――迷宮冒険録 第四十四話






「…はいもしもし、お電話代わりました。……え?」



商業都市バリンの中央図書館。
普段そこに駐在しているガーディへと電話が掛かってくるのは、そう珍しい事でもない。
ガーディはこの町の警備員の中ではそれなりの権力を持っていて、
有事の際には色々と権限を行使したり――大きな選択を迫られたりもするのだ。


要するに、電話が鳴った時は彼にとって憂鬱が到来するのと同じであって、
あぁ、今日はどんな面倒ごとがあったのだろう、なんて溜息もつきたくなるものである。
せいぜいそれが街中での喧嘩がちょっと大きくなっただけのことであれなんて願いながら、
不謹慎だと思いつつもやや疲れ気味の声でガーディは応対した。


そして、電話の向こうから聞こえてきたのは、ガーディの部下の声。


『身元不明のミロカロスを保護したんですが、ガーディさんに会わせろって言うんですよ』

「………えぇと、その、彼女の名前は…………クリアって言うんじゃ?」

『彼女? よく性別まで解りましたね…って、もしかして知り合いなんですか!?』

「あぁ、まぁその――何だ、色々あって」


部下の取り乱した様子が、電話越しに伝わってきた。
どうやらクリアの言う事を信じていなかったらしく、ぞんざいな扱いをしたらしい。

しかし如何言う事だろう?
確か、彼女はアディスたちと一緒にこの町を出て行ったはずでは?

そう考えると、ガーディは一つの結論に辿り着いた。
そもそも身元不明のミロカロスを保護したなんて言われた時点で、気付けたはずではないか。


『兎に角ですね、彼女は今病院に居ますから、昼休みにでも会いに来てください』

「………解った、ご苦労。今度奢るよ」

『そんなっ、滅相も無いですよ。それじゃ自分は見回りに戻りますんで――』


向こうが受話器を置いたのを聞き届け、ガーディも受話器を置いた。


「…病院………はぁ」


これから、どんな顔で彼女に会いに行けばいいのだろうか。
それを考えて、やっぱり電話が掛かってくると憂鬱になれると嘆息しつつ、
彼は昼休みになるや否や直ぐに病院へと向かうのだった。










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      迷宮冒険録 〜二章〜
        『キセキ1』
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病室は最上階の、町がよく見渡せる場所。
ガーディが入って来た時、クリアはボンヤリとした様子で窓の外を眺めていた。
その目に何時もの元気は無く、無気力にただ開かれているだけと言う様子だった。

クリアはガーディが入ってきて、少し後に彼の存在に気付いて顔を動かした。
あちこちに手当てした後があり、
一体どこで何をしたらそんな怪我が出来るのかすら疑問に思えた。

「………」
「………」

クリアは何も言わない。
その無言が苦しいが、結局ここに来るまでにかけるべき言葉を思いつかなかったガーディも、
クリアが何も言わない以上黙っている他に出来る事が無かった。

それを気遣ってか、クリアはやっと口を開いた。


「…終わっちゃった」


開口一番にそれか、と、ガーディは心の中で嘆息する。
最悪の予想が的中してしまった事が、彼の憂鬱を増長させた。

「その怪我はその時に?」
「うぅん、帰り道で山から転げ落ちちゃってね。町の近くまでは歩いて来れたんだけど…」

つまり、町の付近でぶっ倒れて、警備員に見つかって保護されたと言うわけだ。
あまりの雰囲気の悪さに耐えかねて、
いきなり怪我の事を聞いたのが正しかったか間違っていたかはさて置き、
これでやっとガーディはまともに会話を進めることが出来た。



アディスが殺された事と、フライアが連れ去られた事と、



ただひとり残った仲間、ミレーユに突き放された事。




なるほど、それはクリアを壊してしまうには十分すぎる出来事だったかもしれない。
何せフライアを連れ去ったのは、例の『種』とか言う組織だったのだ。

アディスたちが種に急激に付け狙われるようになったのは、
ある意味では種の監視を受けるクリアが彼らの仲間になったから。

時間の問題では在ったが、これほどまでに早く事が進んだのは、
クリアが彼らに関わってその存在を脅威と呼べるものにまで昇華させた所為だろう。

過ぎたる力は、さらなる力によって滅ぼされる。
ガーディは、その事を長い警備員人生の中で教訓として学んでいた。


「…で、貴女は如何するんですか」

「……もう何も出来ないよ。そのうち種の使者が私を狙ってくる…もう逃げられない」


クリアは悟ったように、窓の外を見ながらそう呟いた。
ダメだ、今のクリアは、完全に心をどこかへ忘れてきている。


守れなかった事がショックだった?

