「………」



そのポケモンは、目の前に現れた泥棒に、ただ真っ直ぐな瞳を向けていた。
喋るでも叫ぶでもなく、怯える事もせず、ただ真っ直ぐな瞳を向けていた。

だからだろうか、それに妙な違和感を覚えて、Dは立ち止まったのだ。
泥棒と言う仕事は、何よりも時間との勝負。
余計な事で無駄な時間を潰す事は出来ないので、
迅速にそこから立ち去るべきだったのだが――


「…お前、ここから出たいのか?」
「………」


そのポケモン――キルリアは、Dの言葉にコクンと頷いた。





激しい雨と雷の音を聞きながらバイクを走らせた夜道は、今でもよく覚えている。









迷宮救助録Ex00―――オマケのオマケ―――








ポケモン研究所――人間界なら何処にでもある、趣味の悪い建物。
趣味が悪いと言うと金髪の友人は肩を竦めて困った顔をするだろうが、
少なからずDは『研究所』に良い印象を抱いては居ない。

何故なら、普通は『秘匿』されるのだ――世間一般に対しては、
研究所の中で日夜行われる、人間の『裏側』が露呈した恐ろしい実験の事など。

泥棒としてちょくちょく研究員しか入れない場所に入るから、
Dはその事を一般人よりはよく知っていた――と言うか、
正確には一般人が何も知らな過ぎると言った方が正しい。

Dほどの知識があると、あのオーキド博士ですら疑わしく見えて仕方が無い。
一体どんな汚い事をやっているのだろうか――なんて考え出したら、キリが無い。

ツノを無くしたギャロップなんか見飽きているし、
沢山のコードに繋がれるエスパーポケモンなんかも見飽きている。

このキルリアも、多分そんな中の一匹だろう。
だがそれにしては嫌に真っ直ぐな目を向けるので、
Dは思わず足を止めて、訊いてしまったワケだ。


そりゃあどのポケモンだって同じ事を言う。
『出たいのか?』と聞けば、9割方が首を縦に振ることだろう。
だからそんなのをイチイチ相手にしていては、
家の中がポケモンで溢れかえってしまうので、
Dは仕事中だけは非情に徹するよう心がけていたのだが――

その日ばかりは、気の迷いがあったのかもしれない。
その日が年に一度の、たった一人の家族――
喧嘩別れして行方知れずになった妹の誕生日だったから、
Dは心の中に潜んでいた申し訳なさを、
代わりにこのキルリアに向けたのかも知れない。



Dはそのキルリアをそっと抱き上げると、
バッグに入れておいたR特製のボールで無理矢理ゲットする。
既にゲット済みだろうがお構い無しに捕獲してしまうそのボールが
こんな形で役立つ事になるとはと、Dは皮肉に思わざるを得なかった。


そして、多分この日が無ければ、
あんな狂った事件に巻き込まれることも無かったのだろう。
今にして思えば、この奇妙なキルリアの存在を同僚に気取られた事が、
あのM2プロジェクトと俺を結びつけるキッカケになったのかも知れないのだから。



***



さて、Dは役職こそ裏社会の人間であるが、人並みの情などは持ち合わせていた。
仕事中は割り切っても居るが、普段の私生活などは、寧ろ真面目な人間そのものである。
従来の無愛想さが無ければ、今頃は彼女の一人や二人居たかもしれないが、
それはそれとして、Dが周囲にそこそこの好印象を与える人物だったのには違いない。

だからコンビニに買い物に行く時は消費税分の小銭も忘れないし、
道端で老人が困っていれば率先して助けに行く事だろう。
Dの生涯では、そんな事態に巻き込まれたことは一度も無かったが。

何が言いたいのかと言うと、
要するにたかが気の迷いで連れ出したポケモン1匹とは言え、
気紛れに放り出すような事は、決してしなかったと言う事である。
つまり、このキルリアとDの間では、
俗世間の漫画やドラマに見受けられる、
絆を深めるような感動的なエピソードなど一切無く、
出会ってから最後まで、ケンカ別れなどは一度も無かったワケだ。

