――迷宮冒険録 第十六話
「だから…嫌だったのに」
「ぐ…がハッ……く、クリア…貴様…」
一瞬の出来事だった。
俺と一触即発状態のラセッタの間に割り込んだクリアが、その優雅な尾を靡かせて――
『アクアリングッ!』
と叫んだのが、2秒前。
アクアリングといえば、自分を包んで体力を回復する技のはずだ。
だが、このクリアと言うミロカロスはあろう事か、それを敵を捕縛するために使ったのだ。
同時に2匹。
ラセッタとエリオと言う名のストライクとザングースが、
アクアリングから抜け出そうともがいているが、一向に抜け出せる気配が無い。
「兎に角逃げるよ。私についてきて!」
「――ぁッ! ちょっと待てって! 何なんだよ、今の!」
「え? 見えなかった?」
ミロカロスは一瞬驚いたような表情を浮かべてから、
まぁ仕方ない事かと微妙な笑みを浮かべて、実に素っ気無く応えた。
「『うずしお』と『アクアリング』を『連結』させてたんだよ、モノは使いようだね」
なるほど、捕縛力の薄いアクアリングを渦潮で、
そして強度の低い渦潮をアクアリングで強化しているという事か。
このクリアと言うミロカロス、なかなか如何してキレ者じゃないか。
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迷宮冒険録 〜序章〜
『気ままな才女1』
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ガーディは置いてきた。
クリアは最初にガーディと出会ってこの町で暮らすことになった時に、約束したらしい。
もしも万が一自分と一緒に居るときに追手が来たら、決して関わらないようにと。
あのガーディがそんな約束を守るのかとも思ったが、
逃げる時にすれ違ったガーディの表情からは、俺に対する信頼感の様なものを感じた。
多分、ガーディは俺たちを信じてくれた。
クリアと一緒に逃げるのが俺たちだからこそ、約束を守って身を引いたのだ。
本当にそれが正しかったかどうかってのは、他の奴が適当に評論すればいい。
ただし、第三者が何と言おうと、俺たちにとってあのガーディの判断は正解だった。
商業都市から離れた岩山、丁度巨人の洞窟に向かう道の上だ。
俺たちはアクアリングで敵を縛っているうちに、ここまで逃げてきた。
多分、クリアなりの迷いだったんだ。
あの場でアクアリングが決まった時点で、クリアの勝利は確定していた。
なのにそれをしないで逃げたのは、彼らと戦いたくない意思があるからだ。
「ごめんね、巻き込んじゃって…」
「気にするなよ。俺が自分で招いた事だ」
『本当にお節介か? 実は派手に暴れたかっただけじゃないか? 乱暴者め、くく』
黙っとけ。
それを言ったらお前も俺なんだから同じだろうが。
最近俺の中の俺が勢いづいて来た気がする。
妙に元気だな、何かいい事でもあったのか?
「はぁっ、はぁっ……」
「あ、アディス…クリアさん、は、走るの…速すぎ…」
フライアとミレーユが、少し遅れて合流する。
ん? こいつらを突き放した速度で走ってもいいのかって?
大丈夫大丈夫、ミレーユはともかくフライアには首輪をつけて置いたから。
これで何があっても離さないだろ、安心だな。
「安心じゃないですっ、死ぬかと思いましたっ!」
「ぅおおっ!? す、すまん!」
首輪を思いっきり投げつけられる。
何だ、ちょっと似合ってたのに。
「アディス君。悪いけど、私はここでお別れさせてもらうよ。彼らが来ちゃうから…」
クリアが口を挟んだ。
アクアリングが破られたのを感じ取ったのだという。
立ち去ろうとするクリアを、俺は呼び止めた。
「さっきの、『だから』の続きを聞かせてくれないか?」
「…………」
「話せないってか? じゃあお前もあいつらと同じって事だな」
「ち、ちょっとアディス! それはあんまりじゃ…」
別に怒って言ってるんじゃない。
言い方は冷たいかもしれないが、仕方ない。
「名前持ちはね、大きく分けて2種類居るの……」
クリアは立ち止まって大きく深呼吸をした後、ゆっくりと語りだした。
その言葉に震えは無く、クリアとしては話すことを迷う内容では無いようだった。
「私と君は違う。君は生まれながらの名前持ち、通称“ネイティブ”…
そして私は、イレギュラーによって名前を与えられた、“ルナティック”」
『ネイティブとルナティック…確か人間の世界の英語とか言うヤツだ。
ネイティブは先天的…ルナティックは狂人…直訳だがな』
臆病な俺は、あっさりとその言葉を読み解く。
オイコラ、俺の知らない事は知らないんじゃなかったのかよ。
『む、そういう設定だったか。愉快過ぎて忘れていた』
クソ、ふざけやがって。
愉快すぎると設定を忘れるお前の頭の中身が愉快だコノヤロウ。
兎に角先天的ってのは解った。だが、狂人はあんまりじゃないのか?
