第一章 ◇◇◇ マリルから雑巾みたいな匂いがしたの

 ――選ばれなかった主人公は、サポートキャラとして登場します。
 その言葉を信じて、コトネは来る日も来る日も自宅の二階でマリルと戯れていた。
 しかし……遅い。いつになっても出番が来る気配が無い。最後にメイン主人公と出会ったのは、コガネシティだっただろうか。
 たまに出かけてみたりするが、今頃メイン主人公がどの辺りを旅しているのか全く見当もつかない。ジョウトは人間一人を探すにはあまりにも広大で、基本引き篭もりのコトネにはあちこちを出歩くのは苦行でしかなかった。
 ロケット団の暗躍の噂を聞き、今こそメイン主人公の隣に立ってタッグバトルの時かと思い立ちはした。……が、どうやらチャンピオンが裏で動いているようなので邪魔をしない方がいいらしいと、ウツギ博士に止められてしまったのが二日前の話だ。
 マリルから雑巾みたいな匂いがする。
 …………ごめんね。
 うちには、お風呂がなくて…………本当にごめん。
 2階建てで自分の部屋もあるのに……ここには台所と、居間しかないのだ……。
 雑巾みたいなマリルを、ギュッと抱き締める。
 牛乳を拭いた後みたいな匂いがした。
 昨日、コガネの姓名判断師のところに行き、マリルの名前を変えた。
 市役所と違って、どんな名前も快く受け入れてくれるから素晴らしいシステムだと思う。
 マリルは、名実共に「ぞうきん」になった。

「きっきゅるー?」
「…………ぞうきん。」
「きゅるっきゅるー♪」

 名前を呼ぶと、嬉しそうに擦り寄ってくる。言葉が通じていない事を、この頃になって私は理解した。マリルは新しい名前の意味も、全く解っていないようだった。
 だから、そんなマリルの姿を見ると……心が痛んだ。
 何を……しているんだ、私は……………………。
 …………結局、匂いは日に日に悪化していくばかり。これ以上放っておいたら、マリルは雑巾より酷いニックネームをつけられる事になるかも知れない。
 残された時間は、少ない。
 もっと早く気付いていれば、こんな事にはならなかったのかも知れないのに……。

「……らなきゃ。」

 ポツリと、声が出た。
 気が付くと私は、家を飛び出していた。マリルは頼まなくたって私の後ろをついてきてくれる。雑巾みたいな匂いを撒き散らして、どこまでも、どこまでも……。

「変わらなきゃ……。」

 もう発売前情報に踊らされたりなんかするものか。
 私は、私の力で、サポートキャラとして活躍するのだ……そして、知らしめるのだ、もはやこのジョウトという世界に、私以上のヒロインなど存在しない事を……!!


++++++


 キキョウジムは鳥ポケモンを愛する集団が集う鳥ポケモンの楽園であった。
 ワカバタウンを出発した新米トレーナーにとってそこのレベルはとても高いものかも知れない。しかし、道中でしっかり腕を磨いてきたトレーナーならば、ある程度手加減をしてくれるジムリーダーからバッジを手に入れることは容易なはずだ。何せここは始まりの第一歩。いきなり難関にならぬよう、リーグ運営委員会も配慮はしているのである。
 ……とは言ったものの、それでも最近は新米トレーナーのレベルが低すぎる。ジムリーダーのハヤトは常々そんな事を嘆いては、夕暮れ空に向けて溜息を漏らしていた。
 もっと見込みのあるトレーナーは現れないものか。
 つい数日前、彗星の如く現れた赤い帽子の少年とバトルして以来ますます他の新米トレーナーの弱さが目に付くようになってしまい、溜息の回数も心なしか増えていたのだった。
 ……と、ハヤトがまたジムの天蓋上で溜息をついていたその時だった。
 ジム生の一人が、梯子を駆け上がってハヤトの名を大声で呼んだのだ。その表情に浮かぶのは緊迫と恐怖。ただ事ではないと察したハヤトは隣に呼び出していたピジョットの背中に飛び乗り、梯子を使わずにジムの窓へと滑空して飛び込んだ。
 このピジョットは、彼が全力で戦う時の相棒だ。その実力はリーグ四天王にも全く劣らない。新米トレーナーに対して使うわけにはいかないから、こういう時でしか一緒にいられない彼の大切な相棒だった。いつかはこいつと、全力で戦える日が来れば良いなと、そんな風にさえ考えていた。もしそれが叶うのなら、ジムリーダーなど辞めて一人のトレーナーとして、ジョウトリーグへの出場を考えてもいいかな、とさえ思っていた。そのピジョットにハヤトは、絶対の自信と信頼を預けていたのだ。

「ぞうきん。バブルこうせん。」

 パシュッ! と機械的な音が、窓から飛び込んだハヤトの耳に入る。
 トレーナーだ。ジムに挑みに来たトレーナーが、バトルをしている。
 相手は誰だ?
 使用ポケモンは一体何?
 ドタバタと階段を降りてバトルフィールドに駆け込むと、そこにはハヤトの想像を絶する光景が広がっていた……。

「う……は、ハヤトさん……。」
「ッ……! ど、どうした、一体ここで何があったッ!! 一体誰がこんな事を…………!!」
「お、恐ろしいほど、強い…………、ま、り……」

 ガクガクと痙攣していた男が、言葉の途中で事切れる。……いや、死んではいない。しかし尋常ではない事が起こった。それだけは間違いなかった。
 フィールドを、改めて見やる。
 ズタズタに破壊されたキキョウジムの専用フィールド。そのあちこちに、鳥ポケモンが戦闘不能の状態で転がっている。そして、今し方気絶した男以外にも沢山のジム生が死屍累々…………。

