ワタシは走った。

氷った木の枝が身体を傷付けるのを厭わず。
走って走って、ただ只管逃げた。
追っ手からも、野性ポケモンからも。

そして【樹氷の森】を抜けると同時に、疲労が限界を迎えたらしい。
必死で足を動かそうとするが、次の瞬間にはその場に倒れこんでいた。
全身ボロボロで、もうこれ以上は動けそうに無い。

何とか首だけ動かし振り返ると、傷だらけのアーティも倒れていた。
ワタシはその身体に巻きつけたツルを、アーティを起こさないように巻き取った。

(流石にアーティを背負いながら走り続けるのは無理があったか)

――そう苦笑しつつ、仰向けになることすら一苦労という現状にまた苦笑し、
ワタシは星空を眺める。


――運が良かったと言えるのだろうか。


ワタシは、この旅に一抹の不安を感じていた。
まるで何者かの意思が働いていて、ワタシを導いているような…


――フーディンは強かった。
恐らく、あれ以上戦いを続けていたらワタシは【何か】に縋っていただろう。
想像を絶する【FLB】の猛攻を、ワタシとアーティは何とか凌ぐのが精一杯だった。

(そう、思っていた…)

違う。
弄られていただけなのだ。
今ならハッキリわかる。

ワタシの中の【狂気】を引きずり出すために、時間をかけて戦っていただけだったのだ――





ゲンガーが現れたのは、ワタシがアーティを守るために【狂気】に飲まれるか飲まれないかのところ。
またしても――いや、【トップアイドル】が来たときのようなタイミングではない。
本当にもう、【何か】に縋ろうとした直前を測ったように。



――邪魔されるわけにはいかねーんだよ、ケケケ…こいつらも、それにおまえらにもまだ死なれちゃ困るんだ――



ゲンガーの、その言葉が意味するところは、まだ解らない。
その言葉の直後に、ゲンガーの超能力でワタシとアーティは【樹氷の森】の奥地まで飛ばされたから、彼と【FLB】のその後の事もわからない。



だから思う。
都合が良すぎる――と。

本当にこのまま進んで良いのだろうか?
このまま進んだら、取り返しのつかない事になるのではないだろうか?









――どの道進むしかないのに









星空を眺め、悲鳴を上げる全身の筋肉を休めながら――ワタシはそんなことを考えていた。















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迷宮救助録 #11
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「う〜ん…困りましたねぇ…」
「デンリュウさま、困ってないで早くご決断を…」

救助連盟本部の建物の最上階の例の部屋で、デンリュウは頭を悩ませていた。
その後ろに控え、決断を催促しているのは、わざわいポケモンの【アブソル】だ。
デンリュウの直属の部下たる彼は、普段は世界中を駆け巡り情報を集めている。
そんな彼が今回収集してきたのは、霊峰の聖域に住まう音信不通の賢者、【キュウコン】のこと。


――【氷雪の霊峰】の奥地でアブソルが見たのは、衝撃の光景だった。
賢者の住まう聖域のイメージは影も形も無く、まるで爆薬か何かが爆発したような、荒れ果てた焦土がそこに存在していた。
辺りを彩っていた水晶も粉々になっており、ここで発生した出来事の凄まじさを物語っている。


キュウコンは居なかった。


キュウコンだけではない。
生き物と呼べる気配そのものが、そこには無かったのだ。
深い、深い霧のような――吐き気のする嫌な空気が充満しているだけだった。


「…キュウコンちゃん…あの子はいつも、自分ひとりで解決しようとしてしまう…」


デンリュウが机の上に目をやる、そこには昔の写真がある。
今より少し若いネイティオとデンリュウ、そしてまだ進化する前の【ロコン】だった【キュウコン】が写っていた。

…そして、デンリュウに寄り添うように立つ、見知らぬポケモンの姿――
















――過去編1【4人の天才】――







今は昔、と言ってもほんの十数年前のことになるが。
近年のように自然災害が多発する事も無く、故に救助隊などという組織が存在していなかった頃のことだ。


――緑溢れる森の中を進む、若かりし頃の【ネイティオ】の姿がそこにあった。


もともとエスパータイプは頭脳明晰なものが多いが、ネイティオは群を抜いていた。
原因は、彼が滅多に飛ばないからかも知れない。
サルがヒトに進化する過程には、樹上生活を捨て、二足歩行を始めた事が一つの要因としても知られているくらいだ。
因みに彼がわざわざ地上を歩くのは、地上のものを観察するかららしい。
おまけに彼は周囲の信頼も厚く、あちこちを旅しては町や集落で青空教室を開いていたり――思えば今となって賢者と崇められるのは、こういった行動に起因しているのかも知れない。


