第四章 ◇◇◇ 無駄無駄、どうせ死なない

 サイレンの鳴らない覆面パトカーは一路、コガネシティを目指し砂利道に車体を小刻みに震わせていた。
 コガネにはジョウト警察の本部がある。そこに連れ込まれて取調室に閉じ込められれば、脱出の機は皆無となるだろう。それはもう、事実上の永久追放に等しかった。少なくともこの事件が終焉を迎える前に戦線に復帰する事は不可能なはずだ。
 巡査はボンヤリと四角い窓の向こうを見ながら、さて如何したものかと考え込んでいた。
 しかし、いくら考えてもこの状況では、流石の彼にもどうする事も出来ない。
 奇跡が起こるのを待つしかない。だから彼の思考は自然と、鬼瓦との因縁が始まったあの日へと移ろいでいった。
 ……かつて自分はコーディネーターで、その時の鬼瓦はもうすぐ出世を控えた巡査部長だった。
 たまたま旅の途中で訪れた町で、放火事件が相次いでいて。
 ……いや、偶然ではない。
 その放火事件の噂を隣町で耳にし、当時コーディネーターだった巡査は激しい怒りを覚え、犯人を捕まえるためにその町に飛び込んだのだ。その頃から三匹のガーディは彼の頼れる相棒で、だからこそ彼は“炎”を悪用する人間が許せなかった。その感情が人一倍強かったのが、そういう行動に至った要因だ。
 ……しかし、悲劇は起きる。
 放火事件の相次ぐ町に三匹のガーディを連れた男が突然現れれば――その町で長く張り込んでいた鬼瓦の目に留まってしまうのは、無理も無いことだった。
 そして鬼瓦は、無罪を主張する男を連行して意気揚々と本部へ帰還する。……後に彼はあの町で再び放火事件が起こった事を知るが、その時、警察上層部は鬼瓦があの町に張り込んでいると思い込んでいた。だから、きっとすぐに犯人は現行犯で捕まえられて事件は解決すると思っていた――のに……。
 鬼瓦が無罪の男を連れてのこのこと戻ってきた頃にはもう、真犯人は何処かへと雲隠れしてしまっていた……そして二度と、その姿を見せることは無かったのだ……。
 全てが一手遅く。その原因は鬼瓦の単純な判断ミス。鬼瓦が、巡査を恨むのはお門違い。しかし……これを恨まずに、一体他に何を恨めばいいのか……?
 鬼瓦の気持ちは、巡査には解らないでもなかった。
 もし彼の気が晴れるのならば……この事件の手柄は、譲ってやってもいいとさえ、僅かにだが思わないことも無かった……けれど。
 それでも…………許せない。
 ヒワダジムと、エンジュジムを見て解った。
 犯人は炎を悪用している。それを、絶対に、許せないと思う自分がいる。
 今、自分のやるべきことは少なくとも、大人しく後部座席の真ん中ですし詰めになっている事ではないはずだ。
 出よう、此処から出て犯人を追いかけねば。

「……………………!」

 巡査が力尽くで脱出しようと、狭い車内で両足に力を込めたその瞬間だった。
 車載型のポケギア(警察専用)から断続的に鳴る機械音が、車内の重苦しい空気を変える。
 その一瞬の隙を突くことも考えたが、巡査は一旦この機を見送り、両足を脱力させた。

「……なんだ、こんな時に。誰か出てくれ。」

 タイマーではなく、着信であった。
 真面目な運転手はチラと脇見すらせず、前を向いたまま後部座席に対して言う。

「俺が出よう。」
「定時連絡の時間じゃあねぇやなぁ。」
「お前は黙っていろ。」
「へいへいっと。」

 運転席の男は一応警官として、運転しながら電話応答をすることを拒否した。
 助手席には誰もいなかったため、その役目は後部座席で巡査を挟んでいた警官たちに回ってくる。その片方が、グッと手を伸ばして通話用の子機を捕まえた。その際に肘で巡査を軽く押し潰したのは、きっと故意だろう。さっきのジョークが気に喰わなかったと見える。
 ただ、そんなだから、誰もこの電話の主が誰かなんて気にも留めなかった。
 運転席の警官は脇見運転をしないためにポケギアの画面を見ていないし、後部座席の警官らは運転手のそんな気構えなど知ったことではないので、どうせ本部からの連絡か何かだろうと思い込んで確認を怠った。
 怠らなければ、ディスプレイには発信者の番号が、もしかしたら表示されていたのかも知れないのに。
 巡査も、平静を装って窓の方を向いていなければ――ここでまた別の対応が、出来たかも知れないのに……。

