「ユハビィさん!アーティさん!助けてくださいです!」

ワタシがポケモンになってしまったあの日の――最初の救助で救出した【キャタピー】の声が聞こえたのは、
ゲンガーにポストを荒らされた翌日だった。

「森で遊んでたら友達のトランセル君が迷子になっちゃって、森から出られなくなってるかも知れないんです!
 どうか…どうか探しに行ってもらえないですかっ」

息を切らせたキャタピーが家の中に転がり込み、アーティは慌てて水を与えて落ち着くように促す。
丁度集まっていたエラルドも、キャタピーのために【オレンの実】を用意した。

「…落ち着いたか?」
「ハイ、もう、大丈夫です」
「ビビ…ナラバ、詳シイ話ヲ頼ム」

エラルドの言葉に頷き、キャタピーは事の次第を語りだした。
彼らは、この町の門の外から少し離れた場所にある森で遊んでいた。
その森にはすぐそばに【怪しい森】という危険な区域が存在しており、
子供だけでは入ってはいけないと注意されているのだが、
子供しかいないときにそんな約束を守れというのがそもそも無理だろう、人間だってそうだ。
【怪しい森】は入るたびに形が変わる【不思議のダンジョン】で、
救助隊でもなければ進んで入るなんてしない場所だ。
出られなくなっていると言う事は、そこにトランセルが迷い込んだ可能性は十分にある。

「………」

アーティは地図を見ながら、自慢の大顎をさすって唸っていた。
いつもなら考え無しと思われるくらい先ず行動ありきな彼が黙っているのは、
そこが【ハガネ山】を超える難度のダンジョンだからだろう。
まだ救助隊としては新米な自分たちには、
そこへの救助は危険過ぎる――アーティの横顔は、それを物語っていた。

だが、事態は一刻の猶予も許されない。
まだ早いから行けないなんて言ってられない。
手遅れになる前に、早くトランセルを探しに行くべきなんだ。
それが、救助隊の役目なんだから。

「…行こうアーティ」
「ユハビィ?」

疲れたなんて言ってられない。
初めて救助隊を名乗ったときに、そう決めたじゃないか。

自分の甘えた心に鞭を打ち、深呼吸ひとつ。
冷静に目を閉じ、暗唱する。



――救助隊としてもう二度と逃げないと誓った事を――




「トランセルがそんな危険な場所に居るかも知れないなら、救助隊として救助しないわけにはいかない…」


一瞬アーティは目を丸くしたが、すぐにニヤリと笑って両拳をパシッと合わせた。
いつの間に用意したのか、こうなる事がわかっていたのか、
エラルドは人数分の準備を済ませてテーブルの上に置いた。


「さっすが、ポケモンズのリーダーだな。こうなったらオイラも逃げるワケにはいかないぜ!」
「うん、急がなきゃ、手遅れになる」
「…決マリダナ、準備ハ出来テイル。急ゴウ」






ワタシは、忘れない。








人間だった頃の、後悔の念を…











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迷宮救助録 #7
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怪しい森を駆け抜ける。
エラルドが電気技で、アーティが水技で、そしてワタシが草技で、
それぞれ相性をカバーしながら――それでも手強い敵には全員で、全力で。

強い――疲労が身体ではなく思考を蝕んでいくのがわかった。
わかったがどうする事も出来なかった。

一戦一戦がこんなに苦しいのは初めてだ。
シルバーランクやゴールドランク…いや、彼らはもっともっと厳しい戦いを繰り返しているんだろう。

もっと力が欲しい。

「ユハビィ、大丈夫か?」
「…ん、大丈夫…まだいける…」
「無理ハ禁物ダ。少シココデ休モウ」

草陰に身を潜め、水筒の水を一気飲みする。
彼方此方の擦り傷に【オレンの実】の果汁で応急処置を施す。
この実は食べても美味しいが、傷に塗っても使える便利なモノだ。
背の高い雑草の隙間から覗くと、野生のポケモンが素通りしていった。

