第十章 ◇◇◇ そして雑巾は雑巾以上へ……



「ふ、ふふふ……。何の騒ぎか知らないが、このスイクンハンター改め、伝説のポケモンハンターミナキ様が、ふっ、この混乱に乗じて……ほっ! ホウオウを間近で見るチャンスを……とぇりぁ! 逃すわけがナッシングッ! ではないか!!」

 ジョウトを股にかけてスイクンを追っていたポケモンストーカーのミナキは、シロガネ山を不正規なルートから登頂していた。勿論狙いは、カイリューとの戦いで吹っ飛ばされたホウオウの見物である。ここまで来ると、その野次馬根性には感服せざるを得ない。

「やや! MINAKIレーダーが反応しているぞ!?」

 ミナキの奇妙な前髪がピコーンと謎の擬音を発して飛び上がる。
 MINAKIレーダーとは、近くの伝説のポケモンを感知するアンテナらしい。主にその前髪部分がそれである。ある意味誰もが羨む才能なのだが、ミナキは少々道を踏み外していると言わずにはいられない。

「近い、近いぞ、この感じはホウオウで間違いない! うっひょほーいッ!」

 ミナキは岩壁を滑るように登っていく。常人には考えられない行為だが、彼が変態というジャンルに属していることを考えればその程度のこと、さほど驚くに値するものでもない。

「ホウオウッ、たーーーん! 君のアイドル、ミナキ様が会いに…………、」

 この大きな岩の向こう側に、愛してやまないホウオウがいる。ミナキは高鳴る鼓動も抑えずに、満面の笑みで飛び出した。……すると、無言の冷たい視線が二つ、ミナキに突き刺さった。

「来まし……た……よ? よよよ……?」
「……………………。」

 赤い帽子。機械的な視線。……この雪山にあって、何故か半そでの少年。
 ミナキとは180度異なる意味で普通じゃないトレーナーが、今まさにホウオウを屈服させている場面が、そこに広がっていた……。

「…………ふ。どうやら先客がいたようですね。――しかし! だからといって簡単に諦めては伝説のポケモンハンターの名折れというもの! いざホウオウよ! その羽毛の肌触り、とくとこの私に味わわせるが良い!!」

 バッ――と両手を広げてホウオウにダイブするミナキ。
 ……その横っ腹に、黄色い小さな生き物が高圧電流を纏って突撃するのを、ホウオウは辛うじて目で追った。

「ふぐおばぶッ!!」

 ミナキは空中で錐揉み回転しながら、軽く十数メートルはすっ飛んでいく。
 黄色い小さな生き物は、ピカチュウだった。でも、それはホウオウが知るピカチュウの常識からは、大きく逸脱したピカチュウだった。もはや、ただピカチュウと呼ぶには余りあるそれを、ホウオウは心の中で「黄色い悪魔」と称し、讃えた。

「ぐ……ぶふぅ……げばぶっ……おぼえぇぇぇ……。な、何故だ、何故邪魔をするのかね……。」

 口から色んなモノを撒き散らし、ミナキが必死に訴えるが、赤い帽子の少年はやたら冷たい目線を、敢えて逸らした。

「なっ、何故目を逸らすのです! ちゃんとこっちを見なさい!」
「……………………。」
「な、なんですって、面倒くさいですって……!? 事もあろうにこのミナキ様を、面倒くさい存在だと言いやがったのですか……!?」
「……………………。」
「くぉおおおおおおおおぉっ……!! こ、こんな屈辱、生まれて初めてだッ……、パパン、ママン、私が生まれて初めて本気で怒りを他人にぶつける事をお許し下さいっ!!」

 一人でジタバタと暴れるミナキ。
 ホウオウは彼を、どうしてアレで会話が成立するのだろうと思いながら、怪訝な目で見ていたのだった。
 そうこうする間にも、会話は進行する。
 断っておくが、さっきから赤い帽子の少年は何かしらの身振りこそしているが、一言も言葉は発していない。

「……え? だったらポケモンバトルで決着を?」
「……………………。」
「この寒い中特訓してるのに、誰も挑戦しに来てくれないから暇で死にそう?」
「……………………。」
「誰でもいいから、軽く捻り潰したいと?」
「……………………。」
「ふ……ふっふっふ……! 言いましたね……、良いでしょう、戦いまショウッ! 後で吠え面かくことになっても知りませんよ、何故ならこの私、かつてはスイクンハンターとして名を馳せていた程のトレーナー……、」
「……………………。」
「え? 知らない? 嘘、そんな馬鹿な……、」
「……………………。」
「…………え? な、何ですその逞し過ぎるリザードンは……、」
「……………………。」
「ちょ……、ま、待ちましょう、ちょっと待ちましょう、話し合いましょう、話せばきっと解り合えます! ね! ね!?」
「……………………。」

 赤い帽子の少年が盛大に溜息を漏らす。真っ白な息が風に靡いて流れていった。

「そ、そうだ、私が長年撮り続けて来たスイクンの写真コレクション、これで手を打ちましょう!」
「…………“かえんほうしゃ”。」

 やっと発した、ただの一言。
 それがミナキが聞いた、最初で最後の少年の声だった。
 ……その後、ジョウトでミナキを見た者は居ない……。







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 コガネシティにある大きな病院の屋上には、そこが病院である事を疑わせない真っ白なシーツが何枚も干されていた。
 その無数の布切れの間を掻い潜ると、一人の男が手摺りに両腕を乗せて、ボンヤリと空を眺めている。この屋上に広がる白と対比するような青空が、そこには広がっていた。

