――迷宮冒険録 第三十二話
「ふふ、それでいい。実験を続けろ」
ギンガ団のアジトの最奥に、秘密の研究室がある。
アカギと名乗るギンガ団のボスは、その研究の進行度を度々見に来ていた。
その実験は、彼の目的を果たすためだけに行われているもの。
他の何を犠牲にしても一切構わない、利己的で傲慢な願いを叶えるだけのもの。
この世界を超越し、新たな世界に至る。
それこそが至上目的。
それこそが絶対目的。
故に、彼の魂は、
「さぁ、共に行こう! 新世界へッ!」
「くく…ふはははははッ! その望みを邪魔するものは、我が消し去ってくれよう――」
かのホウオウの魂と同調していた―――!
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迷宮冒険録 〜序章〜
『もう一つの救助録3』
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「ボス、最近妙に明るいよね」
「実験が快調なのが嬉しいんだろ。何にせよ、
アカギ様について行けば、俺たちの未来は安泰さ」
実験を続ける白衣の研究員たちは、昼休みになると専らそんな会話で退屈を凌いでいた。
交代制の昼休みは貴重なものだが、進行中の実験が面白いように順調なため、
彼らとしては昼休みなど楽しみをお預けにする邪魔物でしかなかった。
しかし休憩を疎かにして折角の実験を失敗する事も許されないので、
渋々研究室を後にしてたまには外の空気を吸いに来ている。
こうしている間に楽しみが終わりやしないかと、内心は気が気では無いのだが。
「でも、この実験はいくら何でも…」
「俺も最初はそう思ったさ。でも、あの人の目的は絶対なんだよ。
そのための尊い犠牲は、絶対に無駄にしちゃいけない。俺は最近そう思い始めたよ」
「……そうだな、もうやるしかないところまで来たんだ。やってやろうぜ!」
「おう! 行くぞ新世界!」
研究員たちは再び、実験室へ戻っていく。
そこは、正常な思考を持つものから見れば、
地獄以外の何物でもない光景の広がる空間だった……。
それに慣れ、馴染んでしまった彼らは、もう『ヒト』には戻れない――
「感情の神エムリット、意思の神アグノム、そして知識の神、ユクシー…」
実験室をアテも無くうろつくアカギは、
フラスコの中に捕えられたポケモンの前に立ってそう呟いた。
彼の呟きは、たまにホウオウのそれであるのだが、
研究員たちはそんな事は知る由も無い。
今呟いているのは、彼の中のホウオウである。
彼らの状態はアディスとその居候の関係に近いが、
彼らは魂の器だけでなくその意思すらも完璧に同調しているため、
完全に互いを認知しあう多重人格者のようなモノ――言い換えれば、
二つの意思を持つ『生命体』となっている。
そして、ホウオウにしてみれば彼はただの人間であるのだが、
ホウオウの力を手に入れたアカギは既に『ヒト』を超越していた。
「人間の分際で、よくこれらを捕える事に成功できたな。感心するぞ」
『くく、難しい事じゃなかったさ。偶然も私に味方した。
ここシンオウには、この3体の神の眠る社が存在していたんだ。
奴らがそこを通るのを待ち伏せ、後はこのどんなポケモンも捕える『マスターボール』……』
アカギは、フラスコの前に安置されたボールを撫でる。
それは『マスターボール』。
どんなポケモンも捻じ伏せる、『人間』に許された最強の武器。
ホウオウはかつての自分ならばそんなもの打ち破れるだろうと思っていたが、
実際はどうなるかわからない。
もしかしたら、かつてのあの戦いは、
マスターボール一つで解決していた可能性だってあるのだ。
今となっては、憶測でしか語れない話だが。
「最初にエムリットを捕えた時、それを知ったアグノムとユクシーが直ぐに現れた。
全く以って呆れるほど馬鹿な奴らさ。くくくく…」
アカギは実験室を後にする。
実験は快調に進んでいる。それさえ解れば十分だ。
自分は、野望のために自分のすべき事をすればいい。
例えば、自分の邪魔をしようと飛び回っている、
あの帽子のトレーナーを排除したり、だ。
「『赤き鎖』の完成は近い。計画は次の段階を迎えようとしている…」
「海老で鯛を釣る、か。こんな発想は、人間にしか出来ないな。
だが、だからこそ侮れない。ポケモンとは違う発想をする小さき者……
我に残された力は僅かだが、そのためならこの命、惜しくはない」
「悲しい事を言うなホウオウ。お前はもう、私のたったひとりの家族……行こう、共に新世界へ…」
地獄の底から這い上がるほどの強き意思によって、彼の魂は再び世界へと蘇ってきた。
しかし、それと同時に彼の魂は磨耗し、
もはやかつての力はカケラほどしか残っていない。
それでも、人間界のチャンピオン程度なら軽くあしらえるだけの力が残っていたからこそ、
彼は、全く同じ意思と器を持つこの男――アカギに、己が野望を賭けたのだ。
『家族……か』
不死鳥にそんな概念はない。
しかし、不思議とその言葉に抵抗は無かった。
心地よい温もりを感じさせる言葉だ――今までは一人で何でも出来たから、
それが出来なくなった今、あの世界の微温い考えも少しは理解できた。
不死鳥ホウオウの、最期の戦いが始まろうとしていた――
…………
