第五章 ◇◇◇ 猛攻、襲撃、UNKNOWN

 チョウジタウンの上空を美しい鳥が滑空していた。
 それはチョウジのジムリーダー、ヤナギの持つ最強のポケモン、フリーザーの雄姿。
 ただ、呑気な空中散歩とは明らかに様子が違う。
 蒼く、白く、太陽の光の反射で煌く尾を靡かせるフリーザーの後を、ピッタリと追う黒い影があった。それは、コガネシティジムでハヤトが目撃したあの謎のポケモンの姿と一致する。

「――防戦一方だな! カントーの伝説の霊鳥もその程度か!」
「……………………。」

 黒い影が翼を広げて挑発する。
 しかしフリーザーは表情を崩さない。空中戦には自信があったし、後方に迫る敵は確かに強いが、理解出来ないような強さでは決して無かったからでもあった。
 伝説のポケモンとして生きてきたフリーザーにとり、その黒い影の強さは数ある伝説のポケモンたちの中の一匹に過ぎなかった。つまるところ“同格”でこそあれ、“格上”などでは決してなかった。
 フリーザーは空中を旋回しながら溜息を漏らす。それから、ポツリと呆れたような言葉を放った。

「……ヤナギ様は普段、私をバトルには使って下さらないのですよ。」
「…………何?」
「いかにあなたが愚かでも、すぐにその理由を知るでしょう。」
「…………言ったな? ガッカリさせてくれるなよッ!」

 翼の角度を僅かに変える。フリーザーの身体は揚力に煽られ遥か上空へと舞い上がる。黒い影がすかさずその後を追うが、その瞬間に影はフリーザーの狙いに気付いた。

「……太陽と重なって……目晦ましの心算かッ!」
「流石のあなたも、太陽を直視する事は難しいようですね。」
「賢しい真似を……だが視覚に頼らずともお前を追うことなど容易いわッ!!」

 影は目を閉じる。意識を研ぎ澄ませてフリーザーの位置を、僅かな空気の流れ、匂い、独特の冷気、あらゆる視覚以外の情報によって限りなく正確に認識する。
 そして影は、視覚に頼らずともフリーザーを追跡できる事を実践で証明した。
 ピッタリと影のように張り付いて、それは太陽と重なって逃亡するフリーザーから僅かにも距離を開かせない。
 恐ろしいまでの索敵能力だった。もし今日が曇っていて、あちこちに身を隠せる暗雲が浮かんでいたとしても、きっとこの影を振り切る事は出来なかったかも知れない。
 フリーザーはそんな事を思いながら、しかし全く脅威を感じていない平淡な口調で返す。

「戦いの最中に目を閉じるとは何事か。」

 影は、確かにフリーザーを追っていた。
 もう少し加速すれば、美しく靡く尾を切り裂けるというところまで迫っていた。
 ……でも、本当はそこに尾があるかどうかなんて解らなかった。
 確かにフリーザーは目の前にいるが、それが今どういう向きで飛行しているかまでは、目を閉じていた影には理解できるはずがなかった。
 フリーザーは影に対し、正面を向いていた。……いや、違う、影に追跡されている途中で力任せに反転し、影に向かって真っ直ぐ、正面衝突する形で突っ込んできていたのだ。
 影が自分の失敗に気付き、「何!?」という微かな叫びと共に目を見開いた時にはもう遅い。
 フリーザーのゴッドバードが影の胴体に突き刺さり、影を、地上へと押し戻す。
 影は地面から浮いてはならないのだ。だから在るべき場所へ帰れと、まるでそう叫ぶかのような衝撃波が唸りを上げる。
 ゴッドバードは普通、飛行タイプの技だ。しかし、それはあくまでもゴッドバードの基本が翼を持つ鳥ポケモンにしか行えない動作であるところに由来している。
 フリーザーのように別のタイプを持っているのなら、そのゴッドバードには新たな力が宿る事がある。実戦でそれが発動する事は稀だが、フリーザーはその“稀”を自在に操る稀有な存在であった。