「…うまくやり過ごせたみたいだ。今のうちに先へ進もう」
「トランセル…無事だといいけど」
「ビビ…」

野性ポケモンの目をすり抜け、不思議のダンジョン特有の【階段】を駆け上がる。
回数にして12回、その階段を必死の思いで駆け上がると、木漏れ日の差す開けた場所に辿り着いた。

このダンジョンの最深部らしいその空間には、凶暴な野性ポケモンの姿は見えない。
アーティがトランセルを呼ぶ。
声は空間内を反響し、野生ポケモンまで呼んでしまうのではないかと心配になったが、
幸い岩陰から出てきたのはトランセルだけだった。

「こんなトコに隠れてたのか、よくここまで無事に辿り着いたなぁ」
「は、はは…もう無我夢中で…ははは…」

よほど怖い目にあったのだろうか、緊張の糸を切ったトランセルは、震えながら笑っていた。
さなぎポケモンなのに、よくもまぁこんな所まで無事に逃げ切れたものだ。





………





トランセルを町まで連れて帰った時、キャタピーはそわそわしながら門の前を往復していた。
遠くから呼びかけると、こちらの存在に気付いて大急ぎでかけてくる。

「あぁ、怖かった…ははは…」
「よかったです!ありがとうございますユハビィさん、アーティさん、それにエラルドさん!」

まだ笑いが止まっていないトランセルにツッコミを入れることなく、キャタピーは礼を言う。

「ホントよかった…もう勝手にあの森に行くのはやめないとね…」
「ははは…うん、うん、そうだね、はは」

キャタピーとトランセルは互いに再会をよろこび、アーティは満足そうに腕を組んでいる。
もちろん、ワタシも――

「ボク、大きくなったら救助隊になるです!ポケモンズに入りたいです!」
「ははは、期待して待ってるよ。な、ユハビィ?」
「うん、そうだね」

アーティの言葉にワタシは笑顔で答えた。
いつかはキャタピーもチームの一員になるのだろう、
こうして仲間が増えていくのだと思うと、自然に嬉しくなってくる。

「それじゃあさようならぁーっ」
「ありがとうですーっ」

「おーう、気をつけて帰れよー」

こうしてキャタピーとトランセルは手を振りながら――って手は無いな。
まぁそんなジェスチャーを全身で表現しながら去っていった。
エラルドも疲れたらしく、無人発電所へと帰っていく。
救助の後の、いつもの光景だ。

「しっかし、キツかったなユハビィ。やっぱりオイラたちにはまだ【怪しい森】は早かったか」
「そうかな?ちゃんと救助には成功したじゃない」
「ハハッ、言えてら。じゃあ次からもうちっと高いランクの救助に挑んでみるか?」
「…だね。でも、本当に疲れた…」

ワタシがその場にへたり込み、疲労をアピールした瞬間だった。




「あのー、救助隊ポケモンズは、ここですか?」




いつぞやの…キレたら怖いワタッコが、ワタシたちを訪ねてきた。
なんだか申し訳無さそうな感じだったが、こっちとしては以前のアレを見ているため緊張を隠せない。


「おまえは確かテングスに依頼してた……どうかしたのか?」
「はい、実は…」


ワタッコから聞いた事の顛末はこうである。

あの時テングスに救助を依頼したが、
それからどれだけ待ってもテングスが戻ってこない――当然、ワタッコの仲間も戻ってきていないらしい。
そこで他の救助隊にもお願いして様子を見に行ってもらったが、
どの救助隊も【沈黙の谷】の探索中に謎の怪物に襲われてボロボロになって帰ってきたという。
ゴールドランクの救助隊や実力的にも有名な救助隊はどこも出払っており、結局ここに来たという事だそうだ。


「沈黙の谷…ランク的には怪しい森と大差ない場所だけど…今のオイラたちにいけるかどうか…」
「怪物もいるんでしょ…?…面白いじゃん」
「…ユハビィ?」
「行くよアーティ。大丈夫、怪物だって話せば解る!…かもしれない!」
「かも!」


