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迷宮救助録 #14
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――過去編3【亡霊】――




僕の元に人間――ユハビィが現れてから、数ヶ月が経過していた。
彼女は人間でありながらこの世界に身を置く事を望み、僕がそれを匿う形になっている。
というのも、本来ならばこのようなことは許されないからだ。
世界の掟とでも言うのだろうか、人間がこの世界に存在している事は、基本的に許されない。
まして自分はこの世界で【賢者】として、皆の模範を示す立場にあるのなら尚更だ。

このことを知っているのは僕を除けばこの近辺に住むポケモンだけである。
彼らにはこのことを口外しないように、それはもう厳重に脅迫……ではなく口止めしておいたので安心だ。
無論僕は優秀だから、ネイティオ氏に悟られないようにユハビィの気配を誤魔化しておくのも忘れなかった。

何故ここまでするのかといえば、そこから先の理由が一番問題なのだが。


「ねぇキューちゃん、今日はモモンの実でタルトを作ってみましたよ」


満面の笑みでテーブルの上に料理を運ぶユハビィの姿は、
人間じゃない僕が言うのも何だが、とても可愛らしかった。


「…あぁ、美味しそうだね」


ユハビィが【タルト】だと言うので、恐らくタルトで有ると思われる【それ】を、
僕は冷や汗を流しつつ笑顔で応える。
皿の上に乗った【一人分の黒ずんだ何か】を押し付けられ、しかし戸惑うと同時に安堵した。
多分彼女は自分で味見などしないだろう。いくら自分で作ったものとはいえ、こんなものを食べさせるわけにはいかない。

…知ってますかみなさん?
人は、食べるものを間違えるだけで簡単に死んでしまうのですよ。

「(キュウコン様はアレをお食べになる心算なのか…?)」
「(ま、まさか…きっと妖術か何かで食べたように見せかけ…)」

「…いただきます…」

「(たっ…)」
「「(食べたッッ!?)」」

たまたま聖域の隅から僕を覗き見ていたポケモンたちのささやき声が聞こえる。
この窮地を妖術を使って切り抜ける事など簡単だが、…それでも僕はちゃんと食べた。

「…どうカナ、美味しくなかったカナ…」
「うぅん、とても美味しいよ。ありがとうユハビィ」

「(き、キュウコン様が乱心なされたッ!)」
「(あぁ…おいたましや…)」

僕の回答にユハビィはパッと明るくなって、また作るねと言って走り去っていく。
覗き見ていた者達は頭を抱え、目の前に光景に未来への希望を失ったように見えた。
……ところでそんなものを食べてよく無事でいられるなと皆が思っているようだが、
僕は今までこれを不味いと言った覚えはない。
確かに人が食べるには少しばかり【致死量】ではあるが、僕ほどになれば3日ほど腹痛を堪えるだけで済む。

…そう、それが愛の力だ。

僕は、彼女に恋をしている。
種を越えた禁断の――それも、世界の掟にすら背いているという徹底振りだ。
何故かと言えば理由はいくらでもあるが、それは敢えて語りはしない。
理由を言葉で表現する事など陳腐なのだ。

この感情が高まりつつあった日から、この【聖域】全域に僕の妖術で気配の誤魔化しを施しておいた。
ネイティオ氏は、昔は持っていなかった世界を見通す力を、今は手にしている。
このことにいつ気付かれるか解らないからこそ、バレないための工作に努力は惜しまなかった。

それから数日。
この穏やかで、僕にとって幸せな日々が永遠に続くものだと疑わなかったある日、招かれざる来訪者が現れた。




………




それはユハビィのための食料を取りに霊峰から降りていた時だった。
山を降りるその道中ずっと、何者かに尾行されていることに気付き、不意に道を外す。
すると何者かは尾行を止め、正面に回りこんでその姿を現した。

「お前はあの時の人間…」
「ケッケケ。久しぶりだなァ、もしやとは思ったが、やっぱりアンタがあン時のロコンか」
「……今更何の用だ」

道を塞ぐ様に立ちはだかったのは、あの時サーナイトと共にいた人間。
ただし、そこにサーナイトの姿はない。
僕は魚を捕るための道具をその場に置き、身を低く構える。
それを見た男は、そう怖い顔すんなよと言って両手を上に上げ、争う意思が無いことを示した。

「ウチの相棒は死んじまったのによ。どういうカラクリを使った?ケケッ」
「…サーナイトは死んだのか。…まぁいい。別に、僕がおまえに教える事など何も――」
「まぁ落ち着けって。…俺だって好きでここに来たんじゃねぇ。ケッケ」
「……?」