「……なッ、こ……これはァ……!! ぉぉぉぉおおおぉッ……この、こんなものォッ…………ぐがぁぁああああぁっ!! 小癪なあっぁぁああああああああぁッ!!」

 ――空から突き出した樹氷が、地面に向かって成長していくように。
 フリーザーが通った道を、氷の柱が辿る。
 とても、幻想的な光景だった。しかしその直下で地面に叩き付けられようとしている影には、その美しさは永遠に理解出来ない。脱出を試みるが、その翼を氷に取られて羽ばたく事が出来ない。最早無様に足掻く事さえ許されず、影は着実に大地との距離を――詰める。

「何故だ……何故貴様は動ける……! この氷の柱の中で何故……!」
「私にとって氷は、水のようなものなのですよ。残念でしたね、影。」
「くっ……、ぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおッ! チクショォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォッ!!!」

 樹氷の先端がチョウジタウンの外れの、イカリの湖を囲む森に突き刺さった。
 一体、何がどうなったら、そういう光景が広がるのか――それを解明できる人間が、或いは論理的に説明できる人間が、この世に何人存在するだろうか?
 フリーザーが描いた、天と地を結ぶ氷の柱。その根元では、地面にぶつかって砕け散った氷柱が美しい花を咲かせている。
 そして、その花の中で影が、琥珀に閉じ込められた昆虫みたいな格好で埋まっていた。
 フリーザーは鮮やかにそこから脱出している。
 彼女にとって氷は水と同じで、だから強力な氷の属性を持つこのゴッドバードの中でも、彼女は一切のダメージを負うことは無かった。

「……終わりですね。そこから脱出することは出来ません。チェックメイトです。」

 状態異常だとか、そういう次元ではないのだが、影が置かれている状況は言うなればこおり状態であった。こおり状態のポケモンに出せる技は殆どない。ましてこれほどの氷の花に抱かれて、果たしてどんなポケモンがそこから脱出する術を持つというのか?
 アルセウスであろうと、それは不可能。このワザを一度受ければ、後は一方的に成す術なく倒されるまで。
 それにまさか、たまたま状態異常を軽減する木の実を持っていたという事もあるまい。もしそうであれば今頃脱出していておかしくないはずだ。
 ほんの数秒間、氷の花を見つめていたフリーザーは悟る。
 影は、ピクリとも動かない。だから既に、意識を保ってすらいないだろう――と。
 フリーザーは両足を地につけ、それから翼を正面に向けた。
 他のタイプのポケモンで言えば、ロックオンの構え。フリーザーは、それをこころのめと呼んだ。
 次に出すワザを確実に命中させるがそれ以外の効果を全く持たない、一見すると役に立ちそうもない特殊なワザだ。しかしフリーザーがそれを出した時、次に控えているワザはこの世で最も恐ろしい一撃となる。
 ヤナギは、だからこそフリーザーを実戦に持ち出そうとはしなかったのだ。
 フリーザーが、あまりにも強すぎるから。

「……このまま眠らせて差し上げましょう。あなたは、ヒトに飼われるには危険過ぎる。」

 こころのめが、影を照準する。
 これで次の一撃は絶対に外れない。
 即ち、フリーザーの勝利が確定したも同然。何故なら、このフリーザーは史上最強のワザと謳われる究極奥義、ぜったいれいどを修得していたのだから――。

「これで終わりです!」
「――あァ、終わりだなァ。」
「……………………え?」

 フリーザーがぜったいれいどを放つか放たないかの刹那、影を包んでいた氷の花が突然真っ赤に染まり、自らの内圧に耐えかねて木端微塵に砕け散った。
 ……一体、どれ程の圧力が掛かっていたのか。
 氷は溶けると水になる。その分、体積も増そうというものだ。さらに水が気化すれば水蒸気となり、体積はさらに膨れ上がる。この時氷の花の中のキャパシティを考えれば水蒸気はすぐに水に戻ろうとするはずだが、そうならないのはそこに水蒸気の凝縮を許さぬだけの熱量があったからだ。
 故に、氷が外に弾け飛ぶのは当然の結果。粉々になった氷が、ダイヤモンドダストみたく輝いて――その中から無事に生還した影を祝福しているように見えた。

「そ……んな……!?」
「駄目だなァ。詰めが甘いんだ、お前は。こおり状態でも出せるワザなんて、いくらでもあるだろうが!」
「あ、あぁぁぁああああああああっ……!!」
「……良いバトルだったぞフリーザー。お前の力、気に入った! 我が血肉となり、共にこの世界を統べようぞッ!」