ワタシは考えていた。
このままではいけない。
今よりもっと、ずっと強くならないと、必ずこの先苦労する事になると――…


「ねぇワタッコ、ワタシたちが怪物から逃げ帰ったとしても、文句は言わないよね?」
「えぇ、まぁ…」
「報酬も手当てもいらない。アーティ、修行も兼ねて怪物退治、やってやろう」
「ユハビィ…、………わかった。オイラも男だ、行こう!」
「気をつけてください…これは僕の勝手なお願いなんです、無理はしないでください…」


不安げに見送るワタッコにガッツポーズで答え、旅の疲れもそのままに一路【沈黙の谷】に向かう。
思えばエラルドを連れてこなかったのは正解だったかもしれない。



…………

沈黙の谷は、ワタッコの報告どおり風が吹いていない。
いや、少しは吹いているが、ワタッコが飛行するには足りないのだろう。
湿気を含んだ空気が身体を包み、その不安感を煽る。
深呼吸をして気を落ち着けると、ダンジョンに続く岸壁の隙間へと歩を進めた。


ダンジョンの中は冷たい空気で満ちていた。
岩壁は多量の水分で表面が磨かれ、ちゃんと整備すれば観光スポットにでも出来そうな感じだ。
もっとも、それにはこの次々と襲い来る【野生】を何とかする必要があるが。

「はちッ!きゅう!…さんじゅう!!」
「オイラはもう33匹倒したぞ、まだまだだなユハビィ!」
「数え間違った。もう150匹だ!」
「嘘ぉっ!?」
「はて、嘘?ははは、アーティは面白いことを言うね」

アーティの方を向き直ると同時に、背後には野生ポケモンが迫っていた。

「オイ!ユハビィ!?」
「大丈夫、気付いてるよッ」

ツルを伸ばし、野性を捕まえるとそのまま洞窟の壁に叩きつける。
倒した――手ごたえはもうこれまでの戦いで掴んでいた。

辺りを見回すとまだ野生が目を光らせているが、ワタシたちの強さに身動ぎしているようだった。

少しはラクになるかと思い、一瞬ワタシは警戒をやめる。

――が、その瞬間何かがワタシを貫いた。



   ズバァッッ



白い光の線が見えたような気がして自分の腹部を見るが、少し火傷を負っているだけだった。
大丈夫だ、すぐに敵を探し出して反撃しなければ――


「――アッ」


顔を上げた瞬間、急に視界が狭くなり、目を開けているのに何が見えてるのか解らなくなった。
――どこが前で、後ろで、上で、下なのかさえも。
自分が今、本当に意識が在るのかどうかさえも。









「ユハビィ!!」








冷たい感触が身体に触れていた。

地面だ、やっと取り戻した視力が地面を捉える。
それから倒れている事に気付く。
何時の間に?どうやって?
立ち上がろうとするが、四肢はガクガクと震えて満足に動く事すら出来ない。

――【マヒ】だ。


「ユハビィ!しっかりしろ!」
「だ、大丈夫……っ!」

意識がハッキリするにつれて、漸く何が起きたのかを理解した。
確か背後に迫る【野生】をツルの鞭で薙ぎ払った時だ、白い光の線が自分を貫いて――

白い光…
アレは、雷…?




――――ピシャアアアアアアアンッ!!



「「ッ!?」」



落雷――それも、並大抵のものではない。
ダンジョンの全域に聞こえ渡るほどの雷鳴は、ワタシたちを囲む【野生】を退けた。
何かに脅えるように去っていくそれらを見る限り、とうとう例の怪物が現れたようだ。
そしてついさっきワタシを攻撃した雷もまた、その怪物によるものと言うのが自明だ。


「…おまえたちも、我が眠りを妨げるのか…」


「伝説の鳥ポケモン…雷の司(つかさ)サンダー!」
「これまた、たいそうな怪物だね。こんなトコで現物を拝めるとは思わなかったよ」

洞窟の奥から眩い光を放ち、怪物――【サンダー】は姿を現した。
如何見ても不機嫌オーラ全開でやる気マンマン、話しても解ってくれそうに無い事請け合いだ。


「サンダー、聞いて。ワタシたちはただこの谷で救助を待つ【ワタッコ】を救い出したいだけ…」


神々しく、まさに威風堂々という形容に相応しいサンダーに、ワタシは話し合いでの解決を試みる。
しかしサンダーは一瞬だけ目を閉じると再びこちらを睨みつけ、提案を斬り捨てた。