見放された事がショックだった?



「でも、生きてる」

「………」

「『クリア』は生きてる。生きてる者には、必ず『何か』が出来る」



それは、ガーディの父の残した言葉。


『――生きている者には、必ず何かが出来る。
 この世に何も出来ない者など存在しない。

 これを奇麗事だと言う奴は居るだろう。
 その時は、こう言ってやりなさい』



「私には何も出来ないよ…もう、何もかも終わり…」


「“解ったような事を言うな”…」


「………」



少し、無表情だったクリアの目が見開かれた。
多分、ガーディの口調が突然険しさを帯びたから、驚いたのだろう。
クリアたちの前では優しい口調だが、
これでも一応は警備員を纏める立場にあったりもする。
その時の口調は、他の警備員たちに『二重人格』と恐れられるほどだ。

その片鱗をチラと見せただけでも、何も知らない者は驚く。
このクリアも、例外ではなかった。



『――全知全能の存在じゃない我々は、可能性を捨ててはいけないんだ。
 『出来ないかもしれない』じゃなく『出来るかもしれない』を、
 『どうせダメに決まってる』じゃなく『きっと出来る』を信じるんだ。

 数年前、この地方で起こった戦の中で――とあるツボツボの一族が、そう教えてくれた』



『想い』は何にも負けない力を生むための、必要最低限の力。
その心無くして何が出来ようか、ならば、その心が在れば、きっと何でも出来る――。

生きている限り、『想い』は無限に紡がれる。



「クリア、君にはまだやらなきゃいけないことがあるだろう――」








…………






「お客様、困ります! ここは病院ですよ!」

「―――うるせぇなぁ、ちょっとここに居るミロカロスに会いたいだけだっつーの」



―――ガチャッ!! バタンッ!



病室のドアを乱暴に開け、
そしてさっきまで一生懸命静止をかけていた病院のスタッフを締め出したその男は、
ジロリと部屋の中を見渡し、そこに居るクリアを見つけて不敵な笑みを浮かべた。


「……サンドパン…? 何なんですか貴方は」

「俺? 俺はの名はウィリア。
 悪いけど席外してくんねぇかなぁ、こっちはそこのクリアに用が在るんだ」


ウィリアと名乗ったサンドパンは面倒くさそうに頭をかき、
そのまま視線をクリアの方へとスライドさせた。
クリアは黙ったまま、窓の外を眺めている。

と、クリアは小さく呟いた。


「ガーディさん、『約束』覚えてるよね」

「……っ!」


ガーディはハッとした。

――『種』には関わるな。

それが、クリアと交わした約束。
つまり、このサンドパンは、クリアを追うために種が遣わした――



「覚悟は出来てるってか? まぁショックだよなァ、あんな事になって。正直同情するぜ」

「………もう知れ渡ってるんだ。それで? 何しに来たの?」

「あれだけの事をして、まだ『連れ戻される』で済むとは思ってないだろ? 諦めな」


ウィリアは鋭い爪をクリアに見せ付けた。
が、クリアは全く動じる事無く窓の外を見ている。
完全に覚悟を決めた――いや、もう諦めていると言うのが正しいか。



――ガッ!



「…いてぇな。離せよオマワリ」

「それは出来ない相談ですね」


やっと、ガーディは一歩踏み出して、鋭い爪が光るその腕を掴んだ。
お互い睨みつけたまま、一歩たりとも退かない。
やがて、痺れを切らしたウィリアが、空いていた左手でガーディに攻撃を仕掛けた。


「消えちまいな――!」

「くっ!」


そのあまりの速度に、ガーディは一瞬回避が遅れる。
掴んでいた手を離し後方へ跳躍したが、
ウィリアの爪にはガーディの血が滴っていた。


「へぇ、なかなかやるじゃん! 殺す心算だったんだけどなぁ!」


ふざけている。
ウィリアはわざとらしくそう言って高笑いし――次の瞬間にはまた凄まじい速度の斬撃を飛ばしていた。


――ザシュゥッ!


ガーディの身体が引き裂かれ、ウィリアはニヤリと笑う。


「へぇ…今度は素直に感心したよ。何時の間に入れ替わったんだ?」


ガーディは、ウィリアの背後で『かえんぐるま』の構えを取っていた。
切り裂かれた方のガーディは――影分身の偽者。


「『かえんぐるま』ァッ!!」


ガーディの身体を炎が包み、さらにこの狭い病室を贅沢に使って回転する。
それが、ウィリア目掛けて突進していく様は、まさしく火炎車!