「こちら7号車、どうぞ。」
『……そい。』
「……は?」
『…………遅い……、遅い遅い遅いッ!! このノロマ、ウスノロ、鈍足ッ! その足は飾りか!? ガッカリさせるなよ税金泥棒ッ!!』
「ッ……だ、……誰だお前ッ……!!!」
『誰? この期に及んで白々しい! あんまりそっちがやる気無いとこっちも面白くないんだよ屑がッ! やっぱり本当に死人が出ないと本気では動けないのか? だったら次は殺してもいいんだぞ!? オイ何とか言えよ、聴こえてんだろギャクタンの準備してる場合かよッ!!』
「…………ッ……!」

 次々と浴びせられる罵声に、車内の空気が凍り付く。
 どうせカマをかけられただけに決まっているのは解っているのに、思わず逆探知しようとしている手を止めざるを得ない程の迫力がある。
 それはまるで、すぐ近くで監視しているかのよう。
 間違いない。こいつが犯人だ。こいつが一連の事件の……。
 そして、早く自分を捕まえないと……次は死人が出ても知らないなどと抜かしている……!

「……お前は、何者なんだ……。何故こんな事をする……。」
『トレーナーだから、バトルをする。何かおかしな事でもあるのか? 追いかけて来い巡査。かつて各地のコンテストを震撼させたお前のガーディの力で、この余興を盛り上げてくれよ…………でないと、次は…………本当に…………。』

 ……そこで、通信は途絶える。
 逆探知には成功したか? という視線が受話器を取っていた男から後部座席のもう一人の警官へと向けられたが、その男が静かに首を横に振ると落胆の空気が一気に車内に満たされた。
 ただ一人最後まで冷静だったのは、巡査だった。
 犯人は、きっと待っている。自分が駆けつけるのを待っている。これは、自分と、犯人との勝負なのだ。
 自分が犯人を追いかけても追いかけなくても、この事件は決着するだろう。
 しかし後者の理由で決着したならば、それはきっと考え得る最悪の形での終わりとなる。
 勝って終わる以外に、もうまともな決着など望めない。だから今やるべきことはこの車から脱出する事でさえなくて――それを、運転席に座っていた男も、理解していた。

「? おい、コガネシティはそっちじゃ――」
「チョウジに向かう。」
「はぁ!? お前何考えて……!」
「今の犯人の要求は聞いていただろう。これを飲むだけで死人だけは出ずに済むのなら、飲むべきだ。少なくとも鬼瓦サンの個人的な怨恨に付き合う理由よりは、そっちの方が重い。」

 キッパリと断言し、パトカーは進路を変えてキキョウシティの方へと向かう。今からエンジュ経由でキキョウシティに行くよりも、キキョウ側から山道を突っ切った方が早いという的確な判断だった。

「巡査。必ずこの事件の犯人を捕まえて見せろ。さもないと今回のお前の単独行動、しっかり始末書を書いてもらうからな。」
「……ハンッ。よく解ってるじゃねぇか。安心して任せろよ。お前らキャリア組は、本部でゆっくり調書作成して待ってろや。」

 軽口を叩き合い、ニヤリと笑う二人。運転席の男が既に巡査のバックアップを取る覚悟を決めてしまった以上、後部座席の残りの刑事らはそれを妨害することも出来ず、ただ済し崩し的に追従するしかないのだった。