「……信用できるものか」

「なっ!?」

「おまえたちはいつもそうやって我らが力を狙ってくる…もはや何人も信用は出来ん。寄らば、摘み取るまでだ」

「わ、我『ら』…?」



―――ガシャアアンッ!!



サンダーが翼を広げると、洞窟の天井を砕き雷が降り注ぐ。
同時に岩石も雨のように降ってくるので、慌ててサンダーから距離を取った。
彼は広げた翼をそのままに、大きく口を開けた天井に向かい咆哮しながら飛び上がる。
鋭い目で空中から見下ろされると、ワタシは目を背けることが出来なくなった。
これが伝説のポケモン、そこらの野生などとは比べ物にはならない威圧感だ。


「しかし…おまえは何かが違う。おまえは、何者だ?」


彼が空から語りかける。
その口調は相変わらず、威厳と神々しさを持っていた。
何かが違う…何者…それはきっと、ワタシが元は人間だったと言う事を指しているのだろう。
隠しても仕方の無い事、ばれた時に面倒な事になるだろうから、ここは正直に答えておく。


「…ワタシは、人間。今はこんな姿だけど、元は人間だった。って言ったら、信じる?」
「ユハビィ!」
「いいよ、嘘をつく必要も無い。そんなことを隠す方が、よっぽど怪しいよ」

「ニン…ゲン…おまえが、ニンゲンだと?」


彼の声は神々しさから険しさへと変化した。
ソレと同時に、この空間を満たす空気が変わる。
サンダーは今まで以上の鋭さの眼光でこちらを睨みつけ、まるでワタシを鑑定しているようだった。
周囲の空気は、電気が流れているかのようにピリピリしていた。
実際、かなりの電気を含んでいるのは紛れも無かった。

「キュウコンの祟りを受けて、ポケモンにされた人間が居ると言う話は風の噂で聞いている
 …おまえが、そうなのか?」

「…?」
「キュウコン?祟り?…一体何の話なんだ…?」


アーティは動揺している。
キュウコン、祟り…そんなことを突然言われても、何のことだかサッパリわからない。
ワタシが祟りでポケモンにされた人間なのか?
もしそうだとしても、そんな記憶は全く無い。
と、不意にサンダーが攻撃の動作に入ろうとしたのでそれをひきとめるように叫ぶ。


「サンダー!今の話を詳しく聞かせて!ワタシは…ワタシは自分の過去の記憶が――」

「黙れ!!」



―――ズバァァァァアアアンッ!!



「っ!」
「ユハビィ!」
「大丈夫、当たってない…」

「元が人間で、今はポケモン…ならば、もう決まりだろう。
 おまえが祟りを受けた本人なのだ。そんなヤツ、信用できるわけが無い。今、この場で摘み取ってくれる」


空から雷を放ち、ワタシたちへの攻撃を開始するサンダー。
今のが威嚇だと言うのは解った、次は恐らく本気だろう。
もはやこれ以上の会話は無意味のようだ。
以前に交渉をアーティに任せ、後悔した事もあったが――


「やれやれ…ワタシも、交渉の才能が無いのかな」
「んな事言ってる場合じゃないって!逃げるぞ!」

「逃げられるとでも思っているのか!喰らえ!」


―――ドゴォォオオオーーーンッ!!