気紛れから全てが始まったとは言え、
責任取れるところまでは、Dはしっかり貫いていた。




――時は、オーキド研究所から奇妙なピカチュウが一人の少年に託され、
その少年がポケモンマスターを目指して旅を開始した頃。

俺は、彼らを見知っている。
彼らは俺の事など知らないが、少なくとも俺――Dは、
その電気ネズミのことを組織で聞いていたし、
何より街中で彼らと同僚が派手なバトルをしているのを見た事もあるのだ。
俺は泥棒専門で雇われ社員だから、
その時はさりげなく見て見ぬフリをしていたが。

自分のレベルを超えた技を使うポケモンとして、
Rは是非ともそれが欲しい、とか何とか言っていた。
まぁ情報源が喋るニャースを引き連れたヘタレンジャー(D、命名)では、
あまり信用に値するとは言えないのだが。

しかし出身がオーキド研究所といえば話は別である。
あの爺さんの事だ、適当な事を言って新米トレーナーに預けたのだろうが、
恐らくは奴の研究の過程で作られたピカチュウに違いない。
一体どんな研究をしたのだろうか?
そういえば奴はジョウトのウツギとか言う博士号を持つ男と、
ポケモンの卵について研究していたな。
もしかしたら、それが関係しているのかも知れない。

数年後に明らかになった、たまご技の『遺伝』メカニズムとか。

なるほど、ボルテッカーが使えるのも、不思議ではないワケだ。
もともとの資質が、『遺伝』で備わっていたと仮定すれば。
――とは、ヘタレンジャーの男の方の言。



話を戻すが、その頃には、
俺とキルリアの奇妙な同居生活は組織に知れ渡っていた。
いや、そんな事は本来噂が一人歩きするほどの内容では無い筈なのだが、
知れ渡るキッカケになったのは、
そのキルリアの俺以外の人間への非常に交戦的なところとか云々。

キルリアと言えばポケモンの中でも
ラプラスに次ぐ温厚さで有名なのだが(情報提供元:R)、
おおこれはかわいいキルリアだなんて油断して近づいた
ヘタレンジャーの青い髪の奴が、サイコキネシスでぶっ飛ばされたり云々。

『マスターに慣れ慣れしく近づく奴は皆死ねばいい、って言ってるニャー』

通訳、ヘタレンジャー唯一の希望の星『喋るニャース』。
彼らはいい加減この猫の凄さを自覚して真っ当な道に進んだ方が良い。
が、余計な事は言わないに限る。
彼らは彼らなりに、その
『既にボスからも忘れられているミッション』に誇りを持っているのだから。
頑張れ、元Rの期待のルーキー。

因みに今は何処で何をしているのやら。
風の噂じゃあ、シンオウ地方でそれらしい影を見たと言う話だが、
そんな偏狭の地まで、はるばるご苦労な事である。


再三逸れた話を戻すが、
要するにこのキルリアの異常なまでのご主人様至上主義によって、
『Dとキルリア』(R著)なんて絵本が出版されかねないほど、
R内部で幅広く知れ渡ってしまったわけだ。
俺の友人で、Rで研究者をやっている金髪の青年が、
俺とキルリア(後、サーナイト)の関係を気にしているのは、コレに由来する。

が、そこは俺も流石に黙ってはおらず、
すかさずキルリアに熱心に教育を施してやった。
その結果、

「あ、お早うございますマスター♪」

喋るようになった。


いや失敬、これは嘘である。
実際このキルリアは後に喋るようになるのだが、
それは俺の教育じゃなくてあのヘタレンジャーの希望の星のお陰だ。
あのニャースが流暢に喋る様を見て、
サーナイトに進化したキルリアは熱心に言葉の勉強をしたのだ。
元々が人型をしていて、声帯が人間に近しいからこそ報われた努力である。
だからあのニャースが喋るのは、ホントに理解できない。
そこのところ、連中は理解しているのだろうか?
いや、してないな。絶対。してたらあんなぞんざいな扱いが出来るものか。