 影は、その姿を豹変させる。
 カビゴンみたいに膨らんだかと思えば、その腹部を大きく開いて、胃袋を露出してみせる。
 そして、無数の手がそこから飛び出し……逃げようとするフリーザーの尾を捕まえた。飛び立つ瞬間に尾を取られたものだから、フリーザーは地面に叩き付けられて呻き声を漏らす。
 そのままズルズルと引き摺られ、どんな氷のワザの抵抗も虚しく、フリーザーは影の胃袋に、吸い込まれた……。
 影は、フリーザーを取り込んだ証に美しい尾と氷の奥義を手に入れた。
 いよいよフスベジムへの対抗策を手に入れたぞと高笑いしながら、その主となるトレーナーを背に乗せて空の彼方へと飛んで行く。
 ……ポケモンを喰い、成長するポケモン。
 493種類の全てに一致しない未確認の……。
 ……いや、虚実だ。
 そんなポケモンが存在するはずがない。
 この時点でジョウト地方に、フォルム違いの亜種を除く493種以外のポケモンは存在しない。
 これは、誰かが、さもそれが実在するかのように振舞っているという描写なのだ。
 だから本当の真実を観測できる人間が近くにいなければ、犯人を追い詰める事は出来ないのに――

「フリーザー……! 此処から出すんだ、お前独りで敵う相手ではないッ、返事をしろフリーザーァァアああああああああッ!!」

 ヤナギは、チョウジジムの地下室の、氷の牢獄に閉じ込められていた。
 未知のトレーナーの襲撃を予感したフリーザーが、彼を安全な場所に閉じ込めたのだろう。
 しかしヤナギの叫びも虚しく、フリーザーは敗れ、ジムバッジも奪われる。
 襲撃に遭いながらも無事が確認されたジムリーダーはヤナギで二人目となったわけだが、フリーザーの気遣いのために閉じ込められていた彼は真実を何一つ知らない。
 チョウジジムで何が起こったのかを知るのは、影と、影のトレーナー。そしてフリーザーだけ。
 …………それから数分の後。
 ……鬼瓦は、チョウジジムで己の無力さを噛み締めるのだった……。







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 ジョウト一周の旅を終えた主人公のヒビキは、ワカバタウンへと帰郷していた。
 旅立ちの日に幼馴染であるコトネのマリルに奪われ、正視できないほど雑巾臭くなってしまった黒い帽子は、現在もまだ自宅の屋根の上に干してあった。
 太陽光には殺菌作用があるという。あと1年干しておけば、元に戻る見込みだった。
 ところで代わりに被っていたこの赤い帽子であるが、実はかつてカントーのリーグを制した伝説のトレーナーが使っていたものと同じメーカーのものだったりする。縁起がいいので被ってみたところ、たちまちジョウトを制覇する事が出来たのだからご利益の有り難いことだ。
 しかし、だからといってあの黒い帽子がもう用済みなのかと言えば決してそうではない。
 いくらこの赤い帽子にステキなご利益があるとは言え、やっぱり自分に似合うのは黒い帽子だと思うからだ。
 ロケット団員に変装した時なんかは、真っ黒な衣装で何故か懐かしさすら覚えたほどに。
 因みにジョウトのロケット団員は全員、この赤い帽子を見た瞬間に土下座するか、速攻で逃げるか、失禁するかのいずれかの行動を取ってくれたので、ラジオ塔を解放するのは非常に楽だった。
 多分、カントーで相当怖い目に遭ったんだと思う。この、赤い帽子のトレーナーの手によって。
 そんな伝説のトレーナーは今、シロガネ山の奥地で修行しているらしい。いつかバトルしてみたいものだ。尤も、まだリーグに挑戦すらしてない自分が言うのもなんだが――と、ヒビキは苦笑しつつ実家の敷居を跨ぐ。
 懐かしい香りがした。
 でも、ヒトの気配が無かった。
 居間のテーブルに、書置きと簡単なオヤツが出来立ての状態で置かれていた。

“買い物に行ってきます。オヤツを作っておいたので、ちゃんと手を洗ってから食べるように!”