「ルナティック――人間の言葉で、精神異常者とも言われるわ。
その昔、ルナ…つまり『月』の魔力に当てられた者は、
精神が狂うなんて言い伝えがあったのが、起源らしいの」
「あ、でもそんな話はこっちの世界にもあるよね…」
ミレーユが解ったように頷く。
今はそんな共通点は如何でもいいんだがな。
クリアはそうねと相槌を打ってから、話を続けた。
「重要なのは、『月の魔力』…それを体現したイレギュラーがこの世界に居るの」
「待て待て、イレギュラーってのは何だ」
「私の属していた『種』と言う組織は、“乱数”とも言っているわね。
本来この世界に居なかった者や強大な力を持ったポケモンは、
世界の運命と言う強制力を打ち破る力を持っている…
それがイレギュラー…世界に利を与えなければ、必ず害を生んでしまう存在……」
世界の強制力…それは、たまに臆病な俺が呟いていたりする。
だが、それ以上に俺はその言葉が嫌いだ。
――あの忌まわしい出来事が、この世界の定めた運命に則ったものだったなんて。
本当に腹立たしかったのはそれを越える事の出来なかった己の無力さだが、
あの時の…いや、今でもか。俺には、その怒りを向けるべき『敵』が必要だった。
それが世界の運命とか言う、形の無いふざけたもの。
結果的に八つ当たりだったけど、そうでなくても俺には好きになれそうにないな。
「この世界で強大な力を持ったイレギュラーの中でも、
『ルナティック』と言う言葉を採用させる程の影響を与えたのが―――」
クリアは一瞬間を空けた。
そして溜めていたものを吐き出すように、その名を呟いた。
「『クレセリア』…月の守護者の異名を取る、現在『種』が追っている強大なイレギュラー」
「クレセリア……?」
フライアもミレーユも、そのポケモンの名前を初めて聞いたといった感じで驚いている。
俺はそうでもない。村長が博識で色々と話を聞いていたから、知っている。
確かクレセリアの羽根は、どんな病も治してしまうと言う伝説があるらしい。
クレセリアが乱数だのなんだのってのは初耳だが、
それだけの力が在るのならば別段不思議な事じゃないと俺は納得した。
…と言うか。
話が壮大になってきた。
これはもしかしたら、ちょっとトンでもない事に首を突っ込んだかも知れない。
状況を整理してみよう。
先ず、目の前に居るこのミロカロスの名はクリア。
『種』とか言う組織から逃げ出してきて、追われている。
ん、待て待て。何で逃げてるのか、まだ聞いてないぞ。
「それは…種を信じられなくなったから…」
「…どういうことだ?」
ツレは黙っている。
臆病な俺も黙っている。
クリアは一瞬黙ったが、直ぐに続けて俺の疑問を払拭する努力をしてくれた。
「最近…何時からだろう、妙――なんだよ。種はもともと変な組織だけど、
それが…何ていうか、輪をかけて…うーん……」
「…いや、いい。解った。種のやり方について行けなくなったって事だな」
「うん、掻い摘んで言えばそんな感じかなぁ」
妙――その言葉が引っかかる。
妙、妙、妙…最近妙な事が多いが、そうじゃなくて…誰かが同じ事を言っていたような…
―――ですが、最近妙なんです…―――
脳裏に記憶が過ぎった。
フライアの追手も確か、最近妙なんだよな。
無関係で俺の思い過ごしならいいが、一応可能性に入れて考えた方がいいかも知れない。
これが、現在のクリアを取り巻く状況だ。
そして、次に『種』の事。
タネ…語源は何だろうな。
「ミュウがこの世界を守るために蒔いた種から取ったみたいだよ」
なるほど。ミュウがどうのって詳しい事情はわからんけど、それはやっぱ如何でもいいや。
その種とか言う組織は、名前持ち――特に『ルナティック』の方を重要視している。
ルナティックを集めて、組織の仲間に仕立て上げている。
ルナティックと言うのは、この世界の『乱数』によって名前を与えられ、
運命を狂わされた者達の事を指す別称…。
乱数――イレギュラーとは、世界のキョウセイリョクを覆す力を持っている者たち。
キョウセイリョクってのは、解りやすく言えば定められた運命って奴か。
