――迷宮冒険録 第八十八話



もう誰も、空中でありえない動きをする彼らを異常とは思わない。
その場に居合わせた誰もが、『彼ら』が『そういう生き物』なのだと強制的に理解する。




「ハァッ!」

「――シッ!」




―――ガッ! ギィィンッッ!!


一撃一撃が文字通り『必殺』である攻撃を両者共に容赦なく繰り出し、
その都度大地が揺れるほどの衝撃音が響き渡った。
もう、正常な精神を持ってこの戦いを観ていられる者は少ない。
此処に居る殆どの者達が目を覆い耳を塞ぎ、
まるで地震か何かをやり過ごすかのように『待って』いることしか出来ない。


「――フッッ!!」


ナイトメアの放つ槍の一撃は超界の力を纏っているため、
同じ超界の力を持つこの剣でなければ防ぐ事が出来ない。
そして、それは相手にとっても同じ事であったから、
激しい撃ち合いが続いているように見えても、
両者とも精神面ではかなり消極的な戦いをしていた。

だが、焦りは必ず隙を作る。
先に焦ったのは、神器を持って孤独に戦う、ナイトメアの方であった。


「―――おおおあああッ!」


――ビュオッ!


「くっ―――!」



アディスは、攻撃角度が僅かに甘かったその突きの一撃を剣で受けず、
思い切り身を捻って紙一重で回避した。
衝撃波で皮膚の表面が抉られ血が飛び散ったが、今は気にならない。


「終わりだッ!」


アディスは剣をナイトメアに向かって振り下ろす。
今からナイトメアが槍を引いて防御に回っても、既に間に合わないのは必至。

この一撃が当たれば、この剣に付加された超界の力で全てを終わらせる事が出来る。
今は剣の姿を借るミカルゲは、ナイトメアの身体に急接近しながらそう確信していた。







――だが。

ミカルゲはもう少し、アディスの心を深く理解しておかなければならなかった。

そうであったら、本当にこの一撃で終わらせる事が出来たかも知れないのだから――





「アディス、お前の覚悟を見せてもらう―――僕のために」





ナイトメアは、槍を引くよりも早く、その表情を隠す仮面を剥ぎ取っていた。
その中から出てきた者の姿に、アディスは一瞬剣を振り抜くのを躊躇う。

その一瞬で良かった。
超界者の高みに立たなくとも、強者には解る。
やっと訪れたその一瞬が、逆転の瞬間なのだ。



―――ザシュゥッ!!



「………ぐ……がっ」


「やはり迷ったね、アディス――」



ナイトメアの槍が今度こそ、アディスの身体に突き立てられた。
それを阻止しようとして伸ばした手が槍を掴んでいたが、既に遅い。



「アディスッ!!」

「アディスさんッ!!」



全身の血が凍るような感覚。
ミレーユとフライアがそれを見るのは、これで二度目。



そして、恐らく『次』は無い―――










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      迷宮冒険録 〜終章〜
    『仮面の悪夢と運命の風3』
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『バカヤロウッ! 何を呆けているッ!』


――熱い。
痛みよりも、貫かれた事で流れた血が身体の中に広がっていくのを感じた。
居候が何か騒いでいるが、内容を理解する余裕が無い。
ミカルゲが咄嗟に超界の力を俺の中に戻さなかったら、
今の一瞬で俺はこの世界から消え失せていただろう。


