になるから。

これまでの悲劇があったからこそ、今の自分があるのを知っていたから。
他の世界の『自分』とは違う『自分自身』とはどう言う事かを、
アディスは身を持って解っていたから。


だから、エイディ=ヴァンスは彼に微笑みかける。


強き力を得ても、その力で弱き心の隙間を埋めない事、
アディスが示したその覚悟で、エイディ=ヴァンスは救われる。




『ありがとう、アーク・アディス。運命を切り開くミカルゲとルカリオ』




アディスが望んだのは、過去を綺麗に繕ったハッピーエンドじゃない。
それを乗り越えて得た勝利を噛み締める、これから先を見据えた世界。


これから先を生きる事が出来る者を救う、新たな運命を刻む未来。


生まれてしまった存在を無かったことにはしない――そう決めたからこそ、
ナイトメアに新たな道を授け、愛しき者の帰りをこの世界で待つ―――




「―――礼を言うぞアルセウス。最後に一つだけ望もう……お前への、光ある未来を―――」




魂の半分を失ったアディスは死にこそしなかったが、
この瞬間の記憶と、ここで得た全ての力を失い、倒れた。





それが、この戦いの最後に起きた事。
ミカルゲが告げることを躊躇った、真相。

過ぎたる力の代償は喪失。
それが、真実。世の理。
その理さえ書き換える力を持ったアディスでさえ、
その理に従う道を選んだのだ――選ばざるを得なかったとも言えなくも無い。

だから、その誰が作ったとも解らない超界者の格言は、本当の意味で真実なのかも知れない。
ただし、アディスは失ったからこそ、得られなかった全てを得たのだけれど。
それは、今はもう過ぎたことで、一度世界を超えてしまった者には実感することの無い感傷。







……………
………






目が醒めた時は、次の日の夜だった。丸一日眠っていたらしい。
少し前までプラチナの兵士たちが使っていたであろう石造りの壁が凝っている部屋で、
俺はベッドの上に横になっていた。直ぐ傍の、外との隔たりが一切無い窓からは、
やや薄暗くなった空の中で一等星が輝き始めていた。

ふと視線を戻すと、俺の足の方でフライアが丸くなって寝息を立てていた。
思わず頭を撫でてやろうと手を伸ばした、その時。


「あー! やっと目が覚めたんだアディス君!」


「―――クリア。あまり大声出すなよ」
「え? あ、あぁごめんごめん」


ドアの無い部屋の入り口からクリアが顔を出して、
上体を起こした俺を見て歓喜の声を上げるので、
俺はフライアの方を指差して騒がないように注意する。
クリアはすぐにそれに気付き、声を潜めたのだが、少しばかり遅かった。

もう少しだったのに、なんてタイミングの悪い女だ。これぞ悪女。


「んー……」
「あらら…起こしちゃったかな?」

フライアは先ず自分が何時の間にか寝ていたことに気付き、
それから慌てて俺を振り返って、何が起こっているのかを察した。

「アディスさん!!」
「よ、おはようフライア――――」
「寝てなきゃダメですよ! 何やってるんですかーーーーっ!!!」

―――ドガス! バフン!

「ぬおあおあああああっ!! ゴフゥッ」
「ちょ、ちょっとフライア!? 怪我人に何してんの!?」

フライアの中では、俺はかなりの重傷らしく、
こうして上体を起こしているだけでも憤激に値するものらしい。
喜んでいいのか如何なのか判断し兼ねるが、
だからと言って天空ペケ字拳よろしくなタックルで俺を押し倒すのはやめて欲しい。死ぬ。

「うぐぅ……ゲフッ」
「あ、アディスさん! ごめんなさい私ったら―――アディスさん!?」
「あーぁ、死んじゃった」
「そ、そんな! 私の所為で……うう……私、アディスさんのことは多分一生忘れません……」
「勝手に殺すな……あと何、フライア、その思い切りの良さ……さり気に多分とか言ったし……」
「アディスさんのことを何時までも引きずったりしませんから、安らかに成仏して下さい……」
「生きてるうちに言われるとそんなに傷つくセリフだったなんて知らなかったよ!」

この後しばらくアホみたいなやり取りがあったが、割愛。



ミカルゲ曰く、記憶が少しばかり飛んでる以外特に俺の身体に異常は無いと言うので、
俺は少しだけ休むからと言ってフライアを部屋から追い出した。
そこはちゃんと話の解るクリアが来ていたので都合が良かった。
外では祝勝会と言うか、まぁそんな感じの事をやっているらしいから、
フライアには思い切り楽しんできて欲しいものだ。やっと全部終わったんだからな。

「で、そんなことやってたのか俺。やっぱ俺すげー!」
『……ふん、まぁ此処まで散々苦労したんだ。一度くらいそんな事をやっても、罰は当たるまい』
「だ、誰の所為で苦労したと思ってるんだよ!」
『ミュウ』
「…………核心だけに否定できねぇな」

