「ふー…今回の任務は楽だったな、早く帰ってラティアスにこのオレンの実を届けねば」
遠い雲の向こうから飛んできたのは、ラティアスの兄、ラティオスだ。
肝心な時に居ない役立たずなんてのはさて置き、
いろいろと理由があって今彼は救助隊として活動している。
戦闘は苦手だから主に物資の支給などを行っているのだが、それがなかなか好評らしい。
「この速度で飛べば町まで10分ってトコか…ん?」
―――ヒュゥゥゥゥゥ……ゴオッッ!!
「おわっ!」
危ない!
思わず身体を捻り、飛来した【それ】をかわし、自分が墜落する前に何とか持ち直す。
後方から物凄い速度で自分を追い抜いていったそれを再び視界に捕らえた時、
それは既に小さく消えていく所だった。
「…何だ、今の……町のほうに飛んでったみたいだな」
思考を切り替える。
何か嫌な予感が、ラティオスを襲っていた。
ラティオスは別段カンが冴えているという男では無いが、
この時ばかりは只ならぬ状況を頭で把握する事が出来ていた。
【テレパシー】で今の出来事を簡潔な視覚情報にまとめて、ラティアスに送信。
そして、再び前を――町の方角を見据える。
「…俺も急いだほうが、よさそうだな」
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迷宮救助録 #33
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――遡る事、ほんの数日前。
ホウオウがサーナイトに加担し、何らかの契約を結んでから少し後。
宇宙の遥か彼方から、それはサーナイトの前に現れた。
宇宙空間という、通常では考えられないほどの厳しい環境条件に適応するため、
瞬時に自らの身体を作り変える能力を持つようになったのであろうそのポケモンの名は、
――【デオキシス】
超絶的な死闘の果てに、ついにサーナイトは実力でそのデオキシスを捻じ伏せ、
七星賢者最後の椅子を彼に押し付けた。
最も凶暴で最も未知なる、最も優秀な部下として。
時は再び現在へ戻る。
ラティオスを一瞬で追い越していった物体こそ、彼――デオキシスだった。
「……モードチェンジ【シャドーフォルム】」
デオキシスは、その身体を自在に変身させる。
そのフォルムの種類は4種類。
通常形態でエネルギー消費が最も軽い【ノーマルフォルム】、
一撃必殺の戦闘形態である【アタックフォルム】、
防御に徹し、宇宙空間で長期間過ごす時のための【ディフェンスフォルム】、
そして瞬間的な加速に特化した【スピードフォルム】である。
…しかし、【このデオキシス】は違う。
サーナイトの力を授かり、新たに3つのフォルムを手に入れることに成功した。
そのうちの1つ、【シャドーフォルム】とは、
姿を背景と瞬間的に同化させ、いわゆる透明になるフォルムである。
しかし驚くべきは、毎秒10万回相手の視線から自分の背景の色素データを割り出し、
文字通り一瞬で身体に適応する超常的計算能力だ。
それをただ透明になるフォルムだと説明するのは、勿体無いにも程がある。
が、幾ら計算が速くても要するにただ透明になるためのモノなので、
どれだけ仰々しく解説しようが如何でもいい事だが。
透明になったデオキシスが、町を徘徊する。
背景データから自らの体色を変更し続けているだけなので、
太陽光を遮るのが唯一の難点かとデオキシスはため息をついた。
