けたたましくなる目覚ましをバシッと叩いて止める。
Dは既に起きていて、目覚ましは殆ど二度寝回避用程度の役割しかなしていない。
これもDの日常的な行動の一つだ。
目覚ましが無くても、プロは睡眠時間のコントロールが肝となる…らしい。



「オイ、起きろ」

「んう…あと5時間……」

「邪魔なんだよ、起きれないんだったらボールに戻すぞ」

「あぅ、起きますってば…ふぁぁぁぁぁ…」


Dが枕元にボールを翳すと、
布団の中で丸くなっていたサーナイトがもぞもぞと姿を現した。
念のため言うが、それはDのベッドではなく彼女専用のである。
同じベッドで寝られるかとDが文句を言ったので、
寝室には二つのベッドがあるわけなのだが――


「お前も、起きろよ」

「む…もう、朝なのか…」


サーナイトに占拠されたベッドの下で、ミュウツーが半目を擦っていた。


なんと言うか、カオス。






――過去編8【ミュウ】――







=======
迷宮救助録 #54
=======









とうとうミュウツーが家にやってきてから1ヶ月である。
時の流れなどあっという間で――などとは到底言えず、
Dにとっては激動の1ヶ月間だったわけだが、
それは今は割愛するとして、ミュウツーはすっかり今の生活に馴染んでいた。

「おはようございます、マスター」
「いい加減寝坊癖を治せ。ミュウツーまで寝坊癖がついたらどうしてくれる」
「寝坊癖とはいけない事なのか?」
「人として大問題だ」
「我はポケモンであるが」
「……訂正、高度な知的生命体の健全な生活を維持する上で大問題だ」
「…理解した。是正する」

頭良いのか天然なのかわからん…
厄介なキャラクターが我が家に来てしまったものだと、Dは嘆息した。
どうせならサーナイトよりも料理が有能で素直なヤツが来てくれれば良かったのに、
とは流石に考えなかったが。

「それにしても、1ヶ月も仕事が無いと暇ですねぇ」
「お前は仕事中でも四葉のクローバー探すくらい暇だろう」
「それはそれです」
「………次の仕事はミュウツーと行くか」

コーヒーを啜りながらミュウツーを見ると、
彼女はコーヒーに大量の砂糖を投入している真っ最中だった。
えーっと……一体何をしていらっしゃるのですかアナタは。

―――っと、説明し忘れていたが、
このミュウツーは以前のMプロジェクトで作られたミュウツーとは違って女性体らしい。
Dから見て外見的に全く区別がつかないのでどちらでも良いのだが、故に三人称は彼女である。

「ミュウツー、ロケット団のことはだいたい解ったか?」
「概ねの事は、29日と23時間前に理解した」

つまりここに来てから1時間程度で理解したと言うわけだ。
表現が頭痛くなりそうなほど遠回しなのは、多分頭が良すぎて融通が利かないのだろう。
…そういう事にしておこう、疲れるから。
Dは思考を中断し、再びコーヒーに口をつけた。

「ぶふっ―――砂糖!誰だ俺のコーヒーをお汁粉より甘くしたのはッ」
「主は砂糖は嫌いか?糖分は脳の働きに於いて――」
「サーナイトォーッ!お前ミュウツーに何を吹き込んだーーッ!
 つーか何時の間に入れた!?やめてそんなエスパー!」






………






「…解りました、すぐ向かいます」

D宅に電話が掛かってきたのは、その日の午後だった。
基本的に電話と言えば仕事である。
この家にそれ以外の用件で電話など掛かってこないのだから。

だが、今回だけは少しだけ事情が違っていた。


「マスター、久々のお仕事ですか?」
「いや…ちょっと野暮用だ」
「……」
「ミュウツー、留守番とサーナイトの面倒を頼む」
「承知した」
「ちょ! 最近私の扱い酷くないですか!?」


眉間にしわを寄せて文句を言うサーナイトに悪戯な笑いを返して、Dは家を出る。
外は快晴、これから起こることは悪いことじゃないと、
小鳥たちも歌っているような気さえするが…


「…………」


趣味のポロック研究も手につかない程常軌を逸してしまった彼の日常。
しかし、それにすら慣れつつある事に自覚を覚えてしまったと言う事実が、
彼を葛藤させるのだった――大泥棒の自分が言うのも何だけれど。



