空は快晴、どこまでも吸い込まれそうな青が広がっていた。
時々見える雲の白がまた、より一層青の深さを引き立てる。
だから【雲ひとつ無い空】よりも、彼は時々雲が見える快晴が好きだった。


――それが、ほんの数分前のこと。


まるでこの世の終わりを歓迎するような真っ赤な色に、
彼の好きな【青空】は完全に飲まれていた。
広場を包む炎が空に映し出されているのだ。


それは惨劇だった。
悪夢だったらどれだけ良かっただろうか、悪夢ならばいずれは覚めるのだから。
しかし、これは紛れも無い現実である。
見知った者が、或いは知り合いではないものの救助隊として頑張っていた者達が、
平穏な日常の中、突如として牙を剥いた。

一体自分が何をしたのか、どうしてこんな目に遭わなければならないのか。
もし神が存在するならば、彼は一生神を怨み、憎み続けただろう。

何者かの邪念に操られたとしか思えない【救助隊】が、
この平穏な町の日常を地獄へと叩き落した。









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迷宮救助録 #16
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町で暴れている救助隊は全員紅い目をしており、
それは丁度救助隊本部で、アブソルが引き付けている役員たちと同じだった。

ネイティオと合流したデンリュウが町に来たときには、
既に殆どの施設が破壊され、暴れまわる救助隊以外の住人の姿は無い。
報告に来た救助隊支部長のペリッパーから聞いた話では、
住人は既に地下施設で耐え忍んでいるらしく、
被害に遭っているのは現在建物だけである事を知り、ふたりは一先ず安堵した。

「さて、と。軽くお仕置きが必要みたいですねぇ」
「デンリュウ、暴れるならわたしから離れたところでやってくれよ。
 巻き込まれたら溜まったもんじゃないからの」
「うふふ、気をつけますわ」

笑っているが、デンリュウは内心穏やかではない。
それを知っているからこそ、
ネイティオはその言葉を皮切りに暴れまわる救助隊との交戦を開始した。
久々に背中を預けて戦うだけに楽しみだと思う反面、
やはりこんなものを見せられて怒らないわけがない。


――あの時、ネイティオは怒りに身を任せてはいけない事を学んだ。
どんな時でも、決して冷静さを欠いてはいけないのだ。
だから、今は冷静で居られる。
冷静に、暴れる救助隊たちを気絶させていく。


「それにしても、どうして町の人は操られずに済んでいるのですね」
「…【ナマズン】長老のおかげじゃろう。
 あの方はあぁ見えてなかなか――この町に結界を施していても不思議ではない」
「つまり町から離れる事の多かった救助隊たちが狙われたと」
「あくまで推測だが、ほぼ決まりじゃろうな」


普通の会話をしている様に見えるが、
二人は襲い来る救助隊を次々と気絶させながら会話をしている。
今、デンリュウとネイティオを囲んでいる救助隊は5チーム10数匹、
遠くからもワラワラと集まってくる、とても全部数える気にはなれない。
救助隊はこんなに沢山居たのかと、デンリュウは改めて自分が立ち上げた組織の規模を実感した。


相手の攻撃をすり抜けて殴る、飛んで来る拳を受け止め、投げ飛ばし、
空中から範囲攻撃を仕掛け、着地と同時に蹴りを放つ。
数こそ多いが、実力的に【賢者】には遠く及ばない救助隊たちは、
文字通り千切っては投げ千切っては投げで、漫画の様な山を築いていった。
それでも、操られた救助隊はその攻撃の手を緩めることは無い。
【人形】は傷みも恐怖も感じない。
ただ操られるがままに動くしかないのだ。
ネイティオは戦いながら、その事を哀れに思っていた。

「勝てぬ相手に命を捨てて向かってくるとは、…悲しいものだな」
「せめて一撃で楽にしてあげるのが、よろしいんじゃありません?」
「……おぬしが言うと、冗談に聞こえない…」
「ふふふふふ、ちゃんと加減はしてますよ」

バチバチと右手に電気を集めたデンリュウが笑顔で応える。
その電圧は、ピカチュウのそれよりも遥かに協力だ。


――【雷パンチ】


フーディンの【炎のパンチ】と同系統の技で、
技としてのランクはピカチュウが得意とする【10万ボルト】より少し下。
しかしながら、その威力はサンダーの【かみなり】を上回っていた。

技は、強化することが出来る。
鍛錬を積むか、【カテキン】と呼ばれる希少なアイテムを使うか、手段は色々だ。
デンリュウがどの手法を採ったのかは定かでは無いが、
少なくともこの【雷パンチ】はかなり強化されていることが分かる。

デンリュウはその【兵器】に近い腕を振り回し並み居る救助隊を薙ぎ払っていく。
しかし、これでもまだ加減しているとデンリュウは言っていた。
彼女が本気で【雷パンチ】を放てば、地形などいとも容易く変わるかも知れない
――ネイティオは、思わず冷や汗を流した。