くそっ、反則だ……反則にも、程がある……



「ぐふっ……げほッ」
「……致命傷だな。呆気無いが、勝負ありだ」




斬れない……俺は、ヤツを斬れない―――




「ティ、ニ……」



「そう、この姿はティニ。お前の――僕たちの一番守りたかった者だよ」




意識が遠のいていく。
俺の目には、シェイミが映っていた。

シェイミ――草タイプで、あぁ、そんな事は如何でもいい。
今俺の目に映るシェイミは、『ティニ』なのだ。
今日までずっと、守りたくて、守れなかった―――



「斬れるわけないよな、お前に、ティニが」



そう。斬れる筈が無い。
そんな事、俺には出来ない―――



既に俺の目には瞼の裏側しか映っていなかった。
全身から力が抜けていく。

俺が、心を殺しきれなかったから、居候の最後のチャンスを潰してしまった。

相手が俺自身なら、負けても本望だなんて言ったが、本当はそんな心算は無かった。
本当は、俺はこの勝負に勝って、居候を救ってやりたかったんだ。



なのに




「……ふん」


ナイトメアは槍をパッと手放して小さく溜息をついた。
ナイトメアの手から離れた槍は僅かな時間の後に消滅し、俺はそのまま大地に倒れ伏す。

受身も取れなかったはずなのに、痛みは感じなかった。



―――俺、またダメだった……




『……バカヤロウ…………』




ミカルゲは小さく呟く。
その声には、もう生への執着も、運命への抵抗の意思も無い。
俺の敗北を認め、全てを諦めた声だった。

























「………?」












薄れ行く感覚の中で、俺は右手に『重さ』を感じた。









倒れた時だろう、偶然か奇跡か、俺の手の平にティニから貰ったペンダントが乗ったらしい。
俺はもう一度だけ目を開き、太陽の光を受けて輝くそれを目に映す。


「―――何だ、『それ』は」

「………」


俺の手の中で輝くものに気がついたナイトメアは、素早くそれを奪い取って凝視した。
ヤツの目ならば、それがどんなモノなのか大方想像が付くのだろう。

くそ、動けるだけの力が在れば、ぶん殴って奪い返してやるのに。


「何かと思えば……ガラクタだな。何処で拾ってきたのか知らないが、ティニの形見か何かか」


形見じゃない、アイツは死んでいない、俺の知らない世界で今も生きている、
と言ってやりたかったが、声を出す力も無いから仕方ない。
言いたきゃ言ってろ、どうせ俺はこの怪我じゃもう動けはしないのだから。


「お情けだ。死ぬ間際くらい、ティニの波導と共に居させてやる」


ナイトメアはそう言ってペンダントを俺の手の中に投げ込んだ。
チェーンが指に巧い具合に引っ掛かり、ペンダントは再び俺の手の中で淡い輝きを放つ。

……?

暖かい、と感じた。
手の中にあるペンダントが放つ淡い光は、
かつて俺がティニと一緒に居る間に感じていた暖かさと同じであった。

そうか、これが、ティニの波導なのか。







―――……で







ティニは、何を思って俺にこれを託したのだろう。







―――……ないで







神器には遠く及ばないガラクタだと言うのは、最初から解っていた。
でも、ティニがわざわざ俺に託したんだ。きっと、何か意味があるはずだ。



だが、もう俺にはその意味を考える時間が無い。
教えてくれるのなら、誰か教えてくれ。


もう一度、お前の声を聞かせてくれ





ティニ―――



























―――迷わないで、アディス―――
















あぁ
















―――私は、此処に居るよ―――



















そうか。











「………?」














ティニは、ずっと一緒に居たんだ。
このペンダントを通じて、ずっと俺と一緒に。








「……な、……に……?」









―――そう、ゆっくりと立ち上がって―――






(剣を……手に………)






消えかかった命の炎が、僅かに蘇る。





(……まだ、足りない……もっと、俺に、力を――)


















ナイトメアは、それをガラクタだと言った。

確かに、そうかも知れない。その通りなのかも知れない。

己の身体の限界を超越する剣と、
世界中のあらゆる技を行使させる輝石と、
記憶を蓄積して所有者に力を与える仮面に比べたら、
その淡い輝きを放つペンダントなど、子供の玩具に匹敵するお粗末なものなのだろう。





――だけど。





それは、『声』を届けるもの。





世界の枠を超えて、強い絆の下に、『声』を届ける神器。





そして、絆を少しばかりの命の力に変えるだけの、絆の神器。












―――アディスさん、勝って一緒に帰りましょう、みんなで―――






(フライア………)





―――アディス、僕らは冒険家でしょ。まだ、こんなところでは終われないよ―――





(ミレーユ……)







『……聴こえる、お前の勝利を願う者の心の声が……これが、この神器の力……』






あぁ、俺にも聴こえている、届いている。





『立てアディス。立って、戦うんだ―――今度こそお前が守りたいものを守るために』





「はっ……勝手な事を……ぬかしやがる……!」






「何故だ……何故、立てる……! その身体は既に死んだも同然なのに……ッ!!」





ナイトメアの表情が凍りつく。
それは、そうだろう。俺は――俺のこの身体は今度こそ死んだのだ。
だから目の前に落ちていた死体が起き上がれば、それは誰だって驚く。

超界者でも、身体が――器が死んでしまっては、蘇る事が出来ない。
死ぬ前に意識だけを世界の外に切り離して生き延びる事は出来ても、
ただ一つの例外である『骨肉の剣』無しに、死体を起き上がらせることなど出来はしない。





でも、俺は再び立ち上がる。






そうさ、この身体が死んだというのなら、それでも構わない。







どうせお前に勝てなかったこの身体だ。それならば、こんな器、もう要らない。









―――アディス。お前にも解る日が来る
―――ただ守りたいだけでは、本当の力は生まれないのだと








かつて、俺が信頼した男がそう言った。
そいつはもう墓の中だけど、俺は墓前で誓ったのを今も覚えている。









「爺さん……やっと見つけたよ……俺に足りないもの―――」










俺の身体は既に、奇跡の光に包まれていた。














つづく 
  


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