両腕から、血が滴るのが分かった。
虫が這うような感覚で、くすぐったかった。

最初の攻撃を受け止めた時の傷が開いたのだろう、
痛みはあるが、動かないわけでは無いので、目の前の敵に集中する事にした。


「悪い冗談だぜ…くそったれ。…ってオイラの所為か…
 とにかく、ポロックの効果が切れるまでは踏ん張るしかねぇな」

「…効果か、これはどれほど持つのだ?」


ふわりと土煙を巻き上げ、デオキシスが目の前に降り立つ。
波導の制御を試しているのか、バチバチと弾けるそのオーラは、まだ安定性が無い。





「そいつはゲンガーがくれた最新の品でな、効果持続時間は――20分だ」

「お前を倒すのには、十分すぎる時間だな」
















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迷宮救助録 #34
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赤い物体が動き回る。

それは直線的な動きから不意に方向転換をし、
まるで反応できていない獲物のもがく様を楽しんでいるようだった。
本能的に攻撃をかわすが、それを越えたところまで、デオキシスは踏み込んでくる。

――もう何分経った?

3分か、いや5分か、長い、長過ぎる。
目が霞む、しかしそれでも倒れるわけにはいかないと、アーティは戦った。

それが既に戦いと呼べるものでは無かったとしても。
アーティはただひたすら、時間切れまで耐え続けようとした。


「―――…」


「ふ、元気な口も流石に静かになってしまったな。さびしいものだ」


時間の感覚さえ、もう分からなくなっていた。
ダメだ、20分なんて耐えられない、すまないみんな―――


アーティは倒れた。


デオキシスが来る、速い。


風が通り抜ける。


圧力が、身体の横をすり抜け―――



















「―――ドラゴンクローッ!!」






「っ!?」







突然、突風と化した何かがデオキシスに襲い掛かる!
デオキシスは空中で在り得ない身の捻り方をし、それを回避して距離を取った。




アーティの横を通り抜けたのは、デオキシスではなかった。
もう一つの何かがこちらに接近し、デオキシスを牽制したのだ。





「――っと、危ないな。私は味方だぞ?」


「大丈夫ですかアーティさんっ!」
「っ……ラティ…ア―――」


時間にして、1分と30秒。
その身体の傷が物語るには、あまりに短すぎる時間、
そこにいる赤い龍に手を伸ばそうとしたところで、アーティの意識は途絶えた。

――ラティアス

波導とは違うオーラを纏い、ラティアスが戦いに割って入っていた。


「…っ!アーティさん!アーティさんッ!!」


倒れる身体を受け止め、ラティアスは呼び掛けたがアーティは応えない。
全身を悪寒が包み、ラティアスはゾッとした。


そしてすぐにアーティの鼓動を確認し――


「………まだ、…良かった…間に合って」


まだ、アーティは生きていた。

息があるのを確認し、ラティアスはアーティを建物の影に隠す。
デオキシスはそこで奇襲をかけることも出来たが、
それはプライドが許さないらしい――ジッとその様子を見つめていた。

振り返る、屋根の上にデオキシスが立っている。
腕を組んで、戦う準備が終わるのを待っているようだった。
ラティアスは飛翔すると、デオキシスと同じ高さで空中に静止した。


「……デオキシス」

「言うな。分かっている。お前はその道を進むもの、最後は、そこへ戻る運命だった」

「……」


兄ラティオスからの情報を受け取り、
住民の避難を切り上げて真っ先に戻ってきた矢先の出来事だ。
一番困惑しているはずのラティアスだったが、
やるべきことはハッキリしていたので迷うことは無かった。

今はアーティを守る、それだけだ。

「…とはいえ残念だよ、その夢写しは、便利だったんだがな…」
「……」
「そう睨むな。私と違って、お前は強制されていただけだ。
 …で、どうする?夢写しで仲間を呼ぶなら、待ってやるぞ」
「それなら、もう呼んでいるわ」
「用意のいい――いや、勘のいいと言うべきか」

デオキシスはアタックフォルムに変形した右手を突き出す。
そして屋根の上から、空中に居るラティアスに向かって呪いの言葉を呟いた。






「………ζ…………ε…………Ψ」





「……?」


何をする気かと、ラティアスは咄嗟に身構える。
風が強く吹きつけ、デオキシスが何を言っているのか聞き取ることが出来ない。

…じっとしていても埒が明かない。
同じサーナイトの力を受け取ったもの同士、正面からぶつかれば時間稼ぎくらいは出来る。

そう考え、ラティアスは何かを呟くデオキシスに特攻した。
両手に、竜の波導を纏い、ドラゴンクローを放つ予備動作も兼ねて。



―――しかし、それは完全に認識が甘かった。



「消えよ、偽りの力ッ!」


デオキシスの両手から放たれた光が、光の速さでラティアスの身体を包み込む。

波導かと思い、身を捻るが振り切れない。
それが波導ではないことに気付いたのは、次の瞬間――



「――がッ…!?」



「サーナイト様から伝言だ。力を返してもらうぞ、と」



「うあああああああああああああッ!?」




赤い光が身体から抜けていく。
力が入らない、サーナイトから授かった力が、デオキシスに吸い取られていく。

―――違う!