「僕はエムリットと約束した。必ず救い出してみせるって。
だから、絶対にギンガ団には負けられないんだ」
コウキはそう呟いた。
ワタシは、その言葉に偽りが無い事を心で理解できる。
キュウコンが感じたと言っていたように、『波導使い』のワタシにも解るからだ。
「ギンガ団の幹部クラスは構成員みたいなアマちゃんじゃない。
悪いけど、ヒカリたちは帰った方がいい」
コウキはそれだけ言って、ムクホークの背中に飛び乗った。
その言葉の真意を理解するライバルとヒカリは、大人しく引き下がる。
表面上では文句を言う彼らも、わかっているのだ。
この戦いが如何いうものなのかを。
「……コウキに任せるよ。絶対に勝ちなさいよね」
「何だってんだよー、俺だって協力してやるってのにー」
コウキはその言葉を聞いてから、強い意思を込めた目をワタシに向けた。
ワタシはコクンと1回頷いて返事とする。
――共に戦おう、と言うニュアンスだろう、多分。
「キュウコン、ワタシたちも行くよ」
「ギンガ団のアジト、トバリシティだな」
キュウコンが小さく返事をくれた。
ワタシはキュウコンの背中に跨って、一足先に走り出す。
「先に行ってるよ! ギンガ団に目を付けられてないワタシなら自由に動ける!」
「じゃあ偵察を任せるよ! 決して無理はしないで!」
コウキはそう叫んでからムクホークに指示を出した。
ムクホークも同じように高らかに鳴き、トバリシティへと飛び立つ。
コウキはまだ知らない。
ワタシがギンガ団(の中のロケット団)を追っている事を知っていても、
ワタシが波導使いで、人間じゃないことを。
無理をする心算は無いが、ワタシには心配なんて要らないのだ。
「ロケット団の残党が居るなら、ギンガ団もワタシの敵だよ」
「………成長したな」
「そう? ま、何時までも感情任せの子供じゃない心算だよ」
キュウコンは一瞬の間を空けてそう言った。
多分、ワタシの波導の流れを読んだのだろう。
怒りに任せて暴れるのは昔のワタシ。
今のワタシは、ワタシの様な被害者を二度と出させないために、
ロケット団の残党を狩る『波導使い』。
「もうワタシも自分で走るから、遠慮なくスピード出していいよ」
「解った」
人目を避けるように森の中へ入り、
ワタシはキュウコンの背から飛び降りてトバリへの最短ルートを疾駆する。
人前では、ワタシは本気では走れない。
走れば、人間でないことがばれてしまうから。
波導を足に集中すると、身体が羽根のように軽く感じる。
そして、大地を蹴るとバネでも付いているかのような加速が出来る。
蹴れば蹴るほどに加速し、数歩踏み込むだけで時速70kmに達する。
さらに姿勢を低くし、空気抵抗を抑え、障害物だらけのこの獣道の中ですら、
ワタシはあっという間に高速道路を飛ばす車に並ぶ速度に達した。
これは昔の、ルカリオ頼みの波導ではない。
ワタシの、ワタシだけの魂の力。
あのポロックで暴走してしまってから、それはワタシの中に目覚め始めた。
そして、キュウコンとともに人間界に来てから訓練して開花させた力。
「目標5分ッ!」
「それは無理だ。この速度では如何見積もっても6分と24秒かかる」
「…………」
そんな知的なツッコミは要らない。
なんて言い返す気も起こらないほど、キュウコンのツッコミは冷静だった。
ああコノヤロウ……。
………
ワタシはトバリシティを目指す。
そこに居るであろう、ギンガ団と名を変えたロケット団の残党を狩るため。
目的は、……素直に言って、復讐だけど。
でも、復讐がいけないって解ってても、彼らを野放しには出来ないから。
彼らを狩る力がある誰かが、止めなくちゃいけない――だから、ワタシがやるんだ。
コウキもまた、トバリを目指す。
彼とギンガ団の間に、一体何が在ったのかはわからない。
ただ、一人のトレーナーである彼に、それだけの決意をさせた何かが在ったんだろう。
――エムリットを救い出すと言う約束。
彼は、そう呟いていた。
約束と言うものが、どれだけの重さを持つのかは、ワタシもよく知っている。
その時何が在ったのかを知るまでも無く、その決意だけは理解できる。
ワタシは彼を止めないし、止める義務も無い。
でも、力を貸し、協力する権利はある。
この戦いに、余計な犠牲は必要ないから、そのためにワタシたちは戻ってきた。
この人間の世界へ。
「やっと、終わるんだね。そして、これからが始まり…」
「あぁ。人間『ユハビィ』はもう死んだ。
その亡霊はロケット団の残党を狩って、やっと成仏出来る。
そしてそこからが、ポケモン『ユハビィ』の、本当の始まりなんだな」
「……」
ワタシは無言で頷く。
走りながら、ワタシはやっと始まりの地に立てる感慨を噛み締めていた。
あの無数の墓標の前での誓いを果たす時が来た。
闇雲に狩りを続ける日々が、ついに一つの到達点を見据えている。
ギンガ団となったロケット団の残党たち。
ギンガ団を止める事が、即ち残党たちの全滅を意味する。
「負けないよ。負けられない…」
「僕が居る。それに、コウキだって強力な仲間だ。
仲間との結束は、どんな暴力にも屈しない」
「分かってる……大丈夫――なんだよね」
高揚感の前でナリを潜めている不安を一蹴する。
そう、大丈夫。
「終わらせよう。この、狂った連鎖を―――」
つづく