「でも、『種』をナメんなよ?」







再び、ガーディの身体をウィリアの爪が引き裂いた。
今度は、炎に混じって赤が舞う。


「―――がッ………馬鹿な…」


あの至近距離で、
僅かゼロコンマの世界で、
あのサンドパンは振り返って斬撃を決めたと言うのか?

ガーディは、自分が切られた事しか理解出来なかった。
それは痛みが教えてくれる現実――視覚は、彼に何も告げなかった。


「『インビジブルスラッシュ』…俺はそう呼んでるぜ、この『極みのきりさく』をな」


それは通常の『きりさく』攻撃をトコトン追及し、鍛え上げた、まさに『極意』の一撃!
計り知れない努力と鍛錬に裏打ちされた、至高の『きりさく』攻撃!



『きりさく』を超えたその先にある技を、このサンドパンは引き出していた――!



「く……ッ…」



それが、乱数や名前持ちに与えられた『可能性』の一つ。
この世界に無いものを生み出せるかも知れない、微々たる可能性。

しかし、その僅かな可能性に選ばれたものは、
通常では計り知れない強大な力を手にする事が出来る――このサンドパンのように!


――或いはかつてのホウオウの『ディヴァインフレア』が、
そして、『ヘキサボルテックス』がそれにあたる!




ガーディがそれを知る余地など無いが、一つだけ確信した事が在った。
なるほど、『種に関わるな』――そう言う事か。

いくら凄い組織だと言っても、所詮は同じポケモンだと言う侮りが心のどこかにあった。
払拭しよう、種に属するポケモンは、既にポケモンの域を超えている可能性がある――



「……あ……」



クリアは、炎が消えると同時に床に倒れたガーディを見て、
その光景にあの惨劇を重ねていた。




突如現れた謎のポケモン。


そして、強襲。
戦うアディス、だがその攻撃は尽く打ち返され、
やがて彼を取り囲んだ無数の槍が――

だけどもしアディスが避けたら、それはフライアにも当たっていたのでは?
だから避けなかったアディスは全身に槍の雨を受けて、
そして、謎のポケモンが凄まじい力で作り出した大地の亀裂の中に捨てられてしまった…



『アディスがやろうとしていた事をやりに行く』


『生きている者には、必ず何かが出来る』




アディスは、託した?
生きている者にしか出来ない事をしてもらうために、







「じゃあな、勇敢なお巡りさん。殉職は特進が期待できるから、安心して死んでいけ!」





ウィリアの爪が振り下ろされるのが、確かに見えた。


見えることは、それほど凄い事ではない。
距離は離れていたし、何より、自身もまた音速の世界を知るものだからだ。






「………っ…?」


ガーディは恐る恐る目を開けた。
そして、そこに在り得ない光景を見る。


突如として出現した氷の盾が自分を包み、さらにはウィリアの爪をも捕えている光景を。



だが、在り得ないと言う表現が間違いであったことを、彼は直ぐに気付く。






「私、結構単純なんだよねぇ…」



「……チッ、大人しくしてりゃ良かったものを」



ウィリアが舌打ちをした。
その表情は今まで見せていたものではなく、本気で悔しさを滲ませているものだった。




「如何して気付かなかったのかなぁ。でも、ガーディさんを呼んだのは正解だった…」




一歩、また一歩と、水の使いが歩み寄る。
それと同じ速度で、『領域』がジリジリと詰め寄ってくるのが、肌で理解できる。

ウィリアは何とかその氷を砕いて、後方へと跳躍して身を屈める。



「何となくだけどね、ガーディさんと話せば、また頑張れそうな気がしてたんだ」

「………ごちゃごちゃと…お前はどうせ此処で死ぬ! 俺がそう決めたッ!」



インビジブルスラッシュが飛ぶッ!
文字通り、空を裂けば真空の刃となって、それは対象へと襲い掛かる!


―――筈だった。



「ありがと、目が覚めた。…先ずは、ウィリアに黙ってもらわないとね」




そこに、何時の間にか張り巡らされた氷壁は、一体どれだけの硬度を誇るのだろうか。
傍から見て、それはダイヤモンドのようにキラキラと輝いていて、


インビジブルスラッシュの真空の刃は、その壁に僅かに傷をつけるだけに止まっていた。





「出遅れちゃった。ミレーユ君を追いかけて、
 殴ってでも一緒にフライアちゃんを助けに行かなきゃ!」











つづく



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