話せば長くなる――
そう言って奇妙な笑い方をする男は適当な岩に腰掛けると、上着のポケットから徐にモンスターボールを取り出した。
…恐らく、あのサーナイトのものだろう。
今も中にサーナイトが入っている様には感じられなかった。
死んだと言う発言には、偽りは無さそうだ。
彼はモンスターボールを掌で転がしながら語りだす。
彼とサーナイトの出会い、そしてサーナイトの野望――それを止めたいが、
その力が無いために如何する事も出来なかった自分の話を。

一通り話し終えると、男は立ち上がる。
モンスターボールをジャケットにねじ込み、真剣な表情で視線を合わせた。

「キュウコン…恥を忍んで、おまえに頼みがある…」

頼みがある――一体どんな頼みだろうか、だが、僕にはそれがロクでも無い事には思えなかった。
男はバッと頭を下げ、僕に懇願した。
その内容は、僕を驚かせるには十分だった。

「…サーナイトが甦った…いや、あいつは死んでなかったのかも知れない。
肉体が滅びても亡霊として……アイツは必ずここへ来る…自分を殺した者に復讐するために…」

「…僕にどうしろと」

解りきった事を訊く僕に、嫌な顔をすることなく彼が続ける。

「……今度こそ、アイツを止めてくれ。もうおまえらしか頼りに出来るヤツが居ないんだ…頼むッ!この通りだッ!!」
「………」

――おまえらしかいない。
要するに彼は、きっと僕のもとに現れるサーナイトを僕を含め残った天才たちで確実に倒して欲しい――そう願っているのだろう。

…出来る訳無いじゃないか。

今僕がどういう状況にあるか、こいつは知らない。
僕は世界の掟に背き、ポケモン――賢者としての誇りを捨てた、ただの天才。
一人の人間に恋した、愚かな狐。

――やるしかないのは分かっている。

しかし、ユハビィの存在を皆に知られるわけにはいかない。
ユハビィを危険に晒すわけにはいかない。
そのためには、僕一人でサーナイトとの決着をつけるしかない。
ユハビィは戦いが終わるまで地下室にでも隠れててもらえばいいだろう。

…大丈夫、出来る。
僕には妖狐としての力に加え、ルカリオから受け継いだ【波導】がある。

「負けやしない。あの時より僕はずっと強い。ここで終わりにしてみせる」
「…すまねぇ…ッ」

いかにもプライドの高そうなこの男の事だ、こうして頭を下げるなど考えられなかっただろう。
男は顔を上げながら、しかし僕と目を合わせないよう直ぐに振り返り、そのまま歩き出した。
その後姿には、悲愴感すら感じた。

これで、もう後には引けない――いや、こんな約束など、初めから意味は無い。
サーナイトが生きているなら、ここに来るのは時間の問題だ。
遅かれ早かれ、それは動かない事実――あの男がそれを教えてくれた事に、意味がある。

強いて挙げるなら、これであの男と僕の間に、共同戦線を張る理由が出来たということくらいだが、
ハッキリ言ってあのサーナイトと戦う上で人間の助力など無意味だった。
やるしかない、勝つしかない、負けられない――しかしそれを表情に出さないように、
そう努力する義務が僕にはある。
ユハビィを不安にさせてはいけない。
サーナイトとの事はあくまで事故として処理するのが、得策だ。
絶対に、この平穏を崩させはしない。

この世界を選んでくれたユハビィのためにも、必ず――





………




それから何日が過ぎただろうか。



いつもと変わらない日々を繰り返してはいたが、内心ずっと穏やかではない僕をユハビィは察していたのだろう。
ある朝とうとう、僕はユハビィに問い詰められていた。
隠し通せると思っていたが、年頃の女のカンが冴えるのは人間もポケモンも同じらしい。

…ただ、一つ願えるのなら、その右手に持っている包丁を、台所に戻してもらえると嬉しかった。

凶器にビクビクしながら僕がシラを切り続けると、ユハビィは諦めたのか包丁を下ろして僕に背を向ける。
その震える小さな肩を見て、こんな子供に包丁まで持ち出させるほどの覚悟をさせてしまったのかと、
僕は一瞬自己嫌悪に陥った。

「……言いたくないなら言わなくてもいいよ」
「すまない」

とりあえず謝る。
謝ってどうこうなる問題ではないが、何か言わないと僕自身が耐えられない。
何か言わなければと、適当に口に出したのが、たまたま謝罪だっただけだ。

その言葉に、ユハビィがぐるりと振り返る。
その瞬間僕の眼前数センチの所に、包丁の先端らしきものが突きつけられ、ゾッとした。

「約束して!」
「……は?」
「何があっても、一緒に居て!」

何があっても――それは流石に無理かもしれない、いろいろ事情とかもあるし。
…なんて馬鹿な事を考えていたら返答の間を逃したらしく、再び包丁が僕の鼻先をかすめた。
危ない、と言うか、何かが床にポタリと落ちた。

