それは降り頻る雨を冷たいと思う季節だったと思う。


Rの刻印を持つ青年はいつもの様に闇夜を駆け、
その手には強奪したモンスターボールが大量に入った袋の紐が握られていた。
しかし大荷物を抱えているにも拘らず足取りは非常に軽やかで、
怒声を上げて迫り来る追っ手を全く寄せ付けない。
Rの組織の訓練の賜物だろう、
どこぞに失敗ばかり重ねてタフさだけは超一流となった構成員のバディが居るらしいが、
それとは違う『本当の意味で』、彼は紛れも無い『一流』だった。

頬を伝う雨を拭い、青年は茂みに隠しておいたバイクに跨ると、
そのまま闇の向こうへ消えていった。
遅れてきたジュンサーたちがそこで車を止め、地団太を踏む。



そんな日常。

普通の人間からすればスリリングだと言われるかもしれないが、
彼にとってはその程度のこと、呼吸と同じようにごく自然に出来てしまう事で。


だから、悔しそうなジュンサーたちの表情などとうの昔に見飽きていて、
バイクに跨って少し目を閉じれば、
そこに簡単に連中の地団太を踏む姿が思い描けるようになってしまっていた。



――『天下の大泥棒』

泥棒と言うと卑怯で姑息な感じがして、彼はその通り名を好いてはいなかった。
だが、その通り名が皮肉を一切含まないものだと知っていたから、文句を言いもしないのだ。





――過去編6【サーナイト】――







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迷宮救助録 #52
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「潜入っスか」


間の抜けた声を出して、手渡された書類を眺めているのは、あのゲンガーだ。
今はまだ人間の姿をしており、――名は仮に『D』としておこう。

今、Dとその上司に当たる人物が、
表向きにはゲームセンターとして営業している店の地下室で談話しているところだ。

「どこぞの研究者がミュウのDNAを手に入れた、と言う話は聞いているだろう?」
「俺、新聞読んでねぇんスよ」
「…知らなくても仕事に影響は無い。
 我々はそれを手に入れたいと考えている――それだけ理解すればな」
「…盗って来い、と?」
「出来るか?」
「愚問っスね」

Dが断言すると、男は口の端を吊り上げて不敵に笑う。

「Xデーは今夜だ。急で悪いが、資料に目を通しておけよ。
 近場のホテルを手配しておいたから視察も兼ねてもう行け」
「了解っス」

今夜かよ――などと文句は言わず、Dは資料に目を落とす。何時もこうだから気にしない。
その様子を一瞥し、男は部屋から出て――行く直前で立ち止まって振り返った。

「…D、妹の足取りは掴めたのか?」
「………」
「すまん、忘れてくれ。期待してるぞ」
「…うぃス」





……………





ホテルは記号化したようなゴージャスさを持ち、
Dは慌てて外の公衆トイレに駆け込むと準備していた正装に着替える。
いつも用意されるホテルは安っぽいものだっただけに、このサプライズは少々堪えた。

ついでに、今さっきやってしまった不審行動で作戦が失敗しやしないかと言う不安も脳裏を掠める。


「いい部屋ですね、マスター」
「おい、勝手に外に出てくるな。人目に付くだろうが」
「大丈夫ですよー、ちゃんと左右確認して出てきてますから」

突如、彼のバッグから顔を覗かせていたモンスターボールの中から、
一匹のポケモンが飛び出してきてはしゃぎ回る。
Dは突然出てきた事に文句を言うが、
ポケモンはお構い無しで横断歩道を渡る直前のようなジェスチャーをわざとらしくやってのけた。

Dをマスターと呼び慕うのは、彼のパートナーとして方々活躍したサーナイト。
その穏かな物腰は、とても強盗犯のパートナーとは言い難い。
…当然と言えば、当然だ。
『彼女』は『ロケット団』ではなく、あくまで『D』に従っているのだから。

一流ホテルのベッドの感触を全身で堪能するサーナイトは、
ハタから見れば子供そのものである。
ボフボフとベッドの上で跳ね回り、
綺麗に敷かれていたシーツはあっという間に見るも無残な姿を晒す事となった。
従業員の努力を思うとそれはあまりにも不憫であったが、一流だろうが三流だろうが、
ベッドつきルームに泊まると何時もこうなのでDは文句を言わない。

サーナイトはそんな憂いを感じる暇も無いのか、満面の笑みでベッドの上を泳いでいる。
そんな光景を見て微笑ましいと感じないほど、DはRに染まってはいなかった。
だからついつい、もともとニヤついた口元も余計にだらしなくなるのだが、
サーナイトはその辺だけは見逃さずにすかさずツッコミを入れる。

「なーにやらしい目で見てるんですかぁー?ふふっ」
「ケッ、見てねーよ。下見行ってくるから、部屋から出るなよ」
「あーっ、わたしも行きますよー!」

サーナイトは慌ててベッドから飛び上がると、
しかしぐしゃぐしゃのシーツに足をとられて見事に転倒した。
自業自得である。
Dは振り返りもせずにケケっと低く笑い、部屋から出るとドアを閉めた。
鼻の辺りを押さえながら床を転がるサーナイトが何か喚いていたような気もするが、
それもまた何時ものことなので気にしない。

ホテルから出ると、予想以上の強風が襲ってきた。
無風状態の世界から出た直後で、体感的に錯覚を起こしたのだろう。

「いい風が吹いてるな」

長めの髪が風に靡くのを手で軽く抑え、Dは呟いた。
頭の中では、資料を見て組み立てた作戦をイメージしている。
森の奥に建つ研究所に侵入するには、闇に紛れて空から侵入するのが適当だ。
セキュリティの届かない、或いは死角となる位置に正確に侵入するのは技術が必要だが、
それに関してはDには何の心配も要らない。