「ローブの男。結局釈放されたらしいな。」
「表向きはそうなってるのか。」
「良かったじゃないか。結局、何事も無く済んだんだからよ。」
「……………………。」

 何事も無くはない。仕方が無かったとはいえ、二人も傷つけた。それで胸が痛み、何も言葉を返す気にはなれなかった。

「……解ってるよ。でも、だからお前は此処に来たんだろ。わざわざ見舞いに。」
「そうせずにはいられなかった。俺の弱さだ。」
「人間、そんなもんだ。それに……俺も殆ど、同罪だしな。」
「マツバ……。」

 マツバ――と呼ばれたオレンジの髪の男が、隣に並ぶ。ただ彼は手摺りに背中を預けたから、ちょうど入れ違うような格好だった。見据えている先は、正反対なのか。でも、やっぱり見上げていたのは、同じ空だった。

「お前の行く先が見てみたくて、道を譲った俺にも責任がある。俺の弱さだ。」
「…………感謝している。」
「ま、どの道本気で止めようったって、俺じゃお前を止められなかっただろうしな。結果的には同じ事だったな。」
「……………………。」
「弱いな、俺たちは。」
「ジムリーダー、失格だな……。」
「それは違う。」

 マツバはキッパリと言う。

「己の弱さを知ること。それが、本当の強さへの第一歩だ。」
「………………。」
「…………昔、誰かがそんな事を言っていた。」

 そう付け加えて、マツバはおどけたように笑った。
 ……それさえ無ければ、よいセリフだったのに。しかし、不思議と心が晴れるような気がするのだった。

「…………俺はまだ、父さんの足元にも及んでいなかったわけか。」
「今、やっと少し追いついたところだろう。」
「…………これからだ。これから、もっと強くなる。ジムリーダーとして。……トレーナーとして。ジョウト最速の、鳥使いに――」

 遥かな高みを見据えて、そう語る親友の横顔を、マツバは満足げに見ていた。
 もう、きっと大丈夫だろう。
 一度や二度の過ちなら、誰にだってあることだ。
 大事なのは、それを繰り返さないこと。己の弱さを知り、それを乗り越えて行くこと。
 もはや彼に限って、このような間違いを繰り返したりなんて絶対にない。
 良くも悪くも、あのホウオウに一時とはいえ認められ、ヤナギのフリーザーをも篭絡してみせた程のトレーナーなのだから。

「俺も、負けてられないな。」

 マツバはそう言い残して、屋上を後にするのだった。
 互いに背を向け合い、これからは再び、ライバルだ。

「……あ。ところで――。」
「……どうした?」
「タンバとキキョウのジムを壊したのってお前じゃなかったんだよな?」
「? ああ。それだけは違う。何でも、雑巾臭いマリルを連れた女がどうとか、うちのジム生が話してたな。今、巡査はそっち方面で捜査を続けているらしい。」
「雑巾臭い……ねぇ。ちゃんと洗ってんのか?」
「俺が知るか。何か情報があったら、ヒワダの交番にでも連絡してやってくれ。」
「あぁ、解った。」





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『あ、もしもしヒビキ!? あのね、さっきマリルの方をジッと見ていたら、雑巾以上の何かを感じたの! やっぱり私のマリルはそこらの雑巾とは格が違うってコトね! それじゃあまた電話するね!!』
「え? あの、ちょ……! ぞっ、雑巾以上の何かって何!? それって凄いの!? ねぇ、もしもし! もしもーしっ!?」

 不意にヒビキのポケギアを鳴らしたのは、定時連絡のようなコトネからの電話だった。
 もうかれこれ、3日ほど続いている。よほど暇なのだろうか。それにしては、今日はやけに焦った喋り方であったのが気掛かりだが……。

「……マリル。洗えばいいのに……。」

 まぁ、そんな事をイチイチ気にしてもいられない。
 ヒビキはこれから、ジョウトリーグを制覇すべくセキエイ高原へと行かなければならないからだ。
 やっと雑巾の匂いが消えたお気に入りの黒い帽子をキュッとかぶり直す。
 チャンピオンロードと呼ばれる、短くない道のりの第一歩を踏み締め、呼吸を整え――その目に迷いはない。

「さて……行くか。」

 彼が、赤い帽子のトレーナーと見えるのは、まだまだ先のお話……。
 一方、コトネは……。

「うッ――確かに雑巾臭ェーッ、牛乳みたいな匂いがプンプンしやがるぜ!! あの女で間違いない! タンバジムの襲撃犯はアイツだ!! 絶対に逃がすなぁあああああっ!!」
「だからアレは事故みたいなものでっ……なんで! なんで私がこんな目に遭わなきゃいけないのーーーーーっ!!」

 サブ主人公が何時までも本編に絡んでこなかった裏には、警察との熱い戦いがあったからとかどうとか……。









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オマケ





親愛なるルギアへ

 例の赤い帽子のトレーナー、見つけました。
 色々ありましたが、彼のところで頑張ってみようと思います。

 ……追伸。
 シロガネ山で採れた天然水を送ります。



 手紙にはそんな一文と、何だか強そうなポケモンに囲まれたホウオウの姿が映った写真が添えられていた。
 ルギアは、ダンボールいっぱいに詰まったペットボトルの一本を取り出し、封を切って一口飲む。最高峰の山で採れた最高峰の水は、素晴らしい喉越しで彼の五臓六腑に染み渡るのだった。

「…………天然水うめぇ!」








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