全身をそれぞれ別背景に組み替えているためどこから見られても透明をキープできるが、
光を遮った方向は他に比べ薄暗くなってしまう。
ガラスに映った自分の姿を見てそれに気付き、
デオキシスは影の濃さから補正データを割り出して適応させた。
「これで見つかることは無いな」
安堵し、足元を見ると、そこには自分の影がある。
やれやれとため息をつき、デオキシスは音も無く空中へ舞い上がった。
何が『シャドー』フォルムだと、軽く自己嫌悪になりながら。
「そもそも戦闘じゃ役には立たないか…このフォルムはパワーが足りない」
「誰だッ!!」
「――っ!」
怒声。
独り言を聞かれてしまったらしい。
自分が透明であるとつい不注意になってしまうのも難点だなと、デオキシスは戒めた。
振り返ると、そこにはこちらを睨み付けるワニノコの姿がある。
微動だにさえしなければ姿は全く見えないはずなので、
そのワニノコはこちらを認識してはいないだろう。
「……もしや君が、アーティか?」
デオキシスは自らシャドーフォルムを解き、屋根の上に降り立った。
突然何も無いと思っていた場所から現れたデオキシスを見て、
そのワニノコ――アーティは驚いた。
ラティオスから送られてきた情報をラティアスから聞き、
こうして単独で見回りをしていたところだった。
他の連中は、逃げ遅れた住民を避難させているためここには居ない。
「ッ!…誰だお前……ポケモン…なのか?」
「そうだ。私はデオキシス、宇宙よりこの星にやってきた」
デオキシスが辺りを見回すが、他にポケモンの気配がしない。
既に住民の非難は完了しているらしい。
これなら何も気にせずに暴れることが出来そうだと、
デオキシスは右手だけを【アタックフォルム】に変身させた。
この様に器用な変身が出来るのも、サーナイトから受け取った力の賜物である。
「サーナイト様から、アーティ他数名の始末を承っている。覚悟してもらおう」
「…チッ、結構紳士じゃねぇか…」
アーティが一歩下がる。
屋根の上から狙い撃ちにされてはたまらないと、距離を置いた心算だ。
この未知のポケモンが一体どんな能力を持っているのか分からない以上、
いくらアーティでも慎重にならざるを得なかった。
――と、デオキシスの姿が掻き消え、視界が何かに遮られた。
「――ハァッ!!」
「うおッ!」
ガイィーーンッ!!
デオキシスの右手と、瞬時に振り上げたアーティの左手の爪がぶつかり、火花が散る。
が、次の瞬間にはアーティの爪の先が砕け散った。
「おおおおおッ!オイラの大事な爪が!てめー何しやがる!」
「ふっ、カルシウムが足りないようだな」
「あああ!7センチ伸ばして切ると願いが叶うって言うのに…許さん!」
「…少女かッ!そんな迷信に騙されたらダメだッ!!自分を見失うなッ!!」
ふざけたノリではあるが、至って真剣な殺し合いである。念のため。
デオキシスから受けた衝撃を利用して、アーティは空中で旋回しながら再び距離を取った。
そして建物の隙間に向かい、全力で駆け出した。
分かったことが【物凄いスピード】だけだと、本当に手が出せない。
なので代わりに出せる足を使い、アーティは逃げながら策を練ることにした。
「――ちッ、ユハビィは寝てるし他の連中は住民の避難に出かけてるし…
…オイラ一人じゃ骨が折れるな」
「見つけたぞ」
「なっ!速ッ―――」
―――ガッ!!