「――これで最後、やっと片付きましたわ」
「久々に動くのは、辛いな」
「隠居生活が長かったんじゃありません?ふふふ」
「そういうおまえは、本部の立派なソファに腰掛けていたとは思えない動きだったな」
「あらあら、そんなに褒めちゃいやですわ。ふふふふふふ…」
「ははははははは…」


「(―――こッ、怖い、怖いですッ!)」


地上での騒ぎが聞こえなくなったので恐る恐る覗き見ていたキャタピーは、
この時のデンリュウとネイティオについて後に、こう語っている。







…アレは、ポケモンではない。
ポケモンの皮を被った、……いや、やめよう。
たとえそれが何であれ、その時確かに、私と町は救われたのだから。

                ――『ある虫の一生』第2巻3章より抜粋








デンリュウは、自分がキャタピーにトラウマを植えつけているとは露知らず、
焼け残った施設を漁っていた。
まだ使えるものや修復にかかりそうな日数、費用、
それらを瞬時に計算していたのだろう――デンリュウもまた紛れも無い天才だった。
と、そこへ一匹のポケモンがやってくる。アブソルだ。

「デンリュウさま!ご無事で!?」

「…遅かったじゃないの…もう、ダメかと思いましたわ…」
「ぇえ!?すっ、すす、すいません!」

アブソルが瓦礫の山を越えデンリュウの前に畏まる。
遅れた登場にわざと不満そうな表情を見せ、デンリュウはアブソルを弄んだ。
アブソルとしては、デンリュウが苦戦するなど考えもしなかったのだから、
予想外の反応に驚いて頭を下げるしかない。
頭の上でデンリュウがニヤニヤ笑っているのを知らず、アブソルは健気に謝罪していた。

それを見ていたネイティオは、弟子であるサンダーの事を思った。
サンダーは今、【銀翼】の異名を取る【ルギア】の住まう、
【銀の海溝】へ向かっているのだ。

世界で起きているこの異変を沈めるには、【銀翼】の力が必要だ。
原因が何であれ、協力してもらえるならば心強い事に変わりは無い。







……

………





非難していた住民たちが集まり、町の消火活動を始める。
なかなかの連携で、この町がしっかり纏まっている事が伺える。
それも、やはり長老ナマズンの指導があるのかもしれない。


やがて空は、再び彼の好きな【青】を取り戻した。
ちなみに度々出てくる【彼】とは、
この惨状をデンリュウとネイティオに伝えた救助隊支部長の【ペリッパー】である。

彼はここでの出来事を世界に伝える義務を持つため、
すぐさま近くの救助隊支部へと飛んでいった。
今日の内にも、ポケモンニュース号外が刊行される事だろう。

「ネイティオ氏、…どう見ます?」
「犯人が誰か――か?」
「実は、本部でも【同じ事】が起きていたのですよ」
「………」

デンリュウの脇に控えていたアブソルが、ネイティオに問いかける。
アブソルには、彼にこの事件の主犯について心当たりがあるのに、
敢えてそれを口にしていないように思えたからだ。
アブソルは災いを感じ取る力を持ち、それゆえにカンが冴えるところもある。

「あまり考えたくは無いが今回の騒ぎは…【あのサーナイト】が絡んでいると見る」
「…いい線ですね、ネイティオさん。私も同じですわ」

ポンと手を叩いて、笑いながらそう応えるデンリュウをアブソルは呆れたように見ていた。

――本当は見当もついていなかったくせに――

言った後にどうなるか解っていたから、アブソルはそれを言わなかった。
以前、デンリュウの揚げ足を取ろうとした者がいたが、
以後その者の姿を見た者は居ないという。
風の噂で、どこか遠くの町でひっそりと暮らしているらしいが――
…それにデンリュウが一枚噛んでいたのは、火を見るより明らかだった。

「ところで、そのサーナイトはどうでもいいんですけどねぇ…」
「…どうしましたデンリュウ様?」

「さっきから何か、地面の底から唸るような声がしませんか?」

首を傾げ、瓦礫を物色していたデンリュウは不意に、ふらふらとネイティオの隣に立つ。

言われるまで気付かなかった――デンリュウは惚けたフリをして、
その観察力は常人の遥か上を行く。
間違い探しの絵を、二枚別々にして一度ずつ見せただけで、
全ての間違いを指摘できるくらいだ――凄すぎて、最早理解出来ない。
…そんな事はどうでも良いのだが、確かに地面は低く唸り声を上げているように思えた。

デンリュウに言われるまま、その場の全員が耳を済ませた瞬間――



――ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ………



ドンッ!と一瞬地面が浮くような衝撃に続き、断続的な揺れが周囲を襲った。
今までの地震とはどこか異質で、
【じしん】という地面タイプの技に近い印象を、デンリュウは感じていた。


「地震!?この私が災害を察知出来なかっただと!?」
「いいえ違いますよアブソルちゃん。これは【災害】の地震じゃなくて――」
「…地面の中から……まぁ、ディグダでは無いだろうな…」