――そして、ネイティオの隣には一匹の【モココ】の姿も見える。


このモココ――後の救助隊総本部長【デンリュウ】――は、以前とある村に訪れたネイティオにその才を認められ、共に旅をする事になった仲だ。
デンリュウに進化したのは旅の最中のことであるが、その時のエピソードは割愛する。

ネイティオは隣に立つデンリュウを対等だと思っていたし、それは彼女も理解していた。
そして世界を股に駆ける二人の天才は、いつしか世界中の注目の的となっていくのだった。



未知を求める二人の旅が始まってから、数年が経った頃だろうか。
いつもの通り、デンリュウが森の中で夕食の準備をするべく、木の枝を集めて火をおこす。
周囲の木に燃え移らないように、細心の注意を払いながら、石で竈を作り炎を育てていく。
そこへ、超能力は使わず釣りで魚を獲りに行ったネイティオが、1匹の【ロコン】を連れて帰って来た。
驚いたデンリュウが訊ねると、彼は森で倒れていたのだと言う。
命に別状は無さそうだが、深手を負っていたので手当てをするために連れて帰って来たらしい。

ネイティオがカバンを取ってくれと言うので、デンリュウが立ち上がった時だった。


「…そのロコンをどうするつもりですか?」


炎を起こし、その前にロコンを寝かせ、夕食の準備ついでに手当てをしようとした所為だろう。
突然現れたそのポケモンは、やや怒りを含ませた口調でネイティオたちに詰め寄った。


――後に、伝説の救助隊を率いた伝説のリーダーと謳われる、【ルカリオ】だ。


見た目がこうだからとは言え、ロコンを食べるのではと誤解されたときは、流石のデンリュウも傷ついた。

事情を説明し、共に夕食をとる事になった彼らが打ち解け、親友と呼べるに至るまで時間はかからなかった。
というのも、この【ルカリオ】もまた史上稀に見る天才で、故に他者との繋がりを拒み一人放浪の旅を続けていたのだ。
その知と高みを求め続ける飽くなき探究心、繋がりは嫌っても決して他人を見捨てない優しさ…
この時デンリュウは、そしてネイティオも、この【ルカリオ】という青年に尊敬の念を抱かざるを得なかった。
…デンリュウが感じていたのは、【尊敬】だけではなかったが。


そして、最後の天才は直ぐ側から現れた。
目を覚ましたロコンは、まだネイティオの10分の1も生きていないにも関わらず、天才の片鱗を見せ――いや、紛れも無い「天才」だった。
その天才がどうして森の中で死に掛けていたかといえば、ネイティオたちにも負けない探究心のおかげでウッカリ【スピアー】の大群に襲われたという馬鹿みたいな理由なのだが。
ロコンは新しい発見や理論を恐るべき速さで吸収し、あるいはそれらを覆すような理論を次々と提唱しては皆を驚かせた。


…時は流れ、4人の旅の終わりが近づいていた。
その事にはいくら天才4人とは言え気付いては居なかったが。


事の発端は、ネイティオの故郷である町に一行が訪れたことだ。
町は炎に包まれ、――住民たちは逃げたのか死んだのか、その姿を見ることは出来なかった。
燃え盛る町を背に、二つの影が一行の前に立ちはだかる。


片方は――人間だった。


本来この世界に干渉不能なはずの存在が、どのようにしてかこの領域へと踏み込んでいた事に、彼らは驚いた。
同時に、無残な姿になった故郷を見て、ネイティオは逆上した。
普段は温厚で――いや、今まで彼が怒る姿など見た事が無い。

暴走するネイティオを止めるのは残された3人では不可能に近く、せめてもと彼を支援する。
物理攻撃――特殊攻撃――暴走している所為か、ネイティオの繰り出す技は本来の原型から離れた代物だったが、それは怖ろしい威力だった。
支援しながら、3人は巻き込まれないようにする事にも神経を使わざるを得ないほどに。


しかし、無力だった。


人間を守るように立つポケモン――サーナイトは、いつでも反撃に転じる事ができるにも関わらず、まるでネイティオが消耗するのを待っているかのようにひたすら攻撃を防ぎ続けた。
やがてネイティオの消耗が目に見え始めた頃――サーナイトが反撃に転じるか転じないかの刹那――、ルカリオは機を見てネイティオを取り押さえた。
その行為にはサーナイトも虚を突かれたようだったが、すぐにこれから先の展開に期待して口元をニヤつかせる。