『ふとした所から貴方の妹の所在を掴みました。
 遠くから一目見るだけでも、行ってみてはどうです?』


電話の主は、例の金髪の友人だった。
研究所に篭っているものとばかり思っていたが、
どうやら色々な場所を駆け回っているらしい。
しかし自分より先に妹の居場所を掴まれるとは、少し悔しいものだとDは感じた。


Dの両親は、Dとその妹がまだ子供だったうちに借金にまみれ、失踪した。
故に現状、Dと唯一血の繋がりがあるのはその妹だけであるのだが、
理由があって今はバラバラである。

理由など言うに及ばずだろう。
Dの両親に付きまとっていた借金取りがロケット団で、
当事者の息子であるDは今ではロケット団専属の怪盗なのだから。

――きっかけはDの凡ミスだった。
ふとした事で彼がロケット団で盗みの仕事をしていることを妹に知られてしまい、
それっきり喧嘩別れと言う実に情けないものである。

妹はどこで何をしているのやら。
何時だか将来はコーディネイターになるとか言っていたような気もするが、
子供の頃の夢など大抵は叶いはしない。
それはDの持論である。
ただ一つの例外である『天才』と言う種類の人間を除いて、
全て当てはまることを知っているから。

自分がそうであったように。



…いや、それを言うなら、Dは盗みの『天才』か。






………





「へぇ、そんな事を話していたんですか」
「あぁ。仕事でないと言うのは、嘘じゃなかったみたいだな」

留守番中のサーナイトと、ミュウツーの会話である。
ミュウツーはその驚異的な身体能力で、Dの電話の会話を逃さず聞き取っていたのだ。
と言うか盗み聞きしようとしたわけではなく、
ミュウツーにとって『電話』というものが興味深かったからというだけの事であるが、
それは結果論で言えばどうでもいいだろう。

「妹さんですか…マスターはやっぱり繊細なんですねぇ」
「いもうと、とは何だ?」
「血の繋がった家族の事ですよ」
「血の…繋がった家族…」
「例えば、こういう――」

サーナイトが紙とペンを持ち出して、丁寧にミュウツーに説明する。
しかしこの時、感情の変化を読み取る力を持ちながらも、
サーナイトは『変化』に気づく事が出来なかった。

説明が進むほど、ミュウツーの表情は強張っていって――
どうしてそれに気付けなかったのか――サーナイトは、その事を死ぬほど後悔しただろう。

死んで詫びたいとすら思っただろう。


…いや、だからこそその命を捨てようとさえ思ったのだ。

これは、もう少し先の話になるが…。



「我の家族は…どこだ」



ミュウツーが何を思い考えたかは知れない。
しかし、何か触れてはいけないところに触れてしまったのは、間違いなかった。


そうでなければ、Dの家ごと破壊するような勢いで家を飛び出し、
故郷たるあの研究所に向けて飛び出していくなど、このミュウツーはしないはずだから。


サーナイトは薄れ行く意識の中で、ミュウツーの悲壮な表情が嫌に心に焼き付いていた。


「待って……ミュウツー………ッ…」














………






Dが妹を一目見てから、直ぐに向かったのは研究所だった。
因みに妹は、友人の報告どおりサファリパークで受付の仕事をテキパキとこなしていた。
それを一目見ただけで満足したDは、すぐさま踵を返して帰路についたのだ。

重要なのはDと妹が再会することではなく、
Dに妹が居るという事実をミュウツーが知ると言う事であると、
この世界に脚本家が居るのならそう言うだろう。



そして何故帰路についたはずのDが研究所に向かったのか、それもまた重要な出来事であった。


――そこに、Dの運命を大きく揺るがす『出会い』が在ったから――






Dがバイクを飛ばしていた時、突然周囲が暗くなったかと思うと、
一瞬にして世界がモノクロに変わっていて、D以外の全ての者が消え失せていた。



『D…』



消え失せた筈の全ての者――
しかしそこで誰かが自分を呼び、Dはそれが首謀者である事を認識した。

…あの一瞬のうちに事故を起こして自分が死んだのではとも考えたが、杞憂だった。


『D…ミュウツーと絆を持つ君に…頼みがある…』

「誰だ…」


Dは極めて頭の回転が良かったのかも知れない。
それは以前の仕事で、『あの尻尾』を盗み出していた事が原因かも知れない。

『誰だ』と言いながら、Dはその一言の間に、
自分を呼ぶ得体の知れない何かの正体に勘付く事が出来た。
それは他の誰にも真似できない超直感、あの尾と、
そしてミュウツーに近しい彼だからこそ成し得た確信。