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 タンバジムのシジマといえば、ジョウトでは知らぬ者なしと云われる程の阿呆であった。
 具体的にどう阿呆なのかといえばその武勇伝は片手の指では数え切れぬが、端的に紹介すればポケモンバトルで勝つために自身が滝に打たれるという荒行を日夜執り行っているような男であった。
 仮にもジムリーダーである。
 昼間は挑戦者のためにスタンバイしているのがジムリーダーの責務だ。職務とも言っていい。なのに先日赤い帽子の少年に敗北してから、彼が滝に打たれている時間が以前よりもずっと増えてしまった事には流石のジム生たちも閉口していた。
 しかし、滝に打たれる暇があるなら渦巻き島でも回遊していた方がよほどマシな結果になるだろうに……というのは少し間違いである。
 基本的にジムリーダーは、相手の持っているバッジの数で使用ポケモンを変えている。リーグ運営によって指定された手持ちのポケモンを不用意に強くしてはいけないため、ポケモンではなく自分自身を鍛えようとするシジマの姿勢は決して間違ってはいないのだ。
 ただ、致命的に間違っていたのはその修行のために挑戦者たちに多大な迷惑が掛かっていた事であろう。
 滝に打たれるシジマの前で、赤いリボンが特徴的な白い帽子を被った少女――コトネが、体育座りをしてジッと待っていた。
 こうして真正面に座っていればいずれ気付いてもらえるかと思ったが、どうやらシジマは修行に熱中すると完全に自分の世界に入り込んでしまうらしい。かれこれ3時間、コトネとシジマの無言の対面は続いていた。
 寧ろここまで来ると、コトネの精神力も大したものである。ジム生たちは感心すると同時に、あまり係わり合いになりたくないなと思って自分らのトレーニングメニューに黙々と打ち込むのだった。
 ……ただ、いくらコトネが我慢強くともその相棒(仮)はそろそろ限界らしい。
 何故かタンバシティまで同行していたデンリュウのアカリが、およそ時計の長針が3週した辺りからえらい形相でシジマを凝視していたのであった。
 あとどのくらい持つだろうか。アカリの堪忍袋が破裂するまでには、そう時間は掛からないように見える。
 そんな不吉な気配を察知したジム生たちが一人また一人とタンバジムを出て行くが、シジマは一向に気付かない。気付くはずが無い。正面に挑戦者が座って待っていることにさえ気付かないシジマが、ジム生たちがこっそり抜け出していくのに気付けるワケがない。大した集中力だが、周囲で何が起こっても気付かない辺りが逆に集中力の欠如として見えるのは皮肉であった。
 アカリの苛立ちが雷となって、彼女の身体の表面をバチバチと走り始めた頃には、シジマ以外のジム関係者は一人もいなくなっていた。
 アカリに手加減や容赦の気配が微塵も見られなかったのは、多分その辺にも原因があったのではないかと思う。この場合、ジム生は悪くないのだから。

「パルァッ!!」
「ぬぐぉぉぉおおおおおああwwwwwwwwwwああwwwあwwwwwwwみwwwなwwwぎwwwっwwwてwwwきwwwたwww!!!!」

 アカリの怒りのほうでんが滝を穿ち大穴を開ける。強力な電撃は物理的な衝撃を持って対象物を破壊する。雷に打たれた巨木が真っ二つに裂けたりするのは、自然界ではよくある事でそれと同じ理由だ。
 だからと言って電流が一緒になって砕け散るのかと言えばそういう事はなく、当然ながら、その直下にいたシジマは高圧電流の餌食となり焼き尽くされた。

「アカリちゃん!? 何やってるの貴女っ!!?」
「ぱるぅー。」

 コトネが驚愕の声を上げるが、アカリはすっ呆けた鳴き声で場を誤魔化した。
 自分は悪くない。挑戦者を蔑ろにするシジマが悪い。そう言わんばかりに、完全に開き直っている。
 最早アカリをいくら責めたところで無意味である事を理解したコトネは、改めて惨劇の現場を見渡した。
 滝の水に隣接している全ての範囲が、真っ黒に焼き焦がされている。
 電気タイプだよね。
 炎タイプじゃないよねこの子。
 ……なんて目をアカリに向けてみるが、やっぱり彼女は惚けたような笑みを零すだけだった。
 シジマはすぐに、滝の水が溜まった池にうつ伏せの状態で浮かんできた。ぷかーっと漂うその姿は、どう見ても死んでいた。