走り出したワタシたちの背後で、サンダーが叫ぶと同時に閃光と爆音が響いた。
雷が岩壁を砕き、ワタシたちの進路――もとい退路を塞ぐ。
だが考えるよりも先に、【ツルのむち】でアーティと遠くの岩を捕まえ、アーティごと岩の方へと跳躍した。
ツルで引っ張る力も加わっていたため一瞬でその場から離れる事に成功し、
サンダーの追撃に直撃する前に岩陰へ回避することが出来た。

「たっ、助かった!でもこのままじゃオイラたち――」
「黙ってて!気が散る!」
「ユハビィッ!?」

アーティがあまりの危機にパニクっている間、ワタシは塞がれた退路の方を見ていた。
そこには、サンダーの第二撃目でポッカリと穴が開いている。一匹ずつならば抜けられるだろう。
ワタシは冷静だった。
この今まさに捕食されんとする草食獣のような状況でありながら――頭の中は妙に冴え渡り、
冷静に次の、その次の次の行動を計算していた。
アドレナリンやら何やらが分泌される、アレだろう。
ただ、クールになったのは頭だけではない。
岩石を溶かすように穿つ彼の雷の恐ろしさで、ワタシは冷や汗を流していた。



「…おのれ、身を隠したか。小癪なマネを…」



自らが起こした砂煙によって獲物に身を隠されたサンダーは苛立っている。
虚を突くならば今が好機なのかもしれないが、力の差を考えると不意打ちや奇策でどうこうなるものでもない。
ここは何が何でも逃げて、生き残るのを最優先に考えるべきだ。


「アーティ!いっけぇぇええええ!!」

「ちょっ!ぇぇぇええええええええええッ!?」


結果、ワタシが取った手段は穴に向かってアーティを投げると言うものだった。
【ツルのむち】でしなりの反動を使い、
勢いよく発射されたアーティは見事に小さな穴をすり抜けて反対側へと飛んでいった。
我ながら、素晴らしい制球力だ。



…そして


「サンダー、どうしてもワタシの事を信じてくれないの?」
「…当然だな。記憶がどうのと言っていたが、おまえは自分が何をしたのか覚えていないのか?」



アーティを投げた事で位置がバレる所まではもちろん想定済みである。
サンダーが既に背後に居る事も気配で確認できたので、折角だからもう一度話しかけてみた。
尤も、どうせ聞く耳は持たれないだろう事は解っていたし、
だからこそワタシの【ツルのむち】は既に土煙に紛れ、遠く離れた場所の岩を捕まえていたのだ。

「だから言ったじゃない。ワタシは過去の記憶が無いって」
「記憶が無ければ、罪が許されると言うものではない。おまえは死ぬ事でしか償いきれない罪を犯した」

サンダーの言う事が一理あるのか無いのか、微妙なラインだ。
納得できるか出来ないかで言えば、出来るわけが無い。

「聞いてサンダー。もしサンダーが考えてる事が正しいのならワタシは死ぬべきなのかもしれない。
 でも何の罪を犯してしまったのかも解らないまま死ぬなんて納得できない。
 それを教えてくれない限り、ワタシは貴方の言いなりにはならない!」
「………」

どうせダメもとなのだから、この駆け引きは強気に出てみる。
もしサンダーが話してくれるならそれはそれで良し、
話さずに攻撃に移られたとしてもまた土煙に紛れて逃げられる。

今はアーティだけでも無事に逃げてくれればそれで――







「うおおおおおおおおッ!!ユハビィィィーーーーーー!!!」







「っ!?」






【みずでっぽう】で岩盤を砕き、勢いに任せてアーティが舞い戻ってきた。
完全にワタシの期待を裏切ってくれた――いや、こうなる事も計算の内だ。
最善ではないが、確率的に言えばアーティの性格上、こうなる事は必至だったから。

それに、最善ではないとは言え想定よりも嬉しい誤算が生じた。


「ぬぐぅッ!?」


アーティが砕いた岩盤はワタシの頭上を超え、大量の水と共に土砂と化してサンダーを襲ったのだ。
流石の伝説のポケモンも、突然の奇襲にそれを回避することは出来なかった。