「はなせ!止めるな!邪魔をするなッ!!」
「落ち着いてくださいネイティオ、貴方らしくない!…貴方は争いには向いてはいない。ここは私に」
「ルカリオ!僕も――」
「ロコン、君はここを頼む。デンリュウもだ。…出来るだけ私から離れていろ」
「ちょっと、ルカ!」


「――大丈夫だよ、デンリュウ。何も心配することはない」


デンリュウの言葉を最後まで聞かずに、ルカリオ一言だけ大丈夫と言って、サーナイトの前に出て行った。
サーナイトは次はお前かと言ったような表情でルカリオを睨みつけ――そのトレーナーらしい人間は複雑な顔をしていた。

青いオーラ――ルカリオはそれを【波導】と呼んでいた――を身に纏い戦うルカリオと、紅いオーラを纏い戦うサーナイト。
両者の激突は、まるで超古代に起きたとされる伝説の【グラードン】と【カイオーガ】の戦いを顕現しているようだった。
地形は変わり、大気は捻れ、再びこの世界そのものが変わってしまうのではとも思った。

形勢はルカリオ優勢、このままいけば勝てるというところまで来る頃には、既に数時間が経過していた。
長すぎる戦いの中、一瞬たりとも気が抜けないストレスでデンリュウとロコンも疲弊している。
ただ、同じ状況にありながらサーナイトのトレーナーはまったく動じている様子は無かった。
まるでこのままサーナイトが負けても問題ないと言わんばかりに。

一瞬たりとも気が抜けない――
それはただの形容ではなく、事実である。
気を抜けばどういうことになるか、あのサーナイトがどういう行動に出るかなんて、天才たちは知っていたから。

――知っていたはずなのに。

戦いの重圧は精神的に、肉体的に苦痛を与え、まだ若いロコンは――折れた。
そしてサーナイトはその場の誰よりも早くそれに気付く。
ルカリオの攻撃を振り切り、赤いオーラを迸らせながら、――群れから離れた草食獣の子供を狩るように!

―――ズガァッ!!

「つあッ」
「はァー、はァー…くくく…動くなよルカリオぉ…」
「ぐっ、このっ、離せこのやろう…うがぁッッ」

サーナイトは、その細い首が折れるんじゃ無いかと思うほどの力で、ロコンを押さえつけた。

「貴様…この卑怯者め」
「何とでも言え…私はこの世界を支配し、王として君臨するのだ…邪魔はさせん!」

サーナイトの目的は至極単純だった。
心が多少歪んでいるものならば、誰もが一度は真剣に思い描くであろう

――何もかもが自分の思い通りになる世界。

天才としてありとあらゆる物事を考えてきた彼らは、それゆえにサーナイトの思想を馬鹿げているとは思わなかった。
善か悪かで言えば、それが悪であると淡々と理解しているだけだ。
ロコンを人質にとり、強気になって語りだすサーナイトを、ルカリオたちはただ指を咥えて見ているしかなかった。

ロコンは考えた。
今、どうしてルカリオが動けずに居るのか。
誰でもわかる事だ。だが、普通は表面的な理由しか考えない。
多分、ここで僕に構うなと叫んだ所でルカリオは動かないだろう。
ルカリオとはそういう者だ。

――ならば、やるべき事は一つ。




「おまえの…負けだ…サ…ナイ…ト…ッ」

「…ふん、強がるなよ、長生きしたいならなァ」

「…後悔しろ…僕を…殺し…おかなかった事…」

「あ?何を言って――――」

「そして…どの道おまえには…っぐ…敗北しか…無かった…を、理解…できな…った…自分の…頭脳にもな」

「……―――貴様…………」


ロコンの言葉は、喉が潰れている所為かサーナイトには殆ど聞き取れない。
おかげで、サーナイトがそれに気付くまでの時間を遅らせる事が出来たと言えば、運が良かったと言えるかもしれない。

見下すように視線だけを向けていたサーナイトが、突然ロコンを突き放し全身で凝視する。
いや、突き放せてはいない。
ロコンはサーナイトの腕に噛み付き――その身体と同じように、マグマの如く真っ赤に染まった眼でサーナイトを睨み付けた。


「…まさか……―――莫迦なッ!やッやめ―――」


サーナイトがやめろと叫ぶ、ロコンの体が炎に包まれる――同時だった。
【火炎放射】などの炎タイプの技を使うために存在している体の中の【炎袋】を爆発させるために集めた熱が、体の中で限界を超え噴出したのだ。

捨て身の――【メルトダウン】。

この至近距離であれば、自分は死ぬだろうがサーナイトにも致命的なダメージを与える事が出来る。
上手くいけば、このまま倒す事だって可能だ。







(倒せなくても――この腕は貰って逝くぞッ!サーナイトッ!!)