「ミュウか……」


Dの言葉に、それは肯定を表す沈黙で応えた。
そして、再び小難しい言葉を並べ始める。
それは流石のDにも理解の追いつかないものだったが、
ただ一つだけ確かに伝わった事があった。

世界が危ない――それを食い止める鍵の一つは、自分だと。


『この世界に於ける僕に、もう戦う力は無い…他の世界に干渉する事も…』

「……誰だ、誰が世界をおかしくした」


それがDに出来る最大限の質問だった。
鍵だと言われ、世界を救ってくれなどといわれて、
そんな漠然な使命感で世界を救えるのはゲームの主人公だけだ。
Dにはそんな度胸も、多分運も無かった、だから訊いたのだ。

誰を倒せば、世界は救われるのかと。
それがわかりさえすれば、どんな手段であろうと目的を達すればDの勝ちである。

そしてミュウは、Dのそんな考えを知ってか知らずか、
Dの求めていないような答えを返した。


『…戦いを終わらせなきゃいけない…誰が悪だ、正義だ、そんなものじゃないんだ…』

「………」

『この戦いは悲しすぎる…どこかで連鎖を断ち切って欲しい…手段は、任せる…』

「…オ、オイ――」


このままミュウが消えるような気がして、Dは呼び止めるようにそう言ったが、
最悪な事にその直感は正解で、ミュウはそのまま消えてしまった。

いや、ミュウが消えたという表現は厳密ではない。
ミュウとの対話が許された空間から、Dが消えたのだ。
Dは元の次元に回帰し、そこで気付いたのは、
いつの間にかバイクが研究所へ向かっていると言う事だった。


「…行け、って事なのか」


Dはアクセルを握ると、バイクをさらに加速させて研究所を目指した。







………





誰かがトキワジムの前に倒れている。
その姿を確認した瞬間、Dは全身の血が一気に凍結したような気分になった。


「サーナイトッッ!!!」


何があったのかを訊くまでも無かった。
何故ならトキワジムは炎上、全壊し、地下の研究施設が地上にその姿を晒しているのだ。
警報がけたたましく鳴り響き、あちこちで爆発が起こっている。
現在進行形で、何者かがあそこで暴れているのだ。