「しっ、死人は出さない約束だったでしょ!!」
「ぱるぱるっ!」
「……え? シジマさんがこんなに簡単に死ぬはずがない?」
「ぱるっぱるぅ。ぱるぱるぱー。」
「だからそこで死んでるのは、シジマさんの偽物に決まってるって?」
「ぱる!」
「……そっか! 偽物なら仕方ないってことね!」

 コトネがポンと手を叩くと、彼女の足首を何者かの手がガッチリと掴む。

「じ、ジムバッジは渡さんぞぉぉ……!」
「ひぃいいっ! ドザエモンが喋ったぁあああぁっ!!」

 死んでいてくれればいいのに、生きてやがった。
 ……どう見ても、普通は死んでいるような外傷だ。なのに生きているという事は、彼が本物のシジマである事を疑う必要はないという事なのか。
 それにしても変態というヤツはどうしてこう、死なないのだろうか。
 不死身補正が掛かっているから、ギャグシーンでは殺せないのかも知れない。
 どうすれば殺せるのかを考えた結果、シジマの回想シーンを挿入してシリアスに移行するフラグを立てさせ、正体不明の挑戦者を装って襲撃するという手が浮かんだが、シジマの回想シーンで何がどう転んだらシリアスフラグが成立するのか全く解らなかったコトネにはもう打つ手は無かった。

「ど、どうしよう、とりあえずごめんなさい成仏して下さい!」
「いーやダメだ! あんなにステキな電撃を受けて成仏できるかッ! 頼むもう一発打ち込んで下さい!」
「この人変態だっ!!!」
「フフフ。変態か。そう呼ばれるのも懐かしい。この前もアカネに言われたわ。アンタSとMどっち? とな。」
「ふ、服のサイズの話とかじゃなかったんですか……。」
「ぱるぅ(訳:この人はどう見てもXLとか3Lだと思いますけど。)」
「だからワシは答えた! どちらかと云えばドMであると!」
「ドレッドノート級のMサイズなんて聞いたこと無いですっ!!」
「ぱるー(訳:コトネさんのそういう純情なところは嫌いじゃないですよ。)」
「頼む、もっとワシを甚振ってぇええええぇっ! 滝ではッ、滝ではもうダメなんじゃぁあああああぁ、後生だ、先の電撃をもう一度、ワンモアぁああああああああぁっ!! プリィィイイイイイイズ! ギブミーアペイィィイイイン!!」
「う……うぉぉぉおおおぉっ! その雑巾くせぇ身体で擦り寄ってくるんじゃないわよぉおおおああぁっ!! このッ、このッド変態ッ、ほらこれがいいんでしょ、ほらァ! 十代なりたての女の子に踏まれて嬉しいんでしょこの変態がッ!!」
「がふっ、げほぁっ、まだまだぁっ、もっとじゃあ! もっと強いのこんかいワレェ!」
「パル……(訳:嗚呼、コトネさんが目覚めてしまった……。)」
「ハァ、ハァ……、しぶといわね、じゃあそのしぶとさに免じてご褒美をあげるわ。アカリちゃん! 貴女の本気のほうでんを見せてあげなさいっ!」
「ぱる?(訳:ジムごと消し飛ぶかも知れないですけど、それでも構いませんか?)」
「ワシは一向にかまわんッ!」
「…………ハッ。私ったら何を……アカリちゃん! ストップ! それは流石にマズ――」
「パルァッ!!!」



 ―――ッ!!



 ……後にジョウト犯罪史に伝えられる、連続ジム襲撃事件。
 その背景で、一人の男の異常性癖が引き金となり、タンバジムが消失した。
 しかし、誰もその事件を連続ジム襲撃事件と結び付けようとはしなかった。
 崩壊したジムから救出されたシジマの満足そうな顔を見て、その真相に深入りしようとする人間は誰もいなかったからだった……。
 後の雑誌のインタビューにてシジマは語る。
 “これから、サド界に新たなスターが誕生するだろう。”――と。
 リーグ運営が真剣にシジマの解任を検討したのは、言うまでもない。

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