運命を覆せるのは、もともとこの世界に居なかった部外者か、
若しくは強大な力によってそれを受け付けない伝説のポケモンたち…。
「何で、種が狙うのはルナティックなんだっけ?」
「ルナティックは、ネイティブと違って運命が『狂って』しまっているから、
その影響を世界に与えさせないために、『種』に『拘束』するの。
拘束って言っても、『種』の一員に仕立て上げて、
運命通りに世界を動かす仕事をやらせるんだけどね」
「じゃあネイティブは何なんだ?」
「ネイティブは運命は狂っていない。ただ、普通よりも特殊な運命を背負っているだけで、
世界を狂わせる『擬似乱数』にはなりえないの」
…はい、また新しい単語出たよ。
擬似乱数。なんじゃそりゃ。
「あはは、ごめんごめん。擬似乱数って言うのは、
乱数によって生み出された新たな乱数…主にルナティックの事なんだよ」
「主に?」
「乱数には、存在するだけで運命を狂わせてしまうものがいるからね…。
名前を与えられなくても、ルナティックのように狂わされてしまう者も出てくるわ」
ややこしくなってきた。
だが『種』の役割は大体わかった。
種はこの世界の運命を守るための組織、
そしてそれがおかしくなってしまって、クリアは逃げてきた。
「うん、正解。はい、ご褒美のキス」
―――――え?
一瞬時が止まった。
音はしなかった。ただ、軽く触れただけ。
「な、なななな、なななななななななな…!??」
フライアが一つの平仮名を連呼する。
俺は、……思考停止。
ぐぅの音も出ないとはよく言ったものだ。
「あらあら、照れちゃった? ふふふ」
全身が何とも形容しがたい状況に陥る俺。
えっと、え? 何で? ナニこの展開…?
「アディス君。そこまで種の事を知ったら、本当に戻れなくなっちゃうよ。
だからこの事…私と種の事は忘れて、冒険家を続けて、ね?」
お、オイ、待て…まだ俺は、『だから』の先が……が、が…?
クリアはバッグから取り出した『あなぬけのたま』で商業都市へと舞い戻っていく。
ミレーユとフライアがハッとして追いかけようとするが、
俺が固まっているので彼らも渋々足を止めて振り返った。
「アディス! クリアさんが……早く追いかけないと『種』と鉢合わせちゃうよ!」
「ち、ちょ、ちょっと、ま、待て…か、身体が…う、動かん…」
「アディスさん…見損ないました…」
「ち、ちが………」
あのキスだ、あれがやばかったのか?
考えろ、これは何か仕掛けがあるはずだ…
俺の体の自由を奪うほど強烈なキスじゃなかったはずだ…!
――(って言うかアレにそんなパワーは…多分無いはずだ!!)――
くそ、頭の中が何故かクリアの事でいっぱいだ…
これが一目惚れなのか?
いや違う違う違う、そんなワケない、あの一瞬で…
何か仕掛けがあるはず、なのに…頭の中も…言う事を聞かない…
『ったく…世話の焼ける奴だな……『癒しの鈴』ぅ〜っと』
キィィィィィーーーン………
臆病な俺が、中から何かをした。
その次の瞬間、心地よい音色が俺の中に染み渡っていく。
『癒しの鈴』――状態異常から解き放つ音色を響かせる、サポート技だ。
「……ッ…!! …はっ、はっ…や、やっと解けた…」
思考回路もついでに正常に戻る。
さっきまでのアレが嘘のように、いつもの俺の頭の中だ。
そうか、解った。そういうことか…!
「『メロメロ』か…だが、あんな強烈なモノは…生まれて初めてだ…」
「「………」」
ツレふたりの視線が痛い。
あぁ、また視線で殺される。
特にフライア、その汚物を見るような目は止めろ…ホントにきついから…。
「い、行くぞテメーら! ホテル一泊の恩を返すときだッ! 俺に続けぇーー!!」
あまりに視線が痛すぎるから、俺は逃げるように町に向かって駆け出すのだった。
(…戻れなくなるだと?)
ふざけるな!
そんな事気にするなら俺は最初からお前に構ったりしないッ!
「どいつもこいつも……あぁもう、どうせ自業自得だって言うんだろうが!」
でも、叫ばせろ。
やってらんないから。
「俺の素敵冒険家生活を返せぇえーーーッ!!!」
つづく