当たり前の事をネイティオは呟く。
この地震は自然現象ではなく、何者かが引き起こしている。
アブソルが察知できなかったのもその所為だろう。
――それがディグダで無い事くらい、誰だってわかる。

「―――来るぞッ!全員下がれッ!」

突如ネイティオが叫び、慌てて空へ飛翔する。
アブソルは何が起きたのかわからずただ彼を見ていたので、
デンリュウに抱えられるように後方へ下げられた。

「呆けてる場合じゃないですよアブソルちゃん?」
「す、すみません」

アブソルは即座に思考を切り替えると、ネイティオの視線の先に意識を集中した。
集中すれば、彼はデンリュウにも引けを取らない反応が出来る。
やがて視線の先の大地が徐々に赤みを帯び、次の瞬間信じられない光景が広がった。

盛り上がった大地がドロドロと溶け出し、
その中から岩のような肌に幾何学的な模様を光らせる巨獣



――【グラードン】が姿を現したのだ。








「―――グゥゥゥォォォオオオオオオオオオオオーーーーーッッ!!!!」







「うわっ」
「…っ!」
「あらあら、随分とご機嫌斜めのようですわねぇ…」


グラードンの耳を劈くような咆哮に大地が揺れ、
辺りの瓦礫は次々と溶けた大地に吸い込まれていく。
数百年前から伝わる伝承によれば、
グラードンはこの世界に【大地】を作ったポケモンらしい。
その際、【海】を作り出す【海の神】、
【カイオーガ】との死闘の末に眠りについたらしいが――

それが今、目の前に姿を現した。

一体グラードンの体温はどれほどなのだろうか、
ヤツが現れてからこの周辺の温度は一気に倍に跳ね上がった気がする。
まともに接近戦を挑めばあの溶けた大地のようにドロドロに――
いや、近づく前に炭になってしまうかも知れない。

グラードンは正真正銘の、怪物だ。


「大地を創った、か……」


再びネイティオが呟く。
視線は相変わらず、グラードンに釘付けだった。


「これを見るとあの伝説は嘘に思えるのじゃが、どうだろうデンリュウ?」

「確かに、ドロドロに溶かしてるだけにしか見えませんねぇ」
「ネイティオ氏!デンリュウさま!今はそれどころじゃ無いですって!」









………







「ネイティオさん、私ちょっと思うことがあるんですよ」

大地が溶岩となり、水のように跳ね上がる。
それらの中心で荒れ狂うグラードンから逃げつつ、デンリュウは呟いた。
グラードンに攻撃を仕掛けこちらに意識を向けさせ、
町から遠ざけるように誘導しながら逃げているので状況はかなり厳しい。
ネイティオはデンリュウの呟きが聞こえているが、返事を返す余裕が無い。
そのことを理解し、デンリュウはそのまま続けた。

「グラードンさんは、さっきからグオオー!とか叫びながら暴れてるじゃありませんか、
 もしかして知能はかなり低いんじゃないでしょうか?」

グオオー!だけ妙に感情を入れるデンリュウ。
だが、誰もツッコミは入れない。
それはともかくとして、グラードンの知能は確かに低そうだ。
ここまでの行動だけで判断するのであれば、間違いない。

「…頭を使えば勝てるかも知れないという事ですか?」

ネイティオは応える余裕が無いので、察してアブソルが応えた。
ちなみに空を飛べるネイティオが何故応える余裕が無いかといえば、
結界を張りグラードンの暴走による被害の拡大を防ぐ事に徹しているからである。
アブソルの問い掛けに、デンリュウはいつも通り困った表情で応える。

「いいえ、これじゃあ話し合いで解決しようとするのは無理なんじゃないでしょうか?
 という素朴な疑問なのですよ」
「…ここまで来て、話し合いなんて最初から無理かと…」

アブソルにはまだデンリュウの意図がよくわからなかった。
デンリュウはいつも物事を遠まわしに言うので、その真意を解するのにいつも苦労する。
そこで漸く、ネイティオが重い口を開いた。
と言うか、単に開く余裕が無かっただけだが。

「勝てるかどうかで言えば、勝てない可能性が高いからのう」
「―――えッ!?」
「そうなんですよねぇ…話し合いで彼が静まってくれればよかったんですけど」

ネイティオの言葉に驚き、デンリュウの顔を見るが、
どこにも追い詰められている感じは無い。
むしろこの状況を楽しんでいるようにさえ見えた。
そんな表情で、デンリュウはお手上げのセリフを言う。

「…万策尽きた感じですねぇ…」

デンリュウの物言いが、
『本当は勝てるけど戦わずに済むならそうしたい』
という風に聞こえていたため、そこで漸くアブソルは理解した。
理解した上でデンリュウを見ると、やはり納得がいかないのでアブソルは彼女に問う。


「…………デンリュウ様、どうしてそんなに余裕なんですか……」

「あらあら、いい女はいつでも余裕を忘れないものですわ」





アブソルは悟った。






(終わったな、私の人生)











つづく


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