「ゥォオアアアアアアアああああああッ!!」










――――――ッ!!












………

………………






煙が晴れると、そこには両腕を失ったサーナイトが鬼のような形相で立っていた。
そして瀕死の状態のロコンが、少し離れたところに倒れている。

――天才ゆえに、何よりも論理的に、【機械的】に物事を測れるからこそ――

自分の所為で勝てないならば、自らの命を絶つことくらいロコンには造作も無い事。
残された者達の気持ちを汲む事などどうでもいい――事件は解決しなければ意味が無いのだ。

それが、彼の思想。

進化する前から変わらない。
後に【キュウコン】として賢者と呼ばれるようになってからも、彼は不器用ゆえに自分ひとりで問題を抱える事になる。



「…つぉ、の、おのれ…許さん…許さ…ぞ……かな…ず…うぐゥッ」
「…行くぞ。サーナイト」
「っ、はァッ……必ずこの借り…返してやる…覚えてろ…ッ!」


大量の血と捨て台詞を吐き、トレーナーの肩を借りて去っていくサーナイト。
あの身体では、借りを返すどころかもう何も出来ないだろうと、その時は天才たちは考えていた。
今は、瀕死のロコンを助ける事が先決だ。

――いくら天才でも無理なものは無理だが。

ロコンの身体は生命活動が続いている事自体信じられない状態で、何も出来ないネイティオやデンリュウに悔し涙を流させるだけだった。
ただ一人、淡々とロコンを見つめるルカリオを除いて。
一つ、二つと、目に見える呼吸は数を追うごとに小さくなっていく――
そんなロコンを見つめる彼の目は強い光を帯び、何かを決意しているように見えた。


「デンリュウ、ネイティオ。私は、君たちに出会えた事を誇りに思う。そしてそれ以上に誇りに思えるのは、私に他者を救うための力があるという事だ」


不意に口にされたその言葉の意図を、二人が理解するのに時間はかからない。
自分の命を賭して、ロコンを救う。
ルカリオの目は、ただ一点――傷ついたロコンだけを見ていたし、…そういうやつだからだ。

しかしデンリュウはそれを許さない。
ロコンに伸ばした腕を捕まれ、ルカリオは動きを止める。

「………」

デンリュウは何も言わなかったが、何を言いたいかはルカリオにしっかりと伝わっていた。
腕を捕まえるデンリュウの手を解き、頭をそっと撫でてルカリオは言う。

「…デンリュウ、私はいつか言ったね。いつの日か、ポケモン救助隊を設立し、世界中のポケモンを幸せにするって。…君はそれに協力するって言ったくれたけど…ごめん。その約束は守れそうに無い」

「うぁ……ああああああああああッ、ルカ…行かないでっ、私は…うっく…」

泣きじゃくるデンリュウ頭から手を離し、ルカリオはネイティオの方を見る。
彼は、もう別れの覚悟が出来ているようだった。


「ルカリオ…おまえの意思は、必ず受け継がれるだろう…いや、受け継がせてみせる」
「ネイティオは約束を破った事が無いね。…期待しているよ」


デンリュウから離れ、ロコンの前に膝をつくルカリオから、青いオーラ――【波導】があふれ出した。
【波導】はロコンを包み込み、傷を癒していく。そして同時に、ルカリオの体が少しずつ消えていくのがわかった。
それを見たデンリュウが漸く覚悟を決めたのか、両腕で涙を拭い叫んだ。


「ルカ!私…貴方の代わりに救助隊を創る!だから…」


一瞬喉を詰まらせるが、デンリュウは続ける。


「貴方が理想とした誰もが平和に暮らせる世界を、創ってみせる…だから!」


だから


その先に何が言いたかったのかはデンリュウにしか解らないが、もしかしたらルカリオには解っていたのかもしれない。


「………」


――ルカリオは笑顔で頷き、光の中へ消えていった。
デンリュウとネイティオに最後の言葉を残して。






『…私はいつでも見守っている。我が波導は――








「…波導は」




「……我らと共に在り…」




















後に設立された【ポケモン救助隊】の最高ランクにはルカリオの名前が使われている。
それは、一部の天才たちのみが知っている真実を

――この世界を誰よりも愛した男のことを――

決して忘れないために、ネイティオとデンリュウとロコンが3人で決めた事だ。



そして今でもルカリオは伝説の救助隊として、救助隊の鏡として、多くのポケモンたちの心に生きている。







つづく


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