――迷宮冒険録 第三十九話




例の薄暗い部屋。
前と変わりなく大理石の床は綺麗に磨かれているし、
金色のコイキングも元気に泳ぎまわっている。

そして、お気に入りのソファに横になって眠っているのは、あのガブリアス。


「フリード様、フリード様!」

「んぱッ!! おひょうッ! 寝てない! 俺ァ寝てないぞエストリアッ!」

「…寝惚け過ぎです」


ガバッと飛び起きて意味不明な事を口走りながらファイティングポーズをとるフリード。
彼の秘書であるデリバードのリィフは、思いっ切り呆れ顔で彼を見つめるのだった。


「………また、あの夢ですか」


呆れ顔の中に、真剣さを含めてリィフは訊ねる。
フリードは少し長めの間を空けて、もう一度ソファに横になった。



「ったく煩ぇっての。忘れたくても、このアタマが忘れさせてくれねぇんだよ…」









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      迷宮冒険録 〜二章〜
     『そして運命は紡がれる1』
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「………」


ソファに横になりながら、リィフの報告を聞く。
その言葉を聴きながら、あぁとうとうこの日が来たのかと、
フリードは内心、悲しい気持ちを抱いていた。

アディス一行が抱えているフライア。
オマケのクリア。
今までは何とか巧い事見過ごしてきたが、
とうとうお上から催促状が届いてしまったのだ。

やれやれ、時間を無駄に費やしていただけに、
何の成果も得られないままこの結末を迎えることになってしまうとは――

フリードは両手で自分の目を覆い隠し、大きく溜息をついてから立ち上がった。


「今、奴らはどこに」
「バリンから北上し、『対極の山』付近を移動中、氷雪の霊峰を目指しているようです。
 恐らく、同じく裏切り者のエラルドとの接触が狙いかと」
「そうか」


裏切り者のエラルド。
それに纏わる一つの事件。

あのカイリューとイワークが生きていると言う風の噂は聞いた。
だが、エラルドに関して、一切の情報は無い。
死んだのか?
生きているのか?

いや、生きているに決まっている。
死んだのなら、それすら隠蔽する必要性など無いはずだ。
種の情報網は甘くは無い。
脱退の決定していたセバスやミルフィーユとは違う。
エラルドは、どこかで生きていて、
巨大な組織によってその存在を隠蔽されている。

だとすればそれこそが、エラルドの掴み取った真実。
何としてもエラルドと接触したい、しかしエラルド捜索隊は既に在る。
いくら幹部とは言え、管轄外の仕事に手は出せない。くそったれ。


「フリード様……」

「心配するな。お前は普段通りに振舞ってりゃいい。…行ってくる」

「ご武運を…」



フリードは片手をだらしなくヒラヒラさせながら振り返る事無く、
リィフを部屋に残して出て行った。
リィフは、祈るように彼の背中を見送る。


今まで動かなかったフリードが、
フライア確保のために直々に動く。
きっと任務は成功するだろう。
そして、最後の望みは絶たれるのだ。




フリードは、そしてリィフは、種に身を置きながらクリアと同じ立場に居る。
その部下であるエリオとラセッタもまた、同じである。


クリアと違って、彼らは『表面』を決して崩さない。
忠実な種の駒として、常にそこに在りながらも、異変を調査している。
察知されれば文字通り消される世界では、一瞬でも隙は見せられない。

冷酷にクリアを追い詰める事も、
たった一人となったアディスを3人で囲もうとも、
『表面』では常に『種』として振舞う事。
それが、最低限こなすべき事。
それが、最優先にこなすべき事。

だから、仕方ない。
アディスや他の連中は尊い犠牲になって貰うしかない。
『種』の指令は絶対なのだから。




だからフライアを手に入れて、その力を手に入れた種が何をするのか。
それを知る頃には、全てが手遅れになっているかもしれない。
いや、断言できる。
それが明らかになった時は、全ての計画が完了した時。
種の機密保持能力の高さは自分たちがよく知っている。


―――だから、この任務に成功する事は、全ての終わりを意味するのと同義。



長いアジトの廊下を、こんな気分で歩くのは何度目だろうか。
だが、今までで一番、最悪な気分だというのは間違いない。


如何すれば、終末を回避できる?
フライアを手に入れて、どこかへ逃げる?
それはアディスと同じ――いや、それ未満だ。
アディス以上に種に素性が知られている自分が逃げても、
簡単に見つかって種の最大戦力を以って叩き潰される。

アディスと共に戦う?
馬鹿な。奴らは種の恐ろしさを知らない。
種には戦闘を専門にした特殊部隊がある。
自分もかつてはそこの上位に居たが、もっと上が居る。
ラセッタもそこでは新米、色々あって借りてきただけ。