何にせよ、お陰さまでサーナイトは『天下の大泥棒D』にとって欠かせないパートナーとなったのだ。
喋るポケモンが相方だと此処まで頼もしいのかと感じていたし、
だからこそ、あのヘタレンジャーの任務失敗は
一体何処の意地の悪い神の導きだろうと思ったりもした。

…ホント、末永く頑張れ。
あ、そうそう、当人たちには伝わらないだろうが、一応報告しておくよ。
お前らR本部に戻ってこないから在籍更新手続きが済んでなくて、
随分昔に『任務中に栄誉の死亡、遺体未だ見つからず』と言う事で処理されてたぞ。
暇な時にでも実家に帰ってみると良い、凄い額の保証金が、
お前らの名前が刻まれた位牌と一緒に届いてるはずだ。

良かったな、処理されたのがエリートだった頃で。
今だったら、さりげなく居なかった事にされてたぞ。



****



俺はポケモンに好かれやすい。
それは周知の事実だったが、
俺の教育の成果で生まれ変わったキルリアは、Rの同僚たちを大いに驚かせた。
言葉も伝わらないのに一体どんな教育をしたんだとか、
実は調教したのかとか、色々言われたが、特別な事は何もしていない。
ただ、状況ごとに攻撃して良いか否かと、
YES/NOのハンドシグナルを教えただけである。
ただ、うむ、まぁ同僚の言うとおりだ。
言葉が通じないのには、流石に難儀した。
それだけの成果が出て、報われた分だけマシだが。

だが、やはりアレか。
余計な事は言わないのと同様に、
出来れば大人しくしていたほうが良かったのだろうなと思う。
このキルリア豹変事件(同僚、命名)はそこそこの騒ぎになったから、
多分、いや絶対、上司の耳にも伝わっていたのだろう。

騒ぎって言うのは今までコイツの所為で近寄りがたかった俺の周りに、
その反動か大量の人間が押し寄せてきた事なのだが、
嗚呼、人間は結局祭が好きと言うよりは、騒ぐのが好きなんだろう。
そういう集団心理が働いたとしか思いたくない。

大量の同僚が一つの部屋に集まった結果、
床が抜けて大惨事になったなんてマヌケな出来事に、
巻き込まれるだけならまだしも自分が事件の片棒を担ごう事になるとは、
これは俺の人生で恥ずべき出来事ベスト5に間違いなくランクインするね。
こんな出来事でさえランクインするほど穏かな人生を歩んできた心算だったのに。


それで上司に大目玉を食らうかと思ったが別段そう言う事も無く、
次の日には抜けた床が何事も無かったかのように戻っていたから驚いた。
流石R、仕事が速いというか何と言うか。
Rが潰れても転職先には困りそうに無いほど良い仕事してるなぁと感心した。

感心しながら、また泥棒の仕事を適当にこなしつつ、月日が流れた。


キルリア事件が上司の耳に伝わっていなかったら、
多分俺はこれからも穏かな生活をしていたのだろう。
金だって沢山稼いだし、税金だってちゃんと払ってる、栄誉市民だ。
若いうちから老後の備えもバッチリ、
そして俺自身が泥棒でプロフェッショナルだからセキュリティも万全だ。
まさに無敵、そう確信してソファで昼寝が出来たはずなのだ。

俺、ポケモン調教師の才能でもあったのだろうか?
IFの世界で、俺はそういう道を歩んでいたとでも?





「あのミュウツーの教育を、おまえに任せたいと思う」




何がどうなったら、ごく普通なプロの怪盗であるこの俺が、
そんな罰ゲームみたいな役目をこなさにゃあならんのかと、
俺は上司の薄くなりつつある頭を
ペシペシ叩きながら問い詰めたい衝動を抑えつつ、
でも抑えきれない部分を半ばやけくそ気味に口に出したわけだ。




「ふざけんな」




俺の気持ち、解るだろ?







――迷宮救助録へ続く




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