全ての力が抜き取られている!
早くこの光を振り切らなければ――

早く、早――



「っあ…く…」

「さらばだ、ラティアス。お前にはもう、何も残されてはいない」


赤い光が弾け、ラティアスの身体が空へ投げ出された。
力の抜けた翼が、地面に落ちる体から垂直に空に伸びている。


――ドズンッ!


首を捻ることで頭から地面に追突することは避けた――が、
叩きつけられた身体が地面を砕く。
その衝撃で一瞬呼吸が止まり、ラティアスは嗚咽を漏らした。

デオキシスが近くに来る。
しかし身体が思うように動かず、その方向を向くことすら出来ない。
レベルが1に戻された感覚だった。


「くっ…」

「これ以上は不要だな。放っておいても、サーナイト様を脅かす因子には成りえん」


デオキシスが呟く。
余裕のつもりでは無いのだろう、
宇宙から来た凶暴なポケモンと言われる割に、彼は紳士だ。


…そう、紳士。
今はまだ、紳士だ。

本当に恐ろしいのは、むしろ――…









「何してんのよそこの変体仮面ーーーッ!!」


「っ!?」




変体仮面?
何とかデオキシスの顔を思い出し、
その意図を理解してラティアスは倒れながら苦笑した。

状況は相変わらず最悪にも関わらず――

声の主がピカチュウだと分かったからだろうか、
ラティアスは絶体絶命から一瞬で逆転したような気分になった。
声の聞こえた位置から推測するに、屋根の上にでも乗っているのだろう。
何とかと煙は本当に高いところが好きだ。



屋根の上で、ピカチュウは腕を組んで仁王立ちしていた。


「ふんっ」


屋根から跳躍し、スタッと見事な着地を見せるピカチュウ。
デオキシスはその光景を暫し見つめ、サーナイトからの言葉を思い出した。


「お前が…トップアイドルのピカチュウか」

「私も居るぞ」
「ぜぇ…俺も、な……はぁ……まだ無事か、ラティアス……よか…た…」


デオキシスの言葉に反応するように、アブソルとラティオスも建物の影から現れる。
ラティオス――兄は、なんだか妙に息が上がっているが――…。
多分また雑用でもしていたんだろう、人が良いと言うか何と言うか。


「…アブソル、それから――…ラティオス…」


このふたりに関しては、サーナイトから気にする必要は無いと言われているが、
頭数が揃われるのは厄介だとデオキシスは考えていた。

――と、さっきまでそこで倒れていたはずのラティアスの姿が無いことに気付く。

風の流れを読み取るが、気配はまるで感じない。
何が起きたか、確かめるようにゆっくりと振り返る。
地面から、民家の壁、そして屋根へと視線をスライドしていく。
屋根の上に、金色の翼が美しい鳥が、ラティアスを背負って立っていた。


「スピード勝負なら、俺の方が上のようだな?」

「…雷の司…ぞろぞろと集まってきたか…」


デオキシスは心の中で厄介だなと呟いた。
しかし、その懸念は杞憂となる。


「お生憎、俺はコイツとアーティを遠くまで運ぶ役目なんでな」


サンダーは余裕たっぷりに言い放ち、肩の上に隠れたアーティを見せ付けた。
何時の間に回収したのかと、デオキシスは少しだけ驚いた。
スピード勝負も、本気を出せば負ける気はしないが、
あの一瞬でアーティとラティアスを回収した速度は褒め称えるべきだろう。


「ラティオスは役不足だ、下がっていろ」


アブソルが言うと、ラティオスは悲しげな顔で文句を呟く。


「うぅ…お、俺って一体…」
「じゃあアンタはその辺で応援旗でも振ってなさい」
「ひっ、酷いや!ここまで全速力で運んであげたじゃないか!死ぬ思いで!」
「死んでもよかったけどね」
「うぅ…お、俺なんかーーーッ」


ラティオスが建物の影で地面に【の】の字を書き始めたところで、
やっとピカチュウたちはデオキシスの方を睨みつけた。




「さぁて…それじゃ、ここからが本番って事でいいかしら」



「ふ……漸く、この波導を本気で使えるのだな」





デオキシスがニヤリと笑う。
…どこに口があるかは分からないが、ピカチュウにはそう見えた
彼はその右手を顔の高さまで持ち上げると、奇妙な形に変形させて――




「楽しませてくれよ」

「それは、こっちのセリフですわ」



デオキシスの挑発を、さらに挑発で返す。
両者やる気満々で、一触即発状態だ。
アブソルは一歩下がってラティオスの前に立つと、
簡単な支持を出して再びピカチュウの隣に走りだした。


頼んだぞ、ラティオス――アブソルが、ハンドシグナルでそう言う。



「…え?俺一人で、ヘラクロスの部下を町から連れ出すの?」

「俺もラティアスとアーティを連れ出したら手伝ってやるから、文句を言うな」


呆然とするラティオスに声をかけたサンダーが、一足先に飛び立っていく。
ラティオスは、全く振り返らないアブソルと妙に冷めたサンダーの反応に挟まれ、
思わずこう叫ぶのだった。






「イジメ、カッコ悪いッ!!」







つづく



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