プラチナの城の屋根の上。
満天の星空を見上げながら、戦いの終わりの余韻に浸る心地よい瞬間。
頬を撫でる夜風もまた、俺の疲れを運び去ってくれるようで気持ちよい。

何でまだこの場所に居るかというと、帰り際に俺がブッ倒れたお陰で、
「みんな疲れているし今日はもうこの城でゆっくり休もう」みたいな事になったからだ。

他の連中は今、そうこうしているうちに合流した救助隊連盟の連中と一緒に
あの激闘を行った城内広場でドンチャン騒ぎをしている。
FLBとか言う(どこかで見たような気がする。あぁ、ファイヤードラゴンだ)奴らと
フリードはキャラが被る所為かあっという間に打ち解け、
満開の桜の下でハメを外すサラリーマンのように暴れているわ、
それを遠目で見ているデンリュウが何か底知れない気配を持っているのが怖いわで、
もっと遠くに居る俺は下の光景を見るたびに心が落ち着かないのだがそれはさて置き。

「ところで何か忘れてるような気がするんだが」
『クレセリアのことか?』
「そうだ、あのオマル! あれだけ偉そうにしといて結局何もしてねぇじゃねぇか!」
『あぁ見えてミュウの対の存在だ。抜け目ないと言うか、何と言うか……くっくっく』
「……? 何だよ、話が見えないな……」

不敵な笑いをするミカルゲ。
どうやらヤツは消えたクレセリアについて何か知っているらしい。
超界者特有のカンと言うヤツだろうか?
何にせよなんだか除け者にされているようで気に食わないな。

『こればっかりはお前も蚊帳の外だな。後は『次の世代』に任せればいい』
「え? 何それ、俺もうこれで引退しろって事か!?」
『それも視野に入れてエピローグのネタを』
「それは創造主よりさらに上の作者とか言う次元の話だろ……」
『触れるな。それは禁句だ。消されるぞ』
「………以後気をつける……」

誰の所為だよ、とは言わなかったが、代わりにそんな視線を浴びせたら
ヤツは不敵な笑いを浮かべたままワザとらしく俺から目を背けた。

久々の馬鹿みたいな、と言うか馬鹿で他愛も無い会話。
やはり長年連れ添ってきただけはあり、コイツは俺との会話のツボってのを心得てるな。
悔しいが、認めざるを得ない。

それが、今日で一旦終わりなのが寂しいのも、悔しいけど認めざるを得ない。

眼下では酔ったフライアがミレーユの殻の中にハルクを詰め込もうとしている。
何やってんだあいつら、フライアに酒を与えるな、まだ未成年だろうが。

『混ざってこなくて良いのか?』
「あいつらは明日も会える」
『素直なヤツだ』
「悪かったな。たまにはいいだろう」

ミカルゲ―――いや、元の姿はダークライ。
超界者ダークライ、その名はアーク。
俺とは、もう普通ではありえないような関係になっている存在。
いくつもの世界を共に過ごした、運命の友。なんかカッコいいな。

彼は人間界に行った時に、同胞であるギラティナから『仮の器』を受け取っていた。
だからもう、俺の中に入っていなくともその魂の力を回復させる事が出来る。
だからもう、俺と一緒に居なくても、自分の本当の器を探す旅に出ることが出来る。

『本当はギラティナのヤツが持ってるハズだったんだな。魂が欠けると記憶まで欠けるからいけない』
「この世界の何処かにあるのか?」
『そうかも知れないし、違うかも知れない。一度世界の外に出て外から探すのが早いな』
「じゃあ、やっぱりお別れか」
『見つけたらすぐ戻る。心配するな』
「……ああ、待ってる」

アークは、本当の身体を探しに行くだけだ。
超界者としての力を回復するのに耐え得る器を手に入れた彼ならば、
それはさして時間の掛かる事ではないだろう。
たとえ外と中で時間の流れが違うとしても、数年もすればまた会えるに違いない。

「俺は此処に居る。この世界で待っている」
『あぁ。それじゃあ、もう行くとするかな』

フワリと空に浮かび上がるダークライ。
世界の外が何処にあるのか知らないが、どうやら『天』の方角にあるらしい。

羽根は無いのに空を飛ぶアークの黒い身体は夜空に溶け込み、あっという間に見えなくなった。
それでも、声を届ける事は出来た。ティニがくれた神器は、まだ俺の手の中にあったから。










『またな、アディス―――運命を超えた我が友よ』












「待っている、から―――いつでも帰ってこい、アーク!」













心地よい、響きだ。

アーク、それが我が名前。

遠い昔に忘れていた。



いつか、いつの日かもう一度、その名を呼んでもらおう。



必ず、還る。還るべき場所に、必ず―――























長い、夜が明けた










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