血だ。

今、下手にこの子を刺激してはいけない、殺られる。
慌てて、分かった約束する!と叫んで、漸く包丁の先端は地面を向いた。
だが、まだ終わってはいない。
あの包丁を台所に戻すまで、主導権は――もとい全ての権利は、僕の許へは帰って来ない。
心臓が激しく脈打ち、僕の僅かに残された冷静さを、根こそぎ奪っていくのが分かった。
そんな僕の表情を見ているのかいないのか、焦点の定まらない目で僕の方を見ているユハビィが、
さらに注文を加える。

「…毎日起こしてくれなきゃイヤ」

僕は戸惑ったが、返答を遅らせる事は彼女を傷付けてしまう。
――いや、違うな。
傷付くのは、僕のほうだ。それも、次は致命傷だと思う。

「…わかった」
「美味しい魚料理を食べさせてくれなきゃイヤ」

ユハビィの注文を受諾する僕の返答をかき消すように、次の注文が突き出された。
…包丁も一緒に。

「…わ、わかったから、その包」
「色んな伝説の話を聞かせてくれなきゃイヤ!」

その包丁を降ろしてください、と言う僕の懇願は、言葉として意味を成すことすら許されなかった。
そうだ、今の僕には、古今東西全ての権利が無い。

…ただ、ユハビィの表情は最初とは随分違っていることに気付く余裕だけは、あった。
辛いんだ、彼女は。
また一人になってしまうことに、これ以上無いほどの恐怖を感じている。

帰る場所を、無いと断言した時の、あの表情の意味を、今更だが少しだけ分かった。
そこにどんな理由があるのかは、相変わらず分からないが。

「ねぇ……だから、どこにも行かないでよ…」
「…あぁ…」


(それだけは、無理なんだ。僕はいずれ、君の許を去る……今でなくとも、いつか必ず…)


「キュウコン…約束してくれる?」
「あぁ、約束するよ…だから――」
「約束してくれるんだったら……」

――そんな顔をしないで。

口に出さなくても、互いに言いたいことは同じだった。
そんな顔されると、こっちまで不安になってくる。
――そう言われてしまう様な顔を自分もしているんだろう。
だから見せる顔が無いなと理解して慌てて顔を背けるのも、また同時。

「…言わなくても知ってる。黙ってたけどワタシ、本当はあの人との話、聞いてたんですから」
「…立ち聞きとは、あまり良い趣味じゃないな」
「はぐらかすのが上手いですね」
「同じセリフを昔、友人に言われた覚えがあるよ」
「……そうやってどんどん話をすり替えていく気ですか」
「本筋に戻したいのかい?」
「……バカ」
「それはどうも。最高の褒め言葉だ」

解ってるくせに、という心の声が聞こえた気がしたので、僕はそれ以上の言及を避けた。
いつも思っていたが、彼女はどうも【一人になること】に対して特別な感情を抱いているように見える。
僕が魚を獲りに行くときですら、毎日こっそりついて来ている。

向こうの世界の事情と何か関係があるのかも知れないが、それは僕から聞くことではない。

本当のユハビィは、弱いと見せかけてちゃんと強い事を僕は知っている。
だからその時まで待てばいい。
いずれ必ず話してくれる、僕はそう信じていた。

「ユハビィ」
「?」
「僕の命の恩人である人が口癖のように言っていた言葉があるんだ」
「…何ですか?」

「【大丈夫だよ】……この言葉を聞くと僕は凄く安心するんだよ」

「…大丈夫……いい言葉ですね」

彼女は一歩、二歩と後退すると、そう呟いてソファに腰掛けた。
包丁はいつの間にか、テーブルの上に投げ出されている。
彼女は少し一人にしておいて欲しいように見えたし、
僕としては包丁を片付けておきたかったので、
さりげなく凶器を回収すると直ぐに、紅茶を入れに行くフリをしてその場を後にした。


僕は少しでも、彼女の心の曇りを払う事が出来たのだろうか?


それを考え始めると今夜はどうも眠れそうに無かった。
無心になって朝が来るのを待ったが、
その時の姿勢が悪かったらしく、翌日僕はユハビィに大笑いされる事になる。

些細な事でもこんなにはしゃいで――それはまるで、この平穏が近いうちに脅かされる事を想っての行動に見えて…



僕はやはり、内心穏やかでは居られなかった。







つづく


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