――迷宮冒険録 第四十二話








「ねぇ、嘘だよね、……」



ミレーユが震える声でそう呟いているが、俺には聞こえない。



聞こえるはずが無いんだ、だって、俺はもう暗い谷底にいて、




多分、もう生きてはいないのだから。





「嘘だ、嘘だよ、こんなの………嘘だァァァァぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああッッ」















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      迷宮冒険録 〜二章〜
     『そして運命は紡がれる4』
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「ミレーユ君! 落ち着いてよ! あなたまで死ぬ気なの!?」


「離せっ! 離せよぉっ!! それに僕は死なない!
 アディスだって…死んでなんかいないんだぁぁぁああッ!!」



決戦の地を切り裂いて生まれた亀裂に飛び込もうとするミレーユを、クリアが押さえつける。
こうでもしなければ、ミレーユはここから飛び降りて死んでしまう。

それが解っていたから、本当は自分だって今すぐ飛び降りたいのに、
ミレーユを押さえるだけの冷静さを保っていられたのだ。



アディスが殺されて、


フライアが連れて行かれ、


フリードも、あの仮面のポケモンに連れられて帰ってしまった。





まるで度外視されて、残されたのはミレーユとクリア、
そして、ここまで連れ添った仲間の、荷物だけ。

その虚無感が、何も出来なかった心を激しく打ちつける。



無数の槍が刺さったままのアディスが落とされた亀裂は、
この世の全ての悲しみを詰めても全然埋まりそうに無いほど、
暗くて、冷たくて、ただそこで口を開けていた―――






「ぅぅ…うわああぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああッ!!!!」







どれだけ泣こうが喚こうが、失ったものは返ってこない。




運命はもう、刻まれてしまったのだ、この世界の歴史に―――







……

……………








フリードとフライアを連れ、小さなポケモンがどこかの洞窟の中を歩いていた。
この小さなポケモンは奇妙な仮面とマントで全身を覆い、
その正体は同じ種の仲間であるフリードにさえわからない。
だが、彼はフリードをまだ仲間だと思っていたし、
だからフリードを助けるためにここへやって来たのは紛れも無い事実だった。


「心配したよ、なかなか帰ってこないから。
 上に無理言って、任務すっぽかして来ちゃったんだ」

「…礼は言わんぞ」

「あっはは、素直じゃないね。ま、それも君らしいか」


洞窟の中は整備されていて、しかし通路の隅には無造作に掘削用具が放置されていた。
ここは、『廃鉱の地下道』。
かつては鉱山として栄え、今は失われた大昔の遺産。
種は、そこを改装して利用しているのだ。

長い廊下を歩き、地下へと続く階段を下りた先に、牢獄が完備されていた。
鎖で縛られたフライアはそこへ乱暴に投げ込まれたが、何も反応はしなかった。



アディスに無数の槍が突き立てられる様を一番近くで見ていたから、
既にフライアの心は砕け散ってしまっていたのかもしれない。

最後に、地面に作られた巨大な亀裂の中にアディスが捨てられるのを見届けて、
それ以降、フライアは一言たりとも言葉を発していない。



その様子をまともに見ていられたのは、この正体不明のポケモンを除いて他に居ない。
フリードでさえ、ずっとフライアを視界に入れようとはしなかった。
あまりに痛々しくて、彼の中の良心には、この結末があまりに残酷過ぎたから。


「じゃあ、くれぐれも粗相のないようにね?
 彼女は僕らにとって大事な鍵かも知れないんだから」


「了解しました」


牢獄の奥で、リンゴを食べている男が呟いた。
多分、この牢獄の番人か何かだろう。
このナイトメアを前にしてリンゴなんか食べてるのは、ある意味大物か――フリードはそう思った。


これ以上は、あのフライアの傍に居る事が辛かったから、フリードは足早に此処を去る事にしていた。
今はまだ何も出来ない。
だが、フライアの命に関わる『計画』の前には、きっと自分は動くだろう。
何が出来るか解らないが、せめてその時に生き残れるために、今のうちから色々と考えておく必要があった。


「担当外の俺には聞かされて無いんだが、『計画』とやらの始動は何時なんだ?」


「んー、ちょっと邪魔が入っちゃって人員不足なんだよね。
 『敵対勢力』が予想外の頑張りをしてね、このままじゃ当分は何もできないよ」


「………そうか」



声にも顔にも出さないが、フリードは安堵する。
種が欲したのは、フライアの持つ『進化の奇跡』。
進化と言う壁を突破し、その先の力を行使する理外の力。

その力をフライアから抽出し、手に入れるのが種の狙い、そこまでは知っている。
その力を一体何のために使うのかは知らないが、
少なくとも暫くの間は何も進展はしない。

せめて、それまでの間に何か打開策を講じてフライアを此処から連れ出さなければならない。

『敵対勢力』とは一体何処の誰だろうか。
種を敵に回すとは怖いもの知らずと言うか、それもかなり善戦しているらしいから驚かされる。
…そいつらと巧くコンタクトを取れれば――いや、
何処の誰とも知れない連中とどうやってコンタクトを取れというのだ。