 今日、家に帰るなんて実は内緒にしていたのに。
 お母さんには何でもお見通しだな、とヒビキはまた苦笑した。
 一旦、二階の自分の部屋に向かう。ベッドの上に荷物を投げてから居間に戻り、テレビをつけ、しかしザッピングはせずに真っ直ぐ洗面所へ。手を洗う水の音に混じって聴こえてきたのは、ニュース番組のアナウンサーの実況だった。

『……こちらら、今朝襲撃に遭ったばかりというチョウジジムの様子です……。現在も警察による捜査が進められ、』
「襲撃だって……? 物騒な世の中だなぁ。」

 タオルで手を拭きながら、テレビの方に顔を向ける。画面は見えやしないが、水は止めたので音声はよく聴こえた。

「ヤナギのじっちゃんは無事かなぁ。……お、このマフィンうンまそう!」

 何となく、とりあえず、妥協的にチョウジジムのリーダーの心配をしつつ、しかして居間に戻ったヒビキの目は、テレビ画面よりもテーブルの上の出来立てのマフィンに釘付けになった。
 どんな料理でも、作りたてが一番美味しいに決まっているのだ。
 一晩寝かせた方が美味しいとかそういうのはさて置いて、マフィン。色合いからしてきっとお味はチョコレートだろう、ココアの風味が鼻腔を擽るこいつよりも今この瞬間、他に優先される話題など無いに違いない。
 そして、きっと作りたてだ。もうすぐ帰ってくることくらいお見通しだったのだから、このマフィンだって作りたてに決まっていて、美味しいに違いない。
 ヒビキはニヤニヤしながらその手をヌッとマフィンに伸ばす。
 甘い物大好き。それにかけてはコトネにも負けない、無駄な自信がある。誰もこの手を止められやしないだろう、たとえ窓の外に唯一神エンテイがいてもマフィンを食べる事は止められやしない――と、ヒビキ本人は心の中でそう思っていた。
 しかし予期せずしてその手は、止められる事となった。

『また、アサギジムのリーダー、ミカンさんの行方も現在不明となっており……』

 他のどんなジムリーダーの話題でもなく、ただ一人、ミカンの名前。それを聞いた瞬間、無意識レベルでヒビキの関心はマフィンから逸れる。
 口元まで運びかけたマフィンは、幸い、彼の手から落ちることは無かった。

「――何て?」

 襲撃されたジムは、キキョウ、ヒワダ、コガネ、エンジュ、チョウジの五箇所。そのうち無傷で生還しているのがハヤトとヤナギの二人で、アカネとツクシは現在病院で療養中。そして、マツバとミカンが行方不明――それが、ニュースキャスターの口から語られた現在の状況であった。
 不可解なのは行方不明となっているミカンのいたアサギジムがまだ襲撃された様子が無いことだが、ヒビキにとって問題なのはそんなことではなくミカンが行方不明だという事実ただ一つ。

「ゆ……行方不明だと……!?」

 あらぬ妄想が、ヒビキの脳裏を支配する。

「……という事はミカンは今、犯人に独り占めしていると言うのかッ! くぅうううぉぉおおおおおぉ!! なんて羨ま……許し難い事を! 許さん、絶対に許さんぞぉぉおおおおおおおおおぉ!」

 彼が目を三角にして家から飛び出してくるまでに、そう時間は掛からなかった。
 多分、カゴのマフィンを平らげる程度の時間で、彼はフスベシティに向かって一方通行の46番道路を逆走していくのだった……。







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「えー……皆さん。いよいよ、彼――ヒビキが動き始めました。ヒビキは、この世界で最強のトレーナーです。絶対に敗北しない、唯一無二の主人公です。つまり……えぇそうです。これで事件は、全て決着するのです。犯人はチョウジジムを制した後、真っ直ぐフスベジムに向かいました。そして……きっとフスベジムは、手に入れたフリーザーの力で容易く制覇されるでしょう……。犯人が意気揚々と外へ出てくると……そこには、顔を真っ赤にしたヒビキが立っているのです。ミカンは何処だと、声高に叫んで――。……もうお解りですね? んっふっふ……残念ながらミカンの失踪とジム襲撃事件には何の接点もありませんが、その誤解がヒビキを動かすであろうことは全て計算通りでした――だからフスベシティで犯人を追い詰められるであろうことも私は全部お見通しでした……いやぁ犯人は実に惜しかった。もう少し早ければこの包囲網をも突破できたかも知れない――紛れも無く彼は、ジョウト最速ですよ……んっふっふ……、本当に、皮肉な事です。…………古畑任ざ……ゲフンゲフン、コトネでした。」


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