「ぐぁッ!」
逃げ足は逃亡生活で鍛えていたから自信があった心算だったが、
デオキシスは逃げるアーティの正面に回りこんでいた。
息も切らさず、まるでテレポートでも使ったかのようなスピードだった。
しかし重要なのは、姿が見えなくなったはずなのに、
こちらの移動が分かっているかのように回り込まれたと言うことだ。
アーティはデオキシスの【アタックフォルム】の右腕の一撃を両手で受け止めたが、
衝撃に吹き飛ばされ民家に追突する。
崩れた瓦礫の隙間から何とか這い出し、埃を払うように頭を振る。
腕に衝撃が残っているが、
まだまだ大したダメージでは無いと、アーティは土煙の中から飛び出した。
「ちっ…くしょう…ッ…仕方ない…コイツの出番か」
取り出したのは赤い丸薬――ポロック。
ゲンガーから受け取った、波導を纏える最新型のポロックだ。
対ユハビィの実戦で使い方は解っている。
コレさえ使えば、多少疲れるが絶対に負けはしない。アーティにはその確信があった。
その確信が僅かな慢心を生んだのか、
アーティは直ぐにでもそれを口に運ぶべきだったのに、
僅かに惜しむように、
その、僅かな時間が、自分の首を絞めている事に気付くのはあまりに遅くて――
「悪いが、それを食べさせるわけにはいかない」
デオキシスが屋根の上で呟く。
その開かれた右手はアーティの右手を定めていた。
もっと正確に絞り込む――目標は赤いポロック。
アーティは屋根の上から狙われていることに気付いていない。
ポロックを口に運ぼうとしたその瞬間、
デオキシスの右手から紫色のエネルギー波が放たれた。
音速を超えて射出されたエネルギー弾を、
そもそも狙われていたことにすら気付かなかったアーティが避けられるはずも無い。
だからデオキシスは、それが射出される少し手前で、こう叫んでしまった。
叫ぶ事には意味が在る。
気を込めるからこそ、自分の使う技の名前は出来るだけ叫ぶのが決まり事だ。
「【サイコブースト】ッ!!」
アーティはそれに気付いた。
だが、次の瞬間には紫色の物体が音速を超えて飛んでくる。
「――ッ!?」
兎に角身を引いた。
体のどこが逃げ遅れても、全身でそれを受けるより遥かにマシだと思って。
それが正解だった。
デオキシスは、サーナイトによって強化された自分の力を、
未だにコントロールし切れていなかったから――サイコブーストは、
ポロックをギリギリで掠めるだけに留まったのだ。
――ズドオオオオオオオオオオオオオンッ!!
爆発の衝撃に合わせてアーティがその場から跳躍すると、
次に視界に飛び込んだのは木っ端微塵に砕け散った地面だった。
それどころか、その爆発は周囲を巻き込んで大きく拡大し、
アーティは一瞬で巻き込まれて別の民家に突っ込む。
だが、これで意識を失うほどアーティはヤワでは無かった。
直ぐに民家から抜け出して、口の中に溜まった血を吐き出した。
「――がっ、げほっ……く、嘘だろ…なんて威力だよ…」
「避けたか、大した反応力だ。だがッ!」
「くっ!」
【サイコブースト】――念動力の最強技で、
物質を内側から破壊する念波を放つ正直シャレになっていない技。
さっきは運良く紙一重でそれを回避出来たが、
おかげで赤いポロックを食べ損ねてしまった事にアーティは焦燥した。
それどころか、落としてしまった。
逆転の切り札――唯一の勝機を、その手から落としてしまった。
焦る、――探す、――どこだ!
追い込まれたアーティが脅威の集中力を発揮して、
落とした赤いポロックを煙の中から一瞬のうちに見つけ出すのは難しい事では無かった。
しかし、同時にデオキシスが目の前に現れる。
右手はあの厄介なカタチをしている。
右手が振り上げられた。
攻撃が来る。
避けられない――防ぐ!
「……ッ」
が、感覚が無い。
腕ごと持っていかれたか?
アーティは自分の両腕を見たが、しっかりついている。
デオキシスの姿は無い、消えた?
顔を上げる、そこに赤いポロックは無い。
――まさかッ!
「く、っくくく…凄いな、このポロック…力が…力が沸き上がってくるッ!!」
「――…マジかよ……冗談だろ?」
アーティには信じられない。
あのポロックは波導使いとしての素質がどうのこうのと、
ゲンガーに難しい説明を受けていたからだ。
自分があれを使えるのはゲンガーが自分のために作ったからで、
デオキシスが扱えることは全くの偶然でしかない。
唯一の頼みの綱に、アーティはまるで裏切られたような感覚さえ覚えた。
「さぁ…行くぞアーティ!」
「……ちぇ……悪ぃみんな…オイラは、ここまでかもしれん…」
波導を纏うデオキシスが、恍惚の表情を浮かべそこに立っていた―――
つづく
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