「あ、あれは……。」

 ハヤトはフィールドの真ん中に何かが転がっているのを見つけた。
 それは、ウィングバッジの在庫の全て。……しかし、昨日取り寄せたばかりのバッジが、一つ足りない。恐らく、つい先ほどまで此処にいたはずの挑戦者が持ち去ったに違いない。
 …………激しい怒りが、ハヤトの身体の奥底から湧き上がる。
 それは、ジムをこんな滅茶苦茶にした挑戦者の横暴に対してではなく、それを許してしまった自分の不甲斐無さに対する激昂だった。
 だが、ハヤトは自分の不甲斐無さに感謝した方がいい。
 もし彼があの時屋上にいなかったなら、今頃このフィールドには彼と彼の相棒のピジョットまでもが転がっていて、誰もポケセンに通報する事が出来なくなっていたのかも知れないのだから……………………。




+++++++++



 ヒワダ警察署に通報があったのが、午前二時半を過ぎた頃だった。
 ちょうど、キキョウジムが壊滅したという噂が伝わってくるのと、同じくらいの頃である。夜食のカップ麺を貪っていた巡査は一体こんな時間に何事かと、渋々箸を置いて受話器を取った。

「ハイハイこちらヒワダ警察署ー。……………………え? は……ハッ、了解であります!! 直ちに全班へ連絡を…………ハイ、……ハイ、では失礼するでありますっ!!」

 受話器を置くと、じっとりとした脂汗が掌に浮かんでいるのが視界に入る。
 ……こういう汗が出る時ってのは、決まって何かヤバいヤマにぶつかった時だと相場が決まっているのだ。

「……嵐が来るな……。それも、でけぇのが……。」

 すぐに、やるべきことは決まっていた。
 今はこの情報を一刻も早く他の署にも伝えなければ。

「キキョウジムが潰されたのはマジだったのか……だとすると次は、エンジュかヒワダのどっちかしかねーよなぁ……?」

 食べかけのカップ麺など、今の彼の目には入っていない。
 彼は腰のベルトに装着したモンスターボールを取り出し、中から三匹のガーディを呼び出した。
 新米時代からの付き合いで、今日までいくつもの修羅場を潜り抜けてきた頼れるパートナーだ。

「そこで待ってろィ! コガネとエンジュに連絡したら、すぐに出動だッ!」
「ガウッ!」

 まずは電話を! この一大事を他の署にも伝えなければ!

「……ん? ……待てよ、妙だぜ……。」

 巡査は受話器に掛けた手を止める。
 ……先ほどの電話の主は、他の地域で開催されるリーグのチャンピオンを名乗っていた。たまたま用事でジョウト地方に来ていたらしく、さらに偶然にもキキョウジム壊滅の時に近くにいたらしい。それでチャンピオンとしてこの事態を解決するために電話をくれたというのだが…………。

「……なんで、此処には自分でかけたくせに、他の町には俺が掛けなきゃならねぇんだ……?」

 違和感は、疑惑へ。そして疑惑が確信へと変わるまでに、そう長い時間は必要なかった。

「やべぇッ……ヒワダジムが危ねぇッ!!」
「ガウガウ!!」

 ガーディを引き連れて巡査は署を飛び出す。署の前に停めてある警察用の自転車に跨り、勢いよくペダルを踏むと、巡査はハンドル操作を誤って思い切り転倒した。

「うぐ……イテテテ、なんだってんだ……こりゃ……。」

 自分がハンドル操作を誤るはずがない事は、自分が一番よく知っている。だからその原因が自転車の側にあると踏んだ巡査はすぐに異変に気づく事が出来た。
 タイヤがパンクさせられているのだ。これは、確実に、罠。自分の到着を遅らせるための……!

「く、くそったれぇ!」

 自転車を諦め、巡査は駆け足でヒワダジムを目指す。交番からジムまでは遠い。だから自転車をパンクさせたのが巡査の到着を遅らせるためであるのならば、犯人の作戦は見事に大成功だったというわけだ。
 何故なら、彼が到着したその時にはもう、ヒワダジムは……炎に包まれていたのだから……!

「だ、大丈夫かっ! 怪我人は! くそッ、誰がこんな……!!」
「くッ、遅かったか!!」
「アンタは……キキョウジムのハヤト!」
「犯人が次にこっちに来る方に賭けて、追ってきたんだ……だが、くそ……手遅れか……!」

 全壊したヒワダジムを包む炎は、他に燃え移る場所が無かったのと、ヒワダタウンが炎をよく使う文化圏であったための消火知識によってすぐに消し止められた。
 怪我人は多数。ジムリーダーのツクシは無事に救出され、現在病院で手当てを受けている。
 後の報告に寄れば、ここでもバッジが一つなくなっていたらしい。
 つまり、ちょっと“やり過ぎている”が、これは歴とした“挑戦”だったわけだ。

「俺はすぐにコガネに向かいます。巡査はヒワダジムの復旧活動に当たってください。」
「し、しかしそのピジョット、だいぶ疲れているんじゃないのか?」

 キキョウから大急ぎで飛んできたらしい。息を荒げるピジョットだったが、巡査が心配そうな目を向けると大丈夫だと言いたげに首を横に振った。

「……すまないな、ピジョット。もう少しだけ頑張ってくれ。」
「ピジョッ!」

 ハヤトはピジョットの背に飛び乗ると、そのまま夜の闇の中に消えて行くのだった。
 一方、担架で運ばれていたツクシは朦朧とする意識の中、ある言葉を呟いていた。今は、兎に角それを誰かに伝えるしかない。それが自分に出来る全てなのだと、その言葉に思いを込めて彼は何度もそれを復唱していた。

「……次は……コガネが……危ない……。」
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