では事故に見せかけて此処を破壊しようか、或いは都合よく此処が襲撃されないだろうか――

フリードはただ、如何にも出来ない現状を打開する策を、考え続ける事しか出来なかった。








………






数時間後の事である。
如何しようも出来なくて、無力感が虚脱感に変わりつつあった頃、
クリアは風が動くのを感じて顔を上げた。


「………?」


ずっと俯いたまま、石像のように動かなかったミレーユが、不意に立ち上がっていたのだ。
そして、そのままフラフラと歩き出す。
どこへ行こうと言うのだろうか?
クリアは悪い想像しか出来なくて、ミレーユを呼び止めた。


「…何処にいく心算…?」

「何処だろうね…アディスが行こうとしてた場所、かな…」

「………」


そこで『アディスの居る所』と言わなかっただけ、
ミレーユは冷静さを保っているようだった。

だが、今はエラルドを探すための旅の途中。
アディスが何処に行こうとしていたかなんて解らない。
彼はただ、冒険家として生きようとしていただけだ。

「クリアには、解らなかった?」
「……ごめん」

ミレーユが何を言いたいのか、クリアには解らない。
アディスとの付き合いなんて、それこそ先週始まったくらいだ。
だから、謝るしかなかった。
だが、ミレーユは逆に首を横に振って、穏かな口調で応えた。


「うぅん、僕が遠回しな表現をしただけ。
 僕は、アディスが『やろうとした事』を、やりにいくんだ」


――え?

クリアはハッとした。
それは、つまり、アディスはずっとフライアを守りたくて、
だから、ミレーユが一人でそれをしに行こうと言うの?――クリアは、驚愕する。


あのアディスでさえ、手も足も出なかった謎のポケモンを相手に、
正直な話、ミレーユに何が出来ると言うのか?


「フライアは僕が助け出す。それから、アディスがきっと行くと思う場所にも行く。
 今日から、僕がアディスになる……」


ミレーユはそのまま、岩山を降りてジャングルへと消えていく。
そもそも敵のアジトが何処に在るのかだって解らないのに―――


「……あ」


クリアは思い出した。
あの時、確かにフリードは何かを呟いた。
そこは、地名。
そこは、普段誰も行かないような場所。


――フリードは確かに伝えていたのだ。


あの惨劇の中で、何とかしてフライアを助けたくて、





――――『廃鉱の地下道』





サイオルゲート領に近くて、ここからなら1日も歩けば辿り着ける場所。
そこに、きっと何かが在る。

もしかしたら、そこにフライアが居るかも知れない――




「………私も、行くよ………私も行くっ! このままじゃ終われないッ!」

「………」


ミレーユが立ち止まる。
こちらを振り返らずに、口を開いた。


「………ごめん」

「え?」

「ごめん、僕一人で行く」

「な、何を言ってるの…?」


ミレーユは何を言っているのだろうか、
まさか断られるなんて思ってなかったから、
その言葉はクリアの心に深く突き刺さった。

如何して? 如何して私じゃダメなの?


「……違う! クリアは、大切な仲間だよ。アディスと同じくらい、大切な―――」


だから―――ミレーユが呟いたその言葉は小さくて、クリアは何も言い返せない。


「もう、僕に近寄らないで……僕はもう『守護者』失格なんだ……」

「何で…? 何を言ってるのミレーユ君…如何して? ねぇ何でよ、待ってよ……」


ミレーユはそのまま走り去る。
その瞬間、クリアの中で溜まっていたものが、
ついに、抑制を無くして溢れ出した―――




――誰も守れなかった――



「…如何して……、待ってよ…」



――何も出来なかった――



「こんな…こんなのってあんまりじゃない………」






――― ミ ン ナ ガ 、 バ ラ バ ラ ニ ナ ッ テ ユ ク ―――






「ワケ…解んないよ………ぅああぁぁぁぁぁあああああああぁぁぁッ―――――!」










…………






如何してこんな事になってしまったんだろう。
皆がバラバラになっていく。
一つだった心が、砕けて、壊れて、
それでも何とか支えようとして手を添えて、
でも、もう何もかもが手遅れで―――


クリアは歩き出していた。

それは、ミレーユが向かった方向とは少し違う――バリンへ戻る道。

こんなペースで歩いていたら、何日かかるだろうか?
もしかしたら、途中のあの雪山で凍えて死んでしまうかもしれない。

それもいいかも知れないと思ってしまう自分が、怖かった。
ダメだと解っているのに、今すぐにでも手持ちのナイフで首を掻き切ってしまいたい衝動が、
自分の中で渦巻いているのが恐ろしくて、だから全ての刃物を森に捨てて、歩いた。

3人分の余計な荷物も、今はとても軽く思えた。



誰かに慰めて欲しかった。
甘い願望。
このままじゃ如何にかなってしまいそうな心を、誰かに支えてもらいたかった。
心当たりは一つしかなかったから、何も考えなくても、自然と足はバリンへ向いていた。


折角エラルドを探すために、氷雪の霊峰を目指してここまで来たのに、
結局、もう何もかもが終わってしまったような感覚に打ちひしがれて――


「まだ、終わってなんか無いのにね……」


それは、解っている。
そんな事は解っている。
でも、もう如何する事も出来ないことも、解ってしまった。




「終わってないけど、私の役目は、もう―――」





もう、終わってしまった…


そう思わざるを得ない事が悔しくて、悲しくて―――




クリアには、ただ歩き続ける事以外、自分を保つ術が見つからなかった…










つづく



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