何故ならDは、その道のプロだからだ。
ルパンにだって負けやしない――と、Dは自負していた。

定石どおり空から行くか、或いは地上から攻めるかを思索しているうちに、
Dの胃袋が情けない雄叫びを上げる。

「…腹減った。そろそろ帰るか」
「もう腕によりをかけて美味しいもの作っちゃいますよ」
「そうか、期待してる――ってぅおあッ!?」

胃袋が文句を言い始めたのでそろそろ帰るかと呟いた時、
何時の間に現れたのか、振り返るとそこにサーナイトが微笑を浮かべていた。
Dは思わず素っ頓狂な声を上げて背後のレンガ壁にへばり付き、
その際頭をぶつけたらしく、ヌオオ…とか言いながら悶えるハメになった。

「やっ、ちょっと大丈夫ですかマスター!?」
「…な、何でここに居る…部屋に居ろっつったろ……」
「それは勿論、マスターの側から離れたくないと言う私の献身的――」
「もういい帰るぞ。ぉーイテ……」
「ぁあー!?ちょっとまだ話は終わってないですよーっ」

ホテルの中にさっさと引っ込んでいくDの後ろを、
人間の女性に扮したサーナイトが追いかける。
もう何度も変装をしているだけに、
とても一人でやったとは思えないメイクは周囲の人に1gの違和感も与えなかった。
寧ろ整った顔立ちの所為で逆に注目を集めてしまっていたが、
それは問題ないだろうとDは考える。

因みに何故このサーナイトが人語を喋るのかと言うと、
ロケット団の同僚に喋るニャースがいるとかで、必死こいて勉強したんだそうだ。
まぁ努力家なコイツだからこそなしえた、ある意味奇跡。
それにパートナーが人語を解するポケモンであるのは、
裏社会を生きるDにも心強いファクターである。

一方通行な命令じゃなく、
ちゃんと意思疎通がコンマ以下の世界で行えるのは、正直かなり頼りになるワケで。





………




Dは部屋に戻ることなく、ホテルの地下へとエレベーターを稼動させる。
流石超一流のホテルだけあって、
急ぎの客がほんの数秒足らずしか乗らない空間にさえ抜かりは無かった。

豪華な内装のエレベーターのドアがが開くと、目の前に巨大なパーティ会場が広がる。
オレンジがかったライトがあちこちに点き、妖艶な雰囲気をも漂わせていた。
Dは適当な席に着くとウェイターに手際よく注文を取らせ、
正面に座るサーナイトの顔を見る。
サーナイトは実に不機嫌そうであった。

「どうした、おまえも甘エビのパスタが食べたかったのか?」
「マスターは私の手料理よりこんなトコのディナーが好きなんですね…」
「ケッケ。おまえの手料理なんざ毎日食ってたら死んじまうからな」
「美味しすぎてですか?」
「……」
「な、ちょっ、黙らないでください!え?そ、そのリアクション何ですか!?」

眉間にしわを寄せて溜息をつくDに、慌てたサーナイトが立ち上がる。
正直、サーナイトの料理はお世辞にも巧いとは言えない(勿論、美味いとも言えない)。
彼女の料理スキルの中には、【切る】【焼く】【混ぜる】以外無いのだから。

「肉じゃがが作れるようになったら、認めてやらんでもないがな」
「い、言いましたね!?肉じゃが…肉ジャガー
 …えぇとジャガイモで肉を焼いて…ジャガー肉…???」

ジャガイモで肉は焼けませんと言うか根本的に間違ってますサーナイトさん、
なんて思わず丁寧語でツッコミたくなるような事を呟くサーナイトを適度に無視し、
意外と早くやってきたパスタを頬張る。
一流には一流の作法があるのかも知れないが、Dは大して気にすることも無く食事を続けた。
やがて大人しくなったサーナイトは、Dがオーダーしてくれていたパフェをつっついている。

「これ、美味しい…今度作ってみようかな」

やめてください、とツッコむ気にもなれず、
Dはパスタの最後の一口を頬張って水で流し込んだ。
再びウェイターを呼ぶと、コーヒーを持ってこさせる。

「そろそろ行くぞ、さっさと食えよ」
「作戦は出来てるんですか?」
「当然だ。状況ごとの切り替えしパターンを含めて15通りの流れを作っておいた。
 後で教えるからさっさと覚えろよ」
「はむ…どうせ毎回おんなじじゃないですか、別にいいですよ言わなくても」
「…それもそうか」

Dの作戦はだいたいいつも同じである。
尤も作戦内容が強盗だの窃盗だのでいつも類似する行為であるため仕方ないのだが、
故に地図さえあればサーナイトにもDの考えることは手に取るように分かってしまうのだ。
伊達に何年もパートナーをやってはいない――これは、サーナイトにとって自慢の一つだった。

ルームキー代わりのカードを、ウェイターが何かの機械に通す。
多分チェックアウトの時にまとめて料金を請求するんだろう、微温いシステムだ。
客と店が良い信頼関係で結ばれている証拠、とでも言えばまだ聞こえはいいが。

天下の大泥棒であるDにとっては、
どうぞ食い逃げしてくださいと言われているようにしか見えなくて、
ちょっとだけ食い逃げしたい衝動に駆られてしまう。

食い逃げしなくても、此処の料金は上持ちだから如何でも良いのだが。


「行くぞ、サーナイト」
「はい、それじゃあ手筈どおりに」


深夜、二つの影が町外れを歩いている。
進行方向先には、研究所と思しき施設が聳えていた。
片方の影は逃亡用のバイクを茂みに隠すと、ウインクをして闇に姿を隠す。



もう一つの影――Dは、正面入り口から堂々と、警備員に扮して侵入していった…










つづく


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