サーナイトの負った傷は浅い、
多分犯人はエスパータイプの技を使えるのだろう。
そんなヤツは、一人しかいない。


「…マスター…み…ミュウツーが……」
「喋るな、おまえは休め」
「でも――」


その言葉を遮るようにモンスターボールのボタンを押すと、
赤い光がサーナイトをボールの中へ回収した。

町の人間は全員避難したらしい、不幸中の幸いだった。



「ミュウツー…」






「Dっ!」



炎の中から、誰かが走ってくる。
逃げ出した研究員だろうか?
だとすればDの名前を知っているのは――


「如何言う事です!あなたミュウツーに何を…ッ!?」
「違う!俺が聞きたいくらいだ!研究員は無事なのか!?」
「何とか…といいたいのですが…」


白衣を纏う金髪の男――Dの友人にして、
結果的に全ての事の発端である青年は、纏っていた白衣をはだけさせる。

左腕が、失われていた。


「やられました。と言っても直接と言うわけではなく、僕の逃げ方が甘かった所為ですがね」


痛々しい傷を再び白衣で隠すと、男はニヤついた表情を一変させて、頭を下げた。


「すいません、元はといえば、我々がミュウツーをあなたに押し付けただけ…
 僕の不手際です。ミュウツーがあぁなってしまったのも全部…」

「…おまえの所為じゃねぇよ…」

「しかし…」

「言うな。ちゃんと説明しなかった…俺の責任でもある。
 この1ヶ月…一体何をしてたんだろうね俺は」


Dはバイクの鍵を男に投げ渡すと、炎が猛る研究所へと歩き出した。

手ぶらである。
唯一ポケモンと戦えるサーナイトも、今は負傷してボールの中で休んでいる状態だ。


「何をする心算ですか!」

「ミュウツーとお喋りしに行くんだよ、おまえは病院行け。
 バイク傷つけたら弁償させっからな」

「無茶な…」

「おまえの片手運転よりは無茶しないようにするさ、まだ死にたくないからな」


死ねない――と言い掛けて、死にたくないに切り替えた。
我ながら賢明な判断だと、Dは自画自賛したくなった。


そう、余計な事は言わないものだ。


余計な事を言うから、そこから全てが狂っていく。


全てを円滑に進めるためには、仲間だの何だの、
信頼なんて言葉に惑わされず、その時その時、余計な発言を控えるだけでいいのだ。


そう――あの時口を滑らせて喧嘩別れした、たった一人の家族の事を思うが故――



Dは、決して多くは語らない。


今までも、これからも。


己の目的のために利用できるものを利用するために。


最初から全てを知りながら、


『その時』が来るまで、Dは真実のカケラを手放さない。







………






「行け!何をしているニドキング!…くそっ」

「グル……」


ニドキングを呼び出し、ミュウツーに果敢に挑むのは、
現在ロケット団を率いている男だった。
施設は崩落し、彼のために用意された豪華な部屋も跡形が無い。
しかし逃げなかったのは、彼のプライドがそうさせるからだった。



「Dのカンは、ホントよく当たるものだ」



「そこをどけ」



ミュウツーがにじり寄る。
進路を塞ぐようにニドキングが立ちはだかるが、ミュウツーは全く相手にしていない。

訂正、ニドキングは立ちはだかっているのではなく、
蛇ににらまれたカエルの如く、そこで硬直しているだけだった。


「ここをどく事はロケット団の崩壊を意味する、それは出来ない」

「安心しろ、我はロケット団の存続に興味が無い。目的さえ果たせれば、それでいい」


ニドキングの横を通過したミュウツーは、とうとう男の前に立った。
男は視線を外さない、それだけでも大したものだと言うのに――


「ここは通さんッ!絶対にだッ!!」

「そうか」


インテリアだった木刀を構え、男はミュウツーに突進した。
一瞬の出来事である。
木刀のリーチを含め、男とミュウツーの距離は1メートルにも満たない、
そんな状態からの突進――しかし


「………ッ」


そこにミュウツーの姿は無く、木刀は虚しく空を切った。
コツコツと足音を立て、ミュウツーは男の遥か後ろを歩いていく。

止める事は出来なかった。

この先の空間には、【失敗作】が保管されている。
さっさと処分しておけば良かったのに――アレをミュウツーに見られたら、
一体どういうことになるだろうな?

隠していた0点のテストを親に見つかるとか、そんな次元の話では無いだろう。
下手を打てば、この町ごと消し飛ぶかも知れない。
ミュウツーにはそれが可能だ、それだけの力は十分にある。

――Dが現れたのは、男がガックリと膝をつき、
諦めの境地で低く笑っていたところだった。


「遅かったか……」

「Dか…あぁ、遅かったな。ミュウツーはこの奥だ、ふふはははは……
 …そろそろ……爆発する頃じゃないのか?」

「…させねぇ」


Dは走る。
瓦礫や炎をものともせず、ミュウツーの足跡を辿る。
急がなければ、最悪の結果になる。

【ミュウ】との約束も、何もかもが。





  『D…』





どこからか、再び【あの声】が聞こえた。
Dは足を止めず、その声を聴く。




  『仮にミュウツーが暴走しても、抑える手段はある…』




今度は以前のと違い、明確な言葉だった。
実にありがたいが、まだ続きがあるらしい。
それに【手段】とやらも、内容次第では最悪だ。




  『でも、君の大切なものを失う事になる…急いで…』


「あぁもう…」



走りながら、漸くDが口を開いた。
開きたくもなるだろう、突然そんなことを言われれば、Dの立場なら誰だって。



「これ以上俺から何を持っていく心算だッ」



この叫びがミュウツーに届いて、少しでも足を止めてくれれば幸いと思いつつ、
Dは炎を吹き出している研究室の奥に躊躇無く踏み込んでいった――









つづく



戻る inserted by FC2 system