「アーティ!?」
「ユハビィ!今だ!早くこっちへ!」
「…まったく…逃げてくれればよかったのに…でも助かった!」





「グ…グウウウッ!仲間を逃がすフリをして…我に説得を持ちかけるフリをして…
 ここで不意打ちとは…どこまでも我を侮辱しおってッ!絶対に逃がさん!!」


水圧で反対側の岩壁に叩きつけられたサンダーが、怒りに身を任せて雷撃を連発する。
泥に塗れた身体をわなわなと震わせ、まるで我を忘れているようだ。
事故とは言え、この不意打ちはサンダーの理性を奪うには十分すぎる結果を齎してしまったらしい。

「ちょっ…こんなキレやすいヤツが伝説のポケモン!?」
「サンダーは3匹の伝説の鳥ポケモンの中では気性が荒いことで有名なんだ!逃げるぞ!」

ワタシのツルを捕まえたアーティが走り出すので、そのツルを戻しながらワタシも走った。
サンダーが背後から迫ってくるのは、その威圧だけで振り返るまでも無く解る。
熱を帯びた電気があらゆるものを飲み込み――差し詰め【雷の竜巻】と呼ぶのがいいだろうか?

それは周囲の形あるものを全て破壊している。
実際には閃光と爆音により何が起きているのかは解らないが、
少なくとも自分とアーティはコレに巻き込まれれば死ぬ。
今はただツルの鞭でアーティの手をとり、ただひたすら走り続けるしかない。


「グオオオオオオオオオ!」


「―――熱ッ!」
「ユハビィ!?」


サンダーの放った雷がワタシをかすめ、ツルを焼き切った。
凄まじい破壊力である。もし生身でコレを受ければ、命の保証は出来ないだろう。


―――死にたくない!


もうそれだけだった。
もし今助かる方法があるならば、ワタシは何でもするだろう。
プライドも何もかも捨て、命乞いだろうが何だろうが。
ただ――


―――最悪ワタシは助からなくてもいい…アーティは関係ない!


元はと言えば、ワタシが人間だからだ。
その所為で雷の司は猛り狂い、アーティはそれに巻き込まれただけなんだ。


「捕えたぞッッ!」


サンダーはそう言った。
だがワタシは誰かに捕まえられた感覚を感じない。



「うっ、ぅわあぁぁああああああああッ!?」
「っ!?」

「消え失せろッ!【神の雷】でッ!」


サンダーは持ち前の俊敏さで回り込み、その両足の鋭い爪でワタシではなくアーティを押さえつけ、
溢れんばかりの電気を集めた巨大なエネルギー体を作り出す。
【神の雷】と称されたそれはサンダーの巨体よりも遥かに大きく、アーティが10匹いてもすっぽりと包み込める。
どう転んでもアーティがあれを喰らえばその生命活動は止まるだろう。


あと5、いや3秒で……終わってしまう…今日までの全てが…


ワタシはまた何も出来ないのか?









      違う





    「…出来る」













   ワタシがワタシでなければ






 「ワタシが、ワタシでなければ――…?」








―――――        ッ!!











………





何が起きるのかは、その場の全員がわかっていただろう。
だが、何が『起きた』のかまで理解したのは、その瞬間はワタシだけだった。
【神の雷】は確かに放たれたし、サンダーは目の前の小さきものがそれで死ぬだろう事を確信していた。
その確信は決して驕りでも不遜でもなく、人が蟻を踏めば簡単に殺せるのと同じ事で――



「……何なんだおまえ、本当にニンゲンか?」

「………」



結論から言うと、アーティは死ななかった。
【神の雷】は着弾点の全て――アーティ以外の全てを焼き尽くしていたにも関わらず、アーティは赤いバリアのようなものに包まれて無傷でその場にへたり込んでいて、そしてサンダーの首には焼き切られたはずのツルが巻きついていた。
切れたはずのツルは完全に修復されていて、それを辿った先には――




「………」


「ゆ、ユハビィ?…違う…だ、誰だ、誰なんだおまえは…」





紅い目でサンダーを睨みつける【チコリータ】の【カタチ】をした【何か】が立っていた。










「……アーティから離れろ…私はおまえを許さない…」












放たれた言葉は脳に直接響く。



ソレは既に、【ユハビィ】ではなかった…












つづく


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