種とは戦えない。
種と戦うには、もっと強大な組織のバックアップが居る。



「……救助隊連盟……」



馬鹿な。
どうやって救助隊連盟と連絡を取る心算だ。
この世界の手紙は全て種を経由していると考えた方がいい。

直接行く?
だから管轄外の事は出来ない。
それにもう手遅れだ。直々の出撃命令が出てしまった。
真っ直ぐ奴らのところへ向かってさっさと戻ってくる以外に出来る事は無い。



奴らは強いが、自分の敵ではない。フリードはそう考えている。
そして、恐らくそれは正しい。
何も戦う必要など無い。
フライアが孤立した瞬間に、瞬きよりも早く神隠しにしてしまえる。
フリードほどの実力者なら、誰にも悟られずにそれくらいの事は出来る。
そして、種もその事を知っている。
だから、任務の失敗は在り得ない。

どうやっても、種に悟られずにフライアを隠す方法が見つからない。

………じゃあ、フライアの力が無くなればいい?

どこへ逃げ隠しても、いつかは必ず種の手に落ちる。
だったら、その前に壊して役に立たなくすれば、種に打つ手は無い。

そう、それが出来るのは、自分だけ。
この任務を任された自分だけが、ごく自然にフライアに接近して、
この強靭な腕で絞め殺す事が出来る。


…………。



「く……」



フリードは自分の手を見る。
戦闘部隊に居た頃に鍛え抜いたこの身体の前に、
まともに相手になる奴なんかまず居ない。

その大きな腕のヒレなら、小動物の首を刎ねるなど造作もない事だ。
ほんの一瞬で済む。
本人に苦痛すら与えず、さらに誰にも邪魔される事無く。
それさえ済めば、後はどうなっても構わない。
種の野望は潰える、形は最悪なれど、自分たちの勝利。


「できるわけ……ないだろうが…ッ」


自分は、一体何を考えていたのだろうか。
そう思うと、途端に恐ろしさが込み上げてくる。
最悪の形の勝利? 何を世迷言を言っているんだ。
そのどこが勝利だ、ふざけるのも大概にしろッ!

心の中で、自分と言う形をしたおぞましい何かを思い切り殴り飛ばす。
殴って、殴って殴って殴って、形も残らぬほどに叩き潰していく。
歪んだ発想を吹聴する自分を、根本からねじ伏せる。


そして、殴れば殴るほどに飛び散る、無力感と言う名の返り血が、その手を染めていく。
それを振り払うように殴り続け、さらに手は赤く染まっていく。

無力だ、無力だ、無力無力無力……




結局、俺は、誰も救えない、誰も守れない




「くそったれ……くうおおおおおおおぉぉぉぉぉッッッ――――――」





ずっとその背中を見つめていたリィフは、その痛ましい姿に耐えかねて、
ただ代わりに、声を殺して涙を流す事しか出来なかった…。






…………






アディスが、希望。
最初に、そして最後に辿り着いた結論。

でも、今から自分は、その希望の芽を摘み取り、破滅を誘うのだ。

いっそアディスに負けてしまおうか?
いや、どちらにしても終わりだ。
自分が負ければ、その情報は即座に種に伝わる。

そして、アディスは、
『あのフリードを倒した男』として警戒レベルが最上級になり、
種の持つ最大限の戦力を向けられて、終わる。

僅かに生き延びる時間が増えるだけ。
結末は変わらない。



「………?」



―――不意に、フリードをとある既視感が襲った。



きっと自分はアディスにわざと負ける事を選ぶ。
そして、次の日…いや、その数時間後には種の戦闘部隊が大挙として押し寄せ、
アディスたちは全滅する。

何故だろう。
根拠は無いし、そんな事は過去の記憶にも無い。

でも、そうとしか思えないほど、その既視感はハッキリと告げた。


『表面』は崩してはいけない。
アディスたちを倒し、フライアを奪って、種に捧げろ。



今まで、恐らく一度も選ぶ事の無かったであろう選択肢が、そこに転がっていた。



如何してと訊かれても、答えられない。
多分、この世界の自分は狂っているんだろうとしか言えない。

『もしもあの時こうしていたら、…』の世界の自分が、教えてくれたとしか思えない。




これでダメなら素直に諦めも付くかもしれないな――フリードはニヤリと笑った。
そして、もし巧く行って全てが終わった後も自分が生きていたら、
この既視感を特技にして占い師にでもなって見るのも一興だと思った。

肉体派の占い師。そのギャップがいいじゃないか、とフリードは気分を盛り上げる。



「ガラにも無く落ち込んでたな。もう迷わねぇよ、行こうぜフリード」



まるで、ひたすら後悔し続けた自分が、
その後悔を消し去れる可能性に賭けて、背中を押してくれているように感じていた。

だから呼びかける。
自分を呼ぶ。




『俺』は、決して後悔しないための道を選んだぞ  と―――








つづく 
  


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